終点駅テツ、テツ散歩♪ & 旅々たび...テツ風

「終点駅テツ」私の概念では、起点と終点のどちらも「終点駅」としています。路線の起点から終点に向かう人もいれば、路線の終点から起点へ向かう人もいるからです。その起点、終点を合わせて「終点駅」として、自分の足でひと駅ずつ確認していくのです。ローカル、個性的な駅を追求したいので、新幹線、地下鉄、空港駅、貨物駅は原則として取り扱いしない予定です。

「旅々たび...テツ風」は、珍しいもの 初めてのもの 食べ物 飲み物 温泉 名所 世界遺産。ちょっと鉄ちゃん風に味付けしています。「終点駅テツ」と「テツ散歩♪」もアップしています。「終点駅テツ」は、週に1回のアップを目標にしています。

紀州鉄道 紀州鉄道線の終点駅

(2022年2月)
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14時28分発、普通列車 御坊→西御坊です。毎時1~2本の運転ながらも「御坊-西御坊2.7km」の短距離をきっちり走っています。

現在の主力車種は、信楽高原鐡道から譲り受けた「KR301」で、同じく信楽高原鐡道からの「KR205」と共に使用されています。
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初めて紀州鉄道を訪問したのは1975(昭和50)年で、その時の現役車両は「キハ600形」キハ603、キハ604でした。

その後、2013(平成25)年では「キテツ1形」2両と出会い、現在は「KR301」などへ変わっており、こんなに短い路線ですが、時代の流れと共に移りゆく魅力があります。

紀州鉄道の訪問では「旧日高川駅」「西御坊駅」「紀伊御坊駅」へ立ち寄りますが、「御坊駅」ホームへ上がるのは初めてです。今回「終点駅テツ」では訪問する良い機会となりました。

駅は1932(昭和7)年の開業。紀州鉄道線は御坊-西御坊間2.7kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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紀州鉄道0ホームは、JR1番ホーム(和歌山方面)と背合わせですが、基本的には駅舎脇の切り欠き単式ホームとなっています。

/ 2番(主に当駅始発)、3番ホーム(新宮方面)は、1面2線となります。

≪紀州鉄道線≫
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14時18分、西御坊から列車が到着です。

「御坊駅」は市街地の北端に位置しており、ここから南側へ向かう紀州鉄道は市街の中枢部を切れ込んでいきます。
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JRと紀州鉄道の乗換口に、JRの「ICカード専用簡易改札機」が設置されています。

/ 通勤や通学、市役所や市街地に出掛けるのに支障がない頻度で列車が運行されています。全区間の運賃は180円です。
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私が最初に訪れてから「大分交通」「北条鉄道」「信楽高原鐡道」の車両が、第二の活躍の場として移籍しており、時代毎の楽しみ方ができる路線です。

/ 「KR301」は信楽高原鐡道から譲受しており、以前は「信楽焼のタヌキ」が描かれていましたが、御坊市観光協会により御坊市に所縁のある「宮子姫」に変わっています。
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駅の端とかの車止めでレールが終わっている所に、ローカル色を感じます。おまけに「0番」とくればなおさらです。
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シンプルで飾りっ気のないホームに「0番」の表示が引き立ちます。

/ 0番ホームからJR側の1~3番ホームを含めたホーム全体を眺めます。
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駅の先にある病院の敷地(雑木林)を避けながら左へカーブしていきます。

≪JR 紀勢本線≫
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13時24分発、普通列車 御坊→紀伊田辺です。

2019(平成31)年、和歌山地区で227形1000番台の運転が開始され、国鉄時代の電車は全廃されています。
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13時30分発、普通列車 御坊→和歌山が発車します。223系0番台(HE401編成)は、日根野に所属する0番台の第1編成で組成されています。

/ 2、3番ホームから改札口までは跨線橋を渡ります。
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JRの隣駅は和歌山側「紀伊内原」と新宮側「道成寺」で、紀州鉄道の隣駅は「学門」です。

/ 14時24分、和歌山からの普通列車が終着となりました。この先は14時35分始発の紀伊田辺行と連絡しています。
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14時33分発、普通列車 御坊→和歌山は、到着して9分後に折り返していきました。

/ JR西日本の顔「223系2500番台」のサイドビュー。

≪特急くろしお≫
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14時発、特急「くろしお11号」新大阪→新宮の発車で、車掌の指差しにも力が入ります。

2010(平成24)年、「くろしお」に287系電車が導入され、オーシャングリーンの帯が引かれています。
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14時7分発、特急「くろしお22号」新宮→新大阪は、パンダくろしお(Smileアドベンチャートレイン)編成で運転されています。
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ホームに特急「くろしお」の乗車位置表示があります。

電車の側面と言うより、この臨場感は「アドベンチャー・ワールド」そのものです。

≪駅からの眺め≫
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1番ホームから新宮方向を眺めています。特急「くろしお」が走行する区間であり、紀勢本線(JR西日本区間)は和歌山-紀伊田辺が複線区間です。

特急「くろしお22号」の新宮-新大阪の所要時間は、4時間23分です。
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駅の裏手には農地があり、菜の花の黄色い帯が見えます。

/ この駅は特急「くろしお」を含む全列車が停車し、この駅を終始発とする列車が多く設定されています。
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1番ホームから和歌山方向を眺めると、JRと紀州鉄道の渡り線はなく、それぞれが独立しています。

銚子電鉄と同様に路線長が極端に短く、この後の継続的な運行に心配がありますが、市街地から外れた所にある「御坊駅」と市街地を結ぶ紀州鉄道線の関係を見ていると、当分の間は運行に支障はなさそうです。

≪宮子姫のふるさと 御坊≫
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「宮子姫のふる里、紀州ごぼう」のキャッチフレーズで、紀州の観光地として売り出し中のようです。

/ 新幹線と特急「くろしお」をリンクさせて、紀伊半島の南側へ多くの観光客を輸送します。
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「また来てね 御坊へ」と見送るのは「九絵(クエ)」「釣鐘饅頭」「花浜匙(スターチス)」「金山寺味噌」の4人衆です。

≪宮子姫物語≫
第42代文武天皇のお妃となり、第45代聖武天皇の御生母となられた宮子姫(藤原宮子)は、7世紀後半、九海士の里(現在の御坊市)でお生まれになったと伝えられ、「宮子姫伝説」が語り継がれています。

富山地方鉄道 不二越線・上滝線の終点駅

(2020年7月)
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13時1分、普通 岩峅寺→電鉄富山(16010形)が到着しました。

西武鉄道5000系(レッドアロー)は1969(昭和44)年から6両編成×6本が製造されています。富山地方鉄道は1995(平成7)年と翌年にかけて3両編成×1本、2両編成×1本を譲り受け、16010形として使用しています。
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駅舎の壁面に植物のつるが巻きついて洒落た感じです。

/ 駅舎は3階建てで、1階の一部と2階は南富山運転区、3階に運転研修センターが入居しています。

駅は1914(大正3)年開業。富士越線は稲荷町-南富山間3.3km、上滝線は南富山-岩峅寺間12.4kmで、両線とも毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番ホーム(電鉄富山方向)から富山軌道線の停留場を眺めています。路面電車のレールが駅構内へ引き込まれているのが眺められます。

/ 隣駅は「朝菜町」(上滝線)と「大泉」(不二越線)です。

≪富士越線・上滝線≫
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15時3分発、普通 岩峅寺→電鉄富山(10030形)が到着しました。

この日はこの駅で、16010形(レッドアロー)と10030形(京阪カラーの第2編成)の両形式を見ることが出来ました。
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12時46分発、普通 電鉄富山→岩峅寺(10030形)が到着です。

/ 12時6分、普通(10030形)が電鉄富山へ向けて発車していきました。
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12時3分、特急のような普通 電鉄富山行が到着しました。電鉄富山行(16010形)は、この駅で上滝線から不二越線へ乗り入れます。

両線とも路線規格により20m級車両の入線が出来ませんでしたが、2011(平成23)年の規格改良により16010系が入線可能となっています。
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富山軌道線の停留場辺りから、上滝線、不二越線のホームを眺めています。

/ 2番ホームから岩峅寺方向を眺めています。左カーブの外側に「稲荷町テクニカルセンター 南富山車庫」が見えています。

≪駅からの眺め≫
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上滝線(南富山-岩峅寺)の0キロポストが設置されています。

/ ホームの電鉄富山側から稲荷町方向を眺めています。こちら側は不二越線となりますが、不二越線と上滝線とも全列車が相互直通直通を行っています。
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構内踏切付近から電鉄富山方向を眺めています。

この駅には富山軌道線の南富山車庫(稲荷町テクニカルセンター)がありますが、富山軌道線(路面電車)の工場機能は鉄道線の稲荷町車両基地に統合されており、この駅から稲荷町まで路線電車を回送する様子が見られるようです。


富山地方鉄道 富山軌道線(本線)の終点駅

(2020年7月)
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11時53分、富山港線 岩瀬浜から直通電車(4系統)が到着しました。

車両は9000形(9002号車)で、富山市が実施した市内電車環状化事業の一環として導入された富山県が所有する車両です。
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やけに広い駅前広場の端の方に富山軌道線 本線(南富山駅前-電鉄富山駅)のレールが敷かれています。

/ 富山軌道線の停留場の奥にもレールが延びています。このレールは鉄道線ホームへ向かう構内通路を横切って、奥の方にある「南富山車庫」に繋がっています。

≪富山軌道線 本線≫
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11時36分、電鉄富山駅(1系統)行の電車(8000形8004号車)が停留場で発車を待っています。

/ 11時50分、「南富山車庫」から出庫してきた電車は、鉄道線の構内通路の手前で遮断機に遮られて一時停止しています。7000形(7019号車)=エステティック ジュビラン仕様
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11時32分、富山大学前行(2系統)が停車中。

/ 11時47分、この停留場に到着し、折り返し発車準備をしています。7000形(7020号車)

/7000形(7019号車)のサイドビュー。
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7000形(7022号車)は、2014(平成26)年に「レトロ電車」に改造されています。

/ 社内外のデザインは、JR九州や岡山電気軌道などでお馴染みの水戸岡氏が担当しています。
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11時24分、富山大学前行は8000形(8001号車)=スギ薬局仕様です。後ろに7000形(7018号車が待機しています)

/ 14時51分、T100形(T102号車)が到着しました。この車両には「サントラム」の愛称があります。

≪稲荷町テクニカルセンター 南富山車庫≫
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車庫には7000形、8000形、9000形(セントラム)が並びます。

前日に運行していた「レトロ電車」ですが、この日は車庫の端に留置されていました。conv0028 conv0029
12時22分、車庫から8000形(8003号車)が出庫してきました。

/ 12時30分、同車両は電鉄富山駅の行先表示で停留場へ進入します。
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車庫と鉄道線ホームの間にある踏切付近から駅方向を眺めています。車庫からのレールは右が鉄道線の稲荷町方向、左が富山市内線の停留場方向に分岐しています。

/ 富山ライトレール時代に製造されたTLR0600形(0604号車)も車庫へ入庫します。

2020(令和2)年、富山ライトレール(富山港線)が富山地方鉄道に吸収合併され、また富山駅南北接続線が完成し、富山港線と相互直通運転が開始されました。
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車庫と鉄道線ホームの間にある踏切付近から岩峅寺方向を眺めています。こちら側は上滝線と富山軌道線の車庫内のレールは繋がっていません。

≪富山軌道線 車内からの眺め≫
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14時33分、富山大学前から乗車してきた電車(7019号車)が終点 南富山駅前に到着しました。

この駅は伊予鉄道の古町駅と似ていて、鉄道線と市内軌道線のレールが繋がっています。路面電車の工場機能を鉄道線と同じ「稲荷町」へ集約することは、車両整備にかかる経費や職員の配置などの関係から必要な手段となるようです。

九州鉄道記念館を訪ねて

(2018年12月)
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2003(平成15)年に開館した「九州鉄道記念館」は、門司港駅横の車両留置線(小倉総合車両センター 門司港車両派出)の一番端に接しています。

施設は本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の3つのエリアで構成されています。
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門司港駅から歩いてくると、門司港レトロ観光線の「九州鉄道記念館駅」があり、車両留置線の端に記念館の入口が見えます。

/ 門司港レトロに隣接するお洒落なエリアです。
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記念館のすぐ近くに「九州 旧0哩標」があり、由緒あるこの場所に記念館が建てられました。

/ 「クハ481-246」「ED76-1」「EF30-3」の車両の前頭部が並びます。

≪59634≫
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車両展示場には9両の車両が展示されていますが、その一番手前に展示されている「59634」です。

大正生まれの9600形は、北九州エリアや筑豊地区では主に石炭輸送の目的で、九州からSLが全廃されるまで活躍していました。
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最後に配属された後藤寺区の札が差し込まれて、筑豊地区で活躍していた頃を再現しています。

/ 1922(大正11)年に川崎造船所で新製された後、日本全国を異動していますが、廃車される前年に米坂線で活躍していた同機が後藤寺区へ移っています。
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 大正生まれの「9600形蒸気機関車」ですが、九州でも北海道でも「SL全廃」になる最後まで活躍した完成形の「名機」と言えます。

≪59634の経歴≫
1922(大正11)年 川崎造船所 兵庫 製造。門司局に配属 広島庫に配置。
その後、各地を異動。
1941(昭和16)年 直方区に異動。その後も各地を異動。
1974(昭和47)年 後藤寺区へ異動。
1975(昭和48)年 廃車となり粕屋町中央公民館に保存。
2001(平成13)年 小倉工場で再整備
2003(平成15)年 九州鉄道記念館に保存。


≪C59-1≫
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C59形蒸気機関車は173両が製造されましたが、その中のトップナンバーである「C59-1」が保存されていることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

/ ほかに車両全体を保存している同型機として161号機(広島市)と164号機(梅小路)がありますが、戦前形は「1号機」だけです。
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1941(昭和16)年に汽車製造大阪工場で製造されています。

1965(昭和40)年に廃車された後、JR九州 小倉工場に保存されていましたが、開館に合わせてここへ移設されています。

≪C59-1の経歴≫
1941(昭和16)年 汽車製造 大阪 製造・名古屋局に配属 名古屋区に配置
1953(昭和28)年 姫路第二区へ異動
1956(昭和31)年 門司港区へ異動
1962(昭和37)年 熊本区へ異動
1965(昭和40)年 廃車
1966(昭和41)年 準鉄道記念物に指定、小倉工場で保存
2003(平成15)年 九州鉄道記念館に移設し保存 


≪ED72-1≫
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1981(昭和56)年、私が高校卒業時の「プライベート旅行」で北九州を訪れた時、既に「ED72ー1」は北九市内の「老松公園」に保存されていました。開館に合わせてここへ移設されています。

1961(昭和36)年 東芝府中 製造・門司区に配属
1976(昭和51)年 廃車
廃車後、北九州市門司区 老松公園に保存
2003(平成15)年 九州鉄道記念館に移設し保存
 
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この独特な内側に寄っているヘッドライトと前面形状が「くの字」になっているなど、交流機関車の試作機のデザインにしばし見入っていたことを思い出しました。

/ ED72形電気機関車は1961(昭和36)年から22両が製造され、この試作の「1号機」は1976(昭和51)年に廃車となり静態保存されました。

≪EF10-35≫
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1942(昭和17)年に下関-門司(関門トンネル)の直流電化が完成し、前年に新製されてEF10-35は国府津区から門司区に異動しています。

1941(昭和16)年 汽車会社 東芝 製造・国府津に配属
1942(昭和17)年 門司区(関門トンネル) 異動
1961(昭和36)年 稲沢第二区へ異動
1964(昭和39)年 長岡第二区へ異動
1965(昭和40)年 東京区へ異動
1977(昭和57)年 豊橋区へ異動
1978(昭和58)年 廃車
廃車後、北九州市門司区 大里不老公園に保存
2003(平成15)年 九州鉄道記念館に移設し保存 

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1961(昭和36)年、鹿児島本線が交流電化され、門司駅構内の交流、直流区間を通しで走行可能なEF30形交直流(電気機関車)に置き換えられ、EF10形は九州地区から撤退しています。

≪スハネフ14-11≫
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1972(昭和47)年に日本車輛で製造され、最後は2013(平成25)年に熊本車両センターに留置されていましたが、同年に九州鉄道記念館10周年を記念して常設展示されました。

≪キハ07-41≫
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キハ07形が登場した当時は世界的に流線形ブームであり、半円形のスタイルが採用されています。

1937(昭和12)年 キハ42000形(キハ42055)として製造
1952(昭和27)年 キハ42500形へ形式変更
(エンジン改装)
1957(昭和32)年 キハ07(キハ07-41)へ改称
1969(昭和44)年 廃車
※最後は宮原線(恵良-肥後小国)で使用されており、廃車後は豊後森や大分で保管されていましたが、開館と同時にここへ移されています。
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最後の活躍場所である宮原線(恵良-肥後小国)で使用され、1969(昭和49)に廃車となっています。

/ 新製当初はガソリン機関でしたが、その後にディーゼル機関に改装され「キハ42000形」から「キハ42500形」へ形式変更されています。

≪クハネ581-8≫
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1967(昭和42)年に新製され、寝台電車特急「月光」新大阪-博多で使用が開始されています。

1984(昭和59)年に普通電車(715系)に改造され九州内で活躍していましたが、廃車後に特急塗装に戻され小倉工場で保存されていました。

≪クハ481-603≫
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1969(昭和44)年、国鉄時代に「クロ481-5」として製造され、デビュー当初は東北地方で活躍していました。

その後、東北新幹線の開業で保留車扱いとなった「クロ481-5」は、鹿児島車両所に配置転換されています。
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寝台電車「クハネ581-8」は全9両が製造され「月光形電車」の愛称があります。

/ 1983(昭和58)年に「クロ481-5」は鹿児島車両所へ移り、普通座席車「クハ481-603」へ改造され九州内で活躍していました。1995(平成7)年に廃車された後は小倉工場に保管されていました。



≪(昔) 老松公園 ED72ー1≫
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1981(昭和56)年3月、当時「ED72-1」が保存されていた「老松公園」(北九州市)での写真です。塗装は少し薄れていましたが、車体の外観は概ね良好な状態でした。

ED72形電気機関車は、1961(昭和36)年から東芝で22両が製造されており、鹿児島本線(門司港-久留米)の交流電化に合わせて投入されています。1号機と2号機は試作機として製造されており、シールドビームが運転台の中央上部にあって個性的な面構えをしていました。

1976(昭和51)年に試作機2両が廃車となり、1982(昭和57)年には全廃されて形式消滅していますが、この1号機だけが保存されています。

 JR九州 日豊本線の終点駅

(2020年1月)
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9時36分発、普通列車 中津→門司港(日豊本線から乗入れ)です。

国鉄時代に誕生した415系交直流電車ですが、JR九州において長期使用を前提とした車両更新工事が実施されています。
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JR九州では博多駅に次いで2番目に利用者数が多い駅です。駅ビルである「小倉ターミナルビル」には、「アミュプラザ小倉」や「JR九州ステーションホテル小倉」が入居しています。

