終点駅テツ、テツ散歩♪ & 旅々たび...テツ風

「旅々たび...テツ風」・・・・・海外のいろんな所に行ってみたい。。。飛行機・鉄道で飛び出し、訪問した土地でいろいろなことを見聞して、その土地の食べ物を頂いて、初めての発見や珍しい習慣に驚いたりしたいです。 テツ活動にウエイトを置いている時もあります。離島に逃げ込んだり、温泉三昧で停滞したり、日本にないものも探してみたいです。 / 「終点駅テツ」・・・・・鉄道の路線は、出発地(起点)と目的地(終点)の間に敷設された鉄道の線路の区間のことですが、私の概念では、起点と終点のどちらも「終点駅」としています。 路線の起点から終点に向かう人もいれば、路線の終点から起点へ向かう人もいるからです。ローカル線の終点は静かで哀愁漂う情景を思い浮かべますが、都会にある起点も下町風情溢れる素敵な土地かもしれません。 その起点、終点を合わせて「終点駅」として、自分の足でひと駅ずつ確認していくのです。新幹線、地下鉄、空港駅、貨物駅は原則として取り扱いしない予定です。

「旅々たび...テツ風」は、珍しいもの 初めてのもの 食べ物 飲み物 温泉 名所 世界遺産。ちょっと鉄ちゃん風に味付けしています。

「終点駅テツ」と「テツ散歩♪」もアップしています。最近はこちらのの投稿が多くなっています。

津軽鉄道 津軽鉄道線の終点駅

(2016年2月)
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終点駅の津軽五所川原駅に列車が到着しました。積雪で白い駅構内に、オレンジ色の津軽21形気動車「走れメロス」が引き立って見えます。
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利用者に「津鉄(つてつ)」と呼ばれる津軽鉄道は、1956(昭和31)年に、五所川原駅から津軽五所川原駅に改称されています。

津軽鉄道・津軽鉄道線は、津軽五所川原-津軽中里間20.7kmで、駅は1930(昭和5)年の開業。津軽鉄道線は1日13本の運行。(引用:Wikipedia)
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JRと津軽鉄道の駅舎や改札口は別々ですが、通路、跨線橋は共用となっています。  / 全列車が終点駅の津軽中里行で、1日13本が運行されています。
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隣駅は十川です。 / 11時40分発のストーブ列車が3番線に停車していました。先頭からディーゼル機関車、客車、気動車の順で、ストーブ列車(客車)は有料のため、一般の乗客用として気動車が連結されています。

≪構内の眺め≫
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津軽鉄道キ100形101は、元国鉄100形120で1933(昭和8)年に製造され、1967(昭和42)年に譲渡されています。 / 津軽鉄道とJR五能線のレールが隣り合わせです。
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トム1形トム1は、1929(昭和4)年に津軽鉄道線の開業用として12両が新製され、ワム1形ワム5は、トム1形と同じ年に6両が新製されています。
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津軽21形気動車は全5両の配属で、機関区の庫の中に3両が停まっていました。津軽21形気動車に加えて、冬場はストーブ列車用の客車が活躍しています。 / 古いものが多い駅構内で、津軽鉄道の新しい看板が目立ちます。

≪駅からの眺め≫
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駅構内の跨線橋からの眺めです。右側が津軽鉄道で、左側がJR五能線です。 / 津軽鉄道3番線ホームからの眺めです。真っ直ぐ延びるレールの先は、ゆるいS字になっています。右からのレールは機関区側からで、左からのレールは構内の側線と繋がっています。

≪JR五所川原駅≫
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2013(平成25)年の外観リニューアル工事によって、レンガ調の駅舎になりました。 / 共用の通路に表示されている津軽鉄道の乗り場案内。
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隣駅は、木造(鰺ヶ沢方面)と陸奥鶴田(川部、弘前方面)です。 / 1番線(右)は鰺ヶ沢方面で、2番線(左)は川部方面です。2番線の隣に留置線が見えます。

四日市あすなろう鉄道 八王子線の終点駅

(2015年5月・2016年11月)
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四日市駅へ向けて発車する260系電車(モ264+サ124+ク114)です。260系電車は、近鉄が1982年に内部線・八王子線用に導入した車両です。(2018年にパステルカラーの車両が引退しました)
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駅標の左側には、四日市あすなろう鉄道のロゴがあります。鉄道会社の公式ホームページに「コーポレートカラーは四日市の海、空、そして緑豊かなまちを表現する3色」です。

八王子線の日永-西日野間1.3kmで、日中は30分に1本の運行。1912(大正元)年の開業。(引用:Wikipedia)

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近所の方のボランティアでしょうか。晩秋の小さな花壇に暖色系の花が咲いていました。
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朝の通勤時間帯に乗車しましたが、四日市駅からの学生さんが大勢乗っており、ナローゲージ(軌間762mm)の電車の車内は活気がありました。
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かつて八王子線は日永-伊勢八王子間の路線でしたが、1974年の集中豪雨により並行する天白川の水害により、西八王子-伊勢八王子間(1.6km)が営業休止となってしまいました。その後、同区間が廃線となったことから、この駅が終点駅になっています。
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日永で分岐する内部線は「本線」のような存在ですが、内部線(日永-内部)は1922(昭和11)年に開業しており、大正元年に開業のこちらの八王子線の方が、歴史の長い路線になります。
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2015(平成27)年、四日市あすなろう鉄道が近鉄から運営を引き継いだ際に、車両のリニューアル工事と冷房化が実施され、カラーリングも変わっています。
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この駅の眺めは、レールが真っ直ぐに延び、野原が広がっていて、自然が感じられる印象的な風景でした。

のと鉄道 七尾線の終点駅

(2016年7月)
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能登線(右)と七尾線(左)が廃止される前の名残です。この駅の一番の象徴的な眺めだと思います。現在は穴水から先は鉄道路線がありませんが、かつては七尾線の一部として輪島までと、能登線としてこの駅から蛸島までの2路線があり、画像の先で分岐していました。
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国鉄時代の1984(昭和54)年に竣工した駅舎はJRに引き継がれ、JRが撤退した後はのと鉄道が受け継いで使用しています。 / 隣駅は能登鹿島で、「まいもんの里」=能登弁を訳すと「うまいもん、美味しいもの」だそうです。

七尾線・七尾-穴水間33.1kmで、駅は1932(昭和7)年の開業。七尾線は1時間に1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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能登半島の観光ポスターがずらりと並んでいました。 / 本州最後のトキは能登半島に生息していましたが、本州から絶滅してしまいました。現在はトキの分散飼育のため、佐渡から石川県へ移送され、石川県での2世誕生を目指しています。ホームのトキは花見酒をしているところでしょうか。
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「のとりあーな」は、「能登の里山里海でとれたおいしい食べ物が大好きな女の子」で穴水町地域づくり協議会に所属しているそうです。  / 16時18分発、普通列車七尾行(1番線)が入線しました。
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NT211(NT200形)には、輪島市出身の漫画家 永井豪の『マジンガーZ』『デビルマン』『キューティーハニー』漫画作品のラッピング仕様になっています。
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のと鉄道にはNT200形7両と、このNR300形2両が使用されています。NT300形は、観光列車用の気動車で「のと里山里海号」の愛称があります。

≪0番線の保存車両≫
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0番線の車止め側に保存されているNT801+NT802(NT800形)気動車。1988(昭和63)年に、のと鉄道が能登線を引き継いだ際に、パノラマタイプの「のと恋路号」として運行されていました。
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保存車両が置かれている0番線の反対側は1番線で、和倉温泉・七尾方面の列車の発車番線となっています。右に見える2、3番線は車両の留置や臨時列車の発着に使用されています。 / 0番線に保存されているNT127(NT100形)気動車。

≪駅からの眺め≫
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ホームから七尾方向を眺めています。左から1番線、2番線、3番線、車両基地方向からの側線が本線に集約されています。

≪能登中島の保存車両≫
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旅番組でよく放送される能登中島の「オユ10-2565」。「鉄道郵便車保存協会」によって綺麗な姿を維持して頂けており、塗装も良好な状態でした。
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列車走行中に郵便物が仕分けできるような設備があるため、低い位置に窓がない配置になっています。 / 1928(昭和3)年に開業した駅舎は、綺麗な瓦が印象的でした。
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能登中島は、駅付近にある「能登演劇堂」、名物の能登牡蠣、オユ10の保存展示等、これからは素通り出来ない観光地かもしれません。

養老鉄道 養老線の終点駅

(2016年11月)
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610系(611F編成)は、「モ611-サ571-ク511」の3連固定で使用されています。
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近鉄ホームに近い西口は、近鉄が管理を担当する駅舎です。 / 養老鉄道4番線は、島式ホームの反対側の近鉄6番線との間に中間改札があります。

駅全体としては1895(明治28)年の開業で、養老線は1919(大正8)年の開業。養老線の桑名-揖斐間57.5km、日中は40分間隔の運行。(引用:Wikipedia)
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養老線は、日中の時間帯は40分に1本の割合で運行しています。 / 隣駅の播磨との間に、東方信号所(東方台車振替場)があり、車両の定期検査を実施する際は、同所で標準軌用の台車に履き替え、近鉄の塩浜検修車庫に回送して検査を実施します。
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2007(平成19)年、経営状態の悪化により、近鉄から養老鉄道(近鉄の子会社)へ運営の移管が行われ、近鉄は線路などの施設の保有のみ(第三種鉄道事業者)となっていました。今年、その施設の保有が近鉄から「養老線管理機構」へ移管されています。
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養老線のホームは4番線のみです。 / 「養老鉄道でお出かけ」のマークには、養老鉄道活性化協議会(現会長=大垣市長)の表示があります。

≪駅からの眺め≫
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かつてはJR線と養老線の間で、貨車の入れ換え作業が行われており、今もJR線と養老鉄道の間に側線が残っています。
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養老鉄道の大垣方面を眺めています。直線の先で側線からのレールが合流していますが、側線に電車が入ることはなさそうです。

≪近鉄・名古屋線≫
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12時7分発、特急・宇治山田行(6番線)が1分停車で、四日市方向へ走り去るのを見送ります。
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名古屋側からの近鉄・名古屋線(右から6、7、8番線)。 / 名古屋線の隣駅は、名古屋側の近鉄長島(左)と四日市側の益生(右)。
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右側(柵の右)にJR東海1~3番線のホームがあり、養老鉄道の4番線(正面右)と近鉄の6~8番線(正面左と左側)が5番線が欠番ですが、通し番号で割り振られています。JRと養老鉄道の軌間は狭軌、近鉄は標準軌です。

≪JR東海・関西本線≫
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1番線から快速・亀山行(313系電車)が発車していきました。 / 隣駅は長島(名古屋側)と朝日(亀山側)です。

≪軌間3種の揃い踏み≫
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桑名駅の四日市側の踏切です。こちら側には養老鉄道のレール(軌間1,067mm)はありませんが、手前から三岐鉄道・北勢線(762mm)、JR東海・関西本線(1,067mm)、近鉄・名古屋線(1,435mm)の3種類の軌間が並走している、羨ましい場所です。

JR西日本 小野田線・本山支線の終点駅

(2016年7月)
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17時11分着、宇部新川発小野田行です。クモハ123形電車は両側に運転台を備えているので、単行運転の設定がある小野田線では重宝しているようです。国鉄が分割民営化される直前の1987年に、クモニ143形電車から改造され、日本全国、最後の5両がここに残るだけです。
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駅前には道路が1本通っていますが、この日は宇部新川周辺で花火大会があり、沿線に住む学生さん達が浴衣等を着て、電車を待っていたのが印象的でした。

本山支線・雀田-長門本山間2.3kmで、駅は1929(昭和4)年の開業。本山支線は1日3本の運行。(引用:Wikipedia)

≪小野田線≫
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宇部新川から来た電車は、小野田行が左方向、長門本山行は右方向へ分岐していきます。
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17時12分発の小野田行が1番線に停車し、右カーブの先へ発車していきました。ホームの反対側の長門本山方面は0番線です。

≪本山支線≫
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0番線に停車中の長門本山行です。夕方は1往復のみの運転で、車両は宇部新川から回送で送り込まれます。18時12分発の長門本山行が発車する前に、小野田からの17時57分着と、宇部新川からの18時09分着が到着して支線と連絡しています。
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この日の夕方の最終列車は、「くクモハ123-4」が本山支線を走ります。 / 0番線にある駅名標は、本山支線の隣駅「浜河内」と、宇部新川側の隣駅「長門長沢」の表示です。

≪駅からの眺め≫
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ホーム先端から宇部新川側を眺めています。かつて小野田線は石灰石や石炭輸送を行っていましたが、単行の電車が行き来するだけとなってしまいました。
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小野田側を眺めています。1番線(本線)の隣に側線がありましたが、草ボウボウでポイント付近しかレールが見えないです。 / 宇部新川側のホームの先端から小野田(右)と長門本山(左)を眺めています。この先端付近は狭いので列車を待つのは難しいです。

蒲原鉄道の鉄道遺産を訪ねて

(2018年7月)
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蒲原鉄道・蒲原鉄道線は、かつて新潟県の加茂-五泉(21.9km)を結んでいた路線です。

もともとの人口希薄、自然災害(豪雪・水害)、貨物輸送の低迷、車社会化などにより、1985(昭和60)年に加茂-村松17.7kmが廃止され、村松-五泉4.2kmが残りましたが、1999(平成11)年に全線が廃止されました。画像は「モハ51」です。

冬鳥越スキーガーデン モハ1
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1923年(大正12)年に蒲田車両製作所で「デ1形」として新製された2両のうちの1両の「デ1」です。1954(昭和29)年、木造車体の老朽化により廃車となりました。
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廃車後は、村松車庫内において職員詰所して使用されていたため、車体が現存していました。蒲原鉄道線が全線廃止された後、修繕工事が実施されて、沿線だった「冬鳥越スキーガーデン」に保存されました。「モハ1」の文字と社紋が輝かしいです。
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加茂市の指定文化財の表記がありますので、市が中心になって修繕したのでしょうか。「県内最古の木造電車」が保存されて良かったと思います。
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大正時代に製造された車両の内部は、照明がお洒落で、ロングシートに網棚とつり革があります。座席と通路の間の支柱が面白いです。

冬鳥越スキーガーデン モハ61
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モハ1と同じ所に保存されている「モハ61」です。昭和15年に武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)が新製したクハ5856(クハ5855形)で、蒲原鉄道線が全線廃止まで活躍しました。
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この車両は、西武鉄道に在籍した当時のイエロー・マルーンの2色塗装のままで移籍しており、他の車両が同じ2色に統一された際の元になっています。

冬鳥越スキーガーデン ED1
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1930(昭和5)年、蒲原鉄道線の全線開業に先立って、日本車両製造にて「EL形1」として新製されましたが、その後、「ED1形1」に改称されています。
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もともと、蒲原鉄道線は電車が混合列車を牽引する形を取っていましたが、貨物輸送の増加を見越して電気機関車が導入されました。貨物輸送廃止後は、主に村松車庫内の入換機として使用され、全線廃止まで在籍しました。

≪村松城址 モハ11≫
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1930(昭和5)年に、蒲原鉄道初の半鋼製車両として日本車輌製造で製造された「デ11形」3両のうちの1両(デハ11)です。その後、「モハ11」に改称されましたが、1985(昭和60)年の村松-加茂間の廃止と同時に引退しました。
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五泉市の村松城趾公園に保管されており、公園内に「村松郷土資料館」もあります。ネットなどに掲載されている画像の中には屋根がない頃の画像があることから、後から屋根が設置されたようです。
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五泉市の案内板には、「ここ城址公園の一角が軌道敷だったことから、この地に展示し...」とあります。昔は、この近くを蒲原鉄道線が走っていたようです。

五泉市総合会館 モハ41≫
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「モハ41」が保存されているこの場所は、JR・磐越西線との接続駅だった五泉駅から1.5kmくらいの所にあります。
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1954(昭和29)年に、東京電気工業製の新製車体とモハ13(デ13)の主要機器を流用して製造され、蒲原鉄道線の全線廃止まで活躍しました。
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「総合会館」駐車場の隣に「モハ41」が保存されています。冬の豪雪に耐えられそうな立派な屋根が設置されています。

≪安田民俗資料館 モハ51≫
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「モハ51」が保存されている「安田民族資料館」(休館中)は、五泉市の隣の阿賀野市にあります。保存状態があまり良くないので、この先のことが気に掛かります。車両の手前には、「陣ヶ峰駅」と「駒岡駅」の駅名標がありました。
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他の保管場所では、「電車」の説明文が立て看板に記されていましたが、ここでは傷んだ駅名標と説明文が重ねて置かれてます。
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よく見ると面白いものがあります。丸い形の「旧・村松駅のホーム中央に設置されていた水飲み器」。 / 最後まで残った区間の「五泉」(右)と隣駅「今泉」(左)の駅名標です。
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「西村松駅」(右)と隣駅だった「寺田駅」の駅名標です。 / 七谷の間の駅から「冬鳥越駅」の駅名標(右)と判明しましたが、隣(左)は朽ち落ちていて不明です。もし隣駅同士を並べているのであれば「七谷駅」です。
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「モハ13」の車体と、「モハ1」(旧デ2)の主要機器を流用して「モハ51」に改番されました。この「モハ51」は、「モハ1」の車籍を継承(改造名義)しているので、1923(大正12)年製造、昭和5年改造の表記です。1985(昭和60)年に村松-加茂の廃止の際に引退しました。

≪在りし日の村松駅≫
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私が若い頃に、ふらっと立ち寄った時の村松駅で、この時は既に村松-加茂だけの路線になっていました。

≪蒲原鉄道の歴史≫
1923(大正12)年 村松-五泉(4.2km) 開業
1930(昭和5)年 加茂-村松(17.7km) 全線開業
1984(昭和59)年 貨物営業 廃止
1985(昭和60)年 加茂-村松 廃止
1999(平成11)年 村松-五泉 全線廃止

鍛冶屋線の鉄道遺産を訪ねて

(2018年4月)
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1923(大正12)年、播州鉄道の駅として開業した鍛冶屋駅は、1990(平成2)年、鍛冶屋線の路線ととともに廃止となりました。廃止から28年が経ち、駅構内だったところには地元の方が植えた花が咲いていました。

≪旧・鍛冶屋駅 (鍛冶屋線記念館)≫
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「鍛冶屋線記念館」は、鍛冶屋線の終点駅である鍛冶屋駅をそのまま記念館にしています。この駅は単式ホーム1面1線で、手前側が西脇方面、奥側が車止め方向で、保存車両の左側に機回し線がありました。
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廃止当時に走っていた車両(キハ30-69)と記念館の周りは、ぐるりとロータリーになっています。
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旧駅舎は整備され、バスの待合所としても活用しています。