/ この広場の真ん中に立った時に、宇宙船の真下に居るような不思議な感覚を覚えました。

駅は1891(明治24)年の開業。日豊本線は小倉-鹿児島間462.6kmで、朝晩を除いて毎時5~8本の運行。(引用:Wikipedia)

≪日豊本線≫
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 8時33分、快速 添田→小倉(先頭車はキハ147-54)が到着しました。

日田彦山線からの直通運転によって、この駅に気動車(キハ147×2両)が入線してくる貴重なシーンを見られます。
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2両編成の後ろ側は、トイレ無しの「キハ147-1058」でした。

/ 9時22分発、普通列車 小倉→田川後藤寺が発車していきます。(1番ホーム)
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16時14分発、普通列車 小倉→行橋は、813系3100番台が使用されています。大型LED式表示器を備えており、車両前面の様子が独特です。

/ こちらは一般タイプの表示器を備えた813系です。

≪鹿児島本線≫
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左(2番ホーム)8時16分発、普通列車 小倉→下関(鹿児島本線-山陽本線)、右(3番ホーム)8時20分発、普通列車 柳ヶ浦→門司港(日豊本線から乗入れ)が並びます。
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8時46分発、普通列車 小倉→門司港です。国鉄時代に誕生した415系交直流電車やキハ40系気動車が発着する駅なので昔懐かしい光景です。

/ 8時19分、普通列車 下関→小倉が到着しました。関門トンネル(デッドセクション)を通過するので415系交直流電車が担当します。
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8時52分発、普通列車 小倉→博多です。この列車は福北ゆたか線(筑豊本線、篠栗線)経由で博多に到達します。全区間の所要時間は2時間2分です。

/ 8時18分発 普通列車 門司港→直方です。この列車も福北ゆたか線に乗り入れて直方へ向かいます。817系2000番台(VG2001編成)は、直方車両センターに7編成が配置されています。

2000番台は車体が白色に塗装され、明るくフレッシュな雰囲気の車両です。
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隣駅は西小倉(鹿児島本線、日豊本線とも)と門司(鹿児島本線)です。

/ 8時57分発、特急「ソニック5号」博多→大分は、885系(白いソニック)です。
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8時11分発、特急「ソニック6号」大分→博多は、883系(青いソニック)です。

/ 883系は日豊本線系統の特急車両としてデビューしており、日豊本線が始まる「小倉」では主役のような車両です。

≪JR貨物≫
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8時25分頃、鹿児島本線下りの貨物列車が北側にある貨物線を通過していきます。牽引機はEH500-71で、門司区には15両ほどの同形機(EH500形交直流)が配置されています。

≪小倉駅からの眺め≫

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駅ホームから門司方向を眺めています。この駅は日豊本線下りは1~4番ホーム、鹿児島本線下りは4~7番ホーム(8番は鹿児島本線上り)に分かれ、本線毎にホームが設定されています。

画像の左側の通り、鹿児島本線上り(門司)側には日豊本線から乗り入れる列車を合流させるための立体交差があり、2つの本線の上り線と下り線を集約しています。
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小倉駅3番ホームの門司側から駅全体を眺めます。

/ 小倉駅ホームから博多側を眺めると、約800m先にある西小倉駅が視界に入っています。

元々、開業当初の小倉駅はこの駅付近に設置されていましたが、1958(昭和33)年に現在の場所に移されています。


≪西小倉駅≫
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日豊本線3番ホームから小倉方向を眺めています。5番ホームに鹿児島本線上り列車が停車し、貨物線と山陽新幹線はその左側に位置しています。

/ 鹿児島本線の上下の列車を日豊本線側のホームから眺めます。
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9時23分頃、特急「ソニック10号」大分→博多(白いソニック)が4番ホームを通過していきます。全区間の所要時間は2時間17分です。

≪西小倉駅からの眺め≫
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2番ホームの大分側から鹿児島本線(右)と日豊本線(左)の分岐点を眺めています。

右隣の3番ホームは日豊本線上りホームで列車は左から到着しますが、その線は小倉総合車両センターからの出入場線にも繋がっているようです。
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左は鹿児島本線(4~5番ホーム)の駅名標で、隣駅は「小倉」と博多側「九州工大前」です。

/ 右は日豊本線(1~3番ホーム)の駅名標で、隣駅は「南小倉」です。
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鹿児島本線下りの4番ホームから博多方向を眺めています。

在来線を跨ぐ山陽新幹線、貨物線(右側の複線)、鹿児島本線(左側の複線)が並び、これとは別に日豊本線が左にカーブする列車本数の多い分岐駅です。

≪車内からの眺め≫
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小倉駅9時8分発の普通列車 博多行の車内から西小倉駅を眺めています。鹿児島本線下りは4番ホームに到着します。

元々「西小倉駅」は日豊本線だけの駅であり、1987(昭和62)年に鹿児島本線の「西小倉駅」が開業した後は「小倉-西小倉」間は両線の重複区間となり、現在も日豊本線の終点駅は「小倉」のままです。


≪北九州モノレール≫
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「北九州モノレール」は北九州高速鉄道が運行するモノレールで、1985(昭和60)年に小倉線(現 平和通-企救丘 8.8km)が開業しています。その後、1998(平成10)年には小倉-平和通(0.4km)が延伸開業し、全線が開通しています。

現在使用されている1000系電車は開業時から増備されてきた車両で、1編成が除籍され4両編成×9本が使用されています。

JR北海道 富良野線の終点駅

(2019年6月・2021年8月)
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11時53分発、「富良野・美瑛 ノロッコ2号」富良野→美瑛。ヘッドマークには「美瑛の丘とラベンダー畑」が描かれています。

この観光列車は、道内で屈指の観光名所が点在する富良野線(富良野・美瑛エリア)で、1997(平成9)年に運行を開始したトロッコ列車です。
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現在の駅舎は1974(昭和49)年に改築。(2019)

/ その後、2007(平成19)年に駅前広場の供用が開始されています。

駅は1900(明治33)年の開業。富良野線は旭川-富良野間54.8kmで、1日12本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番ホームは留置線として使用されており、2面4線(2番~5番)の乗降ホームへ向かうにはこの通路を通って跨線橋を渡ります。

/ 現在、この駅は根室本線(滝川-根室)と富良野線(旭川-富良野)の乗換え駅ですが、2024(令和5)年に根室本線(富良野-新得)が廃止(予定)で、この駅が2つの路線の終点駅になります。(2019)

≪10:57 普通列車 旭川→富良野≫
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10時57分、普通列車 旭川→富良野が到着しました。旭川からの所要時間は1時間19分(54.8km)です。

画像のキハ150-7のメインの帯色はラベンダー畑に因んだライトパープルです。(2019)

≪11:42発 普通列車 富良野→旭川(2021年)≫
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11時42分発、普通列車 富良野→旭川です。こちらの画像のキハ150-13は苗穂運転所からの転入車でメインの帯色は萌黄です。

/ 旭川と富良野を結ぶ列車は「マイタウン列車 ラベンダー」の愛称があります。(2019)

11:42発 普通列車 富良野→旭川(2019年)
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11時42分発、普通列車 富良野→旭川が4番ホームに停車しています(2019)

/ 同列車が旭川に向けて発車し、JR貨物の駅横を通り過ぎていきます。

JR貨物は年間を通して札幌貨物ターミナルからトラック便によるコンテナ輸送をしていますが、タマネギやジャガイモなどの収穫期には臨時高速貨物列車が設定されます。(2019)

≪11:53発 観光列車「富良野・美瑛 ノロッコ2号」≫
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11時53分発、「富良野・美瑛 ノロッコ2号」の牽引機「DE15-1535」(旭)が発車を待ちます。

この観光列車には専用塗装が施されたDE15形ディーゼル機関車が3両設定されていますが、この日担当している「DE15-1535」は2019(令和元)年に増備された一番新しい専用機です。
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客車は50系客車をトロッコ仕様に改造しており、3両の客車を機関車が牽引します。

/ 「オクハテ510-2」は富良野方の先頭車です。
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11時31分「富良野・美瑛 ノロッコ1号」が旭川から到着しました。折り返し「ノロッコ2号」になります。

富良野側の先頭車両「オクハテ510-2」には運転台が設置され、最後尾に連結された機関車を制御して推進運転が行われます、
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「DE15-1535」はラベンダー畑と春小麦畑をイメージした塗装が施されています。

/ 車内に貼られたポスターがカラフルです。

≪16:51発 フラノラベンダー エクスプレス4号 富良野→札幌≫
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5番ホームには発車を待つ「富良野・美瑛 ノロッコ号」が停車し、その隣には「特急 フラノラベンダーエクスプレス」用のキハ261系ラベンダー編成が留置されていました。

/ ホームには「フラノラベンダーエクスプレス」の乗車位置案内があります。

≪北海道高速鉄道開発≫
札幌市に本社を置く第三セクター(株式会社)で、キハ261系5000番台(ラベンダー編成)に関しては国と北海道が行う「鉄道車両の快適性・利便性の向上を図る観光列車等の導入への支援」事業において、(ラベンダー編成)を車両メーカーより買い上げて保有し、JR北海道に無償貸し付けを行っています。(車両の維持費はJR北海道が負担)


≪11:15発 普通列車 滝川-富良野-東鹿越≫
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普通列車 滝川→東鹿越(根室本線)が2両編成で到着しました。この駅で1両が切り離され、単行運転で東鹿越へ向かいます。切り離し作業と旭川からの列車を待つため27分間の停車です。(2019)

9627D 滝川9:42発→富良野10:48着 / 11:15発→東鹿越12:00着
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後方のキハ40-1778がこの駅で切り離されました。(2019)

/ 東鹿越行が停車中の3番ホームは、「新得 帯広 方面」の表示ですが、2024(令和5)年に富良野-新得間が廃止される予定で、この表示ももうすぐ見納めです。(2019)
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東鹿越まで運行するキハ40-1714の側面には「滝川-富良野-東鹿越」のサボが差し込まれていました。(2019)

/ 10時57分に到着する富良野線の列車(右)を連絡した後、東鹿越に向かいます。(2019)
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11時15分、東鹿越に向けて普通列車が発車していきました。

私が訪れた時は11時台のこの列車を含めて東鹿越行は1日5本でしたが、現在はこの列車の設定がなくなり1日4本に減便されています。(2019)

≪11:02発 列車代行バス 富良野→新得≫
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2016(平成28)年の台風10号の影響による根室本線(東鹿越-新得)が不通になっており、現在は富良野-新得を中心に列車代行バスを運行しています。(2019)

/ 駅ホームには富良野観光をアピールするコーナーがあります。

≪駅からの眺め≫
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駅の跨線橋から旭川方向を眺めています。

4つのホームと留置線が広がる駅構内の先には貨物駅があり、道路が鉄道を跨ぐ立体交差の先で根室本線と富良野線が分岐しています。(2019)
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来年には「新得 帯広 方面」の表示がなくなり、滝川と旭川へ向かう「V形」の路線図に変わります。

/ 観光シーズンには臨時観光列車の運転が行われ、この後も「富良・美瑛」観光の中心駅であり続けて欲しいと思います。(2019)
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隣駅は富良野線「学田」と根室本線 滝川側「野花南」、根室本線 新得側「布部」です。(2019)

/ 階段を登るだけで、ラベンダー畑の雰囲気を味わえます。(2019)
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現在、運行中の「富良野-東鹿越」区間は、災害による不通区間である「東鹿越-新得」と共に、来年4月に路線廃止の予定です。

駅から眺める真っ直ぐなレールは、もうすぐ見納めになってしまうのが残念です。

≪分岐点≫
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駅の旭川側にある立体交差の上からの眺めで、富良野線(右)と根室本線(左)、一番左側は貨物駅の入換え用のレールです。(2019)

/ 同じく、陸橋の上から駅側を眺めています。農産物の収穫期には臨時高速貨物列車が運転されるようで、活気のある貨物駅の様子を想像します。(2019)

≪富良野・美瑛 ノロッコ号≫
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「富良野・美瑛 ノロッコ号」のインフォメーションや販促ポスターで駅は賑やかです。

「美しい日本むら景観百選」「かおり風景100選」などに選出されている「富良野」は、北海道を代表する観光地です。これからも観光客を富良野に導く観光鉄道としての使命を果たして欲しいと思います。

近畿日本鉄道 志摩線の終点駅

(2022年3月)
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10時39分、大阪上本町からの「阪伊特急」が到着しました。

先頭側の編成は12410系(サニーカー)で、全区間の所要時間は2時間29分(174.9km)です。
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バス・タクシー乗り場があり、奥志摩観光の拠点に相応しい北口。駅舎の2階には「伊勢志摩サミット記念館 サミエール」があります。/ 南口は賢島港に近い出口です。

賢島には古く人が住む形跡があったようですが、近代においては無人島だったそうで、1929(昭和4)年に鉄道が開業し、この駅が設置された後に開発が始まったそうです。

駅は1929(昭和4)年開業。志摩線は鳥羽-賢島間24.5kmで、日中は毎時3~6本の運行。(引用:Wikipedia)
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隣駅は「志摩神明」です。

/ 9時台から13時台は、毎時1本の普通列車、2本の特急列車(大阪難波、近鉄名古屋)の計3本の列車が設定されています。

11:00発 阪伊特急 賢島→難波≫
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11時ちょうど発、特急 賢島→大阪難波です。

この編成は12410系「サニーカー」4両と、22600系「ACE」2両が併結されています。
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大型連続窓に対応し、車体側面の鋼材の厚さを減らすために、鋼製車体を採用しています。

/ フルカラーLED方式の側面表示器が「特急 大阪難波」を示しています。
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大阪難波側の先頭2両は22600系「ACE」で、前面は緩やかな曲面で天面や側面にかけて大きく丸みを帯びた曲面でデザインされています。

/ 発車1分前となり、ホーム周辺は静けさの中で発車を待っています。
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11時ちょうど、大阪難波に向けて特急列車が発車していきます。
 
この特急は、志摩線(賢島-鳥羽)、鳥羽線(鳥羽-宇治山田)、山田線(宇治山田-伊勢中川)、大阪線(伊勢中川-大阪上本町)、難波線(大阪上本町-大阪難波)を経由していきます。

≪11:09 普通 伊勢中川→賢島≫conv0011
11時9分、普通列車 伊勢中川→賢島の到着です。

伊勢中川からの所要時間は1時間41分(66.0km)です。

≪11:15発 普通 賢島→伊勢中川≫
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普通列車は2両編成に対応した5番ホームに到着します。

/ 日中は普通列車が毎時1本に対して、特急列車は毎時2本以上が発車する観光路線となっています。

11:22 名伊特急 名古屋→賢島≫
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11時22分、特急 近鉄名古屋→賢島が到着です。到着した3番ホームは両側にホームがあり、片方が降車用です。名古屋からの所要時間は2時間3分(144.8km)です。
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到着した列車は、車内清掃員による車内清掃が終わってから、客扱いが開始しました。

/ 賢島駅の駅番号は「M93」で、路線記号「M」は「山田線・鳥羽線・志摩線」を示し、駅番号「93」は近鉄の駅で一番大きい番号です。まさに近鉄全体の「終点駅」です。

11:44 伊勢志摩ライナー 大阪上本町→賢島≫≫
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11時44分、伊勢志摩ライナー(23000系)が大阪上本町から到着しました。(4番ホーム)
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23000系(伊勢志摩ライナー)は、近鉄が志摩スペイン村を開業するのに合わせて、1993(平成5)年から6両編成×6本が製造されています。

/ 21000系(アーバンライナー)特急専用車のイメージを引き継いでいますが、伊勢志摩の豊かな太陽光線を「サンシャインイエロー」カラーで表現しています。
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「伊勢志摩ライナー」の5号車には「サロンカー」が連結されています。

4人掛けの「サロンシート」と2人掛けの「ツインシート」の組み合わせで定員は36名。かなりゆったりした座席の配置です。
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折り返し、12時発の大阪難波行になります。

/ 「サロンカー」の大きな窓が目立ちます。

/ 5号車「サロンカー」には、「SALOON SEATS」の(SSマーク)ロゴがあります。
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23000系(伊勢志摩ライナー)の運転席は、運転手には視認性の良い、乗客には眺めの良いコックピットでした。

12:03 京伊特急 京都→賢島≫
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京都から到着した京伊特急は、赤い塗装の23000系が使用されており、この1時間で全6編成中の3編成が賢島に到着しています。

23000系は1994(平成6)年に運用が開始されており、2012(平成24)年に内外装のリニューアルが行われています。

≪駅と駅周辺からの眺め≫
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駅の本線側を眺めています。

1929(昭和4)年、英虞湾に浮かぶこの賢島に鉄道が開通したことにより、ほぼ無人島だったこの島が開発されてきた経緯を知り、想像のつかないこの島の変遷です。
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3番ホームの先端から駅舎側を振り返って見ると、このホームが若干長いようです。2番と3番ホームは両側にホームがあり、片側が降車用として使用されます。

/ 4番ホームから隣の5番ホームを眺めています。1~4番ホームは8両対応ですが、5番ホームは普通列車2両用なので短いホームです。
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5番ホームの付け根辺りで面白い形の屋根を見つけました。

/ 右が4番ホーム、左が5番ホーム(普通列車用)です。
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軌間1435mmの心強いレールが名古屋、京都、大阪へ続いており、路線規模が別格の「近畿日本鉄道」です。

1970(昭和45)年、全力を注いだ改軌(1067mm→1435mm)が短期間で完成したことから、現在の直通運転が実現できており、当時の「改軌」判断にエールを送ります。

≪伊勢志摩サミット≫
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正式名は「第42回先進国首脳会議」といい、2016(平成28)年にこの地で開催されています。サミット会場である「志摩観光ホテル ザ クラシック」はこの駅から500m程の距離にあります。

≪松井真珠店≫
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創業 明治38年で110年以上続く、伝統の「真珠専門店」が駅から眺められました。

志摩半島の布施田に創業、昭和4年の鉄道開業の年にこの場所へ移ったそうです。

≪賢島エスパーニャクルーズ≫
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駅からすぐの所にある賢島港です。

スペイン語で「希望」を意味する帆船型遊覧船「エスペランサ」号は(出港中でしたが)、60数個ある島々と養殖いかだが点在している中を優雅にクルージングしていきます。コースの途中で真珠モデル工場に立ち寄って、養殖真珠の核入れ作業を見学します。(志摩市観光協会 公式サイトより)

JR西日本 本四備讃線の終点駅

(2020年11月)
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15時57分発、快速「マリンライナー43号」高松行です。

高松側の先頭車はJR四国5000系5100形で、2階がグリーン席、1階が普通席の2階建て車両になっており、瀬戸大橋線(岡山-高松)だけでしか見られない個性的な面構えです。
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1910(明治43)年、宇野線の開業と同時にこの駅が開業しており、本四備讃線は1988(昭和63)年に全線開通しています。