鍛冶屋線の野村-鍛冶屋間13.2km、鍛冶屋駅は1923(大正12)年の開業で、1990(平成2)年に廃止。(引用:Wikipedia)

≪旧・市原駅(鍛冶屋線 市原駅記念館)≫
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旧・鍛冶屋線の市原駅にある西脇市立「鍛冶屋線 市原駅記念館」です。廃止当時に鍛冶屋線で活躍していた車両(キハ30-70+キハ30-72)が保存されています。
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キハ35形気動車は、通勤輸送の目的で製造されていますが、そういう車両を保存している貴重な場所だと思います。 / 隣駅は西脇(加古川側)と羽安(鍛冶屋側)でした。
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駅舎は鍛冶屋線の廃止後に解体されましたが、駅の跡地に、旧駅舎を復元した建物(記念館)が建てられています。

市原駅は1921(大正10)年の開業で、1990(平成2)年に廃止。(引用:Wikipedia)
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2010(平成22)年、保存車両の塗装状態が悪化したため、市役所主催の「展示車両ペイント大作戦」が企画されています。デザインは、西脇市出身のイラストレーターで絵本作家の方が担当し、地元の西脇高校美術部員も参加して、地域住民の方々とともにペイントを完成させています。

≪記念館の収蔵品 さよなら運転≫
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1990(平成2)年3月31日、市原駅で撮影された、鍛冶屋線の「さよなら」臨時列車(キハ28-3009他)。 / 記念館に保存されている路線が廃止された頃のヘッドマーク。

≪記念館の収蔵品 鍛冶屋線のSL≫
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市原駅の隣駅「西脇」にSL格納庫や給水塔があり、C12形蒸気機関車(C12-44、C12-72、C12-236)が活躍していたことがわかります。
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C12-236は、1944(昭和19)年から1965(昭和40)年に廃車されるまで、加古川線で活躍した所縁のある車両です。 / 市原駅の運賃表です。

≪西脇市 日本のへそ≫
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鍛冶屋線が廃止されても、西脇(にしわき)は相変わらず「日本のへそ」です。

≪鍛冶屋線の歴史≫
1913(大正2)年 播州鉄道 野村-西脇 開業
1921(大正10)年 播州鉄道 西脇-市原 開業
1923(大正12)年 播州鉄道 市原-鍛冶屋 開業(全線開通)
同年 播丹鉄道へ譲渡
1924(大正13)年 播丹鉄道 野村-谷川の延伸開業に伴い、野村-鍛冶屋は支線へ
1943(昭和18)年 播丹鉄道→国有化 / 野村-鍛冶屋は鍛冶屋線へ
1990(平成2)年 鍛冶屋線(野村-鍛冶屋) 全線廃止
同年 野村駅→新西脇駅へ

JR東日本 水郡線・常陸太田支線の終点駅

(2014年12月・2017年7月)
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15時36分発の常陸太田発水戸行・普通列車(左、1番線)と15時31分発の水戸発郡山行・普通列車(右、2番線)が並んでいます。常陸太田方面から郡山方面へ乗換えのために少々停車していました。
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1897(明治30)年、太田鉄道が水戸-上菅谷-久慈川を開業したのが水郡線の最初の開業区間です。2年後に久慈川-太田が開業し、のちに久慈川駅は廃止されました。その後、1918(大正7)年に郡山方面の常陸大宮までが開通し、この駅が分岐駅となります。

常陸太田支線・上菅谷-常陸太田間9.5kmで、駅は1897(明治30)年の開業。日中は1時間に1本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番線の線路の脇に、常陸太田支線の0キロポストがあります。 / 1934(昭和9)年に水郡線が全線開通してから80周年(2014年)でした。
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駅舎側から、島式ホーム1面2線(1・2番線)と単式ホーム1面1線(3番線)があり、駅舎とは構内踏切で繋がっています。

≪常陸太田支線≫
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この先、常陸太田支線は交換設備等がなく、終点の常陸太田は1面1線のため、この列車が戻ってくるまでは他の列車が進入できません。そのため、ラッシュの時間帯でも1時間に1~2本程度の運行です。

≪水戸行≫
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14時50分発、常陸大子発水戸行の列車(キハE130系×2両編成)が到着しました。車体側面は、久慈川と新芽をイメージした青緑色になっています。
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3番線から駅舎方向を眺めると、1番線には常陸太田から水戸へ向かう列車が停車しています。

≪郡山行≫
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15時31分発、水戸発郡山行・普通列車が2番線に到着しました。 / 隣駅は、中菅谷(水戸方面)、常陸鴻巣(郡山方面)と南酒出(常陸太田方面)です。

≪駅からの眺め≫
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駅から郡山(左)、常陸太田(右)の方向を眺めています。先に開業した常陸太田支線(右)の方が、真っ直ぐにレールが伸びていて、本線のように見えます。 / 郡山方面の駅構内を眺めています。右から1番線で左から分岐器に繋がっているレールは、保線用のレールです。

≪常陸大子駅≫
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上菅谷から久慈川を遡ってこの辺りまで来ると、里山や小高い山が周囲に見えるような所になります。赤いナンバープレートが特徴の「C12-187」は、そんな常陸大子駅の駅前に保存されています。
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1927(昭和2)年、水戸側から延伸されて常陸大子駅が開業しています。水郡線は路線が久慈川と平行しており、「奥久慈清流ライン」の愛称がつけられています。

≪C12-187の経歴≫
1938(昭和13)年 日本車両にて新製
同年 西唐津機関区 新製配置
豊後森機関区 異動
宮崎機関区 異動
鹿児島機関区 異動
1967(昭和42)年 水戸機関区 異動
1970(昭和45)年 廃車

JR東日本 只見線の終点駅

(2017年5月)
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16時40分、会津川口から「SL只見線・新緑号」が到着しました。C11-325は真岡鐵道が所有するSLですが、JR東日本が借り受けて只見線で臨時運行しています。訪れたのは昨年ですが、今年も運行されています。
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平成13年に若松城(鶴ヶ城)の修復に合わせて、お城に似せたユニークな駅舎に改装されており、東北の駅百選にも選ばれています。 / 隣駅の左方向は、広田(磐越西線・郡山方面)と堂島(磐越西線・新津方面)で、右方向は七日町(只見線)です。

只見線・会津若松-小出間135.2kmで、駅は1899(明治32)年の開業。只見方面1日7本と会津鉄道方面16本の運行。(引用:Wikipedia)

≪只見線 SL只見線・新緑号≫
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やはり、会津にはC11形蒸気機関車がよく似合います。高崎車両センターの旧型車両を牽引して、無事、会津若松に戻ってきました。
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観光用のSL列車の、この行先札の前で大勢の人が記念写真を撮ると思いますが、「只見線」の文字があるだけで好印象です。 / 会津鉄道は4、5番線で、只見線は4番線を使用しています。「SL只見線・新緑号」は3番線に到着しました。

≪只見線≫
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16時56分発、普通列車会津川口行です。列車の先頭前は階段側のホームぎりぎりに停車していたので、後ろから撮りました。会津川口までは6往復あります。 / キハ40-2086の銘板...「JR東日本」、「昭和55年 富士重工 製造」、「昭和62年 大宮工場 改造」、「平成3年 郡山工場 改造」、4つありました。

≪只見線 会津鉄道乗入れ車≫
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発車時間の記録がないですが、会津鉄道・会津田島行です。AT-600形+AT-650形の2両編成の気動車で、西若松まではJR只見線に乗入れています。
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15時37分着、会津田島からの普通列車「リレー号」は、AT-500形×2両編成で「福が満開 福のしま。」のラッピングが施されています。折り返し、16時23分発 普通列車「リレー号」会津田島行で出発します。「リレー号」は、会津田島駅で特急「リバティ会津」と接続する列車として設定されています。

≪磐越西線 SLばんえつ物語号≫
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15時25分、「SLばんえつ物語号」の発車です。汽笛を鳴らしていますが、曇って見えるのでわかりにくいです。「貴婦人」と呼ばれるC57形蒸気機関車は、動輪はボックス(車輪の穴の形状)、直径1,750mmで、私より背が高い足回りです。
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転車台のあるSLが休憩していた場所から、バックでC57が移動してきました。 / 一旦、会津線側に引き上げて、5番線ホーム(会津鉄道が停車中)の横を抜けて前進してきました。

≪磐越西線 会津若松-新津≫
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14時33分、新津行普通列車(キハ47-522・新潟色+キハ40)が発車時刻になったところです。
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新津と郡山方面は同じ方向へ出発するため、信号が並んでいます。 / キハ47「新潟色」を横から見ると、「N」=新潟、昔の「JNR」の省略形にも見えそうです。昭和からの鉄道マンが考えたようなデザインの印象です。
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14時33分発の新津行普通列車(キハ40-586・イメージアップ新潟色)です。 / 16時16分、磐越西線野沢からの普通列車(キハ110-201+他2両)が到着。 / 野沢からの列車(後ろ側のキハE120形気動車)が先頭で車庫に入ります。

≪磐越西線 会津若松-郡山≫
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16時9分着、郡山からの普通列車(721系交流形電車)が到着しました。 / 16時50分着、郡山発快速列車(左)が到着しました。隣のホームには17時10分発、郡山行快速列車(右・719系交流形電車)が停車中です。

≪駅からの眺め≫
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15時25分発の新潟行「SLばんえつ物語号」。本年度はSLに不具合が見つかり運行中止になっています。 / 5番線から郡山総合車両センター会津若松派出所、並びに扇形庫、転車台がある方向を眺めています。
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跨線橋の上から、会津線・会津川口方向を眺めています。左から3番線、4と5番線、車両基地や留置線の方からの引き上げ線、留置線2本で、1、2番線は磐越西線からのみ進入可能な行き止まりとなっています。

≪C11-325の経歴≫
1946(昭和21)年 日本車両で落成
同年 茅ヶ崎機関区 新製配置
1967(昭和42)年 米沢機関区 異動
1972(昭和47)年 廃車
1973(昭和48)年 新潟県水原町に静態保存
1998(平成10)年 真岡鐵道で動態保存
2018(平成30)年 同社が廃車(譲渡)の意向
現在に至る

≪C57-180の経歴≫
(昭和21)年 三菱重工業三原で落成
同年 新潟機関区 新製配置
1963(昭和38)年 新津機関区 異動
1969(昭和44)年 廃車
同年 新潟県新津市内に静態保存
1999(平成11)年 新津運輸区 車籍復帰
現在に至る


≪只見線≫
只見線は、福島県(只見地方)と新潟県(魚沼地方)を結んでいますが、豪雪と急峻な地形により、並走する国道252号線の一部区間で、冬の半年間 通行止めになります。そのため、国鉄時代(国鉄再建法)に赤字ローカル線廃止対象から除外された経緯があります。
現在、2011年の新潟・福島豪雨により、会津川口-只見(27.6km)が不通となっており、代行バスが運行されています。昨年、復旧後について上下分離方式(福島県=施設・土地の所有、JR東日本=列車運行)を採用することに決まり、2021年の全線開通に向けて復旧対応が行われています。

JR東日本 北上線の終点駅

(2018年10月)
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架線設備のある奥羽本線でC61-20が停車している姿を見ていると、むかしの電化完成の頃の感じがします。1958(昭和33)年、C61形蒸気機関車8両が秋田区へ転入し、奥羽本線・青森-秋田間で活躍するようになりましたが、1971(昭和46)年に宮崎機関区へ6両が転出し、奥羽本線でのC61の現役が終わりました。
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愛嬌のある秋田犬のポスターが目にとまりました。この駅は1~4番線まであり、1番線が北上線、2~3番線が奥羽本線です。4番線は路線表示がありません。

北上線・北上-横手間61.1kmで、駅は1905(明治38)年の開業。1日6本の運行。(引用:Wikipedia)
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2、3番線の柳田(奥羽本線・上り)、後三年(奥羽本線・下り)と、1番線の矢美津(北上線)は別々の表示です。
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秋田駅で「SLこまち号」と終点駅ネタを撮影した後、9時30分頃、この駅でSL列車に追いつきました。ちょうどSLは客車から切り離されて、横手運輸区へ移動中でしたので、SLの前側から撮れたのは数枚でした。大きなSLが小さく見えます。
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臨時快速「SLこまち号」は、この駅で2時間22分停車します。列車は湯沢へ向かいますが、この駅でSLの方向転換を行うため、この先、後補機のDE10形ディーゼル機関車と方向転換したC61を入れ替えて、「本務機DE10+後補機・逆C61」で運転します。




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横手運輸区の全景です。奥羽本線の電車と北上線の気動車が庫内に停まっており、だぶん機関車しか入線しないだろう線路を、C61がゆっくり奥へ進んでいます。conv0032
駅構内から出て線路際を歩いてきました。C61形蒸気機関車は、運輸区の奥の方にある転車台で、向きを変えて停まっていました。給水や足回りなどの点検も済んでいるようです。SLを一目見に来た人たちで、にわかに賑やかな観光地になっていました。
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SLが運輸区に移った後、後補機のDE10がおもむろに動きだし、「SLこまち号」の先頭へ移動を開始しました。
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湯沢側からDE10-1759が接近してきて、撮りテツの人たちと、JRの係員の人たちが忙しくなってきました。

≪北上線≫
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10時35分発、北上線・北上行快速列車の車両(キハ100-37)が運輸区から出庫してきました。
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発車の20分くらい前に、1番線、北上線ホームに列車が入線しました。日中の北上線は、快速列車2本だけの運転で、横手周辺の3駅を通過します。
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手前の3番線には「SLこまち号」が停車していますが、北上線の列車を撮る人はごく僅かです。改めて、SL人気の凄さを感じました。終点の北上まで、距離およそ61kmで所要時間1時間16分です。

≪奥羽本線≫
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10時6分発、湯沢発秋田行・普通列車(701系交流用電車)が2番線に到着です。3番線に「SLこまち号」が停車しているので、到着する番線が2番線に変更になっているようです。

≪駅からの眺め≫
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橋上から湯沢方向を眺めています。「SLこまち号」が3番線に停車し、4番線に撮りテツが集まっています。その右側に2本の留置線があり、一番右側が横手運輸区の引き上げ線で、そこを通ってC61が右奥の転車台付近へ収容されています。
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2番線から1番線方向を眺めています。湯沢側にJR貨物・横手駅のオフレールステーションがあります。以前は貨物列車の発着がありましたが、現在は秋田貨物駅との間でトラック代行輸送を行っています。 / 4番線ホーム(左)は、元・羽後交通横庄線のホームで、現在は主に臨時列車等に使用されているようです。
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駅の西側から4番線「DLこまち号?」を眺めています。ここから湯沢まではDE10が前方を担当します。 / 駅から秋田方向を眺めています。右に見える本線の左側に引き上げ線があり、車止めでレールが終わっています。ここに引き上げた車両は駅の西側を通り、湯沢側の運輸区へ引き上げます。
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奥羽本線・湯沢方向(右)と北上線(左)方向を眺めています。北上線は、秋田県と岩手県を結ぶ路線で、東北本線と奥羽本線を結ぶ路線の中でも線形が良く、幹線ルートの万が一の際の迂回ルートとしての性格もあるようです。

≪SLこまち号 時刻≫ 
往路=秋田(7時10分)-大曲(8時47分~8時49分)-横手駅(9時16分~11時38分)-湯沢(12時19分)
復路=湯沢(12時39分)-横手(13時8分~14時45分)-大曲(15時11分~15時34分)-秋田(17時21分)

WILLER TRAINS(京都丹後鉄道) 宮福線の終点駅

(2018年4月)
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8時54分発、特急「たんごリレー1号」網野行が回送で入ってきました。使用されているKTR8000系気動車は、北近畿タンゴ鉄道からWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)に引き継がれた際に、水戸岡鋭治氏によりデザインされ、「丹後の海」にリニューアルされています。
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2009(平成21)年、(北近畿タンゴ鉄道時代に)高架化工事が終わり、駅舎が駅ビルに変わっています。駅名の両側に「JR」と「丹鉄」の表示があります。 / 観光アクセス路線の性格から、特急列車の運行が多いです。

駅は1904(明治37)年の開業で、1988(昭和63)年に宮福鉄道宮福線の福知山-宮津間が開通。宮福線は福知山-宮津
間30.4km。1時間に1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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「見どころいっぱい! 宮福線」観光アクセス路線であるとともに、観光路線なのかも知れません。ちょっとした気遣いで、ホームがイメージアップします。
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JRに近い側が1番線で、外側が2番線です。隣駅は、私鉄らしい駅名の「福知山市民病院口駅」です。
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車止めの後ろから2番線を見てみると、真っ直ぐ伸びているのがわかります。
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9時17分発、普通列車宮津行です。高架の上の2番線からは、福知山の市内が眺められます。
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MF100形(MF101)は、1988(昭和63)年に宮福線が開業した際に導入された車両です。
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スイスの山岳鉄道を模したデザインで、前照灯と尾灯を一つの円形ライトケースに収めているのが特徴です。
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JR側とは別々の高架ですが、少し先にJR線との渡り線があります。

JR西日本 福知山線の終点駅

(2018年4月)
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JR山陰本線の福知山駅前にC11-40が静態保存されています。旧・福知山機関区に設置されていた転車台に載せられていて、今にも動き出しそうです。

こんなにピカピカになっているのは、この町に福知山機関区(現在、福知山電車区)があり、古くからの「鉄道のまち」であることから、大勢の協力が得られているようです。
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2005年に、福知山駅(JR)と駅付近が高架化されています。 / 隣駅は、左方面が上川口(山陰本線・下り)で、右方面は、石原(山陰本線・上り)と丹波竹田(福知山線)です。

福知山駅は、1904(明治37)年の開業。福知山線は尼崎-福知山間106.5kmで、日中は1時間に1~2本の運行。(引用:Wikipedia)

≪福知山線≫

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7時44分、篠山口から2両編成の普通列車(クモハ115-6510)が到着しました。この編成は、福知山電車区に配置されている最後の115系電車(2両編成)のようです。

深緑色の塗装は「京都・北近畿地区地域色」で、抹茶・和をイメージしたものだそうです。
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クモハ115-6510とペアを組んでいる反対側のクモハ114-6123です。こちらは、もともと先頭車だった車両です。向こう側は、山陰本線(上り)の園部行普通電車(223系5500番台)。
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8時ちょうど発、「丹波路快速」福知山線経由の大阪行です。クモハ223-6117(網干総合車両所・宮原支所)が先頭側で、終点の大阪は10時29分に到着です。
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7時45分発、特急「こうのとり6号」新大阪行です。大阪駅までの所要時間は1時間41分で、8時発の丹波路快速は2時間19分かかります。

≪山陰本線≫
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7時56分発、山陰本線経由の舞鶴線東舞鶴行で、途中の綾部から舞鶴線へ乗り入れます。先頭側がクモハ113-5307、113系直流電車は、福知山電車区に2両編成×6本が配置されています。

≪287系直流特急形電車≫
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8時38分発、特急「きのさき8号」豊岡発京都行と、8時40分発、特急「こうのとり8号」新大阪行が並んで発車を待っています。287系電車は、JR西日本が南紀・北近畿エリアの置き換え用に新製した車両で、北近畿用の車両は、車体側面に「ダークレッド」の帯が施されています。

/ 最後尾の車両は「クモロハ286-1」で、それに気づいて急いでカメラを準備しました。287系は全車が電動車の編成のため、珍しい形式「クモロハ」となりました。

≪駅前の鉄道保存物≫
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広いロータリーのある南口に「福知山駅南口公園」があります。今はなき福知山機関区で使用していた「転車台」と、長く福知山機関区で活躍したC11-40が保存されています。駅前でお立ち台のような高さにSLが保存されている所はここだけかも知れません。「鉄道のまち」ということをひしひしと感じます。
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機関車と転車台とも、金属の表面が平らで目に見える錆もなく、綺麗に整えられています。
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少し離れたところにある「福知山駅の東屋の柱」は、1954(昭和21)年から51年間、ホームの柱として屋根を支えていました。このレールは、1899(明治32)年、阪鶴鉄道が尼崎-福知山南口(後の福地駅=廃止)が開通した際に、アメリカのカーネギー社、及びイリノイ社に特注したレールだそうです。

≪駅からの眺め≫
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山陰本線上り・園部方面(左)、福知山線・篠山口方面(右)を眺めています。支柱や標識類などの障害物が少なく、かなり先まで見えます。
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山陰本線下り・豊岡方面で、手前側のホームは右から1番線~5番線で、京都丹後鉄道・宮福線のホームは隣の高架橋上にあり、JR5番線に近い側から1番線~2番線です。少し先に隣の高架を走る宮福線との渡り線が見えます。また約1.5km先に福知山電車区があります。

≪C11-40の略歴≫
「C11-40」は、1933(昭和8)年に新製されてから、福知山機関区の配属が長く、旧・篠山線で活躍していた時期もあります。1972(昭和47)年に廃車されましたが、翌年に篠山市に静態保存され、2007(平成19)年に現在の場所へ移設・保存されています。

肥薩おれんじ鉄道 肥薩おれんじ鉄道線の終点駅

(2018年5月)
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10時5分、快速「スーパーオレンジ1号」川内行(HSOR-112)が、JR区間に乗入れて熊本から到着(1番線)しました。0番線には、9時45分着の川内からの普通列車(HSOR-102)が停車しています。この車両は、今年から「くまモン」ラッピングで運行しています。
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樹木の後ろ側に本社屋があり、正面が肥薩おれんじ鉄道の改札口で、駅の表示は「おれんじ」色がアクセントになっています。熊本県に本社を構えていますが、営業路線は鹿児島県に跨がっています。

八代駅は、1896(明治29)年の開業で、2004(平成16)年に鹿児島本線の八代-川内間が、JR九州から肥薩おれんじ鉄道へ移管され、肥薩おれんじ鉄道線となりました。同線同区間は116.9kmで、1時間に1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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イベント列車やJRへ乗り入れる列車があるので、賑やかな時刻表になっています。新幹線との乗換え駅が、隣駅の「新八代」です。
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0番線は切欠きホームになっており、肥薩おれんじ鉄道専用として、折り返し運転に使用しています。

1番線は、熊本寄りではJRが列車の発着を行っていますが、ホームの境界部分から川内寄りは肥薩おれんじ鉄道が、主に新八代や熊本へ乗り入れる列車の発着用として使用しています。

≪おれんじ食堂≫
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9時34分、出水から快速「おれんじ食堂プレミアムモーニング」列車が到着しました。この列車は新八代行で1番線に停車します。HSOR114+116の2両が「おれんじ食堂」列車の専用車両です。

≪くまモンラッピング≫
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「くまモンラッピング列車3号」(HSOR-102)は黒が基調で本格的ですが、1号(HSOR-111)は水色、2号(HSOR-107)はオレンジ色で、各色揃ったという感じです。
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熊本県のPRマスコットキャラクターである「くまモン」が、鹿児島県内を走行することになりますが、車両の運用面や「くまモン」の経済効果などから異論がないということでしょうか。
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黒ベースのラッピングは迫力があります。八代海や東シナ海に沈む夕日や日の丸と比べても、引けをとらないようなビッグな「くまモン」&赤マルです。

(2005年10月)
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肥薩おれんじ鉄道の標準色「白い車体の上に沿線で取れる柑橘類をイメージしたオレンジ色のライン、更にその上に沿線の山と田畑、八代海(不知火海)、東シナ海をイメージした緑色と青色のライン」でキリッとした印象を受けます。

JR九州 鹿児島本線、肥薩線の終点駅

(2018年5月)
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10時30分、熊本から「臨時快速 SL人吉」(8241列車)が到着しました。熊本から八代まで鹿児島本線を経由し、そこから終点人吉まで球磨川沿いに肥薩線を走ります。
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1911年(明治44年)に建てられた駅舎は、老朽化と熊本地震の影響で建物の一部が損傷したため、鉄骨平屋の和風駅舎に立て替え中とのことです。駅の向こう側には日本製紙八代工場があります。 / 隣駅表示は、新八代(鹿児島本線)と段(肥薩線)になっています。
 

八代駅は、1896(明治29)年の開業。鹿児島本線は門司港-八代間232.3kmで、1時間に2~5本の運行。肥薩線は隼人-八代間124.2kmで、1日13本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番線に大きな「肥薩線の0キロポスト」がありました。この駅の開業当初、八代-鹿児島は国防上の理由もあり、最短経路である人吉(肥薩線)経由が人吉本線、鹿児島本線を名乗りました。その後、1927(昭和2)年に川内経由が全通した際に、こちらが鹿児島本線となっています。

≪SL人吉≫
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JR九州の動態保存機(SL)が、大正11年生まれの8620(58654)であったことから、「凄い決断をしたものだ」という私の思いでしたが、人吉機関区が最終配置区であったり、矢岳駅で屋根付き「展示館」に静態保存されていたことなど、熊本エリアに所縁のある車両などから納得です。しかしながら、ボイラーや動輪の新製、重油タンクの増設など、かなり手が入っています。
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10時36分、「SL人吉」が人吉に向けて発車していきました。終点・人吉には12時9分に到着します。古豪8620が元気だったので一安心です。

≪マヤ検≫
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SL人吉が到着する1時間くらい前に、旅客の時刻表に載っていない列車が到着(2番線)しました。「DE10-1756+マヤ34-2009」の編成で、見るからに「ヤマ検」です。
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マヤ34は国鉄時代に全10両が製造されていますが、今ではJRグループ全体で、この「マヤ34-2009」だけが車籍がある車両となってしまいました。熊本方向から到着して、おそらく人吉方面へ向かったものと思われます。

≪肥薩線≫
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10時33分、特急「かわせみ やませみ2号」が到着しました。人吉から熊本まで1時間34分で運行しています。

≪鹿児島本線≫
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9時25分、銀水から普通列車(815系交流電車)が到着(1番線)しました。この先、肥薩線と肥薩おれんじ鉄道との乗り換えになりますが、九州新幹線は1つ手前の新八代で乗り換えとなるため、優等列車利用客の流れが変わっているようです。
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10時25分、817系電車の普通列車・鳥栖行が発車(3番線)です。 / 10時6分発、区間快速・鳥栖行です。

≪駅からの眺め≫
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熊本方面を眺めていますが、隣駅の新八代へは右へぐるっとカーブしています。 / ホームの熊本寄りの端から人吉方面を眺めています。右側が駅舎で、左側が日本製紙八代工場です。
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1番線ホームから人吉方面を眺めています。2本ある本線のうち、右側が肥薩線で、左側が肥薩おれんじ鉄道です。少し先で肥薩おれんじ鉄道が肥薩線を左から右へオーバークロスします。踏切の先(左)に、肥薩おれんじ鉄道の車両が留置されているのが見えますが、JRと共用の留置線のようです。

(2005年10月)
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1番線に停車する鹿児島本線、各駅停車鳥栖行(817系電車)と、中線を挟んだ2番線に停車中の肥薩線、各駅停車人吉行(キハ31形気動車)です。
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2番線に停車中の肥薩線人吉行は、単行運転(キハ31-14)です。残念なことに、今年この車両は廃車となっています。

≪九州横断特急≫
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肥薩線・人吉発、熊本経由の特急「九州横断特急」別府行で、一番後ろの車両はキハ185-8(3両編成)です。キハ185は、1992(平成4)年にJR四国からJR九州へ売却された車両です。
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運転席のガラスにスモーク・ミラー加工が施され、鏡のような感じになり、文字が引き立ちます。

≪鹿児島本線 ラッピング電車≫
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熊本行普通列車(817系交流電車、クモハ815-4他)が、「フレスタくまもとラッピングトレイン」となっていました。「フレスタくまもと」は熊本駅の高架下商業施設でしたが、「えきマチ1丁目 熊本」に代わり、現在は「肥後よかモン市場」になったようです。

≪58654の経歴≫
1922(大正11)年 日立製作所笠戸工場で落成
同年 浦上機関庫 新製配置
1949年 西唐津機関区 異動
1964年 若松機関区 異動
1968年 人吉機関区 異動
1975(昭和50)年 廃車
1974年 人吉鉄道記念館(矢岳駅)に静態保存
1988(昭和63)年 車籍復帰
同年 熊本運転所 配属(SLあそBOY等の運行)
2005年 運行休止(車両故障)
2009年 SL人吉 運行開始
現在に至る
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JR東日本 羽越本線の終点駅

(2018年10月)
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2018年10月、秋田駅を発着する「SLこまち号」が運転されました。数日間の試運転と、県民向け試乗会(12日)、本運転(13日~14日)があり、地元のマニアの人々には嬉しい運転日数でしたが、私は14日のみの訪問です。
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秋田駅は橋上駅舎で、東西連絡自由通路「ぽぽろーど」で東口と西口が結ばれています。

羽越本線の新津-秋田間271.7kmで、駅は1902(明治35)年の開業。1時間に1~3本(特急含む)の運行ですが、11時台、17時台、21時台の運転はなし。(引用:Wikipedia)
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改札口付近の天井には、「秋田竿燈まつり」の竿燈が綺麗に飾られていました。 / となり駅は、羽後牛島(羽越本線)と四ツ小屋(奥羽本線)の表示です。

≪SLこまち≫
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朝7時10分発、臨時快速「SLこまち号」湯沢行。発車前の6番線ホームには、撮りテツ、地元の人、家族連れのファンが集まっています。秋田舞妓の美人さんと地元のゆるキャラ・秋麻呂くんが出発式に参加しています。
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男鹿地方の名物「なまはげ」が、SLの横で出発式に参加しています。 / 「快速SLこまち号」の案内表示はバッチリです。
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行先札には「秋のさく、さく、あきた」のキャンペーンのキャッチフレーズも入っています。キャンペーンは、秋田県とJR東日本・秋田支社がタイアップしています。 / オハニ36-11(高崎車両センター)がSLの次に繋がれ、乗務員室として使用されていました。
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C61-20は、現在の動態保存以前の現役時代に、奥羽本線で活躍していた時期があり、「秋田での運行を見てみたい」という思いから、今回訪問して来ました。
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午前7時10分、湯沢へ向けて「快速・SLこまち号」は出発していきました。後補機にはDE10-1759」が連結されています。

≪羽越本線≫
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7時25分発、羽越本線・新屋行普通電車(3番線)。朝の羽越本線は、下りの秋田着は本数が多いですが、秋田からの上り・酒田方面はとても少ないです。7時台に2つ先の新屋行が2本ありますが、その先の酒田行は6時50分のあとは、9時13分までありません。

≪奥羽本線 秋田-青森≫
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7時28分発、奥羽本線・弘前行普通電車(7番線)。弘前到着は10時2分(148.4km)です。
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奥羽本線・弘前方面(7番線)の同一ホームの手前側は、秋田新幹線(11番線)ホームで、軌間が違うので目立ちます。 / 交流型電車701系の屋根裏の機器を眺めています。

≪奥羽本線 秋田-青森 特急≫

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8時37分発、特急「つがる1号」青森行(3番線)。青森到着は11時17分(185.8km)です。
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クハE751-1(E751系交流電車)が青森側の先頭車両です。751系電車は、特急「つがる」用として4両編成×3本が、秋田車両センターに配置されています。

≪奥羽本線 秋田-新庄≫
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7時48分、羽越本線・羽後本荘から快速電車が到着(3番線)しました。
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7時54分、奥羽本線・湯沢からの快速電車が到着(4番線)しました。クハ718-10(719系交流電車)は、昨年、新製配置の仙台車両センターから秋田車両センターへ転属しています。 / 8時9分発、奥羽本線・新庄行普通列車です。秋田以南の奥羽本線で、狭軌区間を全線走破します。

≪奥羽本線 五能線 乗入れ≫
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8時20分発、快速「リゾートしらかみ1号」は五能線経由の青森行です。
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HB-E300系「リゾートしらかみ 橅編成」です。JR東日本にはHB-E300系観光用ハイブリッド気動車が4編成あり、秋田にはもう1編成の「リゾートしらかみ 青池編成」があります。 / この日は「SLこまち号」の運転があり、SL列車が発車する6番線と、秋田新幹線11番線の間にある中線に早朝から停車していました。

≪奥羽本線 男鹿線 乗入れ≫
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7時42分発、男鹿線・男鹿行普通列車(1番線)です。男鹿線には、EV-E801系交流用・蓄電池駆動電車が導入されていますが、キハ40形気動車の4連による運行は健在でした。
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2017年から「なまはげ」のイラストが描かれています。 / 7時59分、男鹿からの普通列車が到着(1番線)しました。4連の中に「キハ48-517」が組み込まれており、片運転台の片開き2扉車で、500番台はトイレ付です。

≪秋田新幹線≫
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6番線ホームから中線の隣の11番線(秋田新幹線)を眺めています。7時16分発、こまち10号が発車していくところです。この日は、この列車が「SLこまち号」に追いついて、追い越すシーンを演出します。
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E6系新幹線は、秋田-盛岡間は在来線特急の扱いです。 / 7番線側から新幹線ホーム11番線を眺めています。6番線(右)、中線(中)と比べると圧倒的に軌間が広いです。

≪駅構内の展示物≫
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中央改札口から入った所にSL関連の展示物がありました。「D51-554」の煙室戸(本物)と、機関車(模型)の両方がありました。このデゴイチは、土崎工場(現・秋田総合車両センター)で製造された9両のうち、最後に製造された機関車だそうです。

≪駅構内の様子≫
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男鹿から到着したキハ40形気動車4連(1番線)の先、奥羽本線・弘前方面を眺めています。
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8番線ホームの東側は、6本程の留置線があります。 / 8番線ホーム車止めの反対側は、秋田新幹線用12番線です。 / 男鹿線用1番線は切欠きホームです。

≪番線案内≫
1番線 男鹿線(奥羽・下り経由)
2~6番線 奥羽本線・上り&下り、男鹿線、羽越本線
7~8番線 奥羽本線・下り
11~12番線 秋田新幹線

≪駅からの眺め≫
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2番線ホームから羽越本線・酒田(右側)、奥羽本線・新庄方面(左側)を眺めています。

≪C61-20の経歴≫
1949(昭和24)年 D51-1094のボイラーを流用して落成 (三菱重工業三原製作所)
同年 青森機関区 新製配置
1950年 仙台機関区 異動
1966年 青森機関区 異動
1971年 宮崎機関区 異動
1973(昭和48)年 廃車
1974年 群馬県伊勢崎市の公園に静態保存
2011(平成21)年 車籍復帰
同年 高崎車両センター 配属
現在に至る

JR四国 高徳線、牟岐線の終点駅

(2018年1月)
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7時50分、牟岐線阿南からの普通列車が、キハ47(145+147)の2連で到着しました。朝の通勤・通学ラッシュの時間帯に到着した列車は、駅に隣接した徳島運転所へ引き上げます。
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駅舎は、ショッピング施設(徳島クレメントプラザ、及びJRホテルクレメント徳島)が併設された駅ビルで、1993(平成5)年に開業しています。駅ビルとしては四国最大(地上18階・地下1階建て)です。

≪徳島線≫
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7時47分着、穴吹発の普通列車が1200系気動車の4連で到着しました。到着すると、ただちに2連×2に分割されました。
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穴吹からの列車は2編成に分割されて、8時10分発の徳島線穴吹行と、8時46分発の高徳線高松行になりました。
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8時10分発・徳島線穴吹行が発車していきました。列車が停車していた1番線は、駅舎側の切欠きホームです。

≪高徳線 鳴門線直通≫
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7時31分発、鳴門線・鳴門行(池谷までは高徳線に乗り入れ)の普通列車は、牟岐線・牟岐からの直通運転です。

≪牟岐線≫
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7時51分発、牟岐線・阿南行の普通列車は、徳島線・穴吹からの直通運転で、この駅で14分間停車します。

≪特急列車≫
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8時3分、阿波池田からキハ185系気動車、特急「剣山2号」が到着しました。この特急は阿波池田-佃の1駅は土讃線に乗り入れ、徳島線(よしの川ブルーライン)を全線走破し、佐古-徳島の1駅は高徳線に乗り入れて、徳島県内を横断するような形で運行します。
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8時23分発、高徳線方面の特急「うずしお6号」岡山行。9時3分発、徳島線方面の特急「剣山3号」阿波池田行。発車表示はありませんが、8時47分発、牟岐線方面の特急「むろと1号」牟岐行。この時間帯は、3方向へ向けて優等列車が出発する朝の忙しい駅構内です。
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2番線(右)に高徳線「うずしお6号」、3番線(左)に牟岐線「むろと1号」が停車しています。右側のN2000系気動車「うずしお6号」は、途中の予讃線・宇多津駅で「南風6号」と併結して岡山へ向かいます。