駅は1910(明治43)年の開業。本四備讃線は茶屋町-宇多津間31.0kmで、毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia
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この駅は島式ホーム2面3線で、2番ホームと3番ホームは同一レールの両側に位置しています。

/ 隣駅は宇野線 岡山側「久々原」、宇野線 宇野側「彦崎」と本四備讃線「植松」です。

≪宇野線 宇野方面≫
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15時40分発、普通列車 岡山→宇野は115系が担当します。
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16時11分発、普通列車 この駅始発の宇野行です。

宇野側の先頭車クハ212形100番台は、中間車サハ213形に運転台を取り付ける改造を施しており、切妻形の先頭形状になっています。
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終点 宇野までの所要時間は24分(17.9km)です。

/ この駅始発の宇野行ですが、数分前に到着する「児島→岡山」「岡山→児島」の普通列車との乗換え連絡が行われます。

/ 昔は宇高連絡線との接続駅だった宇野方向は「宇野みなと線」の愛称があり、支線扱いの区間です。

≪本四備讃線≫
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15時19分発、快速「マリンライナー40号」が1番ホームから発車します。

岡山側の2両はJR西日本所有の223系5000番台が連結されています。(後方の3両はJR四国の車両)
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15時25分発、快速「マリンライナー41号」高松行です。

マリンライナーの基本的な編成は、JR四国の5000系×3両(高松側)とJR西日本の223系5000番台×2両(岡山側)が連結された5両編成で運用しています。

/ 16時19分発、快速「マリンライナー44号」岡山行は、2階建て車両が最後尾になります。
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15時17分、特急「南風15号」岡山→高知が通過していきます。

この列車は「きいろいアンパンマン列車」が使用されていました。(2700系気動車)
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15時32分、特急「南風16号」高知→岡山が通過します。(2000系気動車)

/ 15時59分、特急「しおかぜ20号」松山→岡山の通過です。(8000系電車)

≪瀬戸大橋アンパンマントロッコ3号≫
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15時45分、キロ185-26を先頭に「アンパンマントロッコ号」が2番ホームに到着しました。

車両内外は「アンパンマン」や「バイキンマン」仕様になっており、子供たちは車内で熱中する中、お父さん、お母さんは瀬戸大橋からの眺めに視線が釘付けになりそうな臨時列車です。
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2003(平成15)年に新潟鐵工所で製造された「キクハ32-502」は、動力車の「キロ185-26」と2両で「アンパンマントロッコ号」として運転しています。

/ 「キクハ」の方は16m級の小型車体ですが、眺望を重視して側面と床部にも透明ガラスが装備されているそうです。
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15時51分頃、この駅に6分間の運転停車をしておもむろに列車が発車。次の停車駅は児島で、終点の高松には17時22分に着きます。

JTB時刻表を見直すと、この臨時列車の時刻は索引地図のすぐ後ろの「行楽臨時列車ページ」に記載されており、初めから待ち構えての撮影というより、全くの偶然の出会いでした。

≪本四備讃線 児島行≫
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16時8分発、普通列車 岡山→児島は、黄色の115系が担当。この列車は本四備讃線でJR西日本が管轄する茶屋町-児島(12.9km)区間までの運転です。

/ 16時8分発の岡山→児島行が遠ざかり、16時9分発の児島→岡山が駅に到着します。

※瀬戸大橋線は、宇野線(岡山-茶屋町)と本四備讃線(茶屋町-宇多津)、予讃線(宇多津-高松)の路線・区間を合わせた愛称です

≪駅からの眺め≫
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4番ホームから岡山側を眺めています。

宇野線の途中駅であるこの駅に本四備讃線を接続したことから、茶屋町-岡山は列車本数の多い「四国の玄関口」の主要幹線となっています。
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「瀬戸大橋線」と呼ばれる幹線は、1番ホーム(岡山方面)、4番ホーム(四国方面)が使用され、2、3番ホームは宇野方面や「アンパンマントロッコ号」などの列車が使用します。

/ 宇野行は真ん中の2,3番ホームに停車し、岡山方向、児島方向の両方向へ向かう列車との乗換え便宜を図ります。
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1番ホームから宇多津方向を眺めています。

岡山から高松までの所要時間は、快速「マリンライナー」で1時間足らず、「瀬戸大橋」の完成は本州と四国のアクセスに多大な貢献を果たしています。

それと合わせて「宇野みなと線」のローカルな存在に、この駅周辺での楽しみが倍増した気がします。




≪(昔) 下津井電鉄≫
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1975(昭和50)年 夏に訪れた時の下津井駅です。

私が訪れた時は、駅のホームには「モハ103+クハ24」の2連がのんびり日向ぼっこしているかのようでした。この下津井電鉄線は下津井-鷲羽山-児島-茶屋町(21.0km)を結んでいました。

1988(昭和63)年、瀬戸大橋の開通を機に下津井電鉄は観光鉄道への転身を図りましたが、予想に反して観光客は四国や瀬戸大橋自体に流れ、加えて沿線エリアの道路状況が改善されたことから、1990(平成2)年に全線が廃止されています。

現在の廃線跡は「下津井-児島」の大部分が自転車道に転用され、また下津井駅構内の上屋が残されており、
モハ103とほか数両が「下津井みなと電車保存会」ボランティアの手によって修復・保存を行っています。

福島交通 飯坂線の終点駅

(2014年8月・2019年9月・2021年11月)
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10時53分、駅手前の上り坂に1000系電車が現れました。(2019)

1000系電車は、元東急1000系で1988(昭和63)年に製造を開始し、2016(平成28)年に福島交通へ譲渡を始めました。現在、飯坂線では14両が使用されています。
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鳴子温泉、秋保温泉と共に、奥州三名湯である「飯坂温泉」の玄関口に相応しい駅舎の構えです。

/ 飯坂温泉は奥羽地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれています。伝説としては、日本武尊の東征の際に、この地で湯治したといういわれが残っているそうです。(2019)

駅は1927(昭和2)年の開業。飯坂は福島-飯坂温泉間9.2kmで、毎時2~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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この駅は1線しかありませんが、両側にホーム(2面)があり、冬季を除いては降車用、乗車用として両方のホームを使用しているようです。

/ 駅に掲示されているポスターには、温泉街に9つの共同浴場があり、朝6時から22時までオープンしていることをアピールしています。

≪飯坂線≫
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10時53分に到着の電車がホームに進入してきました。この駅では2分停車の後、すぐに福島へ折り返していきます。(2019)
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「サイクルトレイン」を案内する表示札。平日と土日祝とも日中の時間帯は、自転車を持ち込むことができます。(2019)

/ 単線の本線から、そのまま駅構内に引き込まれるレールは、車止め部分で終わっています。(2019)
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11時20分発、福島行の発車です。飯坂線には「いい電」「飯坂電車」の愛称があり、電車の前面には「GOOD TRAIN いい電」のヘッドマークが取り付けられています。(2019)

/ 隣駅は「花水坂」です。(2019)

≪駅からの眺め≫
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2面1線のホームは、通常は福島駅に向かって左側が降車用、右側が乗車用です。
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途中駅は10あり、福島までの所要時間は23分です。

/ 福島市のマスコットキャラクター「ももりん」が電車の窓から外を眺めています。
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秋になると駅周辺の木々が色づいていきます。

「福島の奥座敷」である飯坂温泉へは、福島市街からこの電車で簡単に行けます。

≪7000系≫
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2014年8月に訪れた時の飯坂温泉駅には7000系電車が停車していました。

1991(平成3)年、飯坂線の架線電圧1500Vへの昇圧の際に、元東急電鉄7000系16両が導入されました。現在は1編成2両が残されていますが、定期営業運転からは外れています。

≪車内からの眺め≫
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14時38分、桜水から乗った電車で飯坂温泉に到着しました。

≪飯坂線の歴史≫
1924(大正13)年 福島飯坂電気軌道 福島-花水坂 開業
同年 飯坂電車へ社名変更
1927(大正17) 花水坂-飯坂温泉 開業(飯坂線の全通)
同年 福島電気鉄道が飯坂電車を吸収合併
1962(昭和37)年 福島電気鉄道→福島交通 社名変更
1991(平成3)年 架線電圧750Ⅴ→1500Ⅴへ昇圧
同年 7000系の営業運転を開始
2017(平成29)年 1000系の営業運転を開始



≪駅周辺≫
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駅舎を出ると摺上川に架かる十鋼橋があり、橋の向こう側に温泉宿が並びます。

/ 駅舎の横には「摺上川」が流れます。

≪車庫のある桜水駅≫
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14時24分、福島行の電車が到着しました。飯坂線の左側には県道3号(福島飯坂線)が並走し、ほぼ同じ区間を結んでいます。
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隣駅は福島側「笹谷」と飯坂温泉側「平野」です。

/ 駅横には車庫が併設されており、手前には7000(7101-7202)が留置されており、イベント等に使用されているようです。

JR九州 長崎本線(長与支線)の終点駅

(2020年12月)
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10時51分発、特急「かもめ9号」博多→長崎が到着しました。

この駅は長崎本線の新線、旧線の分岐駅で、私が訪れた時は特急を含む全ての定期旅客列車が停車していましたが、2022年9月 西九州新幹線の開業により、この駅を経由・停車する定期優等列車の設定はなくなっています。
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2020(令和2)年、長崎本線の連続立体交差化事業により、長崎-浦上間が高架化され、駅が新しくなっています。

/ 駅前には1973年に建立された「国鉄原爆死没者 慰霊の碑」があります。

駅は1897(明治30)年開業。長崎本線(長与支線)は喜々津-浦上間23.5kmで、日中は毎時1本の運行。(引用:Wikipedia)
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現在の駅舎は、改札口が1階、乗降ホームが2階の高架となっています。

/ 改札口横のガラスには洒落たデザインの日よけが使われています。

≪10:05発 快速シーサイドライナー 佐世保行≫
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10時5分発、快速「シーサイドライナー」長崎→佐世保(新線)です。

YC-1系気動車の増備により、キハ66・67系はこの車両を含めて全廃となっています。
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10時5分発の快速「シーサイドライナー」が長崎本線 新線へ進入していきます。

/ 隣駅は「長崎」と新線「現川」、旧線「西浦上」です。

≪10:23発 特急かもめ16号≫
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10時23分発、特急「かもめ16号」長崎→博多です。

西九州新幹線の開業に際して「かもめ」の愛称は新幹線の列車名として継承されたため、在来線特急としては博多-武雄温泉間の「リレーかもめ」として残されているだけです。

≪10:23発 普通列車 長崎行≫
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10時23分発、普通列車 湯江→長崎(新線)は、817系電車での運転です。

西九州新幹線の開業時に肥前浜-長崎間の電化が廃止されたため、電車での運行が終了しています。

≪普通列車(旧線)10:32発 & 10:40発≫
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10時32分発、普通列車 佐世保→長崎(旧線)です。

/ 10時40分発、普通列車 長崎→長与(旧線)です。

≪10:51発 特急かもめ9号≫
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10時51分発、特急「かもめ9号」博多→長崎が到着。(表題画像と同じ列車です)

787系、885系とも、特急「かもめ」はこの駅で見ることが出来なくなりました。

≪11:03発 快速シーサイドライナー 長崎行≫
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11時3分発、快速「シーサイドライナー」佐世保→長崎(新線)です。

現在、長崎本線 長崎-諫早間(旧線含)は、YC1系気動車(ハイブリッド車両)が使用されています。
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YC1-101号車は、2020(令和2)年に最初の量産車として製造されています。

/ 1面2線の高架ホームですが、特急などの長い編成が停車しなくなったため、不要となるホーム部分は撤去されるようです。

≪駅からの眺め≫
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島式ホームの長崎側を眺めています。この駅から終点駅「長崎」までは1.6kmあります。

この駅から1km足らずの距離の場所が長崎原爆の爆心地なのだそうです。駅舎は全壊し、被爆地周辺では多数の国鉄職員が犠牲になっているそうで、いつまでも平和な「長崎」であって欲しいです。
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1番ホームから左カーブの先の長崎駅方向を眺めます。

/ ホームの行先表示には、2番のりば=長崎本線(諫早・佐賀・博多)、大村線(大村・ハウステンボス・佐世保)とありますが、旧線と新線の説明がありませんでした。
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島式ホームの諫早側を眺めています。

長崎本線の新線(右=市布経由)と旧線(左=長与経由)が先の方まで並行しています。この時は新線は電化されていましたが、YC1系気動車(ハイブリッド車両)の導入により、新線も非電化となっています。

≪ホームからの眺め≫
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1番ホームから小高い里山を眺めます。長崎本線と並行する国道206号線には長崎電気軌道の路面電車が走ります。

≪仮ホームの名残≫
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2015(平成27)年、高架化工事のために島式1面2線の地上仮設ホームが設置されましたが、高架化工事が完成したのでレール等が外されていました。

富山地方鉄道 立山線の終点駅

(2003年9月・2020年7月)
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14時56分発 特急「立山1号」電鉄富山行(右)と15時17分発 普通列車 電鉄富山行(左)が発車を待って並んでいます。

特急「立山」は、2014(平成26)年に電鉄富山-立山間を運行する特急列車として運行を開始しています。
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踏切から線路沿いに歩いて行ける入口です。こちらは駅舎の1階になります。

/ 駅舎は山の斜面に建てられており、駅前広場からの入口は駅舎の2階になります。

駅は1955(昭和30)年の開業。立山線は寺田-立山間24.2kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎には富山地方鉄道 立山線と立山黒部貫光 立山ケーブルカーの乗り場があり、レストランや売店(お土産屋さん)、休憩所などがあります。

/ 半地下のような薄暗い駅構内でも、発車案内の表示がわかりやすくなっています。

≪14:56発 特急 立山号 立山→電鉄富山≫
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14時56分発 特急「立山号」電鉄富山行は、10030系(元京阪3000系)10043-10044を使用します。全区間の所要時間は49分です。

特急「立山」が停車する2番線のりばは、主に臨時ホームとして使用されます。
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「モハ10044」は、元京阪電鉄3000系3515号車で、1973(昭和48)年に川崎重工業兵庫工場で新製されており、富山地方鉄道には1992(平成4)年に譲渡されています。

/ 特急「立山号」の停車駅は、立山→有峰口→岩峅寺→五百石→寺田→電鉄富山です。
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ヘッドマークを掲げる「特急」は、外観を見ただけでも普通電車と一味違います。

/ 転換クロスシートが装備された車内は、白基調で清潔感が漂います。

≪15:17発 普通電車 立山→電鉄富山≫
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15時17分発、普通電車 立山→電鉄富山(寺田経由)は、17480系(元東急電鉄8590系)が使用されています。全区間の所要時間は1時間10分です。
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改札を入ると1番線のりばがあり、2番線のりばはレール車止めの奥通路で回り込みます。

/ 17480系は、元東急電鉄8590系で1988(昭和63)年から翌年にかけて8両編成×5本が製造され、2013(平成25)に富山地方鉄道へ8両(+部品取り用1両)が譲渡されています。
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夏は涼しい地下駅のような構造の2つのホームには、東西の元大手私鉄の車両が並びます。

≪駅からの眺め≫
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3面2線の頭端式櫛形ホームで、手前の1番線のりばは両側にホームがあります。

 / 隣駅は「本宮」です。
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奥にある留置線へは2番線のりばから引き上げが可能です。

/ 標高は475mのこの駅を発車した列車は、本線先の右カーブ、下り傾斜のレールを発車していきます。
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かつては、大阪や名古屋方面からの直通運転の列車がこの終点駅まで運行されていましたが、現在は留置線を使用する機会は少ないように思います。

≪立山黒部アルペンルート≫
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立山黒部アルペンルートの富山側の山岳基地として、ここ立山駅からいろいろな方面へのルートが記されています。
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この駅は、立山黒部貫光 立山ケーブルカー(立山-美女平)との乗換え駅になっています。

/ 駅前には「熊王の清水」があり、説明文を見ると「ここから旧登拝道を約2km登ったところに熊王の清水があり、この清水を飲む者は立山権現の加護を受けた」とあり、ありがたい清水のようです。
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/ 駅前広場は広いスペースがあり、「称名滝」へ向かう路線バスの乗り場があります。

≪2003年 立山室堂 観光紀行≫
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2003年9月、立山駅から立山室堂へ向かった時の記録です。立山駅の本線脇にある留置線に「アルペン号」宇奈月温泉行が留置されていました。(2003)

手前の車両は、クハ173形(173号車)で、1964(昭和39)年に製造されたサハ220形(223号車)を、製造から5年後に先頭車に改造しクハ173形(173号車)としています。2014(平成26)年に東急電鉄から8590形を譲り受けた際に廃車されています。

/ 立山駅構内の様子です。(2003)
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立山黒部貫光 立山ケーブルカー(立山-美女平)の立山駅です。アルペンルートの玄関口はシーズンは混み合います。(2003)

/ 立山ケーブルカーの終点駅「美女平」からは、立山高原バスに乗り換えます。(2003)
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立山高原バスの終点で降りて、この日は名湯「みくりが池温泉」に宿泊です。翌朝、みくりが池付近からは見事な「立山連峰」が眺められました。

右角の頂が標高3003mの「雄山」で、付近には「雄山神社峰本社」があります。 

JR北海道 日勝線の終点駅

(2021年8月)
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8時50分発、特急「おおぞら1号」札幌→釧路で、この駅で日勝線から根室本線に乗り入れます。

夕張支線の廃止以降は、普通列車は南千歳-追分間だけの運転に縮小されており、現在は南千歳を発車する日勝線の一番列車がこの列車です。

キハ283系は、1997(平成7)年から「スーパーおおぞら」に使用されていましたが、2022(令和4)年にキハ261系へ置き換えられ引退しています。
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2016(平成28)年、台風10号により根室本線(東鹿越-新得)が不通になっています。

2022(令和4)年、根室本線(富良野-新得)は、JR北海道と沿線4市町村(富良野市、南富良野町、占冠村、新得町)の同意により、2024年に路線が廃止され、バスに転換される予定です。

駅は1907(明治40)年の開業。石勝線(1981年開業)は南千歳-新得間132.4kmで、1日11本の運行。(引用:Wikipedia)

≪7:20発 普通列車 新得→帯広≫
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7時20分発、普通列車 新得→帯広は、キハ40-1775+キハ40-1766の2両編成です。

新得から帯広までは1時間5分(43.8km)の所要時間で、この列車は帯広へ向かう2番列車になります。
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 隣駅は日勝線「トマム」、根室本線 富良野側「落合」と根室本線 帯広側「十勝清水」です。根室本線の落合方面は来年2024年に廃止され、この駅は日勝線に加えて根室本線の終点駅になる予定です。

/ 7時20分発帯広行は、国鉄色に塗られたキハ40-1766が2両目に連結されていました。
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キハ40-1766は、昭和54年 新潟鉄工所 で製造され、平成19年に苗穂工場で延命工事が実施されています。

/ 2022(令和4)年、根室本線(新得-釧路)はすべての普通列車がH100形気動車へ置き換えられています。現在1775号車と1766号車は旭川運転所へ移っているようです。