≪到着≫
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徳島に到着した3本の列車。 / 8時9分着、955D 鳴門発の普通列車(左)。鳴門線からの列車は、途中の池谷から高徳線に乗り入れて来ます。 /  8時29分着、440D 阿波池田発の普通列車(中)。徳島線方面からの列車は、隣り駅の佐古から高徳線に乗り入れて来ます。 / 8時33分着、530D 牟岐線・牟岐からの普通列車(右)。

≪徳島運転所&車両基地≫
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朝の時間帯は車両の出入りが頻繁で、構内に停車している車両の様子が刻一刻と変わっていました。
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4番線ホーム越しに徳島運転所が広がっており、運転所の建物がどっしり構えています。建物の右側には、ターンテーブルが現存しています。

≪駅からの眺め≫
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ホームから高松、阿波池田方面を眺めています。左には駅ビルがあり、切欠けホームの1番線が見え、また、右側は徳島運転所のレールが収束する部分が見えます。
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牟岐線方面を眺めています。本線は右へカーブしていますので、左側に隣接する車両基地も左へカーブしていきます。

京阪電気鉄道 石山坂本線の終点駅

(2016年12月)
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2016(平成28)年の大晦日の朝の石山寺駅です。705-706編成のラッピングが鮮やかに写ります。映画「ちはやふる」が公開され、大津市内のこの路線沿線でロケが行われたことから、ラッピング仕様の電車が登場しています。
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駅前ロータリーが見当たらない、こじんまりとした駅です。駅名になっている「石山寺」は、駅前を流れる瀬田川と、駅と川の間にある国道422号線を南に10分程歩いた所にあります。

石山坂本線の石山寺-坂本比叡山口間14.1kmで、駅は1914(大正3)年の開業。日中は10分間隔の運行。(引用:Wikipedia)
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石山坂本線は、短い2両編成で運転していますが、列車の運行本数は意外と多く、平日の朝7時台は9本の電車が運行されています。
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600系(三代目)の611-612編成は、「比叡山坂本ケーブル」ラッピングで、「比叡山・びわ湖 山と水と光の廻廊」のプレートも掲げられています。
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1番線と2番線のホームがあり、それぞれ外側が降車用で、内側が乗車用ホームになっています。
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700系(三代目)同士が並びました。「ちはやふる」ラッピングの705-706編成(右)は前照灯がLED化されています。701-702編成(左)は登場した当初は、横向きの棒状のスカートでしたが、現在は一般的なものに改められています。

≪ ちはやふる-結び- (滋賀ロケーションオフィス)≫
かるたの聖地、滋賀県大津市。 千早や太一たち瑞沢高校かるた部が目指す近江神宮があるまち、大津。この近江神宮では全国高校かるた選手権大会のほか、競技かるたの日本一を競う、 「競技かるた名人位・クイーン位決定戦」が行われています。

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私が関東に住んでいるからでしょうか。この小柄な電車に、標準軌の軌間が何となく面白い取り合わせに思います。
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701-702編成は、80型が登場して55周年になることを記念した「80型色塗装」になっています。80型電車は、京津線用として1961(昭和36)年から新製され、1997(平成9)年に京都市営地下鉄・東西線が開通し、京津線が架線電圧1500V昇圧に伴い、廃車となっています。
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「おけいはん」は、京阪電気鉄道のイメージキャラクターで、「けいはん」の「はん」は近畿方面の方言で敬称の「さん」を意味することから、それをもじって人物化したものです。(Wikipediaより)

東武鉄道 小泉線の終点駅

(2018年8月)
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今年の夏は梅雨明けが早かったので、長くて暑かったですが、この日は
見事な夏の雲が湧き出ていました。電車の到着とともに館林方向を眺めていますが、2番線(右)側に保線用の引込み線(架線なし)があります。
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2017年9月から供用が開始されている新駅舎です。2015年に訪れた時よりコンパクトな駅舎になり、現代風で機能的な感じになっています。この駅がある大泉町は、スバル大泉工場や幾つかの工場があり、ブラジル人をはじめ外国人の人口比率が1割以上を占めています。
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ホームの屋根はそのままですが、天井から吊るされている案内板等が、以前訪れた時より新しくなっています。
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島式ホーム1面2線で、右が1番線、左が2番線、駅舎は車止めの向こう側にあります。

小泉線の館林-西小泉間12.0kmで、駅は1941(昭和16)年の開業。小泉線は1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番線(右)側の横に、昔使用されていたホーム跡があります。駅名標の駅名は、日本語・英語・中国語・韓国語に加え、ポルトガル語(ブラジルの公用語)・スペイン語(南米で主に使用される言語)の六か国語で表記されています。
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1番線に停車中のワンマン運転の8000系電車(8562)は、東小泉を経由して館林まで運転されます。

(2015年7月)
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2015年7月、初めてこの駅を訪れました。昔風の大きな駅舎が、どっしりとした雰囲気です。開業当時、利根川の向こう側の東武鉄道熊谷線(現廃止)との接続計画や、中島飛行機小泉製作所への輸送などの需要がありました。
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1939年に仙石河岸線(貨物線=小泉町-仙石河岸)が開業し、1941年に西小泉駅が新設されています。
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プラットホーム全体を覆っている頑丈そうな屋根です。学校や工場でもなかなか見ることの出来ない、立派な渡り廊下の屋根の感じです。
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今は使用されていないレールとホームを1番線から眺めています。あのレールは本線と繋がっていませんが、昔を思い偲ぶ貴重な風景でした。

井笠鉄道の鉄道遺産を訪ねて(井笠鉄道記念館)

(2016年7月)
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岡山県笠岡市、県道48号沿いにある「井笠鉄道記念館」に立ち寄りました。この記念館は、旧・井笠鉄道・本線(笠岡-井原)の新山駅にあります。記念館には、井原井笠軽便鉄道(のちの井笠鉄道)の開業に際して、1913年にドイツ・コッペル社で製造された「機関車第1号形」が保存されています。
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岡山県笠岡市にある「笠岡市井笠鉄道記念館」は、1981年、井笠鉄道の前身である井原笠岡軽便鉄道が創立されて70周年を迎えたことを記念して開設されました。その後、井笠鉄道がバス事業から撤退した際には、事業清算の処分対象となり存続が危ぶまれましたが、笠岡市が産業遺産として購入し、市と地元の自治会で管理・運営を引き継いでいます。
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記念館が開設された当初は、廃線時の新山駅長が館長として家族とともに管理しており、保存状態が非常に良好です。軽便鉄道(軌間762mm)の記念館が設置されたことは、地方(軽便)鉄道の遺構を後世に残すという意味で、とても意義深いものと思います。

≪井原鉄道・井原線の建設用地≫
神辺線(神辺-井原)、矢掛線(北川-矢掛)、本線(井原-北川)は、路線の廃止時に日本鉄道建設公団へ買収され、現在の井原鉄道・井原線の建設用地(神辺-矢掛)として活用されています。


≪機関車第1号形≫
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井笠鉄道の社紋のレプリカがナンバープレートの上に掲げられています。瀬戸内エリアは降雨が少なく、給水施設がなかなか設置できないため、蒸気機関車側で水タンク容量を大きくする必要がありました。そのため、この機関車はサイドタンクが運転台から煙突直後まで伸びており、外観が角ばって見えます。
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井笠鉄道・本線の笠岡の隣り駅「鬮場(くじば)」に車庫があり、そこにあったターンテーブルが保存中のSLの下に移設されています。
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西武鉄道でSL運行されていた際にお目にかかったことがありますが、その際は小さい前照灯が愛らしかったです。今回再会した時には少し大きすぎる感じがします...

≪参考 西武鉄道・山口線時代の機関車第1号形≫
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西武鉄道・山口線で動態保存されていた頃の、頸城鉄道・2号蒸気機関車(右)と井笠鉄道・機関車第1号形(左)が信号場で列車交換シーン。井笠鉄道から譲渡された8両の客車が、両方の4両編成の客車として使用されていました。

≪客車ホハ1号+貨車ホワフ1号≫
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「ホハ1」は、1913年日本車輌製の木造木造ボギー式並等客車(客車第1号形)。井笠鉄道の客車ホハ2・5・6・10・35-38(8両)が、機関車第1号形が西武鉄道に貸し出されるのに合わせて、西武鉄道へ譲渡されています。
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「ホワフ1」は、1914年日本車輌製の木造有蓋緩急車(貨車第3号形)。

≪井笠鉄道の歴史≫
1911(明治44)年 井原笠岡軽便鉄道 設立
1913(大正2)年 本線(笠岡-井原 19.4km) 開通
1915(大正4)年 井笠鉄道へ社名変更
1921(大正10)年 矢掛線(矢掛-北川 5.8km) 開通
1925(大正14)年 高屋線(井原-高屋) 開通
1940(昭和15)年 神高鉄道(神辺-高屋)を合併、高屋線と合わせて、神辺線(神辺-井原 7.8km)として再編

1961(昭和36)年 蒸気機関車の除籍・全廃
1967(昭和42)年 矢掛線、神辺線 廃止
1971(昭和46)年 本線 廃止(バス専業会社化)
1973(昭和48)年 第1号形蒸気機関車 西武鉄道へ貸し出し
1977(昭和52)年 第1号形蒸気機関車 西武鉄道から返却
1981(昭和56)年 旧本線・新山駅に「井笠鉄道記念館」 設置
2014(平成26)年 「笠岡鉄道記念館」が「市営笠岡鉄道記念館」としてリニューアル・オープン。

頸城鉄道の鉄道遺産を訪ねて(くびき野レールパーク)

(2018年7月)
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この日は公開日で、午前9時から体験乗車が開始されました。途中、気温が高く、日差しも強かったため、「レールが伸びたので水で冷やします」などのアクシデントがありました。体験乗車は30分おきですが、私が見学している間は、ホジ3の単行とDC92+ト5+ハ6の編成列車が交互に運転されていました。

≪2号蒸気機関車≫
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1911年 コッペル製で、小さな車体にスリムで長い煙突がポイントです。1966年に頸城鉄道での現役を退いた後、1972年から1976年まで、西武鉄道・山口線での動態保存運転のために貸し出され、台湾で活躍していた蒸気機関車が入線する前年に返却されています。
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機関車の下には「ターンテーブル」が移設されています。この頸城鉄道2号機と井笠鉄道1号機関車が西武鉄道・山口線で運行された際には、私も何回か訪れていますので、久々の再会です。西武鉄道時代は、こちらの2号機関車は「謙信号」で、井笠鉄道1号機関車は「信玄号」のプレートをつけていました。

≪DC92、ホジ3≫
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1971年の頸城鉄道線の廃止後、熱心な鉄道愛好者が数両の車両を譲り受け、兵庫県内の山中に人知れず保管していました。2004年に、その存在が明らかにされて大きな反響を呼んでいます。2005年、それらの車両が里帰りして、一般公開されるようになりました。
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保存車両は、2号蒸気機関車、DC92、ホジ3の動力車両をはじめ、ハ6(客車)、ニフ1(荷物車)、ト5、ワ7、ワ14(貨車)です。

≪ハ6≫
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私の体験乗車は、こちらの「ハ6」です。軌間762mmの軽便鉄道ですので、直線を走っていても凄い揺れでした。もともと製造当時は「ロハ1」として2等と3等の合造車でしたが、のちに3等車(一室)化されているということで、ボランティアの方から「仕切の跡や、ダブルルーフ部分の車内側換気口の意匠の形状違い」の説明があり、奥が深かったです。

≪レールパーク 構内配線≫
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「くびき野レールパーク」は、頸城鉄道の旧・百間町駅構内をはじめ、旧・機関区(車庫建屋)、旧・本社屋などが解体されずに残っていたものを修理、改装しながら、保存、公開しています。分岐器から4本のレールに分かれますが、左側が本線に向かうレールと思われます。
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車両展示資料館(旧・車庫建屋)には、2号蒸気機関車をはじめ、里帰りした車両などが綺麗に修復して保存されています。
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くびき野レールパークは、NPO法人「くびきのお宝のこす会」が運営しています。2018年は年6回の公開が予定されています。

≪軽便鉄道資料館≫
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車両展示資料館の隣りにある軽便鉄道資料館(旧・本社屋)には、行先札やディーゼル機関車のナンバープレート「DB81」、「DC123」など、社紋や社名プレートなどが保存されています。頸城鉄道はマルにケイの文字をかたどった社紋にちなんで、「まるけい」と呼ぶ人がいたそうです。
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頸城鉄道・頸城鉄道線は、新黒井-浦川原(15.0km)を結ぶ軽便鉄道でした。日本有数の豪雪地帯を走るために雪対策が施されていましたが、軽便規格で豪雪に立ち向かうのは困難を要し、終日運転不能の日が年間で100日以上あったようです。

≪体験乗車≫
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ホジ3を使用して体験乗車が始まりました。駅から発車するのではなく、車庫から出てくるところが面白いです。無料で乗車できますが、会場に入る所に募金箱が設置されています。猛暑の中のボランティア活動に感謝の気持ちで一杯です。
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ホジ3が本線レールを走行しており、当時の様子が偲ばれます。 / DC92が牽引するハ6の中は、お世辞にも広いとは言えず、体験乗車の人でほぼ満員でデジカメ撮影はこの1枚だけです。


≪頸城鉄道に関する年表≫
1913(大正2)年 頸城鉄道 設立
1914(大正3)年 新黒井-百間町-下保倉(13.8km) 開業
1916(大正5)年 下保倉-浦川原(1.2km) 開業(頸城鉄道線の全通)
1944(昭和19)年 頸城鉄道自動車へ改称
1966(昭和41)年 2号蒸気機関車(2代) 廃車(除籍)
1968(昭和43)年 新黒井-百間町、飯室-浦川原 廃止
1971(昭和46)年 百間町-飯室 廃止(頸城鉄道線の全廃)、頸城自動車へ社名変更

1972(昭和47)年 2号蒸気機関車(2代) 西武鉄道へ貸出
1976(昭和51)年 2号蒸気機関車(2代) 西武鉄道から返却
2004(平成16)年 兵庫県内で車両保存の事実が判明
2005(平成17)年 保存車両(兵庫県)が百間町へ里帰りする
2007(平成19)年 くびき野レールパーク運営の「くびきのお宝のこす会」 発足
2013(平成25)年 くびき野レールパークのリニューアル 完成

東武鉄道 伊勢崎線の終点駅

(2016年10月)
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7時32分発、特急「りょうもう」浅草行が発車する時間です。この駅から発車する上り特急「りょうもう」は朝のこの1本だけです。車両は、この駅まで回送で送り込まれてきます。この日は「普悠瑪カラー」の208編成が使用されていました。
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伊勢崎駅の建物の中には、JR・両毛線と東武鉄道・伊勢崎線の両方が入っていますが、改札は別々です。

伊勢崎線の浅草-伊勢崎間114.5kmで、駅は1910(明治43)年の開業。伊勢崎線は朝夕は1時間に3~4本、日中は1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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朝夕は運転本数が多いですが、日中は1時間に1~2本の運転です。朝の時間帯に1本だけ赤い帯の列車があります。
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2番線(左)と1番線(右)の車止め部分を眺めています。1番線側が両毛線と隣接しています。

≪200形特急型電車≫
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浅草まで114.5kmの距離を1時間57分で結びます。下り特急は、浅草から21時台に到着する1本だけの設定です。
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この200系(208編成)は、友好鉄道協定を締結している台湾鉄路管理局・普悠瑪号のTEMU2000形に合わせた塗装にし、共通デザインの記念エンブレムを掲げています。
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伊勢崎線(伊勢崎-浅草)の上り全線を走破する唯一の特急電車です。東京側の玄関口である「浅草」が伊勢崎線の終点駅であることが感慨深いです。
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特急「りょうもう」浅草行の発車を見届けていたところ、7時34分発・両毛線(桐生発高崎行)電車が到着しました。

≪参考 台鉄・TEMU2000型電車≫
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2014年1月花蓮駅のホームに「試運転」TEMU2000型電車(2032)が停車していました。この車両と東武鉄道200系電車とも日本製車両同士の塗装統一化です。

≪各駅停車≫
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6時57分発、各駅停車太田行です。8000系から改造されたワンマン運転対応の800系電車で、3両編成×5本のうち、第一編成(801F)が停車しています。
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2013(平成25)年に伊勢崎線の高架化工事が完成しています。島式ホーム1面2線のシンプルな構成です。
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7時28分、館林からの各駅停車が到着しました。800系と同じく、8000系から改造されたワンマン運転対応の850系電車で、3両編成×5本が配置されています。800系と850系の違いは、浅草側から800系は「クハ+モハ+モハ」で、850系は「モハ+モハ+クハ」です。

≪JR・両毛線≫
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東武鉄道側のホームから、JR・両毛線115系電車の発車シーンを撮りました。東武鉄道とJR・両毛線のカラフルな電車がやってくる楽しい駅です。
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7時50分、小山発高崎行(107系100番台)の普通電車が発車していきました。2017年11月までに、107系100番台は全車除籍され、先に除籍された宇都宮地区の0番台と合わせて、107系電車は形式消滅しています。
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両毛線の高崎方面を眺めています。JRのホームは2面3線で、高崎方面が1番線(左)で、小山方面が4番線(右)です。真ん中のレールは、主に高崎からの当駅止まりの列車が使用し、3番線(右側)ホームが降車用、2番線(左側)か乗車用となっています。

JR北海道 千歳線の終点駅

(2017年7月分)
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14時14分、DF200形ディーゼル機関車(DF200-58)が牽引するコンテナ貨物列車が、苫小牧側から札幌方面へ通過していきます。第二種鉄道事業者であるJR貨物は、ここではJR北海道の路線を使用しての運行です。
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カモメが空を飛んでいるようなイラストに、全体的にガラス張りの造りで明るく透明感のある外観です。手前にある旧駅舎とはがらりと雰囲気が変わりました。

千歳線の沼ノ端-白石間56.6kmで、駅は1898(明治31)年の開業。千歳線は1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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2007(平成19)年まで、3番線側にある旧駅舎が使用されていましたが、現在は駅の南北を結ぶ自由通路からホームに入ります。
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この駅には千歳線経由の特急「すずらん」が停車しますが、「すずらん」以外の特急列車は通過します。
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1番のりばは千歳線・札幌方面からの上り列車、2番のりばは室蘭本線・岩見沢方面からの上り列車、3番のりばは千歳線と室蘭本線の両方の下り列車が使用しています。 / 下り列車は全列車が3番線に停車するため、室蘭本線(追分・岩見沢)の列車が千歳、札幌に行かないことを注意喚起しています。

≪室蘭本線≫
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13時36分発、室蘭本線・岩見沢行普通列車が到着しました。「本線」と名のつく路線を運行しますが、道庁所在地の札幌方面へは「千歳線」が向かいます。
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苫小牧から岩見沢へ向かう「行先札」が嬉しいローカル列車です。 / 植苗は千歳線(札幌方)、遠浅は室蘭本線(岩見沢方)です。

≪千歳線≫
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13時59分、スーパー北斗9号(函館発札幌行)が通過していきました。函館→札幌を3時間53分で駆け抜けます。(最後尾はキハ261-1108)  / 14時11分、苫小牧発札幌行の普通列車が到着しました。(731形交流電車、クハ731-103)



≪駅からの眺め≫
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苫小牧方向を眺めています。この駅を出てすぐの地点から白老駅付近まで約29kmの直線区間が続き、日本国内で最も長い鉄道の直線区間です。1番線(左)、2番線(中)、中線(右から2番目)、3番線(右)と並びます。
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札幌、岩見沢方面を眺めています。3番線(左)には左から保線用のレールが合流し、中線、2番線(ホーム左側)、1番線(ホーム右側)です。駅の先の方で、内側の2本が室蘭本線(岩見沢方面)、外側の2本が千歳線(札幌方面)へ分かれています。


≪お見舞い≫
2018年9月6日「平成30年北海道胆振東部地震」で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

JR西日本 山陽本線・支線の終点駅

(2018年5月)
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兵庫駅での撮影後、午前中に7往復する数本目かの電車に乗って、和田岬駅に到着しました。その後は、戻ってくる電車を数回待ち受けていました。駅に向かって真っすぐに延びるレールが印象的です。
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今でも見ることが出来る103系電車を懐かしく感じながら、デジカメを構えていました。画像は逆の順番で3枚並べています。
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2009(平成21)年に、兵庫駅の和田岬線ホームに設置された自動改札機(中間改札)によって、駅舎と付属建物が撤去されています。現在は、駅名標識や時刻表などの掲示物があるくらいです。

山陽本線・支線の兵庫-和田岬間2.7kmで、駅は1890(明治23)年の開業。平日15本、土曜日12本、休日2本の運行。(引用:Wikipedia)

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支線の運行は朝と夕方のみの運行で、2001(平成13)年に開業した神戸市営地下鉄・海岸線(夢かもめ)の路線も利用できます。
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和田岬駅の開業は、山陽鉄道・兵庫-姫路間の鉄道建設のため、兵庫港に陸揚げされた輸入資材を輸送する目的で、1890年に山陽鉄道の貨物支線の駅として開業しています。その後、1906年に国有化されました。
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網干総合車両所・明石支所所属の103系電車・6両編成が運用に就いていますが、1編成しかないために検査などで運用を離れる際は、207系電車が代走しているようです。

≪車止め≫
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駅舎がなくなり、駅名標識の横に車止めがあって、すっきり、スカスカの駅です。
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兵庫方向は、真っ直ぐのレールが続きます。 / 車止めの先は、地下に地下鉄が通る道路が左右に通っており、道路の向こう側には三菱重工業・神戸造船所があり、JR利用の需要があるようです。

≪駅舎跡地のコンビニ≫
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コンビニの壁には、「和田岬駅のあゆみ」という記念碑が掲げられています。
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地図には、兵庫-和田岬の途中にあった「鐘紡前駅」、兵庫臨港線など、について記載していました。 / 写真付きですので、駅の様子(機回し線があった、三菱重工業へ専用貨物線が延びていた、そのレールを神戸市電が陸橋で跨いでいた)が良くわかります。

≪駅周辺と駅からの眺め≫
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駅ホームの道路側には、近所の人が手入れしているのか、野花が咲いていて綺麗でした。
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駅近の笠松商店街。おじさん達が通学する小学生達を見守っていました。 / コンビニの壁のイラスト。

≪車窓からの景色≫
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兵庫行の電車が、兵庫運河の和田旋回橋(今は旋回しません)を渡っています。晴天の朝と言うこともあり、車窓からの景色が綺麗でした。

JR東海 名松線の終点駅

(2018年8月)
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12時57分、定刻に松阪からの普通列車が到着しました。列車が到着する直前に激しい豪雨となり、雨が降っていない数十分前の様子とは一変しました。この路線は、台風による被害で運休になることがあり、ちょうど訪問した時の異常な雨量に驚かされました。
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木材を多用した駅舎で、暑い時期でも涼しげです。 / 伊勢本街道・奥津宿として、旧宿場の佇まいが残る町です。

名松線の松阪-伊勢奥津間43.5kmで、駅は1935(昭和10)年の開業。1日8本の運行。(引用:Wikipedia)
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2005年に新駅舎、2014年に駅に隣接する「津市伊勢奥津駅前観光案内交流施設」が開設されました。のどかな山あいの終点駅に、集いの拠点が整った感じがします。
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12時57分に到着した列車は、13時6分発・松阪行で折り返していきます。終点・松阪まで1時間24分かかります。

≪終点駅と駅周辺 2015年5月≫
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この時期、台風による豪雨で家城-伊勢奥津が不通となってしまい、区間廃止の噂もあったため、列車代行バスが運行していた時期に初訪問しています。翌(2016)年に復旧を果たしました。
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「名松線開通七十周年俳句大会」での名作。 / いまもSL時代の旧跡が残っています。
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まっすぐ延びるレールに、木の枝がせり出しています。台風による被害で家城から不通となり、列車の運行がなかった時期の駅の様子です。

≪終点駅と駅周辺 2018年8月≫
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3年ぶりに訪れましたが、給水塔に植物が覆われて、以前と違った印象です。 / 名松線は、松阪-名張の開業を目指して路線名がつけられていますが、近鉄ルート(現在の近鉄・大阪線&山田線)が先に開業したことから、この駅から先の建設は行われませんでした。
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駅ホームの向かいに「43.5」キロポストがあります。 / 激しい豪雨が始まる20分くらい前の駅で、涼しげで穏やかです。レールの先にある山の木々が面白いです。
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なんだか、中国の水墨画のような不思議な山の形です。列車が停車している間じゅう、激しい雨は続きます。
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小型の(キハ11形)気動車ですが、大きな窓がアクセントです。 / 駅の先に見える警報機と遮断機のない踏切と、S字の先で左に曲がっていくレールが、のんびり・緩い雰囲気を漂わせています。
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13時6分、定刻通りに松阪へ向けて発車しました。激しかった豪雨は、発車の頃には落ち着いていました。

JR東日本 久留里線の終点駅

(2017年1月)
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冬晴れの休日、4番線ホームに久留里線の普通列車が停車しています。久留里線は、JR東日本の千葉県で最後の非電化路線となってしまいました。
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西口にある3階建ての駅舎は、見るからに事務的な建物の造りです。 / 久留里線はすべて4番線から発車。

久留里線の木更津-上総亀山間32.2kmで、駅は1912(大正元)年の開業。久留里線は1日17本の運行。(引用:Wikipedia)
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4番線ホームは久留里線用ホームで架線設備がありません。加えて、通勤型電車が停車する3番線よりホームの高さが低いため、段差があります。
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4番線は久留里線用ホームで、隣り駅「祇園」のみの表示です。1~3番線は内房線の両隣り駅「巌根」、「君津」を表示しています。
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こういうのが好きな職員の方がいるのでしょうか。階段の周りはいろいろな広告で溢れていました。

≪久留里線≫
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8時1分、上総亀山からの普通列車が2両編成で到着しました。
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後部に連結されていた1両(キハE130-102)が切り離されて、 / 4番線ホームに残った1両(キハE130-105)が、8時20分発、普通列車・久留里行として発車していきます。

≪幕張車両センター木更津派出、木更津運輸区≫
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久留里線用のキハE130-100番台の10両が配置されています。 / 電車用留置線(左)が4本、他に気動車用の留置線など、多数の側線があります。
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庫内にはキハE130-106(左)、107(右)が収容されていました。 / ターンテーブルが現存しており、車両区としての体を成しています。

≪内房線≫
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7時53分、館山発千葉行・普通電車が蛇のような10両で発車していきました。
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7時56分着、千葉発上総湊行・普通電車です。 / 8時36分着、久里浜発君津行で、東京から快速で運転されています。

≪駅からの眺め≫
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君津、館山方面を眺めています。しっかりとしたレールが真っ直ぐに延びています。3つのうちの真ん中は、引き上げ線で、少し先で終わっています。
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蘇我、千葉方面を眺めています。内房線の複線の右側に久留里線のレールが見えます。ここから非電化路線の久留里線が始まります。画像ではよくわかりませんが、内房線の左側に木更津自衛隊専用線の名残があるようです。

≪久留里線≫
大正元年 千葉県営鉄道・久留里線(木更津-久留里)として開業
大正12年 国有化され久留里線となる
昭和5年 軌間が762mmから1067mmに改軌される
昭和11年 全線開通(久留里-上総亀山が延伸開業)

JR東日本 釜石線の終点駅

(2017年8月)
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9時56分発、釜石線・普通列車の釜石行(右)が1番線に停車中、2番線に東北本線・普通電車の一ノ関行(左)が到着しました。この後、乗換えの人たちを待って釜石線の列車が発車します。
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岩手軽便鉄道は、現在のJR・釜石線にあたる区間を開業すべく、1913(大正2)年に最初の区間(花巻-土沢)が開業しています。この石碑は駅前の広場にあります。

釜石線は、花巻-釜石間90.2kmで、駅は1890(明治23)年の開業です。1日10本の運行。(引用:Wikipedia)
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東北新幹線からの乗換えでは、新花巻は釜石線との乗換駅で、北上は東北本線との乗換駅です。東北本線の方が列車本数が圧倒的に多いですが、花巻周辺の温泉地や遠野や釜石へ向かう時は新花巻も有効です。
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似内は釜石線、花巻空港は東北本線の隣り駅です。 / 2、3番線のホームには、東北本線の500キロポストがあります。

≪釜石線≫
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釜石線の愛称は、「銀河ドリームライン釜石線」で、これは釜石線の前身である岩手検便鉄道が宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルと言われていることに因んでいます。
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10時13分発、釜石発盛岡行「快速・はまゆり2号」が到着しました。キハ110系気動車の4連が颯爽とホームに入ってきます。
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なんと、キハ111、キハ112、キハ110の「1」が組み込まれ、残りの1両は「キハ110-3」です。ちなみに、編成の両端のキハ110-1・3はキハ110形気動車の試作タイプとして製造されています。

≪東北本線≫
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10時24分、東北本線の快速・ジパング平泉2号が2番線に到着しました。このジョイフルトレインは、盛岡車両センター所属の485系電車「ジパング」です。1番線には釜石線「SL銀河号」が停車しています。

≪駅からの眺め≫
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1番線(釜石線)ホームから東北本線・一ノ関側を眺めています。発車した普通電車は、上り・一ノ関行です。 / 3番線(東北本線・下り)ホームの横には、2本の留置線があります。
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ホームから盛岡方向を眺めています。1番線・釜石線(右)、2番線・東北本線上り(正面)、3番線・東北本線下り(手前ホームの左側)

≪SL銀河≫
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キハ(動力付きの客車)が先頭となって、盛岡からSL銀河号(回送)が入線してきました。
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この日は釜石まで運行しますが、復路の運行は翌日になります。
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SL銀河の編成は、C58-239+キハ141系気動車4連です。銀河系のデザインが綺麗です。
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10時37分、1番線ホームから「SL銀河号」が発車しました。客車の色が地味系でいい感じがします。復興支援と地域の活性化のために、ずっと頑張って欲しいと思います。

≪C58-239≫
1940(昭和15)年に川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)で製造 名古屋鉄道局に新製配属
1941年 
奈良機関区
1943年 宮古機関区
1970年 
盛岡機関区
1973年廃車
同年 岩手県営 運動公園内 交通公園に
静態保存
2014年 車籍復帰 盛岡車両センターに配属

JR西日本 草津線の終点駅

(2017年1月)
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手前(左)は加茂行、向こう(右)は亀山行です。関西本線のこの区間は非電化のため、キハ120形気動車が使用され、この路線では車体前面の貫通扉を除いた部分が紫色の塗装となっています。
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明治23年、この駅の開業当初は関西鉄道により、現在の草津線方面からの路線が開通しました。同年遅れて四日市までの路線が開通していたので、三重県内で最初に開業した駅となっています。

草津線の柘植-草津間36.7kmで、駅は1890(明治23)年の開業。草津線は1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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伊賀市にある駅なので、あそこに潜んでいるのは、伊賀ものの忍者でしょうか。 / 三重県と奈良県を結び、ローカル旅が楽しめる非電化路線です。
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関西本線、草津線とも日中は1時間に1本、朝、夕は1時間に2~3本の運行があります。 / 加太駅-柘植間は鈴鹿山脈と布引山地の境界となり、加太越えと呼ばれる25 ‰(パーミル)の急勾配(水平方向に1000m進むと25m上がる)があります。ホームには、海抜243mの標柱が建てられています。

≪草津線≫
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11時1分発、草津行普通電車です。京都・北近畿地区地域統一色「深緑色」の113系直流電車の4両編成が使用されています。
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JR東日本が担当する首都圏では、111系、113系以降の新形式電車の置き換えなどを進めていますが、JR西日本では今でも現役です。
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11時1分、草津行電車は、ホームの先の関西本線・加茂方面(左)と分かれて、草津線(右)へ発車して行きました。

≪関西本線≫
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10時39分、関西本線・加茂行普通列車が到着しました。駅構内が広々としているので、キハ120形気動車が何となく大きく見えます。
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キハ120形気動車の300番台のトップ(301)は亀山鉄道部に配属されていました。

≪駅からの眺め≫
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2番線の加茂側(左)から眺めています。1番線ホームに駅舎があります。架線設備は2、3番線のみで、1番線にはありません。 / 2番線の加茂側から眺めています。関西本線(左)と草津線(右)の勾配差が目で見てわかります。
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かつての関西本線が輸送量の多かった頃の名残で、なかなか立派な駅構内です。 右から1番線、中線、2番線、3番線が左へカーブしていきます。駅からの眺めで、芸術的なカーブを見つけました。

JR四国 徳島線の終点駅

(2018年1月)
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10時40分、土讃線・琴平行の普通列車が到着しました。1000形気動車(1016)が先頭となる2両編成の列車です。琴平から先は電化されており、高松地区の電車に乗り換えです。
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駅舎の反対側には国道が通っていますが、駅前は線路際の道路が通っているだけです。緩いスロープを登ると無人の駅舎があります。

徳島線は、佐古-佃間67.5kmで、駅は1950(昭和25)年の開業です。1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎内の改札口を抜けると、島式ホーム(1、2番線)へ渡る跨線橋があり、細いながらも真っ直ぐに延びるホームがあります。ホームの先に徳島自動車道が見えます。
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この駅は徳島県三好市に所在し、三好市は香川県、愛媛県、高知県と接する県西部の山間地域です。徳島線の列車はすべて隣りの阿波池田が始発のため、この駅まで土讃線を乗り入れてきます。

≪徳島線≫
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10時37分、徳島線・徳島行の普通列車が到着しました。1500形気動車(1507)を含む2両編成で、この形式は全車が徳島運転所に配置され、徳島県を中心に使用されています。

≪特急・通過≫
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10時16分、特急南風・岡山発中村行が高知方面へ通過して行きました。 / 10時13分、特急「剣山」・阿波池田発徳島行が徳島方面へ通過しました。

≪駅からの眺め≫
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土讃線・阿波池田方面を眺めています。ホームから右カーブで単線の本線へ続いています。
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分岐器の先で、土讃線・琴平方面(左)、徳島線・徳島方面(右)が分かれています。土讃線を進むと香川県もすぐそこで、徳島線は徳島県内を吉野川沿いに穏やかに進んでいきます。

名古屋鉄道 西尾線の終点駅

(2015年9月)
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2番線に停車する西尾線・西尾行の普通電車です。この電車は路線名である西尾行ですが、西尾線は吉良吉田までの路線です。
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駅の表示が薄くなっています。この駅は橋上駅舎化の計画があり、施設のメンテナンスは必要最小限かも知れません。 / 新安城は西尾線へ向かう電車は、1、2番線からの発車です。

名古屋鉄道・西尾線の新安城-吉良吉田間24.7km。駅は1923(大正12)年の開業。西尾線は日中1時間に4本の運行。(引用:Wikipedia)
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9時22分発、急行・佐屋発吉良吉田行の名古屋本線からの直通電車3500系(3501)が2番線に到着しました。 / 1番線は車止めで終わっており、西尾線から到着して折り返し運転する電車が停車します。
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9時29分発、5番線に特急・新鵜沼発豊橋行の2200系(2211)の編成が停車しました。スカーレット色を踏襲しながら、垢抜けたデザインの車両です。
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西尾線(新安城-西尾-吉良吉田)の先は、蒲郡線(吉良吉田-蒲郡)が繋がっており、蒲郡に向かうことが出来ます。 / 9時2分発、急行・名鉄岐阜発豊川稲荷行は2番線に停まりました。
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9時8分発、急行・豊川稲荷発名鉄一宮行が3番線に停車中。 /9時30分発、各駅停車・東岡崎発岩倉行が3番線に停車中。 左から1、2、3番線を眺めてます。
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(先側)3番線から眺める西尾線(右の単線)と名古屋本線・豊橋方面(左の複線)、その間にある待避線。

(手前側)右は保線用、右から2番目は1、2番線で西尾線へ向かう電車(名古屋本線直通含む)、西尾線からの電車は1、2番線と3番線(名古屋本線・名古屋方面への直通電車)に対応しています。

錦川鉄道 錦川清流線の終点駅

(2016年7月)
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岩徳線の岩国方面から、11時18分発の錦川鉄道の列車が到着しました。錦川鉄道の全列車は、ここ(川西)から岩国までJR・岩徳線へ乗り入れます。
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駅へは民家が立ち並ぶ所から、長い階段を登るとホームに辿り着きます。ホームは土手の上にあり、反対側は鉄道に並行して道路が通っています。