≪7:54着 普通列車 池田→新得≫
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7時54分着、池田からの普通列車が到着しました。

キハ40形気動車×3両(1749号車、1752号車、1754号車)での運転です。
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池田から到着後、3番ホーム横の留置線へ移動し、別運用で留置中のキハ40-1756とともに留置されます。

/ 駅舎側の1番ホームから留置車両を眺めます。手前が首都圏色のキハ40-1749号車です。
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キハ40-1754 / 2022年に廃車。
/ キハ40-1752 / 2022年に廃車。
/ キハ40-1749 / 旭川運転所へ異動。(首都圏色)

キハ40形の活躍の場が明らかに狭まっています。

≪8:34発 特急「おおぞら2号」 釧路→札幌≫
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特急「おおぞら2号」が1番ホームに到着。特急列車は上下を問わず、駅舎側の1番ホームに停車します。

※2020(令和2)年、列車名から「スーパー」を外し、特急「おおぞら」「とかち」に改称しています。
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「のりかえ」案内の看板には、「富良野・滝川 根室本線」の表示がありますが、来年には表示がなくなる予定です。

/ この列車の全区間(釧路-札幌)の所要時間は4時間19分で、この駅から札幌までの所要時間は2時間11分です。

≪8:41分着 普通列車 池田→新得≫
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8時41分着、普通列車 池田→新得が到着しました。

使用車両のキハ40-1758は首都圏カラーを纏い、現在は最後の活躍の場と思われる旭川運転区に異動しています。

≪駅構内の様子≫
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2、3番ホームへ渡るための跨線橋の上から、根室本線 帯広方向を眺めています。

根室本線(富良野-新得)が廃止された後は、札幌行の特急列車(日勝線)だけになります。
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2、3番ホームの帯広側にあるキロポスト標識。新線に切り替えたことから、現在の滝川からの路線長は136.3kmです。

/ 「新得駅」は、道央から道東に入った最初の駅ですが、昔は新得機関区が設置されており、その名残りで駅構内も広くなっています。

/ 駅舎側の1番ホーム(左)と2、3番ホームは跨線橋で結ばれます。
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構内にある保線エリアを眺めます。

/ 名所案内には、大雪山国立公園や然別湖、トムラウシ温泉など自然溢れる観光地が並びます。

≪18:37発 根室本線(新得-富良野) 列車代行バス≫
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2016(平成28)年の台風災害で運休した区間を走る富良野行の列車代行バスです。結局、鉄道が復旧されないまま、富良野-新得間の廃止が決定されています。

私が訪れた時は新得-東鹿越-富良野の運行でしたが、2023年から新得-東鹿越間の運行(別途、落合発の運行あり)へ改められています。
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「列車代行」の表示。鉄道が廃止された後はバスへ転換となるため、代行ではなくなります。

/ 駅の発車案内に、列車代行バスの発車案内も表示されます。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから帯広側を眺めると、駅の先には原野が広がり、北海道独特の景色が広がります。

原野の先からオレンジ色の列車が見えますが、現在はH100形(発電用エンジンで主電動機を駆動する)気動車に置き換えられ、迎える列車の景色が変わっています。
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2番ホームの南千歳側からの眺めです。ここから道央に向けての登り勾配が始まります。

根室本線と石勝線の分岐点は24.1km先の上落合信号場ですが、来年には根室本線が廃止されることから分岐点がなくなります。

≪新得駅の歴史≫
1907(明治40)年、新得駅が開業。
1966(昭和41)年、根室本線(落合-新得)の狩勝峠区間を新線へ切替え。
1981(昭和51)年、日勝線の開業
2016(平成28)年、台風10号による降雨災害で、東鹿越-新得が不通となる
2023(令和5)年、JR北海道と沿線4市町村が富良野-新得間の廃止、バス転換を締結
2024(令和6)年、根室本線(富良野-新得)の路線廃止(予定)


≪名所案内&駅前モニュメント≫
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「新得」の観光名所や名物などがポスターに集約されていました。

/ こちらは「名所案内」の看板。
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駅前には「火夫の像」があります。

当時、蒸気機関車が根室本線最大の難所「狩勝峠」を越えるために、蒸気機関車の乗務員達が命がけで乗務していたことを、後世に語り継ぐために建てられたそうです。

/ 1番ホームの花壇の花が一斉に咲き出していました。

福井鉄道 福武線 支線の終点駅

(2020年7月)
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13時45分、普通 越前武生→田原町が到着しました。普通電車は支線の福井駅(停)を往復し、この停留場へ戻り、田原町へ向かいます。

使用されている880系は元名鉄モ880系で、1980(昭和55)年に新製されています。名鉄美濃町線・田神線廃止に伴い、2006(平成18)年に福井鉄道での運用が開始されています。
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この停留場は福武線 本線上にあり、福井駅前停留場(支線)方向への分岐があります。

/ 停留場付近には福井県庁、福井市庁をはじめ、地元の地方銀行の本店などが所在します。

停留場は1933(昭和8)年の開業。福武線 支線は福井城址大名町-福井駅間0.6kmで、日中は毎時4本の運行。(引用:Wikipedia)

≪13:29発 普通 田原町→福井駅立寄り→越前武生≫
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13時29分、普通電車に乗車して田原町からこの駅に到着しました。反対側には普通電車 田原町行が到着しています。
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田原町から乗ってきた普通電車は、福井駅(停)を往復するために支線に進入していきます。

/ 隣の停留場は、本線 田原町側「足羽山公園口(停)」と支線側「福井駅(停)」、本線 越前武生側「仁愛女子高校(停)」です。
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13時44分発、普通電車 越前武生行が福井駅(支線)を往復して戻ってきました。

/ 田原町から到着した時は2番ホームに到着しましたが、福井駅を往復して戻ってきた時は1番ホームに到着します。
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13時44分発の普通電車 田原町→越前武生が本線へ発車していきました。

代わって13時47分発 越前武生→田原町がこちらへ向かってきます。

≪13:59発 普通 田原町→福井駅立寄り→越前武生≫
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13時59分発、普通電車 田原町→越前武生がだんだん近づいてきます。

福武線は、県道30号(福井丸岡線)中央部の併用軌道上を走行しています。福井市内の中心市街地では、この県道は「フェニックス通り」の愛称で呼ばれるそうです。
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13時59分発、普通電車 田原町→越前武生(左)は福井駅(支線)へ向かい、14時発 普通電車 越前武生→田原町は福井駅(支線)から戻ったので田原町へ向かいます。

≪普通電車 福井駅経由の到着ホーム≫
普通 田原町行)越前武生→福井駅 1番ホーム、福井駅→田原町 1番ホーム
普通 越前武生行)田原町→福井駅 2番ホーム、福井駅→越前武生 1番ホーム 

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13時59分発、普通電車(福井駅経由)越前武生行が福井駅(停)に向かうため、支線へ進入していきます。

≪13:52発 急行 越前武生→(直通)鷲塚針原≫
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13時52分発、急行 越前武生→鷲塚針原が到着しました。

急行電車は福井駅(支線)を経由せずに、この駅に停車しそのまま田原町へ向かい、えちぜん鉄道三国芦原線 鷲塚針原まで乗り入れていきます。

/ 県道30号線の大名町交差点にある信号機で、奥の方が「路面電車専用信号機」です。
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F1000形は、2013(平成25)年から4編成が製造されており、バリアフリー化推進のために超低床車両化、通勤通学時輸送の定員を確保するための3車体連接3台車方式を採用しています。

黄色に近い「グリーン」車体は、F1000形第3編成(1003)です。

≪停留場からの眺め≫
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停留場から大名町交差点方向を眺めています。

福武線 本線の越前武生(右)方向と、支線の福井駅(左)方向の分岐があります。併用軌道の分岐地点などでは、ほかの乗り物等との交差があるので、どうなっているか興味深々です。

※2023年度に北陸新幹線「越前たけふ駅」が開業予定のため、今年2月に福井鉄道「越前武生駅」は「たけふ新駅」に改称されています。

土佐くろしお鉄道 中村・宿毛線の終点駅

(2021年12月)

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10時4分、特急「しまんと1号」高松→中村(2700系、2802号車)が到着しました。折り返し11時11分発 特急「あしずり6号」中村→高知となります。

2700系は、2019(平成31)年に先行試作車を製造し、その後に量産されている車両で、土佐くろしお鉄道所有の車両が2両あります。
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この駅は中村線と宿毛線の2路線が乗り入れており、一日の発車本数は中村線18本、宿毛線14本となっています。

/ この駅は1970(昭和45)年の開業で、2010(平成22)年に待合室やコンコースなどのリノベーション工事を実施しています。

駅は1970(昭和45)年の開業。中村は窪川-中村間43.0kmで、1日18本の運行。宿毛線は中村-宿毛間23.6kmで、1日14本の運行。(引用:Wikipedia)
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改札口からホームに入った所にある飾りフェンス。カラフルなお花と光が反射している英文字の駅名表示が洒落ています。

/ 長いベンチ、木製の椅子、木製床材が目を引きます。木材は地場産の四万十ヒノキが使われているそうで、この駅のリノベーションは、ブルネル賞や各賞を受賞しており、待合室の様子は必見だったようです。
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第三セクター「土佐くろしお鉄道」の沿線自治体ごとの観光ポスターが整然と並びます。

/ 1番ホームの柱の付け根を隠すようにお花の鉢が置かれており、駅のホームとは思えないようにお洒落感が満載です。

≪中村線・宿毛線≫
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10時7分発、普通列車 中村→宿毛です。

使用されている車両は、TKT-8000形8004号車(宿毛市ラッピング)で1988(昭和63)年に土佐くろしお鉄道が開業した際に新製された車両です。
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魚や巻貝が整列しているラッピングです。

/ 隣駅は、窪川側「古津賀」と宿毛側「具同」です。

/ 「宿毛号」に描かれているものは、宿毛名物の「文旦」のようです。
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15時37分発、普通列車 中村→宿毛が2番ホームに停車中です。

/ TKT-8000形8005号車(黒潮町ラッピング)は、車体側面にクジラのイラストが描かれています。
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15時32分発、普通列車 中村→窪川です。

/ TKT-8000形8011号車(四万十町ラッピング)は、車体側面には「潜水艦のようなお魚」が描かれていました。
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2、3番ホームは駅舎側から跨線橋で連絡しています。

/ 11時8分、普通列車 宿毛→中村(TKT-8002号車=大月町ラッピング)が到着しました。

≪特急 あしずり≫
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16時48分発、特急「あしずり14号」中村→高知で、高知までの所要時間は1時間48分です。

発車時刻が近づいており、前照灯が上向きになっています。
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特急「あしずり」(新型車両2700系)が土佐くろしお鉄道に乗り入れており、特急街道の一部を形成しています。

/ 特急「あしずり」は中村→高知は1日9本あり、うち2本は宿毛始発となっています。
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国鉄時代に開業したこの駅は、土佐くろしお鉄道の本社所在地に相応しい構えです。

/ 16時48分発、特急「あしずり14号」は1番ホームに停車しています。

≪車両基地≫
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宿毛側にある車両基地には「赤・黄・青」のTKT-8021号車が留置されています。

この車両は日本宝くじ協会の助成を受けた「宝くじ号」で、お座敷列車としての使用可能な仕様となっています。
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3番ホームの横には保線エリアがあり、後方には後川の土手が見えます。

/ 1番ホームからホーム全体を眺めます。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから宿毛側を眺めています。

2005(平成17)年、宿毛駅の重大事故には大きな衝撃を受けました。安全な交通手段の「鉄道」をこれからも安全な乗り物で居続けることを願います。
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1番ホームから高知方向を眺めています。

宿毛線(宿毛-中村)と中村線(中村-窪川)は、「四万十くろしおライン」の愛称があります。優等列車の走る第三セクターとして、魅力の観光路線として魅力いっぱいの路線であって欲しいです。

≪観光名所≫
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1番ホームのある地味な「足摺岬、見残、竜串」観光看板。

/ こちらは四万十川「沈下橋」の観光タクシーです。




≪(昔) 特急 南風 キハ181系≫
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1989(平成元)年 夏に訪れた時の中村駅です。

四国で活躍するキハ181系気動車は、国鉄特急色からJR四国のコーポレートカラー色に塗り替えられており、私が訪れたのはちょうどその頃でした。

キハ181系(先頭はキハ181-39)は「特急 南風」のヘッドマークを掲出し、3番ホームに停車していました。

1987(昭和62)年、四国の国鉄路線はJR四国へ継承され、翌年には本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業、中村線はJR四国から土佐くろしお鉄道へ経営移管され、この駅も土佐くろしお鉄道の駅となっています。

JR西日本 伯備線の終点駅

(2020年12月)
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11時30分発、普通列車 生山→西出雲が到着しました。伯備線を走行してきた列車はこの駅から山陰本線へ乗り入れていきます。

この列車は山陰本線 本線(京都-幡生)のうち、鳥取県・島根県内の電化区間である「伯耆大山-西出雲」の全区間を走破する普通列車です。
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1902(明治35)年に現・山陰本線の駅として開業し、1919(大正8)年に現・伯備線の一部区間が開業したことから両線の分岐駅になっています。

駅は1902(明治35)年の開業。伯備線は倉敷-伯耆大山間138.4kmで、1日16本の運行。(引用:Wikipedia)
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「特急やくも」は時間帯で停車する列車が設定されており、岡山、倉敷方面は朝方、出雲市方面は夕方以降に停車します。

隣駅は山陰本線 米子側「東山公園」と伯備線「岸本」、山陰本線 鳥取側「淀江」です。

≪伯備線≫
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11時15分頃、特急「やくも5号」岡山→出雲市が2番ホームを通過していきます。岡山から出雲市までの所要時間は3時間5分です。

381系「ゆったりやくも」車両は、大山の冠雪の「白」と出雲大社の巫女「赤」をイメージしています。
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11時14分発、普通列車 米子→新見です。伯備線の電化により、日本海側にも115系の活躍エリアが広がっています。

/ 山陰本線を走行してきた同列車は、この駅から伯備線に乗り入れます。
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11時30分発、普通列車 生山→西出雲は駅舎側の1番ホームに到着です。

/ モハ114形が先頭車化改造でクモハ114形になっており、運転台が新設された前面は切妻の非貫通構造になっています。
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11時28分頃、特急「やくも14号」出雲市→岡山が3番ホームを通過していきます。

/ 通過した特急やくもは、山陰本線から分かれて伯備線を右へカーブしていきます。

≪山陰本線≫
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11時36分発、普通列車 米子→倉吉が3番ホームに到着です。

到着したキハ121形(キハ121-2)は、両運転台、トイレを備えた気動車です。
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11時47分発、普通列車 倉吉→米子が1番ホームに近づいてきました。

/ 同列車(キハ121-3)は、全区間を1時間6分で走破します。
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11時57分発、快速「とっとりライナー」が1番ホームに到着。全区間を1時間38分で走ります。

/ 同列車(キハ121-7、5)は倉吉-米子間を快速運転しており、次の停車駅は終点の米子です。

≪JR貨物≫
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EF64-1039(愛)が貨物駅構内に停車しており、これから構内での入換え作業を開始するところです。
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駅舎から一番遠い3番ホームの奥側には貨物用留置線があり、鳥取側に貨物駅が設置されています。

/ 3番ホームから貨物用留置線の米子側を眺めると、王子製紙米子工場への専用線が分岐しているのが見えます。非電化のためJR貨物の電気機関車は入線できません。
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EF64形1000番台は、1980(昭和55)年からの3年間で全53両が製造され、新製当初は全機が長岡機関区に配置されました。

1982(昭和57)年に伯備線全区間が電化され、以降、貨物列車の牽引用としてEF64形(0番台、1000番台)が使用されていましたが、現在は1000番台だけが使用されています。

≪駅からの眺め≫
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1番ホームから米子方向を眺めています。伯備線の全列車は山陰本線米子方向へ乗り入れており、この駅から安来までは複線区間です。
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駅舎側の1番ホーム(手前)から2、3番ホームへは跨線橋を渡ります。

/ 1番ホームから鳥取側を眺めています。左に貨物駅、本線の先の方に山陰本線と伯備線の分岐があります。
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2番ホームの鳥取側から山陰本線と伯備線の分岐地点を眺めます。

引き続き電化区間として右へ折れる伯備線と、架線設備の途切れる山陰本線鳥取方面の分かれ目を見ていると、陰陽連絡路線の1つである「伯備線」の重要さに気づかされた終点駅訪問でした。

今回は「スーパーまつかぜ」「スーパーおき」が通過する時間帯ではなかったので、次回は通過する時間帯に合わせて訪れたいと思います。

JR東日本 水郡線の終点駅

(2021年11月)
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13時17分、見慣れないシルエットの列車が近寄ってきます。細くて縦に長い前照灯は非常に個性的です。

「TRAIN SUITE 四季島」は、以前に宝積寺駅で出逢った事があるので、すぐに「四季島」であることに気づきました。上野→塩山→姥捨→会津若松→上野(1泊2日)コース、最終工程で東北本線を上野へ向かっています。
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1909(明治42)年に東北本線の駅として開業し、1929(昭和4)年に水郡線が開業してこの駅から分岐しています。

水郡線は、茨城県側の始発駅である「水戸」は毎時1~2本の運転ですが、福島県側は全列車が「郡山」から直通運転され1日9本の運転に留まっています。

水郡線の水戸-安積永盛間137.5km。駅は1909(明治42)年の開業で、1日9本の運行。(引用:Wikipedia)
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水郡線はこの駅からの始発列車はなく、全列車が隣の郡山駅始発です。

/ 向こう側の2、3番線へは跨線橋で渡ります。

≪水郡線≫
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12時4分発、普通列車の常陸大子行は臨時便です。

この列車のキハE130系(キハE131-5、キハE132-5)は、2007(平成19)年に製造されています。
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12時26分発、水戸→郡山はキハE130形2両での運転です。車体側面のカラーは「秋の紅葉と久慈川の流れ」を表現しています。

全区間の所要時間は3時間10分(142.4km)です。
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13時48分発、郡山→水戸です。1番線の奥の方からホームに進入してきました。

/ キハE131形とキハE132形2連の側面カラーは「新緑の緑と久慈川の流れ」を表現しています。

≪東北本線≫
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12時55分発、普通列車 郡山→新白河です。全区間の所要時間は40分です。

701系交流電車は1993(平成5)年から266両が製造されています。
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13時25分発、普通列車 新白河→郡山は3番線から発車。

/ 13時55分発、普通列車 郡山→新白河が2番線に入ります。

≪駅の様子≫
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水郡線の終点駅であるこの駅に、水郡線の路線長の「137.5km」ポストがあります。

/ 11月に訪れたこの駅は、すっかり秋が深まっていました。
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1番線ホームから島式2・3番線ホームを眺めると、大きなホームに駅名標がポツンと立っています。