錦川清流線は、川西-錦川間32.7kmで、駅は1960(昭和35)年の開業で、1987(昭和62)年にJR西日本・岩日線を移管、錦川清流線が開業。1日に10本の運行。(引用:Wikipedia)
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錦川線清流線は、時刻表の青文字です。日中は3時間ほど間隔が空くことがあります。 / ホームには錦川清流線が、この駅を基点としている「0キロポスト」があります。
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この駅はJR西日本の管轄ですが、錦川鉄道との共同使用駅となっています。錦川鉄道の隣り駅は御庄駅でしたが、平成25年に清流岩国駅に改称され、新幹線との新岩国駅との乗換え駅であることをアピールしています。
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11時8分発、岩徳線の岩国行・普通列車が到着しました。一見して乗換駅の雰囲気が感じられない駅です。
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運用されている車両は、下関総合車両所・新山口支所のキハ40形気動車(キハ40-2080)、ワンマン運転対応車です。
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ホーム側の民家はかなり下の方にあり、ホームへ上がる階段が大変です。
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錦川鉄道は全線が岩国市内の路線で、ほぼ全線が錦川沿いのルートです。錦川清流線の列車が、錦町へ向けて発車していきました。

≪森ヶ原信号場≫
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川西駅から徳山方向を眺めています。この駅から1.9km先に「森ヶ原信号場」があります。 / JR西日本・岩徳線の川西-柱野にある「森ヶ原信号場」まで来てみました。実際にはこの信号場から錦川鉄道が始まっており、右への分岐が錦川鉄道です。

正月SL大樹号 を訪ねて

(2018年1月)
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終点駅テツのネタ確保で立ち寄ったのですが、立ち寄った目的が、「終点駅」なのか「SL」なのか...忘れてしまいそうなくらい、強烈な印象の「SL大樹」の本拠地です。
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「SL大樹」は、この駅始発・鬼怒川温泉行として、土日祝を中心に1日3本(1号=9時2分、3号=13時、5号=16時32分)が発車します。 / 時刻表の表示は、切り抜き文字で目立せています。

≪C11-207≫
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北の大地、「JR北海道」のSLが、日光・鬼怒川周辺を運行して観光誘致に一役買っています。「カニ目」のC11形が運行されることで、大井川鐵道、真岡鐵道のC11形と違った特徴があります。

≪下今市機関区≫
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転車台で転回したり、客車の反対側に連結する機回しをしたり、東武鉄道の他のどの列車より、発車前や発車後に注目してしまうスペシャルな「SL大樹号」です。ヨ8000や国鉄色のDE10が昭和の姿を再現しています。
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SL大樹号の正月バージョンが撮影できて得した気分です。やはり、SLの前面にヘッドマークが掲げると「絵」になります。
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転車台や機関庫が新設・移設されましたが、救援車のような客車が構内の端っこに置かれ、あたかも昔からあったような見事な「下今市区」です。

≪SL大樹号≫
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12時38分、22分後の発車に向けて、「SL大樹号」の編成が組まれていきます。 / 12時53分、SL編成が浅草側に引き上げられ、演出も兼ねてホームに入線するところです。
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12時54分、ホーム先端に「SL大樹3号」が進入してきました。 / 12時57分、発車2分前での発車の準備は万端です。

≪DE10-1099≫
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C11形蒸気機関車の故障・検査時には、「SL大樹号」を本務機として単独で牽引したことがあります。座席指定料金はSL牽引より低く抑えられますが、国鉄色のDE10ということで、一味違った人気があるようです。
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国鉄色のままで、DE10形ディーゼル機関車が運用に就いているということは...東武鉄道でJR車両の整備をすること...今まであまり見たことがないです。
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下今市機関区の区名札と、「SL大樹号」の仕業札は、DE10とC11とも1日3往復の運行を表しています。

≪14系客車≫
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赤い機関車、青い客車、黒いSLが揃うと、子供も大好きなカラー。 / SL列車らしく、「方向幕」は団体専用列車仕様のような普通の感じになっています。
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車両や設備などは、JR各社の協力を得ており、SL運転技術習得に際しては、JRをはじめ、SLを運行する私鉄・第三セクター(秩父鉄道、大井川鐵道、真岡鐵道)に協力・支援を依頼しています。

JRのコピーでも運行したかった「SL列車」。大手私鉄「東武」の本気は物凄いものです。続編は...

≪SL大樹 運行のために準備されたもの≫
C11-207(JR北海道・借用)
DE10-1099(JR東日本・譲渡)
スハフ14-1・5、オハ14-1、オハフ15-1(JR四国・譲渡)
オロ12-5・10(JR四国・譲渡)
スハフ14-501・508、オハ14-504・505(JR北海道・譲渡)
ヨ8709(JR西日本・譲渡)
ヨ8634(JR貨物・譲渡)
下今市駅・転車台(JR西日本 長門市駅構内・譲渡)
鬼怒川温泉駅・転車台(JR西日本 三次駅構内・譲渡)

揖斐の赤い電車を訪ねて

(2015年9月)
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名古屋鉄道・黒野駅は2005(平成17)年に廃止されましたが、2013(平成25)年、駅構内の一部を活用して「黒野駅レール・パーク」に生まれ変わりました。残されたホームは、当時2、3番線として使用され、手前側(2番線)はレールも残されています。

ちょうど私が訪れた時は、旧・美濃駅で保存している「モ510形512号」が、期限付きで貸し出されていましたので、久々に懐かしい姿を見ることが出来ました。

≪黒野駅レールパーク≫
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この駅は揖斐線(忠節-本揖斐)の間にあり、谷汲線(黒野-谷汲)との乗換駅で、路線が営業していた頃は、レールが敷かれている右側に1番線があり、ホームの後ろ側に駅舎、左側に検車区(車庫)が存在し、いろいろな機能がありました。
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駅舎は「黒野駅ミュージアム」に改装されています。 / 「NPO法人くろの」が運営していますが、最近は開館日数が少なくなっているようです。
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揖斐線と谷汲線の分岐駅ですが、中之元(揖斐線・本揖斐側)と相羽(揖斐線・忠節側)だけの駅名標が寂しいです。 / 当時の時刻表で毎時の発車本数を見ると、谷汲・本揖斐行ともラッシュ時2本、日中1本。忠節行はラッシュ時4本、日中2本です。
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最後の活躍の場となった黒野で「おかえりなさい」の札がありました。モ512号は、揖斐線で活躍する前は美濃町線で使用されており、旧・美濃駅に保存されている由縁となっています。
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モ512号を旧・美濃駅へ返却した後、車両がない状態の時に再訪していませんが、子供が遊べるタイル張りのスペースの先に、電車がないと...本当に「レールパーク」になってしまいます。
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2005(平成17)年、揖斐線(忠節-黒野)廃止により、モ510形は全廃となります。廃車後に保存された車両が多数あり、また「黒野駅レールパーク」の開館が2013(平成25)年と遅かったため、旧・黒野駅に保存車両がないのが残念です。
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車両前部が丸くて、側面にも丸窓があるお洒落な電車は、時代を感じさせないデザインです。 / ミュージアムの1階には「れすと黒野駅」があり、パン屋さんが併設されていましたが、営業を終了し、その後、新たに喫茶店が営業を始めているようです。
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アイスコーヒーと3色パンのドリンクセットを注文して一休みさせて頂きました。場所柄もあり、素朴な味でした。
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広い広い濃尾平野の北部、揖斐川と根尾川が合流する地域のこの辺りは、小高い山々がはじまる静かな場所です。モ512号が旧・黒野駅に停車している姿を目に焼き付けて、「黒野」を後にしました。

≪旧・谷汲駅≫
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西国三十三所の第33番札所である谷汲山華厳寺のある谷汲村にあった名古屋鉄道・谷汲線の終点駅です。初詣や祭礼の際には、参詣客や観光客で賑わう路線でしたが、2001(平成13)年に廃止されました。
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終点駅だった「谷汲駅」に保存されている「モ510形モ514号」です。屋根が付いているので、綺麗な状態が保てそうです。 / 駅に隣接して「谷汲昆虫館」があり、駅舎とともに残っています。
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谷汲線開通70周年の1996(平成8)年に駅舎が新築されていますが、その5年後に谷汲線が廃止されています。「産業考古学会による推薦産業遺産 認定」の掲示がありました。アメリカ・カーネギー(1911年)製レール、フランス・プロヴィダンス(1925)製レールがこの駅跡に残されているそうです。
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終点駅だった「谷汲」を象徴する駅名標です。 / 架線、架線柱や信号などがなくても、車両が残されているだけで、黒野に向けて発車しそうな風景に見えます。
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「モ750形モ755形」は、谷汲線が廃止される最後まで活躍した電車で、谷汲線全線と、揖斐線の黒野-本揖斐のローカル区間を担当しました。
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昔の電車は、デコボコしていて人の顔にように見えてしまいます。「目」、「鼻」、「口」と、バックミラーは「耳」でしょうか。ちょっと大人しそうな顔です。
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現在も駅舎が残されて、谷汲線資料の展示場所とされています。ホームの方には2両の保存車両の誘致が実現し、谷汲線(モ755号)と揖斐線(モ514号)の歴史を留める2両が保存されました。「永遠の谷汲駅」が記録出来て良かったです。

≪名古屋鉄道 揖斐線・谷汲線≫
1914(大正3)年 岐北軽便鉄道(忠節-北方町=後の美濃北方) 開業
1921(大正10)年 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併(北方線となる)
1926(大正15)年 美濃電気軌道・北方線(北方町-黒野) 開業 / 谷汲鉄道(黒野-谷汲) 開業 / 谷汲鉄道と美濃電気軌道の直通運転(忠節-黒野-谷汲)開始
1928(昭和3)年 美濃電気軌道・北方線(黒野-本揖斐) 開業
1930(昭和5)年 名古屋鉄道(初代)が美濃電気軌道を合併 / 名古屋鉄道→名岐鉄道へ社名変更、北方線→揖斐線
1935(昭和10)年 名岐鉄道→名古屋鉄道(現)へ社名変更
1944(昭和19)年 名古屋鉄道(現)が谷汲鉄道を合併(谷汲線となる)
2001(平成13)年 揖斐線(黒野-本揖斐)と谷汲線(全線=黒野-谷汲) 廃止
2005(平成17)年 揖斐線(忠節-黒野) 廃止


≪モ510形≫
1927(昭和2)年 美濃電気軌道により新製 (日本車両製造、セミボ510形全5両) 主に笠松線(新岐阜-笠松)で運用
1930(昭和5)年 美濃町線(徹明町-新関-関、新関-美濃)へ転属 / 車両形式の変更(セミボ510形→モ510形)
1967(昭和42)年 揖斐線(忠節-黒野-本揖斐)、岐阜市内線(岐阜駅前-忠節)へ転属
2000(平成12)年 予備扱い(モ513、モ514)
2005(平成17)年 揖斐線(忠節-黒野)廃止(=岐阜600V線区全廃)に伴い、最後の2両(モ513、モ514) 廃車
2006(平成18)年 モ514号 保存(旧・谷汲駅)

≪モ750形≫
1928(昭和3)年 名古屋鉄道(初代)により新製 (日本車両製造、デセホ750形全10両) 主に名岐線(現・名古屋本線の一部、犬山線)で
運用(600V)
1941(昭和16)年 車両形式の変更(デセホ750形→モ750形)
1948(昭和23)年 犬山地区(小牧線、広見線)へ転属(600V)
1965(昭和40)年 瀬戸線へ転属(600V)
1973(昭和48)年 揖斐線(忠節-黒野-本揖斐)、岐阜市内線(岐阜駅前-忠節)へ転属(600V)
2001(平成12)年 揖斐線(黒野-本揖斐)と谷汲線(全線=黒野-谷汲)廃止に伴い、最後の3両 廃車(モ751、モ754、モ755)
2002(平成14)年 モ755号 保存(旧・谷汲駅)

三岐鉄道 三岐線の終点駅

(2016年11月)
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三岐線は貨物輸送も盛んですが、この駅までは貨物の運行がないため、静かな山あいの終点駅の感じです。三岐線で使用されている車両は、元・西武鉄道からの譲渡車で統一されており、停車中の101系(105F)は、元・西武鉄道401系で、1994(平成6)年に移籍しています。
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2001(平成13)年の三岐線・開業70周年を記念して、翌年には蒸気機関車の形をしたユニークな駅舎に建て替えられました。

三岐線は、近鉄富田-西藤原間26.5kmで、駅は1931(昭和6)年の開業です。1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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折り返しの電車の先頭付近に、26.5kmの距離標を見つけました。 / ホームは島式1面2線ですが、1線のみの使用で、単純に到着した電車が折り返して行きます。

≪テーマパーク・ウィステリア鉄道≫
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2001(平成13)年、開業70周年を記念して蒸気機関車のテーマパーク「ウィステリア鉄道」がオープンしました。駅ホームの1面2線のうち、1線を保存車両の展示に充てており、保存されている車両は、蒸気機関車E102、電気機関車ED22-2、ディーゼル機関車DB25号機の3両です。
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開業時に活躍されていたSLが静態保存ながらも現存することが素晴らしいです。このSLが存在していなかったら、「ウィステリア鉄道」保存コーナーは実現されなかったと思います。

≪E102 経歴≫
1931(昭和6)年の開業時に新造されたE101形蒸気機関車2両のうちの1両で、大阪の汽車製造会社で造られ、22年半の間、三岐線で活躍しました。昭和29年に大阪窯業セメント株式会社(現在は住友大阪セメント)・伊吹工場へ移籍し、入換用機関車として活躍し、廃車後も同工場で保管されていました。2001(平成13)年、三岐線開業70周年の際に、里帰りでここに保存されています。

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1937(昭和12)年、ED22形電気機関車は私有鉄道で活躍していましたが、路線等の国有化で「ED22」形電気機関車へ改称・改番されています。「ED22」形電気機関車は3両存在していますが、「1」は弘南鉄道で車籍を有しており、「3」は松本電鉄(ED30-1に改番)で静態保存されています。

≪ED22-2 経歴≫
大正15年にアメリカから輸入した小型機(ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス=機械部分&ウェスティングハウス・エレクトリック社=電気部分)で、信濃鉄道1形電気機関車として松本-信濃大町間で活躍し、1937(昭和12)年に信濃鉄道の国有化に伴い、ED22-2 へ改称・改番されています。

1943(昭和18)年に飯田線へ転属になり、1956(昭和31)年に廃車となり、三岐鉄道へ譲渡され、1984(昭和59)年に廃車されました。その後、いなべ市の中央児童センターで保存されていましたが、2016(平成28)年にここに移されています。

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三岐線で活躍したことがないですが、3L(SL・EL・DL)の保存に参加する形です。

≪DB25号機 経歴≫
1971(昭和46)年から18年間、現在のJR関西本線・八田駅構内でセメント用貨車の入換えに使用されていました。現役引退後、三岐通運・藤原営業所に保存されていましたが、三岐線70周年を機にここへ移されています。

≪駅からの眺め≫
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ホームから富田方面を眺めています。尾根の手前で左にカーブして行きます。 / 森の手前にある車止めで、レールが終わっています。
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終点駅の車止め部分から眺めています。島式ホームの左側は「ウィステリア鉄道」の車両展示に使用されており、右側の分岐は電車の留置が可能です。

≪三岐線の起こり (主要部分のみ)≫
鉄道敷設法・別表75項(大正11年)には、「三重県四日市ヨリ岐阜県関ケ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」と記される通り、1928年に藤原鉄道に対し四日市市-関ヶ原町間他の鉄道敷設免許状が下付されました。

1931年に富田-東藤原-西藤原が開通しましたが、西藤原-関ヶ原の免許が失効し、「三岐線」の路線名が中断されたまま、現在に至っています。

阿佐海岸鉄道 阿佐東線の終点駅

(2018年1月)
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16時20分、徳島からの普通列車(左)が1番線に到着しました。2番線には、16時29分発の阿佐海岸鉄道・普通列車の甲浦行が接続しています。
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駅前には「阿佐海岸鉄道 開通記念之碑」が、地元出身の元厚生大臣の名前で建立されています。阿佐東線は、全線が9kmに満たない路線ですが、海部(徳島県)と甲浦(高知県)を結ぶ、県境越えの路線です。
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阿佐東線の終点・甲浦までは270円、牟岐線・牟岐まで260円、徳島まで1,640円です。 / 屋根つきの階段を登ります。

阿佐海岸鉄道・阿佐東線は、海部-甲浦間8.5kmで、駅自体は1973(昭和48)年(JR・牟岐線)の開業、阿佐東線は1992(平成4)年に開業。1日に16本の運行。(引用:Wikipedia)
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この駅は高架の駅ですが、地上からの階段は1番線(JR)側だけで、2番線へは構内踏切を渡っていきます。 / 駅名標に青い文字(左下)で、「阿波・室戸シーサイドライン(阿佐東線)」と表示があります。「阿波・室戸サイドライン」は、JR・牟岐線(徳島-海部)と阿佐海岸鉄道・阿佐東線(海部-甲浦)の愛称です。
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ホームから甲浦方面を眺めていますが、分岐器の先はすぐにトンネルとなります。 / ホームの甲浦寄りから徳島方向を眺めています。レールは平坦ですが、駅は高架にあり、すぐ先には注目の「町内トンネル」があります。
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阿佐海岸鉄道・阿佐東線の車両「ASA-301」は、元・高千穂鉄道TR-201で、同線が廃止された際に無償にて譲り受け、平成21年から運用に就いています。

JR四国 牟岐線の終点駅

(2018年1月)
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15時47分発、この駅が始発の徳島行です。JRの列車は1番線に停車します。駅の両側にトンネルがあり、駅は高架の上にあり、一風変わった終点駅で、JRとしての徳島県最南端の駅です。JR四国1200形気動車は、当初1000形として製造され、1500形と併結運用に対応させる改造が施されています。
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牟岐線は、徳島から室戸、御免方面へ延伸計画がありましたが、昭和17年に「日和佐-牟岐」が開業し、昭和48年に「牟岐-海部」が開通したことにより、国鉄としての延伸が終わりました。平成4年に、阿佐海岸鉄道・阿佐東線(第三セクター)として、この駅から開業しています。

牟岐線は、徳島-海部間79.3mで、駅は1973(昭和48)年の開業です。1日に12本の運行。(引用:Wikipedia)
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JR・牟岐線が伸びる駅の北側を眺めると、名物の「町内トンネル」が見えます。当初は、ちゃんとした山を貫いていましたが、その後の宅地開発などによって山が切り崩され、山が鉄道部分だけになってしまいました。
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16時28分発、始発の牟岐行です。JR四国の1500形気動車は34両が製造され、徳島を中心に運用されています。

≪牟岐駅≫
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駅の横にある留置線でキハ40-2147を見つけました。翌日、この車両は牟岐6時21分発→徳島8時33分着の普通列車で、3両編成の先頭に組み込まれ、徳島へ到着しています。
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海部側にある踏切から、駅構内を眺めています。 / 1942(昭和17)年に開業した牟岐駅は、牟岐線の終点駅でしたが、昭和48年に海部まで延伸されています。木造の駅舎は開業当初から使われています。

わたらせ渓谷で乗りテツ旅

(2006年4月・2017年12月)
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1989(平成元)年、わたらせ渓谷鐵道・わたらせ渓谷線は、JR東日本・足尾線を転換するために開業しました。「わ89-101」は、開業当初に導入された車両です。廃車時はあかがね色でしたが、デビュー当時のカラーリングで、大間々駅の旧貨物ホームに保存されています。

≪開業時に導入された車両≫
わ89-100形2両(ロングシート) 101「こうしん」・102「ようがい」
わ89-200形3両(セミクロスシート) 201「くろび」・202「けさまる」・203「あづま」
わ89-300形2両(イベント用・転換クロスシート) 301「あかがね」・302「わたらせ」


≪相老駅≫ 2006年4月
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東武鉄道との乗換駅で、右側の2本がわたらせ渓谷線のホームで、左側2本が東武鉄道です。冒頭の駅ですが、実際には桐生から散歩を始めて、この駅で東武鉄道に乗り換えて帰路に着きました。

≪大間々駅≫ 2017年12月
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1911(明治44)年に開業した大間々駅。駅構内には本社機能と車庫が併設されています。 / 大間々駅の旧貨物ホームには、わ89-302も保存されています。
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駅舎の横には、トロッコ列車「わたらせ渓谷号」専用ホームのの0番線(頭端式)があり、DE10-1678が留置されていました。この機関車は、2000年にJR東日本から購入し、その後もJR時代の塗装で使用されています。
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わ99形客車は、トロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」に使用されます。 / わ89-310形(315)「わたらせⅢ」+WTK-550形(551)=自走式トロッコ気動車。
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大間々駅からは低い山々が見渡せます。この周辺には、桐生、西桐生、赤城などの終点駅や乗換駅の相老など、複数の鉄道会社の路線が敷設され、交通手段として鉄道への依存が高いエリアのようです。

≪水沼駅≫ 2006年4月


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わ89-300形(301)は既に引退しています。大間々駅には皇太子ご夫妻が乗車されたことのある「302」が保存されています。
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 わ89-310形(313+311)が到着しました。 / この駅には、わたらせ渓谷鐵道の開業年に「水沼駅温泉センター・せせらぎの湯」がオープンして話題になりました。現在は外部委託で運営されています。
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大正元年に開業した駅は、渡良瀬川沿いの田舎の駅の風情です。温泉施設が同居する立派な駅舎です。列車は2両編成で、手前はわ89-200形(202)です。

≪神戸駅≫ 2006年4月
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春の雰囲気が漂うホームの神戸(ごうど)駅です。桐生行のわ89-313(左)と、間藤行のわ89-101(右)です。右の車両は、いまは大間々駅に保存されています。
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この駅には、東武鉄道1720系「デラックス・ロマンスカー」の車両を使った「列車のレストラン・清流」があります。この当時は青い塗装でしたが、平成23年に現役当時の塗装に復元されているようです。「舞茸ごはん定食」は、舞茸がたっぷりで、ボリュームもあり過ぎです。
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駅ホームの辺りも花盛りでしたが、周辺の山裾も見事の一言です。お腹が一杯で、綺麗な景色で満足感も一杯です。
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神戸駅のホームには、花桃の花が綺麗に咲き誇っていました。山裾の白い花々がピンクの花を引き立たせているように見えます。毎年4月には、「神戸駅花桃まつり」が開催されます。

≪足尾駅≫ 2017年12月
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キハ35-70は、平成8年・高崎運転所を最後に廃車となり、ここへ運ばれています。
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お約束的な郵便ポストも据え付けられて、大正元年創業の足尾駅は、JR時代の足尾線を代表する駅に相応しい佇まいです。
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キハ30-35(間藤側)は、国鉄一般色に復元されていますが、傷みが目立っています。足尾駅構内に保存されている車両は、NPO法人「足尾歴史館」によって管理されているようです。
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元・古河鉱業所属(ニチユ製と協三製)の入換機関車 / タキ35811&タキ29312(タンク車)、D805(協三工業・10t級)、DB064(日立・15t級)、ヨ8928(車掌車)
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ホームにある煉瓦造りの危険品庫(登録有形文化財)。 / ホームから桐生方面を眺めています。
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ホームから間藤方面を眺めると、右側に保存車両群があります。 / この駅には夜間滞泊のための引込み線があり、前日・間藤21:26発21:28着と桐生21:25発22:41着の2本が、翌朝5:39発と6:22発の始発・間藤行となります。

那珂川清流鉄道保存会を訪ねて

(2018年5月)
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2017年3月・ダイヤ改正で、それまで烏山線で活躍していたキハ40形気動車・1000番台の全8両が引退し、EV-E301系に置き換えられいます。烏山線で活躍したキハ40形のうちの3両が、烏山駅から10km足らずの所にある「那珂川清流鉄道保存会」で保存されています。

≪烏山線 キハ40-1000番台≫
※キハ40-1000番台は、2000番台(関東以西の暖地向け仕様)を種車に、烏山線向けにトイレなどを撤去し、トイレ部分の小窓を固定化、座席および網棚・吊手を延長するなどにより、1000番台へ改番した車両です。

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1002=烏山線独自のローカル色(白地に緑色)のままで廃車されています。
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1007=「烏山線全線開通88周年記念事業」として、標準色に塗装変更されていました。
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1005=旧国鉄首都圏色に塗装変更されていました。

≪事務所≫
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半年くらい前に、こちらの保存会のことを知りました。入場料は1000円ですが、日曜・祝日などは子供連れのファミリーの来場が多いようです。

≪いろいろな車両≫
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キハ8501+キハ8504=名古屋鉄道「北アルプス」→会津鉄道「AIZUマウントエクスプレス」→ここへ保存(画像はキハ8504)。 / スハネフ14-35、オロネ14-703、スハネ14-703の3両(最終配属=尾久車両センター)が保存されています。
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千葉都市モノレールの車体。 / 蒲原鉄道・二軸無蓋車ト1形。
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北陸鉄道・金沢市内線 モハ2300形2302号→鉄道総合技術研究所・実験車両→ここへ保存 / 大滝森林鉄道76をはじめ、森林鉄道で活躍した機関車群。
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昭和60年に製造された協三工業製の「100号機」。
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1906年「60874」 森林鉄道で活躍していたのでしょうか。詳細が不明です。
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元・台湾糖業公司(360号機) / 外周のレールがカーブするところに、千葉都市モノレールの車体が置かれています。

≪外周レール≫
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鉄道模型のジオラマのような風景ですが、こちらは本物。「ゆめ清流鉄道」が、現実の世界に再現されていました。

JR四国 本四備讃(瀬戸大橋)線の終点駅

(2018年2月)
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12時30分、予讃線・松山から「しおかぜ14号」が到着しました。この駅で分割作業が行われ、12時33分に先頭方の編成が「いしづち14号」として予讃線を高松へ向けて発車し、12時34分に後方の編成が「しおかぜ14号」のままで本備讃線を岡山へ向けて発車していきます。
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2002(平成14)年までは、多度津で行われていた分割・併合作業がこの駅に変更となっています。 / 今年3月のダイヤ改正を知らせるポスターには、四国の特急がずらり並んでいます。

本四備讃線・茶屋町-宇多津間31.0km。駅は1897(明治30)年の開業。本四備讃線は特急を含めて、1時間に1~5本の運行。本四備讃線と予讃線高松方面を直通する列車は、短絡線経由のため通過扱いとなります。(引用:Wikipedia)
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本四備讃線の隣り駅は、岡山県の児島駅で18.1kmの距離を一気に走り抜けます。 / 1、2番線は予讃線・松山方面と土讃線・高知方面、3、4番線は予讃線・高松方面と本四備讃線・岡山方面の列車が停車します。

≪土讃線方面≫
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12時3分、土讃線・高知から岡山へ向かう「特急 南風10号」が、2000系形気動車で到着しました。

≪予讃線方面≫
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12時18分発、多度津発高松行の普通電車です。4番線は本四備讃線への分岐器がない」ので、予讃線・高松方面の列車のみの停車です。

≪駅からの眺め≫
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本四備讃線(中央の2本)と予讃線・高松方面(両外2本)のホームの先を眺めています。1番線ホーム(右側)は予讃線・高松方面からの列車のみ入線します。2、3番線ホーム(中2本)からの発車は高松、岡山の両方へ向かえますが、4番線(左側)からの発車は高松方面のみ向かえます。
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予讃線・松山方面を眺めています。予讃線・高松と本四備讃線から、多度津まで複線区間が続きます。

≪特急しおかぜ&いしづちの併合≫
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12時7分、岡山から「しおかぜ9号」が到着、この日は8000系特急形電車「アンパンマン」列車でした。
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一般塗装に比べると違う車両に見える位、雰囲気が変わります。ホームの案内板が「しおかぜ&いしづち」での案内をしています。
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12時10分、「しおかぜ9号」が停車している同じホームに、高松から「いしづち9号」が到着です。車両は同じ「アンパンマン」列車で、併結作業の係員の人が、赤い旗を横にして合図しています。 / あとから到着した「いしづち」は、併結の前に手前で一旦停車します。
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12時13分、併結された2本の特急電車は「しおかぜ9号」の列車番号で、松山へ向けて発車していきました。

ボンネット形 電車特急「クハ26001」

(2018年4月)
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新製時の外観に近い状態に戻された「クハ26001(形式クハ26)」です。私的には、ここから眺める姿が一番良いと思います。

1958(昭和33)年、東海道本線・東京-大阪間を6時間30分で結ぶ電車特急「こだま」が登場しました。20系特急形電車は24両が新製され、8両編成×3本(使用2本、予備1本)が田町電車区に配置されて、「こだま」2往復に充当されています。

新製された24両は、川崎重工業、近鉄車両、汽車製造が各8両ずつを製造し、川崎重工業はクハ26001を含む4両(B1編成)とクハ26002を含む4両(B2編成)の計8両を担当しており、その中には、日本の電車形特急の初めての形式で、最も若い番号「001」が含まれています。
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「クハ26001」は、川崎重工業車両カンパニー・兵庫工場 車両本館前の中庭に静態保存されています。

「クハ26001」は、昭和33年に新製され、翌年の「車両称号規定改正」により「クハ151-1」に改称され、昭和40年には改造による181系化により、「クハ181-1」へ改められました。この車両は改称、改番されながらも、常に栄光の「1」を掲げ、現役を退いた後、製造メーカーの敷地へ搬入されました。
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会社の敷地内へは入れないので画像はありませんが、車両側面は「クハ26001」の形式表示になっています。

兵庫の地に電車特急のパイオニア車両が保存されて感慨深いです。隣りの0系新幹線とともにいつまでも綺麗な姿を見せていて欲しいと思います。

南海電気鉄道 加太線の終点駅

(2015年8月)
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加太線の電車はすべて隣りの和歌山市駅の発車で、紀ノ川橋梁を渡ってこの駅に到着します。ホームの先に、南海本線(右)と加太線(左)の分岐があり、ここから加太線が始まります。
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駅前には広場のような場所がなく、何とも狭い所に駅舎が建っています。

南海電気鉄道・加太線の紀ノ川-加太間9.6kmで、駅は1898(明治31)年の開業。加太線は1時間に2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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加太線は、1912年に加太軽便鉄道が現在の路線の基となった区間を開業したことから始まり、その後、現在の南海電鉄の支線となっています。
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加太からの電車が駅に到着しました。次は終点の和歌山市駅です。 / 加太線(左)は複線で分岐していますが、少し先の方で単線になります。

≪加太線沿線≫
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単線の加太線。列車交換風景がローカルな感じです。 / 先の方まで真っ直ぐ伸びる区間があって、気持ちの良い眺めです。

大多喜駅周辺を訪ねて(元旦に撮った「200’型」車両)

(2005年1月)
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いすみ鉄道の大多喜駅は、同社の本社機能や車庫などがあり、いつ来てもいろいろなテツ愛好家を受け入れてくれる駅です。現在は、グルメ列車の運行で新たな分野のファンも増えているようです。

2005年の元旦、大多喜駅のホームに停車中の上総中野行(いすみ203)の列車、(いすみ203)は、現在はミャンマーで活躍しています。

≪いすみ200’型気動車≫
いすみ鉄道の開業と同時に導入され、当初は「いすみ100型」気動車として全7両が新製されています。その後、座席をセミクロスシートからロングシートへ改めて「いすみ200型」へ改番され、さらにその後、床の張り替えで「いすみ200’型」気動車となりました。現在は(いすみ206)が予備的存在で残っています。

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いすみ鉄道は、JR東日本・木原線を引き継いだ第三セクター方式の鉄道会社で、昭和63年に「いすみ線」が開業しています。大多喜駅を訪れた頃は、いすみ200’型気動車が7両配置され、小柄な車体で軽快に走っていました。
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駅舎の上総中野側にある格納庫の前に留置されている(いすみ204)です。(いすみ204)は一番早く廃車となりましたが、廃車後はいすみ市内にある農場「ポッポの丘」に保存されています。
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(いすみ204)の車両側面です。「いすみ鐵道」、「宇都宮 富士重工 昭和63年」のプレートです。
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いすみ200’型気動車、7両の中の兄貴分(いすみ201)は車庫で休息中でした。現在はミャンマーで第二の活躍中です。
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(いすみ207)は、この当時はカラフルなカラーリングの車体でした。(いすみ207)もミャンマーで活躍中です。
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いすみ線沿線で出会った(いすみ202)です。2015年に廃車となり、茂原市内の煎餅製造会社で保存されています。

元旦に立ち寄った大多喜駅や沿線で、(いすみ205)と(いすみ206)との出会えなかったことが残念ですが、(いすみ205)はミャンマーで活躍中で、(いすみ206)は現在も新型車両の定期検査の際の予備車であり、現存していることが嬉しいです。

≪ムーミンの愛称≫
いすみ鉄道の公式ブログでは、2009年に各号車に愛称が割り振られていたことを伝えています。
1号車(いすみ201):ムーミン
2号車(いすみ202):フローレン
3号車(いすみ203):パパ&ママ
5号車(いすみ205):スナフキン
6号車(いすみ206):リトルミイ
7号車(いすみ207):スニフ
4号車(いすみ204)は当時休車中

南海電気鉄道 多奈川線の終点駅

(2015年8月)
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現在は全廃となった7000系。私が訪れた時は、南海電鉄・創業130周年を記念したヘッドマークを掲げて、旧塗装で最後の活躍をしていました。赤い「サザン」の列車種別が輝かしいです。
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駅の改札口を出ると、みさき公園エリアが隣接しています。休日の朝でしたので、家族連れが多くなっていました。

南海電気鉄道・多奈川線のみさき公園-多奈川間2.6km。駅は1944(昭和19)年の開業。1時間に2~3本の運行。(引用:Wikipedia)

≪多奈川線≫

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多奈川線のホームには、2両編成の2200系電車が停車しています。車齢が長いですが、使用する線区が支線なので、出来るだけ長く活躍して欲しいと思います。
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昭和23年、多奈川線の深日港から淡路航路と四国航路が開設され、鉄道でも深日港駅から難波駅へ直通する連絡急行が運転されました。その後、大阪港や神戸港を発着する航路の充実から連絡急行は廃止され、明石海峡大橋の開通などで、現在、深日港を発着する定期旅客航路は全廃されています。
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多奈川線は延長2.6kmの路線で、みさき公園を発車すると3つ目の駅が終点・多奈川駅です。平日の日中と土・休日は30分に1本の運転です。/ホーム中程では、南海本線・上りの3番線ホームの向かいが多奈川線の5番線ホームとなっています。
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ホームから和歌山市方面を眺めています。左から1、2、3番線は南海本線で、正面の車止めのある4番線と、そのホームの屋根の柱の右側にある5番線は多奈川線です。4番線は3番線と5番線を切り欠いた部分になります。
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前照灯のレンズのカットが、今風ではない味のある車両に感じさせます。

≪多奈川行電車からの眺め≫
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駅を発車した直後の多奈川行電車の車中からの眺めです。南海本線と多奈川線のレールが、直線の先まで並んで見えています。

南海電鉄 高師浜線の終点駅

(2015年8月)
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全線が1.5kmの高師浜線は、2230系電車が2両編成で運転されている路線、車両ともミニな路線です。
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駅の階段に「高架化」工事の概要を伝える表示があります。

南海電気鉄道・高師浜線の羽衣-高師浜間1.5km。駅は1912(明治45)年の開業。1時間に3~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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南海本線の上り線(2番線)の和歌山市側の切り欠き部分に高師浜線(3番線)があります。
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高師浜線の始発電車は、2番線・南海本線上りホームから発車する表示です。
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2230系電車は全6両(2両×3編成)で、支線での運用に使用されています。車体のカラーはやや古く感じますが、方向幕やワンマン表示、窓の枠などははピカピカです。


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平成28年に南海本線の下り線は高架化されており、このホームの使用は終了しています。残る南海本線の上り線は平成31年、高師浜線は平成33年に高架化が予定されています。
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7100系を使用した特急「サザン」はマニア受けしますが、乗車するなら10000系や12000系のほうが快適かもしれません。JRの東羽衣駅との乗換案内が表示されています。
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空港線特急「ラピート」・50000系が難波に向けて走り抜けていきます。鉄道車両のデザインからは、この外観は出てこない不思議な車両です。

神戸電鉄 粟生線の終点駅

(2018年4月・追加分)
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2年8ヶ月ぶりの粟生駅での神戸電鉄です。日中は各社とも毎時1本で、JR加古川線・加古川方面7分発、西脇市方面9分発、北条鉄道9分発、神戸電鉄10分発です。相互に乗り換えの便宜を図っているので、列車の到着と発車が集中していてデジカメ撮影が忙しいです。一番最後に発車する神戸電鉄は、JRのホームから撮影するのがやっとという感じになります。

※2018年5月6日に内容を追加しました。

(2015年8月・既存分)
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平成16年までは準大手私鉄でしたが、現在は阪急阪神ホールディングスグループの鉄道会社です。粟生線は、過去のニュータウン開発で輸送人員が伸びていましたが、路線バスやJRとの競合や、単線運転、急勾配&急カーブによる時間的敗因など、苦しい路線経営のようです。
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北条鉄道(3番線)とJR・加古川線の谷川方面(1番線)へ渡る跨線橋にある乗換案内です。 / JR・加古川線の2番線ホームに神戸電鉄の券売機が設置されています。