≪TRAIN SUITE 四季島≫
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普段なかなかお目にかかれないE001形(電気・ディーゼル両用車両)を福島県のこの駅で迎え入れます。観光列車らしくゆったり速度で通過しており、見るからに優雅な列車です。
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2017(平成29)年、E001形を使用した「TRAIN SUITE 四季島」が運行を開始しています。列車の最後尾に「あ・り・が・と・う」のメッセージがありました。

/ 3番線ホームに「磐城石川、水戸方面」の乗換え案内があります。

≪JR貨物≫
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12時33分、EH500-31が牽引する貨物列車が首都圏方向へ向かいます。
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水郡線の隣駅は「磐城守山」、東北本線は新白河側「須賀川」と「郡山」です。

/ 12時41分、下り貨物列車をEH500-23が牽引します。

≪駅からの眺め≫
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1番線ホームから郡山方向を眺めています。

上り本線から真っ直ぐの2番線(中)と分岐から入り込む1番線(右)。水郡線の列車は1、2番線が乗り場になります。
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1番線は水郡線だけでなく、東北本線上り列車でも使用されます。

/ 2番線ホームから1番線側と駅舎を眺めています。昔の名残で長いホームを今も使用しています。
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1番線ホームから水戸方向を眺めています。

東京駅から221.8km、水戸駅から137.5kmの距離にあるこの駅ですが、水郡線の運転本数は1日9本と寂しい限りです。

≪列車からの眺め≫
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12時3分、郡山から安積永盛まで1駅だけ臨時の常陸大子行に乗車しました。列車が安積永盛駅に進入する際のシーンです。

この1駅区間は東北本線で気動車に乗車できるわずか5分の貴重な体験です。関東地方の端の方に伸びる非電化でローカル色の強い水郡線に、魅力的な専用車両による観光列車が走ることを期待したいです。

平成筑豊鉄道 伊田線の終点駅

(2018年12月・2020年1月)
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15時16分発、普通列車金田行は、
開業時のカラーの400形412号車が使用されています。

400系気動車は2007(平成19)年から製造が開始され、4年間で全12両が製造されています。この他、内外装をレトロ調とした500形が
2008(平成20)年に1両製造されています。
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1891(明治24)年、筑豊興業鉄道(若松-直方)が開業した際にこの駅が開設されており、その2年後に同鉄道が支線(直方-金田)を開業し、伊田線の一部が開通しています。

1989(平成元)年、伊田線はJRから平成筑豊鉄道へ移管され、現在に至っています。

/ 現在の駅舎は水戸岡氏のデザインによるもので、2011(平成23)年に供用を開始しています。

駅は1891(明治24)年の開業で、1989(平成元)年に伊田線はJR九州から平成筑豊鉄道へ移管。伊田線は直方-田川伊田間16.1kmで、日中は毎時2本の運行。(引用:Wikipedia)
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立派な駅舎ですが、平成筑豊鉄道の駅施設は駅舎の外から行き来できます。

/ 頭端式ホーム1面2線のホームで、緩いスロープを上ってホームに向かいます。(2020)

≪伊田線≫
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14時59分、金田からの単行列車が到着しました。

/ 隣駅は「南直方御殿口」です。
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15時16分発、金田行が2番ホームに停車中です。412号車(開業時カラー)は良い雰囲気を出していると思います。

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14時16分発、田川後藤寺行が発車していきます。途中、金田からは糸田線に乗り入れて田川後藤寺へ向かいます。(2020)

/ 当時、403号車は黄色い車体の「なのはな号」仕様となっており、車体正面にはへいちくキャラクター「ちくまる」が描かれています。(2020)
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ホームから車止め方向を眺めると、JRの留置線(左)と同じ大きさの車止め標識が設置されています。(2020)

/ 伊田線の起点標識がレールの脇に設置されています。
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14時59分着の列車が直線の先に見えてきました。

伊田線は1911(明治44)年に全線が複線化されています。隣駅の「南直方御殿口」の約500m先までは筑豊本線と並行していきます。

≪JR 筑豊本線≫
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14時5分発 普通列車 直方→若松が発車します。(1番ホーム)

BEC819系(DENCHA)は、2016(平成28)年に登場した蓄電池車で、筑豊本線、篠栗線、香椎線、鹿児島本線で使用されています。(2020)
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15時37分、普通列車 黒崎行は、筑豊本線から短絡線を経由して鹿児島本線 黒崎へ向かう列車です。

/ 14時15分発の博多行。この列車は直方→篠栗→博多(福北ゆたか線)を経由し、筑前大分→博多間は快速運転です。

≪駅からの眺め≫
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筑豊本線の隣駅は若松側「新入」と原田側「勝野」です。

/ 伊田線のホームから伊田方向を眺めています。

筑豊本線と伊田線はぞれぞれが複線区間のため、並行区間は4線が並ぶ豪華な区間です。

≪列車からの眺め≫
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新飯塚から直方へ向かう筑豊本線の列車の中から直方方向を眺めています。

右側2本が平成筑豊鉄道 伊田線で、左側2本が筑豊本線です。直方方向のレールだけ左へ曲がっていますが、直方まで複線×2路線の4線が並行しています。(2020)

≪伊田線の歴史≫
1891(明治24)年 筑豊興業鉄道(若松-直方)の開業により直方駅開業
1893(明治26)年 同鉄道 支線(直方-金田) 開業
1894(明治27)年 筑豊興業鉄道→筑豊鉄道 社名変更
1897(明治30)年 九州鉄道が筑豊鉄道を合併
1899(明治32)年 金田-伊田を延伸開業(全通)
1907(明治40)年 九州鉄道を買収し官設鉄道となる
1911(明治44)年 直方-金田 複線化
1989(平成元)年 平成筑豊鉄道に移管





≪(昔)国鉄 直方駅構内≫
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1974(昭和49)年 春に訪れた時の直方駅です。

私が訪れる直前、室木線や香月線を担当していた8620形蒸気機関車の運用が終了してしまい、筑豊本線では9600形、D51形、D60形などが最後の活躍をしていました。

駅の横には直方機関区があり、駅のホームからは9600形やDD51形ディーゼル機関車の姿が眺められました。

阪急電鉄 宝塚本線・今津線の終点駅

(2019年12月・2020年1月)

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9時40分発、急行 宝塚→大阪梅田行です。

6時台から21時頃にかけて、基本的にこの駅からの宝塚本線は急行のみの運転で、豊中までは各駅に停車します。普通電車の大半は雲雀丘花屋敷と大阪梅田間で運転されます。
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阪急の駅を南側に出ると別世界のような「宝塚ゆめ広場」に出ます。(2020)

宝塚は阪急電鉄の一部門である「宝塚歌劇団」の本拠地であり、阪急電車と武庫川に挟まれたエリアには、宝塚音楽学校、宝塚大劇場をはじめ、宝塚ホテル、ソリオ宝塚(専門店街、宝塚阪急)が続きます。(2020)

駅は1910(明治43)年の開業。宝塚本線は大阪梅田-宝塚間9.3kmで日中は毎時6本の運行。今津線は今津-宝塚間24.5kmで日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)
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宝塚歌劇100周年を迎えた2014(平成26)年に、宝塚市では「歌劇のまち 宝塚条例」という条例が制定されました。(2020)

/ 「宝塚ゆめ広場」には宝塚歌劇モニュメント「TAKARAZUKA REVUE」があり、駅を出たとたんにそこが劇場のようでした。このモニュメント1つで広場の雰囲気が一変しています。(2020)

≪宝塚本線≫
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9時30分発、急行 大阪梅田行は7000系での運転です。この4号線は終日、大阪梅田方面(宝塚本線)の電車が発着します。

7000系は1980(昭和55)年から210両が製造され、阪急電鉄の同一系列で製造数が最も多い形式です。
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隣駅は宝塚本線「清荒神」と今津線「宝塚南口」です。

/ 9時30分発、宝塚本線の急行が大阪梅田へ向けて発車していきます(7000系)。
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10時10分発、急行 大阪梅田行(8000系)が発車するところです。全線の所要時間は34分です。

8000系は阪急電鉄の創立80周年等を迎えたことを機に、7000系の後継として1988(昭和63)年から98両が製造されています。
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宝塚歌劇の街であるように、どこかしらに洒落た雰囲気が感じられます。

/ 長い終点駅のホームには屋根が架けられ、全天候に対応しています。

≪今津線≫
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9時52分、西宮北口から今津線の普通電車が到着しました。

1967(昭和42)年、神戸本線が600Vから1500Vへ架線電圧が昇圧されており、5000系は初の1500V専用車として昇圧の翌年から47両が製造されています。
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9時56分発、普通電車 西宮北口行が発車します。5000系は6両編成×7本となり、全編成が今津北線(宝塚-西宮北口)での運用となっています。

/ 終点駅の象徴である車止め(3号線=右、2号線=左)を眺めます。
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5000系は2001(平成13)年からリニューアルが行われ、屋根肩部がアイボリーに塗り分けられています。

/ 9時36分発、普通電車 西宮北口行が発車していきます。リニューアルでは貫通扉のガラスが下方に拡大しています。
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3号線にあるのりば案内では、3号線は宝塚本線と今津線の両方への発車があることがわかります。

/ 3号線から大阪梅田方向を眺めています。朝のラッシュ時は、今津線経由の大阪梅田行の設定があります。

≪駅からの眺め≫
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4号線のホームから大阪梅田側から眺めると、すぐ先で宝塚本線(左)と今津線(右)が分かれています。阪急の標準軌(1435mm)のレールを頼もしく眺めます。

≪車内からの眺め≫
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8時32分、大阪梅田から急行に乗車して宝塚に到着。駅に進入する直前で、今津線が左から合流する複雑な配線になっています。(2020)

≪JR宝塚駅≫
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阪急側の駅からJR福知山線の駅舎を眺めています。JRの駅舎は2010(平成22)年に橋上駅舎に代わっています。(2020)

/ 8時51分、快速 木津行が2番ホームに停車中です。この駅から大阪・梅田までの所要時間はJRの方が優位に立っています。(2020)

≪宝塚駅の歴史≫
1897(明治30)年 阪鶴鉄道(池田-宝塚)開業
1907(明治40)年 阪鶴鉄道の国有化
1910(明治43)年 箕面有馬電気軌道(梅田-宝塚)開業
1912(明治45)年 阪鶴線→福知山線(尼崎-福知山)改称
1921(大正10)年 今津線(宝塚ー西宮北口) 開業
1994(平成6)年 高架対応駅舎の完成(阪急電鉄)
2010(平成22)年 橋上駅舎の使用開始(JR福知山線)
※箕面有馬電気軌道→阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄→阪急電鉄




≪(昔)阪急電鉄 宝塚本線≫
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1975(昭和50)年 夏、宝塚本線を訪問した時で、撮影場所は川西能勢口駅付近だったと思います 。現在この周辺は高架化され当時の面影はありませんが、奥に見える西友ストアが目印で撮影場所が特定できました。

810系は1950(昭和25)年から翌年にかけて10両が製造されており、特徴としては宝塚本線600Vと神戸本線1500Vで使用可能な複電圧車です。

写真の手前2両は810号車+860号車で、奥の2両も複電圧車の810系と思われます。「宝塚 大阪 間」と表示された行先札が当時を偲びます。

和歌山電鐵 貴志川線の終点駅

(2015年8月・2022年2月)
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9時40分、「おかでんチャギントン」電車が到着しました。

2006(平成18)年、南海電鉄から貴志川線の経営を引き継いだ親会社の岡山電気鉄道は、社名を公募して「和歌山電鐵」に命名しています。

「おかでんチャギントン」のデザイナーである水戸岡氏は岡山市出身で、岡山電気鉄道(両備グループ)に「MOMO」が誕生した際に「ボランティアでデザインに協力する」と言明していたそうで、現在は両備グループのデザイン顧問に就いています。
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和歌山電鐵の乗り場に近い側の東口改札口は、古くからの住宅地で西口に比べて静かな雰囲気です。

/ 貴志川線は南海時代に廃線の危機がありましたが、和歌山電鐵に移管後は輸送実績が増加に転じています。

駅は1933(昭和8)年の開業。和歌山電鐡 貴志川線は和歌山-貴志間14.3kmで、終電時間帯を除いて毎時2~3本の運行。(引用:Wikipedia)

≪駅の様子≫
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JRと和歌山電鐵の共同使用駅で、和歌山電鐵は9番ホームが割り当てられ、中間改札が設置されています。

/ 東口と西口を結ぶ改札内の連絡地下道から、9番ホームへ上がる階段の途中に掲げられた「スーパー駅長 たま」のイラスト。
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これは水戸岡さんが来てみて考えたのかな。たま電車形の時計は面白いです。

/ 小さなベンチの後ろに、いろいろな貴志川線情報が掲示されています。
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9番ホームの隣に留置線が1本あり、両方の車止めが並びます。

/ 全部で14駅(14.3km)の貴志川線は、駅番号「1」のこの駅から始まります。

≪いちご電車 2271F≫
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2006(平成18)年、リニューアル車第一弾として、初めて水戸岡氏が和歌山電鐵のデザインを担当した「いちご電車」です。終点の貴志駅周辺では特産のいちご栽培が行われています。(2015/貴志駅)

≪おかでんチャギントン 2272F≫
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2018(平成30)年に登場した「おかでんチャギントン」電車です。

2270系が貴志川線に入線した当初は南海時代のカラーリングでしたが、最後にこのラッピングを施したことで全6編成がラッピング車となり、貴志川線から南海カラーが消滅しています。
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イギリスのテレビアニメ「チャギントン」で2272号車には「ウィルソン」。2702号車には「ブルースター」がラッピングされています。

≪うめ星電車 2273F≫
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2016(平成28)年、和歌山県の特産品である「南高梅」から作られる梅干しをデザインしており、JR九州の「ななつ星 in 九州」のパロディになっているそうです。
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隣駅は「田中口」です。

/ 側面から眺めると「ななつ星」のパロディと言うよりは、梅干しカラーが印象的で「ななつ星」にこの色を採用したのではないでしょうか。

≪たま電車 2275F≫
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2009(平成21)年、貴志駅の駅長猫である「たま」をモチーフにした「たま電車」が登場しています。

駅長「たま」は2007(平成19)年に駅長に就任し、2015(平成27)年の「たま」の死に伴い「名誉永久駅長」に任命されています。
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2006(平成18)年に貴志川線が和歌山電鐵に経営移管し、同年に水戸岡氏がデザインした「いちご電車」が運行を開始しています。

翌年に「たま」が駅長に就任し、貴志川線の乗客数の増加に大きく貢献しています。和歌山電鐵ではなく、貴志川線ではなく、若い女性たちに「たま電車」で有名になりました。(2015)

/ みどり鮮やかな「おとぎの国」の電車。いつまでも走り続けて欲しいと思います。(2015)

≪たま電車ミュージアム号 2276F≫
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2021(令和3)年、たまの後継者である「二たま」をモチーフにした「たま電車ミュージアム」が登場しています。
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2012(平成24)年、「二たま」は伊太祈曽駅の駅長と貴志駅の駅長代理を兼ねることになりましたが、2015年の「たま」の死に伴って「たま2世として」貴志駅長に昇格しています。

≪昔~おもちゃ電車 2276F≫
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2007(平成19)年、2276F編成は「おもちゃ電車」として登場し、車内にも面白いアイデアが取り入れられていました。2019年に「おもちゃ電車」は終了し、現在の「たま電車ミュージアム号」へ再改造されています。(2015/2枚共)

≪駅周辺からの眺め≫
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9番ホームの先から貴志方向を眺めています。留置線(左)方向からのレールが合流した先に、右へ分岐するレールはJRとの渡り線です。(2015)

/ 電車の中から「渡り線」をキャッチ、意外と長いレールが延びています。(2015)
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駅から1つ目の踏切付近から貴志方向を眺めています。複線の紀勢本線(右)と貴志川線が並んでいますが、少し先の方で貴志川線が直角にカーブしていきます。




≪(昔)南海電鉄 貴志川線 時代≫
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1975(昭和50)年 夏に訪れた時の南海電気鉄道時代の貴志川線で、1201形(1217)が伊太祈曽駅に進入するところです。

1201形は南海本線・高野線で活躍していましたが、架線電圧を1500Vに昇圧することになったことから、1971(昭和46)年に貴志川線(600V)へ10両が移籍しています。

写真の先頭車である1217号車は1936(昭和11)年に製造された新造車で、1995(平成7)年に行われた「貴志川線近代化の一環」を機に、南海電鉄での約60年の活躍に終止符が打たれました。

JR西日本 阪和線・和歌山線の終点駅

(2015年8月・2022年2月)
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16時50分発、特急「くろしお26号」新宮→新大阪が到着しました。

使用されている車両は、287系電車の中でも「パンダくろしお」(Smile アドベンチャートレイン)ラッピングが施されていて、ちょうど目の部分から前照灯が明るく光ります。
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 西口には、駅ビル「和歌山MIO」や和歌山ターミナルビル(和歌山MIO北館、近鉄百貨店、ホテル)が建てられ、市内の商業中心地を形成しています。

/ 西口駅前ロータリーにある花壇。

駅は1924(大正13)年の開業。阪和は天王寺-和歌山間61.3kmで、日中は毎時5~6本の運行。和歌山線は王寺-和歌山間87.5kmで、毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)。(引用:Wikipedia)
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和歌山市内のJR線の中心駅で、紀勢本線、阪和線、和歌山線、和歌山電鐵が乗り入れます。

「和み、和らぐ。和歌山からはじまる旅。」(1番ホーム)や「ようこそ和歌山へ」(4・5番ホーム)があり、駅にいるだけで観光ムードが広がります。

≪特急 くろしお≫
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17時20分発、特急「くろしお19号」新大阪→白浜は、「パンダくろしお」ラッピング車両で運転され、阪和線から紀勢本線へ乗り入れていきます。(4番ホーム)
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1番ホームにある特急くろしおの乗車位置の案内表示。

/ 8時9分発、特急「くろしお8号」白浜→新大阪も「パンダくろしお」での運転です。(1番ホーム)

≪パンダくろしお≫
JR西日本が2017年で発足30年、和歌山・アドベンチャーワールドが2018年で開園40周年を迎えたことをきっかけにラッピング車両が登場しています。

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8時43分発、特急「くろしお10号」白浜→新大阪は289系電車が使用されます。(1番ホーム)

/ 1番ホームの隣駅表示(駅名標)は、紀勢本線 新宮側「宮前」と阪和線「紀伊中ノ島」です。

≪阪和線 和歌山-天王寺≫
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9時6分発、「紀州路快速」京橋行(225系5000番台)です。(3番ホーム)

和歌山から天王寺までの所要時間は1時間3分です。
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2・3番ホームは主に阪和線の発着に使用されており、駅名標の隣駅は阪和線「紀伊中ノ島」だけの表示です。

/ 8時58着「紀州路快速」(左)と8時57分着 紀勢本線 普通列車 和歌山市→和歌山(右)が同時に到着しました。
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7時49分発、「紀州路快速」和歌山→京橋(223系0番台)は2番ホームに停車中です。