神戸電鉄・粟生線は、鈴蘭台-粟生間29.2kmで、駅全体としては1913(大正2)年の開業で、神戸電鉄は昭和27年の開業。1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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粟生線は一番駅舎に近い4番線で、右側のホームを使用しています。 / 車止めの後ろ側から眺めていますが、右側のホームは使用しておらず、その右側がJR・加古川線の2番線(加古川方面)です。
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現在、急行運転は平日ラッシュ時のみとなり、訪問当時の、この急行電車の発車時刻に近い、10時10分発「準急」新開地行で、所要時間が1時間6分です。
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JR・加古川線の2番線から駅全体を眺めています。JRのレールが真っ直ぐに伸びており、また1100系電車の側窓配置に車両の歴史を感じます。
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神戸電鉄で最奥でローカルな終点・粟生駅です。昭和46年製造の1100系電車がピッタリで、電車は森の中へ走り去っていきました。

※2018年4月18日に最初に登録しました。

北条鉄道 北条線の終点駅


(2018年4月)
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2年8ヶ月ぶりの粟生駅です。前回は「サルビア」(加西市の市花)をテーマにしたピンクのフラワ2000-1でしたが、今回は「ひまわり」(小野市の市花)をテーマにしたフラワ2000-3です。

この車両は北条鉄道と同じく、加古川線沿線にあった三木鉄道で新製された車両ですが、同線の廃止の際に譲り受けた車両です。
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日中は毎時9分発で、地元の人には覚えやすい時刻です。 / 駅標には、ねっぴー(地元に伝わる悲恋の物語「根日女伝説」のヒロインを題材にしたキャラクター)が表示されていました。ちなみに粟生駅は、兵庫県小野市の所在地です。
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日中は、毎時2分に到着して、9分の発車です。車体上部から排気ガスを排出しながら、迫力ある発車シーンを見ることができました。加古川線の西脇市方面へ向かう電車と同時刻の発車のため、併走シーンが見られます。

≪JR・加古川線≫
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加古川行は、両運転台の125系電車の1両での運転です。 / 西脇市行は、103系3550番台の2両編成です。北条鉄道の車両と並んでいますが、加古川カラー系でお揃いです。
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駅舎から一番離れている3番線・北条鉄道のホームです。駅周辺には団地が見えます。
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JR・加古川線の西脇市方面(右)と北条鉄道(左)が、プイッと反発するように外向きにレールがカーブしています。国鉄・北条線の頃は、加古川線とのレールと繋がっていましたが、現在は繋がっていません。

※2018年5月5日に内容を追加しました。

(2015年8月)
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国鉄時代の加古川線沿線には、高砂線、鍛冶屋線、三木線、北条線の4路線がありましたが、いまも残っている路線はこの路線だけです。
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平成21年に新しい駅舎が完成しています。この駅はJR・加古川線、神戸電鉄・粟生線、北条鉄道・北条線との乗換駅で、3社の共同使用駅となっています。
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駅舎に近い側から、4番線(神戸電鉄)、2番線(加古川線、加古川方面)、1番線(谷川方面)、3番線(北条鉄道)とjホームの番号がバラバラです。

北条鉄道・北条線は、粟生-北条町間13.7kmで、駅は1913(大正2)年の開業。1日に15本の運行。(引用:Wikipedia)

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車両は、全3両(自社発注車両×2、三木鉄道からの譲渡車両×1)を所有しています。この駅から向こう側の終点・北条町までが1つの閉塞区間で、途中に交換設備がないため、途中駅での列車の行き違いはありません。
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もともと国鉄・北条線でしたが、昭和60年に第三セクター方式の北条鉄道へ移管されました。国鉄時代には車両の行き来が出来ましたが、いまはレールが途切れています。
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加古川線の103系電車は元気に活躍中で、当分の間は走り続けてくれそうです。
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3番線ホームから谷川方面を眺めてみると、JRと北条鉄道のレールが、カーブしながら離れていくのが見えます。 / 駅の高架橋から加古川方面を眺めてみると、左に神戸電鉄のレール、右側に真っ直ぐ伸びるJRのレールが見えます。

※2018年4月14日に最初に登録しました。

高松琴平電気鉄道 琴平線の終点駅

(2018年2月)
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見れば見るほど、井の頭線時代の3000系です。井の頭線時代には全7色(レインボーカラー)が揃っていましたが、一番シンプルで落ち着きのある「アイボリー」で、京王の発展期の象徴の色でもあります。平成21~22年に3両編成×10本が譲渡され、伊予鉄道でも3000系を名乗っています。
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見事に受け継がれている大きな駅舎は、高浜線が電化された頃の昭和初期に建築されたとのことで、アール・ヌーヴォー調のハイカラなデザインがとても素敵です。

伊予鉄道・高浜線は、高浜-松山市間9.4kmで、駅は1892(明治25)年の開業。日中は1時間に4本の運行。(引用:Wikipedia)
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待合室にあるベンチは年季が入っていて、毎日の手入れに頭が下がります。座ることにより、一段と磨きが掛かるのかもしれません。 / 路線図、左上の高浜駅から松山市までは茶緑色の高浜線です。
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松山の海の玄関口である松山観光港へは、この駅から路線バスが約700mほどの距離を連絡しています。高浜線延伸の構想が20年以上前からあるようですが、費用面で実現していないようです。
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元・京王電鉄5000系(初代)の700系電車です。京王電鉄では、平成7年に初代が全廃となり、現在では座席指定列車用の二代目が誕生しています。そんな中で、昭和38年生まれの700系電車が今も元気に活躍しています。
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14時13分発の各駅電車は、高浜-(高浜線)-伊予市-(横河原線)-横河原を運転します。
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3000系電車(3308)が終点駅へ入って来ました。松山市から隣り駅の梅津寺までは複線ですが、梅津寺-高浜は単線です。
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手前側は側線の車止めで、向こう側はホームの先に延びる留置線です。/  海の側でありながら、駅の近くには小高い岡が張り出しています。
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京王電鉄からの譲渡車両ばかりかと思いきや、自社発注の610系電車もやってきました。元・京王の車両は譲渡前の走りっぷりと比べる楽しさがありますが、自社発注の窓が大きい個性的な前面に新鮮な印象があります。
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駅前に出て、鉄道と並行している道路を横断すると、瀬戸内の離島へ向かう船が立ち寄る(伊予鉄道が整備した)高浜港があります。

若桜鉄道 若桜線の終点駅

(2016年7月)
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16時44分、若桜鉄道からの列車(WT3300形3301)が到着しました。この駅から先は、JR・因美線に乗入れて鳥取まで運転されます。
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平成27年に、駅舎とコミュニティ施設を一体化した建物となり、愛称が「ぷらっとぴあ・やず」になっています。/ 「郡家」=こおげ、難易度の高い駅名です。

若桜鉄道・若桜線は、若桜-郡家間19.2kmで、駅は1919(大正8)年の開業。1日に10本の運行。(引用:Wikipedia)
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鳥取方面を眺めながら、駅舎(右)から留置線、1番線(左)と並びます。 / 津山方面を眺めると、3番線(右)、2番線(中)、1番線(左)で、2番線から真っ直ぐ延びるレールは因美線、1番線の先は若桜鉄道へ続いています。

≪若桜鉄道≫
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16時48分発、WT3300形気動車は因美線に乗り入れて鳥取へ向かいます。若桜線には「隼駅」があり、スズキの二輪車「隼」と同じ名前ということで、毎年夏に開催される「隼駅を守る会」にメーカーであるスズキが協賛しています。
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WT3301の車両側面には、巨大な「GSX1300R・ハヤブサ」のラッピングが施されています。第三セクター方式の鉄道会社、周辺の自治体ともに、心強い民間企業とのタイアップ企画です。
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私は「隼駅」に立ち寄っていませんが、駅の様子がわかる「乗車口」表示札です。 / 16時47分、鳥取から若桜へ直通運転の若桜鉄道WT3000形(3004+3001)が到着しました。手前に停車しているのは、鳥取行のWT3301です。
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鳥取側を眺めています。駅構内のレールがあの先で集まっています。鳥取県の中心「鳥取駅」に向かってレールがなびいているように感じます。

≪JR・因美線≫
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16時30分発、智頭から鳥取へ向かう各駅列車は、キハ47形気動車の2両編成です。
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片運転台のキハ47形気動車。キハ47の初期製造の車両(一桁)は、豊岡と鳥取に集まっており、「キハ47-7」も鳥取で元気に活躍しています。
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16時59分、鳥取行の智頭急行のHOT3500形3505+3504の2両編成が到着しました。
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手前(右)は17時15分発、因美線・智頭駅から鳥取へ向かう各駅列車で、向こう側(左)は17時3分発、倉吉から京都へ向かう「特急・スーパーはくと12号」です。智頭急行の車両同士(特急、各駅列車)が、JR因美線内で上り・下り列車として行き違います。
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16時33分発「特急・スーパーはくと8号」鳥取→岡山は、JR西日本・キハ187系(500番台)特急形気動車での運行で、17時3分発「特急・スーパーはくと12号」倉吉→京都行は智頭急行HOT7000系特急形気動車での運行です。
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2番線から発車した187系気動車は、みるみるうちにホームの向こうへ走り去り、エンジンから吐き出された煙が何となく漂っていました...

キハ187-500番台は、山陰本線(米子-鳥取)、及び因美線(鳥取-智頭)の高速化事業の完成に合わせて導入された特急形気動車です。智頭急行を経由する陰陽連絡ルートを経由し、鳥取-岡山間を1時間50分で結んでいます。

JR西日本 小野田線の終点駅

(2016年7月)
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15時42分、宇部新川から小野田線・直通の小野田行電車が到着しました。クモハ123形電車の単行運転で、宇部新川からこの駅までは宇部線に乗り入れています。
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宇部線(宇部-居能-宇部新川-新山口)の途中駅の、この駅から小野田線が分岐します。駅前に道路が通っていますが、少し見ただけでは駅とはわからない感じです。

小野田線は、居能-小野田間11.6kmで、駅は1929(昭和4)年の開業です。1日に11本の運行で、3時間以上運転のない時間帯あり。(引用:Wikipedia)
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15時43分、小野田行の普通電車が発車していきます。信号は宇部線の電車が発車した時のもので、企業城下町の路線名が並んで表示されています。
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駅から宇部、小野田方面を眺めています。正面から右へ折れていくのが宇部線・宇部方面で、電車が左へ折れていくのが小野田線・小野田方面です。 / 宇部方面へ1つ目の踏切を渡った所に廃線跡があります。
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昭和4年、沖ノ山炭鉱(現在の宇部興産)の子会社である「宇部電気鉄道」により沖ノ山旧鉱駅(のちの宇部港駅)-居能駅-新沖山駅間が開業しています。

昭和18年、山陽本線・宇部から宇部港へは、宇部東線(宇部-宇部新川-宇部港)と宇部西線(宇部-居能-宇部港)という2つのルートが存在しましたが、昭和23年に宇部東線=宇部線、宇部西線=小野田線へ改称されています。平成11年、居能-宇部港間の貨物支線が事実上の休止となり、居能駅横の廃線跡が残っているようです。
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15時38分、新山口からの宇部行普通電車が到着しました。105系直流形電車(下関総合車両所)・U03編成です。

≪2006年12月 宇部新川駅≫
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駅のホームから「クモハ123-4」。当時のカラーリングの方が味わいあるものです。
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夕方の新山口行普通電車、使用車両は105系直流形電車・U06編成です。左側をホッパー車が通過して行きます。
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この電車、新山口行の「快速・のぞみリレー号」として途中駅をパッタパッタと通過していった覚えがありますが、時刻表で確認できないので不確かです。123系1両+105系2両の編成です。(休日の午前8時38分撮影)
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もともと、手荷物・郵便用だった電車を改造して、旅客用電車となった異色の経歴を持つ123系直流電車。両運転台の電車は重宝がられているようです。

井原鉄道 井原線の終点駅

(2016年7月)
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14時20分発、福塩線・府中発福山行(左)と、14時26分発、井原鉄道・当駅始発井原行(右)が連絡しています。
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井原鉄道の駅舎はJRと分かれていますが、時間帯によっては乗換改札が使用できます。

井原線は、神辺-総社間41.7kmで、駅は1914(大正3)年の開業です。終日1時間に1~2本の運行で、11時台の運行なし。(引用:Wikipedia)
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小規模ながらも駅前ロータリーがあり、駅前が綺麗な花々で飾られています。 / 平成11年に第三セクター方式の井原鉄道として開業しました。
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14時26分、福塩線の上り・下り列車と連絡した後に発車する井原鉄道IRT355-102。沿線の主要駅である井原へ向かいます。
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ステンレス車体に、カラフルなストライプやロゴが掲げられています。軽便鉄道が敷かれていた区間に、鉄道が不在だった時期を経て、第三セクターの鉄道が開業されました。

≪井原鉄道の福山乗入れ≫
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14時6分、JR・福塩線2番線ホームに福山から普通列車が到着しました。この列車は、井原鉄道IRT355-4を使用したJR乗り入れ列車で、14時10分発で井原鉄道・早雲の里荏原まで戻ります。井原鉄道のJR乗入れは、1日3往復の運行です。
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福塩線・府中方面を眺めています。駅構内は、保線用線路(手前左端)、福塩線・下り(手前左中)、福塩線・上り(手前右中)、井原鉄道・本線(右端)の配置で、福山から戻ってきたIRT355(乗り入れ列車)は、福塩線・下り線から井原鉄道・本線へ分岐器を通過して行きました。

≪JR西日本・福塩線≫
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JR・福塩線の上り・下り列車の交換風景。両列車とも14時20分の発車です。
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こちらはJRの駅舎で、右側に井原鉄道の駅舎があります。 / 保線用線路の終端です。駅の構内に広い保線用の敷地があります。
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福塩線・1番線(中)の左隣りに井原鉄道の駅があります。 / 福塩線・福山方面を眺めてみると、上り線にはホームの先に安全側線があります。
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14時39分発、福山行普通列車は、105系0番台・第1編成の青い帯のある編成でした。

≪早雲の里荏原駅=本社・車庫≫
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IRT355-101(左)は、イベント用としても使用される車両(宝くじ号)で、車内は全席転換クロスシートです。IRT355-201(右)は、水戸岡鋭治氏が手掛けたイベント専用車両で、「夢やすらぎ号」と名付けられています。(この2両の撮影だけの条件で許可を得て撮影しました。)

≪井原-高屋-神辺 軽便鉄道の歴史≫
大正3年 両備軽便鉄道・本線(両備福山-神辺停留場-府中町・軌間762mm) 開業
大正11年 両備軽便鉄道・高屋線(神辺-高屋・軌間762mm) 開業
大正14年 井笠鉄道・高屋線(高屋-井原・軌間762mm) 開業
~井笠鉄道・高屋線と両備軽便鉄道・高屋線の直通運転 開始~

大正15年 両備軽便鉄道→両備鉄道 改称
昭和8年 両備鉄道・本線(両備福山-府中町) 国有化(福塩線となる)

昭和年 両備鉄道・高屋線(神辺-高屋=国有化されなかった支線部分)→神高鉄道へ譲渡
昭和10年 福塩(南)線(福山-府中町)の軌間762→1067mm 完成+両備福山駅を福山駅へ併合
昭和15年 神高鉄道・高屋線(神辺-高屋)→井笠鉄道(神辺線=神辺-高屋-井原、高屋線を吸収) 譲渡
昭和31年 福塩線・府中町→府中 改称

昭和41年 国鉄・井原線の起工式、工事着工(井原線建設での井笠鉄道線路跡の活用化)
昭和42年 井笠鉄道・神辺線(神辺-高屋-井原 11.8km) 廃止
昭和55年 国鉄再建法により国鉄・井原線建設中止
昭和61年 「井原鉄道」の設立(広島県、岡山県が中心)、井原鉄道・井原線として建設再開

平成11年 井原鉄道井原線(神辺-高屋-井原-総社 41.7km) 開業

高松琴平電気鉄道 琴平線の終点駅

(2018年1月)
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正月明けの駅ホームに新旧主役が顔を揃えました。車両の規格、特に幅の違いが見た目で分かります。旧型電車が定期的に運行され、開業当時のことでん電車の現役風景を引き続き見ることが出来ます。
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金毘羅さんの門前に相応しい駅舎は、昭和63年に改築されています。 / 琴電琴平(右下)は、高松市内から延びる金毘羅参りのための電鉄であることが良くわかります。

琴平線は、高松築港-琴電琴平間32.9kmで、駅は1927(昭和2)年の開業です。終日1時間に2本の運行。(引用:Wikipedia)
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旧型電車の先に2番線の車止めがあります。 / 1月の3連休に訪れましたので、こんぴらさんの門前町周辺は人で賑わっていました。
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旧型電車が停車しているプラットホームがレトロ調で、特に屋根を支えている支柱がお洒落な感じです。
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元京急700系(二代目)電車は、昭和42年から製造を開始しており、平成15年から「ことでん」へ譲渡が始まりました。琴平線には14両が所属。高松築港までちょうど1時間で運転されています。
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高松方向を眺めています。本線の左側に留置線があり、1200系、1000系が各1編成ずつ留置されていました。

≪動態保存車両≫
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大正15年・汽車会社製で、琴平線の前身である琴平電鉄が開業期に新造した1000系電車、5両(100、110、120、130、140)のうちの1台です。
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大正生まれのレトロ電車は近代化産業遺産に登録され、現在も毎月1回の「レトロ電車特別運行2018」として運転されており、貸切電車での運転も可能です。
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大正14年、大阪鉄道(近畿日本鉄道・南大阪線)デロ20形として、全4両が川崎造船所で新製され、昭和36年に全車(21、22、23、24)を譲受しています。

≪琴平線の歴史≫
大正15年 琴平電鉄・栗林公園 -滝宮 開業
昭和2年 滝宮-琴平(現・琴電琴平)、栗林公園-高松(現・瓦町) 開業
昭和18年 讃岐電鉄、琴平電鉄、高松電気軌道が合併し高松琴平電気鉄道が発足


≪JR 琴平駅≫
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土讃線・高松行普通列車の121系近郊形電車です。121系は新製後30年近く経過しており、足回りや客室設備内外の大幅リニューアルを施工し、順次、7200系に形式名を変更しています。
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JR四国「琴平駅」は、ことでんの駅から200m程離れています。 / 正月を祝う飾り付けに加えて、「金比毘羅宮の社紋」が気になりました。金と同じ意味の文字で、古い時代の隷書体なのだそうです。

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