/ 2・3番ホームは、阪和線の乗り場表示です。
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「紀州路快速」車体側面の表示では、行先が「大阪環状線」になっています。

/ 8時15分発、「紀州路快速」和歌山→京橋(223系2500番台)。(3番ホーム)

≪紀勢本線 和歌山-新宮≫
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17時23分発、普通列車 和歌山→御坊。(5番ホーム)

223系0番台が使用され、全区間の所要時間は1時間3分です。
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8時6分発、普通列車 和歌山→御坊(5番ホーム)

227系1000番台は、105系、117系の置き換えを目的に2019年に導入されています。

≪和歌山線 和歌山-王寺≫
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8時20分発 普通列車 和歌山→奈良行(227系1000番台)です。(7番ホーム)

227系1000番台の増備・配置により、2019年に105系などの旧型車の運用が終了しています。
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奈良行は「和歌山-(和歌山線)-高田-(桜井線)-奈良」経路で運転され、全区間の所要時間は2時間51分です。

/ 8時31分、五条→和歌山の普通列車が到着しました。(7番ホーム)
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7・8番ホームに出入りするためののりかえ改札機が設置されています。

/ 7・8番ホームの隣駅表示は、和歌山線「田井ノ瀬」と紀勢本線 和歌山市方向「紀和」です。

≪紀勢本線 和歌山-和歌山市≫
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8時37分発、普通列車 和歌山→和歌山市です。(8番ホーム)

紀勢本線でも支線的な区間で227系1000番台のワンマン運転が行われます。全区間を6~8分で結びます。

≪紀勢本線≫
亀山-新宮(180.2km) JR東海 東海鉄道事業本部
新宮-和歌山(200.7km) JR西日本 和歌山支社「きのくに線」の愛称あり
和歌山-和歌山市(3.3km) JR西日本 和歌山支社

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2019年に旧型電車が引退し227系が導入され、ローカル線のイメージが薄らいでいます。

/ 17時ちょうど、和歌山市からの普通列車が短い2両編成で到着です。

≪駅横 留置線≫
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2、3番ホームの新宮側には一旦引き上げるための留置線があり、阪和線へ折り返していく列車の発着ホームとなっています。(4番ホームからの眺め)

/ 留置線に並ぶ225系5000番台。真四角な顔に外側に寄った前照灯が特徴です。

≪駅からの眺め≫
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4番ホームから新宮方向を眺めています。ここから紀伊田辺までは複線化、新宮までは直流電化が完了しています。

紀勢本線のJR西日本が管轄する区間のうち、白浜-新宮間(旅客面)の輸送密度が低いことから、関係自治体と活性化策の協議が必要となっており、廃線も議論に含まれる可能性があります。
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8番ホーム(紀勢本線 和歌山市方面)の隣には、和歌山電鐵の9番ホームが並びます。

/ 7番ホーム(和歌山線)から天王寺方向を眺めると、駅周辺にはビルやマンションなどが点在しています。
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駅の天王寺側を眺めています。

右へ向かうレールは高架橋の辺りで、紀勢本線 和歌山市方向(直進)と和歌山線(右)に分岐しています。左へカーブする阪和線と合わせて、3方向へレールが分かれていきます。

≪駅周辺からの眺め≫
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紀勢本線 新宮側の1つ目の踏切では、和歌山電鐵(左)とJR紀勢本線(右)の両方の路線が並走し、少し先で和歌山電鐵が左に分かれています。

≪105系電車≫
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15時22分、和歌山市行(8番ホーム=左)、和歌山線(7番ホーム=右)とも105系が停車中でした。(2015)
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12時33分、和歌山市行が8番ホームに停車中です。(2015)

/ 15時37分、和歌山線から到着した普通列車(奈良→桜井→高田→和歌山)で、奈良県と和歌山県の県庁所在地を結びます。 (2015)




≪(昔) キハ81形 特急「くろしお」≫
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1975年6月に訪れた時の阪和線で、キハ81系は特急「くろしお」に使用されていました。

日本初の特急型 キハ80系気動車は、1960(昭和35)年にキハ81系グループ26両が先行量産的に製造され、当初は特急「はつかり」に使用されています。

その後、東北地方・関東地方で活躍していましたが、特急の電車化やキハ81系の輸送力不足等により和歌山へ転出となり、
1972(昭和47)年から特急「くろしお」に充当されていました。

膨れて寸詰まりなボンネット形状の先頭車「キハ81形」は、キハ81-1から6までの6両が製造されていますが、1978(昭和53)年の紀勢本線 新宮電化で余剰となり、翌年に全廃されています。

東武鉄道 桐生線の終点駅 

(2015年7月・2020年8月)
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10時39分、浅草から特急「りょうもう5号」が到着です。この列車は全区間を1時間59分(115.0km)で走破します。

この駅には上毛電鉄・上毛線も乗り入れており、東武鉄道との乗換え駅になっています。
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1928(昭和3)年、上毛電気鉄道の駅として開業(当時は新大間々駅)。東武鉄道の駅はその4年後に開業しています。

/ 2003(平成15)年、現在の駅舎に建て替えられており、間接照明を取り入れたお洒落な駅舎内です。

駅は1911(明治44)年の開業(薮塚石材軌道)。桐生線は太田-赤城間20.3kmで、毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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この駅には構内踏切があり、赤城線側から眺めると、上毛電鉄の奥に駅舎があります。

/ 駅舎側から東武鉄道の乗り場を眺めると、踏切を渡った先の左側にホームが配置されます。

≪特急 あかぎ≫
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10時ちょうど発、特急「りょうもう20号」(200系 205F)が4番線に停車中です。

使用されている200系は、1956(昭和31)年に1720系として新製された「デラックスロマンスカー」を種車として、1990年に改造工事を行って200系として車両の更新が実施されています。
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200系として更新されてから33年が経過し、500系「リバティりょうもう」へ置き換えが始まり、200型9編成と250型1編成(完全新製)のうち、3編成が廃車されています。
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桐生線は頭端式ホーム1面2線です。私が訪れていた時は、4番線に特急、3番線に普通列車が停車していました。
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4番ホームの車止め側から特急りょうもう号を眺めます。伊勢崎線系統の赤い200系車両は、いつまで見ることが出来るのでしょうか。

/ 隣駅は「相老」です。

≪桐生線≫
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10時8分、普通列車 東小泉→太田→赤城が到着です。

この周辺にはJR両毛線、わたらせ渓谷鉄道、上毛電鉄、東武鉄道の路線があり、それぞれが首都圏、地方都市、地域内、渡良瀬川流域などの輸送を担っています。
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桐生線の乗り場案内板。(2015)

/ 上毛電鉄の乗り場案内板には、1番線(西桐生)、2番線(大胡・中央前橋)の表示があります。

/ 構内踏切付近から東武鉄道の乗り場(右側)を眺めます。(2015)
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10時30分発、普通列車 東大泉行が発車します。

/ 12時30分、桐生線の普通列車が到着。上毛電鉄の西桐生行が通り過ぎていきます。(2015)

≪上毛電鉄 上毛線≫
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10時27分発、普通列車 中央前橋→西桐生です。

700型電車は、元京王電鉄3000系で同社井の頭線で活躍しています。2000(平成12)年までに16両を譲り受け、主力車両として使用されています。
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上毛電鉄 上毛線で活躍する700系は2両編成×8本ですが、先頭部分のカラーはすべて異なるカラーになっています。

/ 700系は1962(昭和37)年以降に製造されており、上毛電鉄では老朽化を理由に自社発注の新型車両へ置き換える計画があるようです。
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上毛線は島式1面2線ホームで、1番線(西桐生方面)、2番線(大胡・中央前橋方面)が割り振られています。

/ 上毛線の隣駅は、西桐生側「桐生球場」と中央前橋側「東新川」です。
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東武鉄道側の2番線ホームから上毛電鉄側を眺めると、「開業時から使用されている?」ような物置きがあり、レトロを通り越して痛々しい建物です。

≪駅からの眺め≫
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3番線から駅全体を眺めます。右奥に駅舎と上毛電鉄のホームがあり、手前左側に東武鉄道のホームが延びています。

/ 上毛電鉄上毛線1番線ホームから中央前橋方向を眺めています。

群馬県の県庁所在「前橋」と、古くから「日本の機どころ」で有名な県南東部「桐生」を結ぶ上毛線は、東武鉄道の連結子会社として県内の地域輸送に貢献する鉄道会社です。
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桐生線4番線ホームから車止め方向を眺めていると、1本の留置線が眺められます。(2015)

/ 3番線(桐生線)側の車止め部分です。(2015)
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桐生線の3番線ホームから太田側を眺めています。右側には、むかし東武鉄道が使用していた貨物エリアがあり、現在は留置線と引き上げ線として使用されています。

上毛電鉄(左)と東武鉄道(右)が並走している途中に渡り線があり、かつては貨車の授受が行われ、一時期は旅客列車の直通運転が行われたようです。

親会社と子会社のレールが真っ直ぐ伸び、渡り線で繋がっている様子が印象的でした。

水島臨海鉄道 水島本線の終点駅

(2016年7月・2020年11月)
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10時40分発、到着してから5分後に三菱自工前行として折り返していきます。

使用されている「MRT300形」は、1995(平成7)年から翌年にかけて全6両が製造されています。画像は305号車です。
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水島臨海鉄道の「倉敷市駅」は、JR倉敷駅南口の広島寄りにあり、4階建ての駐輪場の1階にあります。

/ 道路から駅舎内へは階段もしくはスロープが設置されており、待合室とホームの床面を同じ高さに保っています。

駅は1948(昭和23)年の開業。水島本線は倉敷市-倉敷貨物ターミナル間11.2km(旅客営業は倉敷市-三菱自工前駅10.4km)で、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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隣駅は「球場前」です。

/ この駅は単式ホーム1面1線で、基本は到着した列車が折り返していくパターンです。

≪10:40発 三菱自工前行≫
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10時35分、三菱自工前から列車が到着しました。(MRT305号車)
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ホームからJR倉敷駅を眺めます。手前が山陽本線で、奥が伯備線のホームです。

/ 水島本線の横には道路が並走し、周囲にはビジネスホテルや集合住宅などの高いビルが見られます。

≪8:00発 三菱自工前行≫
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7時54分、三菱自工前から通勤通学列車が到着しました。(2016)

/ MRT300形(水色304号車+白色302号車)の2両です。(2016)

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折り返し、8時発の三菱自工前行となります。平日朝の混雑する時間帯は2両編成となるため、駐輪場の下からはみ出て停車しています。(2016)

/ 到着してすぐなので「倉敷市」表示のままです。(2016)

≪貨物列車≫
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水島臨海鉄道からの貨物列車がこの駅から山陽本線に乗り入れ、岡山貨物ターミナル駅を往復しますが、この日はJR貨物のDE10ー1750が使用されていました。

JR倉敷駅の2番ホームに停車し、JRの乗務員から水島臨海鉄道の乗務員へ交代しています。この先、隣の球場前駅までの間に渡り線が設置されています。

≪駅からの眺め≫
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1面1線のホームから三菱自工前方向を眺めています。

/ 駐輪場の下が駅という通勤通学利用者には便利な駅です。

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ホームから車止め付近を眺めています。

/ 車止めの後ろから真っ直ぐに伸びるレールを眺めます。
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もともと水島本線は、水島に建設された軍需工場の専用鉄道として1943(昭和18)年に敷設されており、その5年後に旅客営業を開始しています。

現在では貨物収入と旅客収入は概ね半々となっており、安定した鉄道運営が続いているようです。

≪水島本線の歴史≫
1943(昭和18)年 「三菱重工水島航空機製作所専用鉄道」として開業
1947(昭和22)年 「水島工業都市開発」に移管
1948(昭和23)年 地方鉄道法による鉄道として旅客営業を開始
1952(昭和27)年 倉敷市に譲渡、倉敷市交通局運営の市営鉄道となる
1970(昭和45)年 水島臨海鉄道へ移管

JR西日本 伯備線の終点駅

(2016年7月・2020年11月)
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9時48分、岡山から普通列車 三原行に乗車してこの駅で下車しました。

倉敷では編成数の少ない117系と遭遇出来るか心配していましたが、何と乗車した列車が117系でしたので、到着と同時に画像に収めました。昨年「快速 サンライナー」が廃止されており、岡山地区での117系の存続が危うくなっています。
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1981(昭和56)年、橋上駅である現駅舎(3代目)が竣工し、北口が出来ています。

駅は1891(明治21)年の開業。伯備線は倉敷-伯耆大山間138.4kmで、毎時2~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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改札口から駅構内を眺めると、発車案内板(左=伯備線、中=山陽本線岡山方面、右=山陽本線三原方面)表示があります。

/ こちらは南口側の駅ビル。2015(平成27)年に減築工事が終わり、8階から2階建てへ改められ、現在は北口、南口の両商業ゾーンを合わせて「サンステーションテラス倉敷」を形成しています。
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この駅の乗り場は1番線(山陽本線・下り)、2・3番線(山陽本線・上り)、4・5番線(伯備線)です。

≪倉敷みらい公園≫
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1997(平成9)年、西口の駅前に都市型テーマパーク「チボリ公園」が開園しましたが、のちに経営難のために閉園しています。

/ 2011(平成23)年、跡地には「倉敷みらい公園」が築かれ、イトーヨーカ堂の複合商業施設「アリオ倉敷」と「三井アウトレットパーク倉敷」の施設が一体的に整備されています。

≪伯備線 特急列車≫
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11時16分発、特急「やくも9号」岡山→出雲市です。

1982(昭和57)年、伯備線と山陰本線(倉敷-伯耆大山-西出雲)が電化されて以来、381系は特急「やくも」で活躍してきましたが、2024年に新形式の273系に代わる予定です。
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11時29分発、特急「やくも10号」が岡山に向けて発車していきます。

/ 隣駅は「清音」です。

≪伯備線 普通列車≫
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10時57分発、普通列車 播州赤穂→総社です。

長い間、国鉄車両の聖地のようになっていた岡山地区ですが、今年から227系500番台が登場予定で、115系の置き換えが始まります。
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8時38分発、普通列車 岡山→備中高梁です。(2016)

/ 11時33分発 普通列車 長船→新見が4番ホームに到着です。213系3両編成(C-01)の岡山側は「クモハ213-1」です。
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8時50分発、普通列車 新郷→播州赤穂は、この115系は「吉備之国くまなく旅し隊」ラッピング車です。(2016)

/ 同編成の先頭車(岡山側)には「くまなく・たびにゃん」が描かれていました。(2016)

≪山陽本線≫
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11時4分発、普通列車 糸崎→岡山です。115系の画像を見ると、力強く唸るモーター音を想像してしまいます。
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11時6分発、普通列車 岡山→糸崎。年季の入った115系を眺めると、外観に違いがないかを探すのが楽しみです。

/ 8時43分発、普通列車 糸崎→岡山。115系の側面に様々な思いを馳せます。

≪JR貨物≫
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11時14分、「EF210-322」が山陽本線上り貨物を牽引していきます。貨車にはコンテナが積載されていないのでモーター音は軽そうです。
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8時49分、山陽本線下りの貨物列車です。EF66-26が牽引しています。

/ 8時55分、こちらは山陽本線上りのEF66形です。

ブルートレインの牽引実績があるEF66形0番台は、順次定期運用から外され、昨年に最後の「27号機」がリタイアし、0番台の歴史に幕が閉じました。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから岡山方向を眺めています。

隣の「中庄」との間には、伯備線の下り線が山陽本線の下り線から分岐し、山陽本線の上り線をクロスオーバー(立体交差)する地点が眺められます。
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4番ホームから水島臨海鉄道の倉敷市駅を眺めます。このホームと向かいの3番ホームとの間に中線があります。

5番ホームから糸崎方向を眺めると、隣に側線1本と留置線1本が並びます。
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4番ホームから伯備線(右)と山陽本線 糸崎方向の分岐点を眺めます。

ここから陰陽連絡路線の1つである伯備線(138.4km)は、中国山地を横断し日本海側の鳥取県とを結びます。

土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の終点駅

(2021年12月)
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9時42分、高知からの快速列車(9640形9号車)が到着しました。
(快速)高知8:30発→後免8:47発→安芸9:22発→奈半利9:42着

奈半利駅の手前には奈半利川を渡る橋と、国道55号線を跨ぐ橋の2つの鉄道橋があり、ダイナミックな景色が眺められます。
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駅の1階には物産館「無花果」があり、2021年から駅業務を物産館「無花果」へ委託しています。

/ 「ごめん・なはり線」は大半が高架区間を走行しており、終点のこの駅も高架駅です。

駅は2002(平成14)年の開業。ごめん・なはり線は後免-奈半利間42.7kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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この駅発の列車は1日20本あり、一日を通じて1時間に1~2本の運行があります。

/ 改札口とホームは、高架の3階部分に設置されています。

≪ごめん・なはり線≫
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8時55分発、普通列車 高知行で、後免からJR四国 土讃線に乗り入れていきます。

9640形4号車が発車を待っています。9640形の形式名は「くろしお」に因んだものだそうです。
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隣駅は「田野」です。駅名標の下には、手を振る「なは りこちゃん」がいます。

/ 9640形気動車4号車の側面には、やなせたかし氏がデザインした各駅のキャラクターが描かれています。
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隣駅は「田野」です。

/ 高架3階のホームは眺めが良く、奈半利町の市街地周辺が見下ろせます。
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8時21分、後免からの普通列車が到着しました。

/ 車止め側を眺めています。計画当初は甲浦方面へ延伸出来る構造でしたが、着工時に延伸しない構造に設計変更されたようです。

≪奈半利川 橋梁≫
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駅手前の奈半利川で隣の田野町との町境となるため、奈半利町内に入ってからは数百mで終点駅となります。

/ 15時1分発、快速 高知行が発車していきます。(奈半利15:01発→後免15:59発→高知16:22着)
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この路線は国鉄「安佐線(牟岐-奈半利)」として建設を始めています。

現在では「安佐線」の区間をJR四国、安佐海岸鉄道と土佐くろしお鉄道という複数の鉄道会社が運営しており、また、甲浦-奈半利は未成線のままで、路線バスによる運行となっています。

「安佐線」の一部を形成する土佐くろしお鉄道(後免-奈半利)は、正式路線名は「安佐線」ですが、旅客運行上では「ごめん・なはり線」の愛称を用いています。

≪安佐線の建設計画≫
1922(大正11)年 安佐線(牟岐-後免)が予定線に編入
(以後、調査線、工事線へ格上げ)
1965(昭和40)年 運輸大臣が安佐線(国鉄)の工事実施計画を認可
1973(昭和48)年 牟岐線(牟岐-海部)開通
1981(昭和56)年 国鉄経営再建(法)の施行により、安佐線の建設工事が中断
1992(平成4)年 安佐海岸鉄道 安佐東線(海部-甲浦)開業
2002(平成14)年 土佐くろしお鉄道 安佐線(ごめん・なはり線)全通

≪安佐線 区間毎の運行会社≫ (各路線とも開業当初)
牟岐-海部(JR四国 牟岐線の一部 10.1km)
海部-甲浦(安佐海岸鉄道 安佐東線 10.0km)
甲浦-奈半利(未成線:路線バスでの運行 約50km)
奈半利-後免(土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線 42.7km)



≪奈半利町 & なはりこちゃん≫
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奈半利町の観光マップが掲示されていました。

/ ごめん・なはり線の各駅には、高知県出身の漫画家やなせたかし氏のデザインするイメージキャラクターが設定されています。この駅は女性駅員「なはりこちゃん」が設定されています。

≪奈半利港 緑地公園≫
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駅の近くにある緑地公園には、船のスクリューがモニュメントとして飾られています。

/ 公園の横をごめん・なはり線の高架が通り抜けます。

志布志鉄道記念公園を訪ねて 

(2022年12月)
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志布志駅から歩いて3分程の所に「志布志鉄道記念公園」があります。1996(平成8)年、この公園は旧志布志機関区の跡地だった場所に完成しています。

そんな由緒ある「鉄道記念公園」を守りつつ、この町の鉄道の歴史を末永く語り継いで欲しいです。

≪キハ52-130≫
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キハ52-130は、1965(昭和40)年に新潟鐵工所で製造され、主に鹿児島区で活躍した車両です。1993(平成5)年に廃車され、志布志市内で保存されています。
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キハ52形気動車は、キハ20系気動車の系列に属し、急勾配のローカル線用車両としてエンジンを2基搭載し、両運転台を備えた車両です。

/ 優しい顔つきでありながら、頼もしい昭和生まれの「キハ」です。
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かつて志布志市、鹿屋市、垂水市、国分市を結んでいた「大隅線」(志布志-国分間98.3km)は、1987(昭和62)年に全線廃止となっています。

現在、この鉄道公園と同様に旧大隅線沿線は多数の鉄道公園が残されています。

≪C58-112≫
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この日は2022年12月29日。ちょうど私が訪れた時には「志布志イルミネーション2022」が開催されており、昼間の時間帯は配線と電球が目立ってしまうような装飾が施されていました。
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腕木式信号機も綺麗な状態で保存されており、次世代に「昔の信号システム」を語り継いでいって欲しいです。

/ 「C58-112」の説明板には、志布志市長、SL保存会(旧志布志機関区OB)とあり、地元の有志による公園や車両の整備が行われ、今でも綺麗な状態が保たれていることがわかります。
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C58-112が装着している「門鉄式除煙板」は、それだけで南国で活躍するSLであることを確信します。

/ SLの主連棒やナンバープレートが赤く塗られ、赤い花が「赤」効果を倍増します。
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「志」=志布志機関区の札が目を引きます。

/ 錆を抑えるためか、動輪の縁が白く塗られていました。
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.ナンバープレート、灯火類、煙突、除煙板、キャブ・炭水車...静態保存から48年経った今でも綺麗な状態です。

/ SLの近くには「C58-112」の経歴が記されていました。

≪C58-112 経歴≫
1939(昭和14)年 汽車製造 大阪 製造
同年 稲沢機関区 新製配置
1942(昭和17)年 多治見機関区 異動
1950(昭和25)年 大分機関区 異動
1972(昭和47)年 志布志機関区 異動
1975(昭和50)年 廃車
同年 志布志運動公園 保存
1996(平成8)年 志布志鉄道記念公園 移設


≪ヨ8951≫
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ヨ8000形貨車(ヨ8951)です。国鉄時代の1974(昭和49)年から5年間で1,170両が製造された事業用貨車(車掌車)です。

1986(昭和61)年に貨物列車の車掌乗務が原則的に廃止され、ヨ8000形の本来の用途がなくなっています。

≪公園周辺≫
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志布志駅前から公園前を通り、真っ直ぐに伸びる道路の街路樹を眺めています。

/ 1987(昭和62)年に廃止された「大隅線」と「志布志線」は、公園の前辺りを並列で通っていたようで、駅からおよそ1.3km先で分岐していました。
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南国の雰囲気漂う樹木が目に入ります。

/ 志布志駅方向にはレールが長めに敷設されていました。
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公園から志布志湾の反対側を眺めると市街地を見下ろせる高台があり、葉の色が色づいた木々が点在していて綺麗な樹林帯でした。

阪堺電気軌道 阪堺線の終点駅

(2022年2月)
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12時51分、我孫子道からの電車が到着しました。昭和初期に製造された路面電車が定期運用に入っており、誰でも乗車出来る嬉しい動態保存的車両です。

到着した車両はモ161形電車で1928(昭和3)年と1931年に15両が製造されています。1928年に製造された161号車は、国内においては最古の部類に入る車両です。
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2020年に駅のホームが南へ100m移設され、古い駅舎は取り壊されています。現在は単式ホーム1面1線のシンプルな駅になっています。

/ 隣の停留場は「新今宮駅前」です。

駅は1911(大正44)年の開業。阪堺線は恵美須町(停)-浜寺駅前(停)間14.0kmで、毎時1~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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昔は堺市と大阪市の両市を跨いで乗車する時は「両市直通運賃」が設定されていましたが、2020(令和2)年からは全線均一運賃に改定されています。

/ 車止めの後方100m先に旧停留場がありましたが、跡地には「インドアテニススクール」が開業するようです。

≪モ161形電車≫
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塗装面の下地処理が施され、その上に綺麗に緑色が塗装されています。

2011(平成23)年、161号車は「阪堺電気軌道100周年」を記念して、1965(昭和40)年当時の状態に復元されています。
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2021年、クラウドファンディングにより大規模修繕を行っており、私が訪れた2か月前(2021年12月)から一般運用に就いているそうです。

/ 13時4分、もうすぐ100歳になる161号車は、我孫子道に向けて折り返していきます。

≪モ601形電車≫
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13時16分、我孫子道からの電車が到着しました。

601形電車は1996(平成8)年に登場し、その年以降に全7両が製造されています。
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601号車は「新大阪建設」ラッピング車で、白地に黄色い下帯で明るく軽快な印象を受けます。

/ 13時28分発、折り返し我孫子道行となります。

≪モ701形電車≫
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13時39分、我孫子道からの電車が到着です。

701形電車は1987(昭和62)年にモ701号車が誕生し、その後8年間で11両が製造されています。
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710号車は鮮やかなピンク色の「SPハウジング」ラッピングが施されています。

/ 掲載企業の代表が決めポーズをしているユニークなラッピングです。

≪停留場からの眺め≫
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停留場から我孫子道方向を眺めます。

阪堺電車の軌道と左側に並行する堺筋(通り)の間に雑居ビルが並びます。狭い空間でも敷設できる路面電車の機動力が発揮されます。
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阪堺線はこの駅から浜寺駅前(停)までの路線ですが、恵美須町(停)-我孫子道(停)を運転し、上町線の電車が天王寺駅前(停)-浜寺駅前(停)を通しで運転しています。

/ 出発用のシンプルな信号機が設置されています。
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2003年、利用者の減少や安全対策事業の資金難などから我孫子道以南の堺市内区間の存続について、堺市側と廃止を含めた協議を行っていますが、その後に堺市は阪堺線存続支援を行っています。

≪阪堺電車と通天閣≫
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全長14kmの阪堺線は、時速40km/hの路面電車がのんびり走ります。

/ 2020年、恵美須町停留場の副駅名に「通天閣前」の使用が開始されているように、付近の「新世界通天通線」越しに通天閣の展望塔が眺められます。

≪新今宮駅前≫
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新今宮駅前の簡易ビジネスホテルの部屋から眺める阪堺線。私が宿泊した部屋はトラム・ビューのお値打ちな部屋でした。




≪(昔)モ121形モ124号車≫
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1975(昭和50)年に訪れた大和川検車区です。(見学許可済)

阪堺電気軌道モ121形電車は、1929(昭和4)年製造の大阪市電1601形電車10両を譲り受け、1967(昭和42)年に新製した半鋼製車体に載せ替えて運行を開始しています。2000(平成12)年に最後の1両が廃車となり、形式消滅しています。

JR北海道 函館本線 砂原支線・藤城支線の終点駅

(2022年8月)
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11時51分発、普通列車 函館→森です。キハ40形2連での運転ですが、夏の観光シーズンということで車内は観光客で混み合っていました。

この駅の函館側は本線と藤城支線、長万部側では本線と砂原支線の2線のルートに分かれ、8の字のような「函館本線」です。
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職員配置駅でしたが「入場券の販売はないので、そのままホームへ入場してください」と説明を受けました。

砂原支線は1945(昭和20)年に第二次世界大戦中の輸送力増強のため、急勾配の介在する本線のバイパスとして開業。藤城支線は1966(昭和41)年に本線の急勾配区間のバイパスルートとして開業しています。

駅は1903(明治36)年の開業。砂原支線は大沼-森間35.3kmで、1日5本の運行。
/ 藤城支線は七飯-大沼間(途中駅無し、営業キロの設定無し)で、上り列車の設定無し。(引用:Wikipedia)

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本線の隣駅は、函館側「仁山」と長万部側「大沼公園」で、藤城支線「七飯」、砂原支線「鹿部」です。

/ この駅は北海道らしく本線の先の方まで見通しが良く、駅構内も広くゆったりしています。

≪①10:31 通過 北斗7号 函館→札幌≫(本線-本線)
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特急「北斗7号」(キハ281系)が函館から札幌に向けて通過します。この後2分で隣駅「大沼公園」です。

キハ281系気動車は1992(平成4年)から27両が製造され、2年後に「スーパー北斗」として営業運転を開始しています。

➡運行ルート:函館10:05発→(七飯)→新函館北斗(本線)→(大沼)→大沼公園10:33発(本線)→→札幌13:52着

≪②10:50発 普通列車 長万部→函館≫(本線-本線)
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この普通列車はすべて本線ルートを通り長万部から函館へ向かいます。列車は真ん中の2番ホームに停車。発車後は分岐器を通過して左のレールへ進入していきました。

➡運行ルート:長万部8:32発→→大沼公園(本線)→大沼10:50発→新函館北斗(本線)→七飯→函館11:36着

≪③11:13 通過 北斗9号 札幌→函館≫(本線-本線)
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特急「北斗9号」(キハ261系1000番台)が2番ホームを通過します。2016(平成28)年からキハ261系1000番台が増備され、昨年、キハ281気動車が引退しています。

➡運行ルート:函館10:45発→(七飯)→新函館北斗(本線)→(大沼)→大沼公園11:15発(本線)→→札幌14:38着

≪④11:51発 普通列車 函館→森≫(本線-本線)
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函館から普通列車の到着です。七飯から本線を経由して、新函館北斗で北海道新幹線との乗継ぎ連絡を行い、森へ向かいます。

➡運行ルート:函館11:05発→七飯→新函館北斗(本線)→大沼11:51発→大沼公園(本線)→12:28着

≪⑤12:28発 普通列車 森→函館≫(本線-本線)
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函館へ向かう普通列車が単行運転で到着しました。

2030年に予定されている北海道新幹線の札幌延伸時には、函館本線(函館-長万部)が経営分離される予定です。現時点では砂原支線は存続する方針ですが、経営分離後の累積赤字を抑えるために、藤城支線の旅客運行は取りやめる案があるようです。

➡運行ルート:11:54発→大沼公園(本線)→大沼12:28発→新函館北斗(本線)→七飯→函館13:08

≪⑥13:12発 普通列車 函館→森≫(藤城支線-本線)
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藤城支線からのレール(右)からの普通列車 森行が進入してきました。藤城支線を経由する旅客列車は、下り列車の1日3本だけなので貴重なシーンだと思います。

➡運行ルート:函館12:35発→七飯→(途中駅なし:藤城支線)→大沼13:12発→大沼公園(本線)→13:40着
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藤城支線からの普通列車が3番ホームに停車しています。この先は本線(大沼公園経由)になりますが、対向の特急「北斗9号」の通過待ち後の発車です。


この日は藤城支線経由のこの列車(下り列車だけの運行で1日3本)に合わせてやってきました。砂原支線を経由する列車は日中の運行がないので、今回は出会えませんでした。

≪駅の様子≫
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この駅の時刻表は、経由するルートが本線、支線を見分けるのが大変です。

/ 改札口部分の扉ガラスに「JR北海道」の文字があり、年季の入った駅舎にちょっとしたお洒落を見つけました。
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この駅は駅舎側の単式ホーム1面1線と、島式ホーム1面2線があり、跨線橋で結ばれています。

/ 跨線橋は積雪の重みの影響を受けないためか、天井部分が丸くなっていました。
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2番ホームから函館方向を眺めています。左右の側方には保線エリアがあり、1番(左)との間、3番ホーム(右)の外側に中線があります。

/ 北海道駒ケ岳の麓の原野を開拓して開業した駅の様子が、今でもわかるような風景が広がります。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから函館方向を眺めています。

勾配の関係で、藤城支線(右)は全ての下り貨物列車が通行しますが、特筆すべきは1日3本の下り普通列車が新函館北斗に立ち寄らずに、この藤城支線を通行することです。
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2番ホームから長万部方向を眺めています。砂原支線(右)には途中駅が6駅あり、全ての上り貨物列車と普通列車下り5本、上り7本が通行します。

≪藤城支線・砂原支線≫
この駅から森までは本線(大沼公園経由)と砂原支線(渡島砂原経由)に分かれ、この駅から七飯までは本線(新函館北斗経由)と藤城支線(途中駅なし)に分かれます。

【藤城支線=函館方向】(本線)大沼-新函館北斗-七飯 /(藤城支線)大沼-七飯(途中駅なし) ※普通列車下り3本、JR貨物下り貨物列車は、藤城支線を経由。

【砂原支線=札幌方向】(本線)大沼-大沼公園-森 /(砂原支線)大沼-渡島砂原-森 ※普通列車下り5本と上り7本、JR貨物上り貨物列車は、砂原支線を経由。


≪北海道駒ケ岳の眺め≫
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駅舎側の1番ホームから大沼公園側には、独特な山容の北海道駒ケ岳が綺麗に眺められました。

森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131mの活火山で、蝦夷駒ケ岳、渡島駒ケ岳とも呼ばれますが、地元では単に「駒ケ岳」と呼ばれています。
山麓には堰止湖である大沼、小沼などの湖沼や湿地など豊かな自然環境形成され、1958年に一帯は大沼国定公園に指定されています。(Wikipediaより)

≪駒ケ岳の眺め≫
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駅にあった「大沼駅小史」を興味津々で眺めていました。

「大沼駅の語源は、アイヌ語のポロ・ト(親沼)でこれに対するポン・トー(小沼)がプラットホームの向かいに見える小沼です。大正9年、昔この付近に住んでいたアイヌの酋長イクサンタの名に因んで軍川駅と改名されましたが、昭和39年にもとの大沼駅に戻りました」(大沼駅小史より)

≪函館本線 & 大沼駅≫
1903(明治36)年 大沼駅 開業(北海道鉄道)
1907(明治40)年 函館-小樽間 国有化
1909(明治42)年 函館本線(函館-旭川)に制定
1945(昭和20)年 砂原支線(大沼-渡島砂原-森) 全通
1966(昭和41)年 藤城支線(七飯-大沼) 開通




≪(昔)DD51牽引「大沼号」≫
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1985年10月に訪れた時の函館駅で、写真に写っている駅ホームにある時計では、午前9時40分であることがわかります。牽引機はDD51-1013(五)

この列車の詳細はわかりませんが、当時の道内で活躍していた「DD51形ディーゼル機関車と50系客車」による快速運用の「大沼号」であったように思います。

大沼国定公園は昭和33年に指定されていますが、道路整備やマイカー普及等による鉄道利用の減少で、大沼へ向かう観光列車が運行されていない現状を残念に思います。

神戸電鉄 甲陽線の終点駅

(2018年9月・2020年1月)
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12時11分、甲陽園から甲陽線の電車(6022F)が到着しました。(2018)

甲陽線は路線長2.2kmで全線単線、途中駅1つでワンマン運転を行っています。ほかの主な支線と同様に日中は10分毎に運転しています。

2本の電車が折り返し運転を行っており、途中駅「苦楽園口」で列車交換を行います。
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夙川辺りから甲陽線に沿って、阪神間で屈指の高級住宅街があり、駅前広場も少し垢抜けた感じがあります。(2018)

/ この駅は1920(大正9)年に神戸本線が(当時の阪神急行電鉄により)全通した際に開業し、4年後に甲陽線(夙川-甲陽園)が開業しています。(2018)

駅は1920(大正9)年の開業。甲陽線は夙川-甲陽園間2.2kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)

≪甲陽線≫
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3番ホームに停車中の甲陽線の電車(6022F)。6000系3両編成でワンマン運転対応車が使用されます。
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1面1線の甲陽線ホームを車止めの後ろ側から眺めます。

/ 字体が丸っこくて、何となくホッとする感じの「方向幕」。(2018)
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隣駅は「苦楽園口」です。

/ 14時57分、甲陽園行の電車(6021F)が発車していきます。
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15時1分、前の電車が発車して4分後、次の電車(6010F)が到着しました。
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甲陽線ホームの先から甲陽園方向を眺めます。この先、夙川沿いの高級住宅街を2.2km走ると早くも終点駅です。

「甲陽園駅」を私が訪れた時の感想ですが、そこはもう六甲山地の山裾のような場所で、山がちな地形が間近に迫っています。

≪神戸本線≫
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11時58分発、普通電車(大阪梅田→神戸三宮)です。

1000系(2代目)電車は、2013(平成25)年から製造が開始。宝塚線、神戸線系統に投入され、現在は8両編成×20本が配置されています。
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神戸本線の隣駅は、大阪梅田側「西宮北口」、神戸三宮側「芦屋川」です。

/ 14時30分発、普通電車(神戸三宮→大阪梅田)です。1000系(1007F)が使用され、2020年「初詣」のヘッドマークが掲出されていました。
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14時38分発、普通電車(大阪梅田→神戸三宮)で、1000系(1000F)の神戸側先頭車が「1000」です。関東在住の私は、車両番号「1000号車」は何時まで経っても馴染めないです。

≪本線-支線 連絡線≫
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甲陽線の3番ホームは、神戸本線(大阪梅田方面)の2番ホームに垂直に伸びる形で配置されています。そのため、甲陽線への車両回送は、神戸本線神戸三宮側から3番ホームの反対側にある連絡線を通って行われます。

3番ホームの反対側を通る連絡線(左)。 / 神戸本線(大阪梅田方面)2番ホームの横に出てくる連絡線(右)。
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神戸本線(神戸三宮方面)1番ホームから奥の連絡線を眺めます。

/ 同ホームから連絡線(右)と引き上げ線(右奥)を眺めます。本線の上下線間に渡り線があります。これにより、甲陽線への送り込みと西宮車庫への引き上げが可能となります。

≪駅からの眺め≫
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駅名の由来となった「夙川」。神戸本線のホームの下を夙川が流れており、川沿いには松や桜の並木が続きます。

/ 2番ホームから大阪梅田方向を眺めています。この駅からは甲陽線が接続し、隣駅の西宮北口では今津線が乗り入れるなど、阪急の路線が縦横に伸びるエリアです。

≪夙川≫
兵庫県南東部を流れる二級水系の本流で、六甲山地の東端のゴロゴロ岳を水源に、兵庫県西宮市南西部を南流し大阪湾に注いでいます。夙川周辺や夙川駅周辺は、高級住宅街が連続する阪神間で屈指のお屋敷町です。(Wikipediaより)

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2番ホームから神戸三宮方向を眺めています。

この駅から春日野道に至る区間は、六甲山地の麓を通過する区間で急な勾配が断続的に発生しています。

神戸本線は、カーブの多い阪神電車に対抗してスピード面で優位に立てるように、ほぼ直線的に大阪と神戸を結んでいるそうです。神戸に近づくにつれて六甲山地と大阪湾の間隔が狭くなり、狭いエリアの集客合戦を思い起こさせます。

JR東日本 南武線 南武支線の終点駅

(2022年11月)
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11時37分発、普通電車 浜川崎→尻手です。

この駅の開業は、1918(大正7)年に当時の鉄道省が東海道 貨物支線(川崎-浜川崎)を開業した時の盲腸線の終点駅として開業しています。

その短絡ルート(川崎-浜川崎)は、1971(昭和46)年に廃止され、現在はありません。
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浜川崎駅は、鶴見線と南武線 南部支線が乗り入れていますが、こちらは南部支線の駅舎です。現在、入口部分のスロープ新設工事が行われており、左側から迂回してホームへ向かいます。

/ 工事の柵に「JR線 近距離きっぷ運賃表」が掛けられています。

駅は1918(大正7)年の開業。南武線 南武支線は尻手-浜川崎間4.1kmで、毎時1~5本の運行。(引用:Wikipedia)

≪南武線 南武支線
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南部支線 尻手-浜川崎は路線距離4.1kmの路線で約8分で走破します。「都会の中のローカル電車」らしい2両編成の電車が走ります。

南部支線には、2002(平成14)年から翌年にかけて、205系の中間電動車の先頭車化改造を実施した1000番台(2両編成×3本)が配置されています。

1000番台は101形時代の塗色を踏襲して、車体下部には緑と黄色、車体上部にはクリーム色の帯が巻かれています。
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南部支線の駅は、1930(昭和5)年に尻手-浜川崎間の貨物線が開通した時に開業し、その後すぐに、現在とほぼ同じ区間(尻手-新浜川崎)の旅客営業が始まっています。

/ 2番ホーム(南部支線)の車止め付近にある架線柱。
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「クモハ205-1002」の車内には「ワンマン」「1号車」の表示があります。

/ 同車両には、「平成元年 川崎重工 製造」と「平成14年 鎌倉総合車両所 改造」の表示があります。
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205系1000番台は、2016年に「川崎 音楽のまち」と海をイメージしたデザインにリニューアルされており、車体側面の帯や車両内部の座席には五線譜やト音記号などが描かれています。(神奈川新聞の記事より)
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隣駅は「小田栄」です。

/ 南部支線に205系が投入されてから20年が過ぎますが、今もステンレス車体の輝きが衰えていないようです。

≪駅からの眺め(南部支線)≫
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南部支線ホームから扇町方向を眺めると、踏切の先に浜川崎(貨物)駅が広がります。
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昔、1番ホームだった所に柵が築かれ、地元の中学生が描いた「南武線」が掲げられていました。

/ 2番ホームから本線側を眺めると、首都高速道路 横羽線が跨いでいきます。
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南部支線と貨物線の間に朽ちた保線車両が残されていました。

/ 2番ホーム(右)の反対側は元1番ホームで、今はホーム沿いのレールが撤去され、ホーム端に柵が設けられています。
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正午ちょうど、尻手から普通電車が到着しました。

≪鶴見線≫
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鶴見線の駅は、1926(大正15)年に鶴見臨港鉄道の貨物駅として開業しています。その後、1943(昭和18)年に鶴見臨港鉄道が国有化され、「鶴見線」と命名されています。
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鶴見線 4番ホームから鶴見方向を眺めています。12時54分発、浜川崎→鶴見の普通電車が青信号で発車します。

/ 12時54分、普通電車 扇町→鶴見です。鶴見線で使用される車両は205系1100番台で、3両編成×9本が配置されています。

≪駅からの眺め(鶴見線)≫
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南武支線の駅から道路を横断して、鶴見線の駅へ歩いて来ました。跨線橋を渡って島式1面2線のホームへ向かいます。

/ こちら側は「鶴見線」の乗り場で、跨線橋の階段には鶴見線ののりば案内があります。
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跨線橋の上には、鶴見線のりばとJFE事業所へ向かう出口があります。

/ 鶴見線の隣駅は、鶴見側の「武蔵白石」と扇町側の「昭和」です。
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/ 鶴見線の隣駅は、鶴見側の「武蔵白石」と扇町側の「昭和」です。

/ ホームの手前は鶴見線(昭和・扇町方面)の3番ホームです。手前のレールは浜川崎(貨物)駅に続くレールで右奥に車止めがあります。

真ん中のレールは、南武線・東海道 貨物支線から貨物駅(左)を経由(スイッチバック)して、鶴見線へ入線が可能です。
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3番ホーム(昭和・扇町方面)です。右隣が浜川崎(貨物)駅(右手前)から鶴見線へ繋がるレールです。

/ 鶴見線のホームは1面2線です。

≪浜川崎駅(貨物駅)≫
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鶴見線 鶴見→扇町の車内から、浜川崎(貨物)駅を眺めます。鶴見線は一番右側を走行します。

/ こちらは扇町→鶴見の車内から、浜川崎(貨物)駅を眺めます。正面辺りが浜川崎駅です。

≪東海道 貨物支線・南武支線≫
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東海道 貨物支線(浜松町-東京貨物ターミナル-浜川崎)を下ってきた貨物列車は、ここ浜川崎から南武支線を八丁畷まで乗り入れ、八丁畷から先は東海道 貨物支線(八丁畷-鶴見)に分岐していきます。

11時34分、東京貨物ターミナルから東海道 貨物支線を下っていく貨物列車(EF210-144が牽引)。

/ 12時16分、東海道 貨物支線を上り、東京貨物ターミナル方面へ向かう貨物列車(EH200ー20)。

≪FV-E991系電車≫
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予定していない珍客です。水素式燃料電池駆動車FV-E991で、鎌倉車両センター中原支所から南武支線を通り、この駅にやって来たようです。

/ この後、浜川崎(貨物)駅に停車し、鶴見線へ転線していきました。燃料電池式電車の実証実験が行われており、「回送」表示で運転されています。FV-E991には、「ひばり」(HYBARI)の愛称があります。

≪DD200ー2≫
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南武支線を経由して、浜川崎(貨物)駅にDD200-2が到着しました。新鶴見機関区から出庫して、安善駅構内の入換え作業で回送されてきたものと思われます。

/ 浜川崎(貨物)駅では、DD200-2が停車している付近に、この駅止まりの電車(鶴見線)が一旦引き上げ、進行方向を変えて「鶴見行」に切り替わります。




≪(昔)クモハ11+クハ16≫
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1974(昭和49)年の浜川崎駅(2番ホーム)です。右側の画像は2022年11月に訪れた時の同ホームです。

この頃の南武支線は戦前に製造された茶色い電車が行ったり来たりしていて、巷でよく言う「大都会で取り残された路線」のようでした。

この駅に降り立つと、戦前生まれの南武支線の電車だけでなく、奥多摩から南武線経由の茶色いED16形電気機関車がやって来たりで、この駅は「茶色大集合」の不気味な駅でした。

室蘭市 旧室蘭駅舎 「D51-560」

(2021年8月)
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2017年にここ旧室蘭駅舎を訪れしたが、その時は「D51ー560」は室蘭市内の別の場所に保存されていました。

今回の訪問では、保存されている旧室蘭駅舎の隣に、綺麗な姿に整えられた「D51-560」がしっかりと保存されていました。この場所は、別名「ぽっぽらん公園」というそうです。

≪室蘭駅 3代目駅舎≫
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現在の室蘭駅から600mほど離れた所にある「3代目駅舎」です。建物の中には観光案内所があり、鉄道資料館が併設されています。

3代目駅舎は、1912(明治45)年に木造2階建ての「寄せ棟造り」という工法で建てられており、1997(平成9)年に駅が移設された際に使用を終えています。
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道内の駅舎の中では最古の木造建築物で、1999(平成11)年に「国の登録有形文化財」に指定され、2010(平成22)年にはJR北海道の「準鉄道記念物」指定されています。(室蘭市の公式サイトより)

/ 駅名表示は駅の歴史を感じる重要な要素です。

≪D51-560≫
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「D51-560」が保存されていた「室蘭市青少年科学館」は老朽化が進み、また、耐震性が低いという問題もあり、施設の建て替えを機にこの場所へ移設することになったそうです。

移設に際してはクラウドファンディング支援を活用しており、室蘭市が中心となり地元の方々やボランティアの方々の協力がありました。
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廃車になって50年近くが経過していますが、柵&屋根付きの保存場所とボランティアの方々のご努力があって、綺麗な状態を保ってきました。

≪D51-560 経歴≫
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「D51-560」は、1940(昭和15)年に国鉄苗穂工場で製造されており、その後は道内各地で活躍した生粋の道産子でした。

この案内板には「本州への『石炭積み出しのまち』として、明治半ば以降発展した室蘭において、何両もの石炭貨車を連ねた蒸気機関車は、まちの繁栄を象徴する存在である」と説明があります。

1940(昭和15)年 函館区 新製配置
1965(昭和40)年 長万部区 異動
1967(昭和42)年 鷲別区 異動
1972(昭和47)年 五稜郭区 異動
1973(昭和48)年 名寄区 異動
1974(昭和49)年 廃車


≪室蘭観光協会≫
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旧駅舎内には、観光案内所が入っています。

/ 凄く立派な木製の表札です。

JR北海道 室蘭本線 支線の終点駅

(2017年7月・2021年8月)
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10時27分、登別からの普通列車が到着しました。

2018(平成30)年、H100形電気式気動車の量産先行車が登場していましたが、2021年にこの駅を訪れた時にはH100形の量産車が導入され、キハ40形が姿を消しています。
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駅ホームから見上げると、測量山の頂上に室蘭送信所が眺められます。

/ 1997(平成9)年に駅が移転し、駅舎(4代目)が新築されています。

駅は1897(明治30)年の開業。室蘭本線 支線は室蘭-東室蘭間7.0kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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頭端式ホームの車止めの奥に駅舎があり、長くて緩い屋根付きのスロープで繋がれています。

1892(明治25)年、この駅は北海道炭磺鉄道によって室蘭-岩見沢が開業した際の始発駅として開かれました。

1906(明治39)年に北海道炭磺鉄道が国有化され官設線となり、1928(昭和3)年に長万部-東室蘭(当時は初代輪西駅)が開通し、3年後に長万部-岩見沢を室蘭本線、東室蘭-室蘭を同線の支線と定めています。
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ホームから改札口に向かう通路は、真っ直ぐで緩い下り坂です。

/ 同じ通路を改札口側から眺めます。(2017)

≪室蘭本線 支線 2017年7月≫
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13時48分発、特急「すずらん」(室蘭-東室蘭間は普通列車)が2番ホームに停車中です。

785系はJR北海道初の新型特急電車で、1990(平成2)年に登場しており、登場した翌年には「通産省 グッドデザイン商品」に選定されています。
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クモハ785-104(NE-502編成)は、車止め側の先頭車です。現在は札幌運転所に5両編成×2本が配置され、特急「すずらん」限定で789系1000番台と共通運用されています。

/ 室蘭始発の札幌行は1日5本あり、室蘭と東室蘭間は普通列車で運転されます。

/ この日は、函館本線(八雲-森)間で大雨による土砂崩れが発生。室蘭本線を走る特急列車は「すずらん」だけという大変な一日となりました。
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12時40分、東室蘭からの普通列車が到着し、12時55分発、東室蘭行(キハ40-1763)で折り返します。

/ キハ40-1763の単行で運転され、昔懐かしい「行先札」が使用されています。

≪駅と駅周辺の様子≫
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駅舎を正面に見て左側の1番ホームの車止め部分。この駅は頭端式1面2線ホームです。

/ 同方向の2番ホームの車止め部分です。
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2番ホーム側の集合住宅沿いには、緑の葉が綺麗な木々が並びます。

/ ホームへ続く通路の窓から、2番ホーム側のレールの切れ目が見えました。
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ホームの先から面白い形の駅舎が眺められます。

北海道炭礦鉄道がこの駅を開業した当時は、この駅を起点として岩見沢までの路線が本線でしたが、現在はこの駅から東室蘭までの区間が室蘭本線の支線となっています。

≪室蘭本線 支線 2021年8月≫
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9時26分、東室蘭から普通列車が到着しました。

キハ143形は1994(平成6)年に製造が開始され、11両が製造されています。来年夏に737系電車が投入、苫小牧-室蘭で運行する予定であることから、キハ143形はその際に引退するようです。
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隣駅は母恋です。この日はキハ143形の151号車(トイレ有)と101号車(トイレ無)の第1編成と出会えました。

/ 9時37分発、普通列車 苫小牧行で折り返していきます。
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10時36分発、普通列車 東室蘭行が発車します。

来年夏、737系電車が苫小牧-室蘭間に投入されると、最高速度100km/h(H100形)から120km/h(737系)に引き上げられ、H100形は他区間へ異動することになります。
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H100形の愛称は「DECMO」で、「Diesel Electric Car with MOters」の略です。

/ JR東日本のGV-E400系と基本設計は共通のディーゼル・エレクトリック方式の気動車です。

≪駅からの眺め≫
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ホームの先から苫小牧方向を眺めます。支線でありながら、東室蘭までの7.0kmは複線区間です。

/ 屋根を支える鉄骨柱には化粧板が施されていて、お洒落な感じがします。
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1906(明治39)年に北海道炭礦鉄道が国有化された3年後に、この駅と岩見沢を結ぶ路線が「室蘭本線」と命名されています。

道内の赤字路線が次々と廃線になっていますが、室蘭本線の「支線」扱いのこの区間がずっと運行を続けることを切に願っています。


≪室蘭市 観光名所≫
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駅前にある「室蘭の観光名所」を紹介する看板。「測量山ライトアップ」「地球岬に広がる海原」「夕陽に染まる大黒島」「白鳥大橋の夕暮れ」の綺麗な画像が目を引きます。

/ 駅前には、地球儀形のモニュメントもあります。

≪旧室蘭駅舎≫
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明治45年に建築された3代目にあたる旧駅舎は、道内の駅舎の中では最古の木造建築物です。1999(平成11)年に「国の登録有形文化財」に登録、2010(平成22)年にJR北海道の「準鉄道記念物」に指定されています。(室蘭市公式サイト)

≪ポロ・チケップ(地球岬)≫
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内浦湾の向こうに函館市、鹿部町の辺りが眺められます。(2007年8月)

函館山や開陽台、釧路湿原、摩周湖、大倉山など道内各地には、素晴らしい眺めの展望台がありますが、見る度に表情が変わる海の景色が眺められる展望台はここが一番だと思います。

JR東日本 常磐線の終点駅

(2019年9月・2021年11月)
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13時57分発、普通列車 原ノ町→仙台です。常磐線の全ての普通列車は東北本線に乗り入れて仙台に向かいます。(2019)

2011(平成23)年の東日本大震災で一時は全線が不通となりましたが、2020(令和2)年に最後の不通区間が復旧し、品川・上野-仙台間を走る特急「ひたち」の運転が再開されています。
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常磐線は、茨城県の大部分のエリアを指す「常陸」(ひたち)と、福島県浜通りと中通り南部エリアを指す「磐城」(いわき)の頭文字を合わせた総称として設定されています。

/ 1980(昭和55)年に現駅舎の使用が開始されています。

駅は1887(明治20)年開業。常磐線は日暮里-岩沼間343.7kmで、日中は毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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2011年に発生した東日本大震災の影響で、常磐線の一部区間が壊滅的な被害を受けて不通となっていましたが、2020(令和2)年に最後まで不通だった富岡-浪江区間が復旧して、常磐線が全線での運転再開を果たしました。

/ 日暮里を起点とする「常磐線」は路線延長343.7kmの路線ですが、終点駅であるこの駅の1番ホーム中程に「343km」を示すキロポストがありました。

≪常磐線≫
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9時12分発、普通列車 仙台→原ノ町で、全区間の所要時間は1時間25分です。

普通列車の運転系統は、①品川・上野-水戸・勝田、②水戸-いわき、③いわき-原ノ町、④原ノ町-仙台の4つに分けられています。
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隣駅は「逢隈」です。

/ 9時12分発の原ノ町行は、701系4両(2連×2本)での運転です。
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常磐線は1番ホーム(上り・原ノ町方面)、2番ホーム(仙台方面)が使用されます。(全て2019)
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14時8分発、普通列車 仙台→原ノ町。 / 13時57分発、普通列車 原ノ町→仙台。(全て2019)

≪特急 ひたち≫
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10時26分、特急「ひたち14号」仙台→品川が1番ホームを通過していきます。全区間(仙台-品川)の所要時間は4時間37分です。(E657系)

≪特急 ひたちの歴史≫
1969(昭和44)年、上野-平(現在のいわき)間を運転する季節特急列車として、80系気動車で運転が開始。その後、1972(昭和47)年に485系電車を投入して定期列車化されています。
1989(平成元)年 651系電車の導入。
1997(平成9)年 E653系電車の導入。
2012(平成24)年 E657系電車の導入。いわき-仙台間の運行打ち切り(東日本大震災)。
2020(令和2)年 常磐線の全線運転再開により、仙台発着3往復の運転を再開。



≪東北本線≫
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9時42分発、普通列車 白石→仙台(左=3番)721系1000番台、9時43分発 普通列車 仙台→白石(右=4番)721系0番台が並びます。
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13時51分発、普通列車 仙台→福島は、手前2両が701系で後ろ4両が721系です。(2019)

/ 5番ホームに停車中の仙台行です。9時8分発 普通列車 福島→仙台が5分ほど遅れて到着した模様です。
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東北本線は、上り 福島方面は3番ホームで、仙台方面は4番ホームと5番ホームが使用されます。(全て2019)
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10時9分発、普通列車 福島→仙台(721系)が4番ホームに到着しました。

≪JR貨物≫
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朝の東北本線は多くの貨物列車が行き交います。

この駅にはJR貨物の貨物駅があり、手前のコンテナ貨物(1番と2番ホームの間にある中線)は、構内で入換え作業中です。

9時14分、後方の4番ホームを貨物列車が下っていきます。牽引機はEH500-2(一次形・量産先行機)で、前照灯が低い位置にあります。
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入換え作業中のコンテナ貨物には、EH500-35が連結されて出発準備が整いました。
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下り貨物が4番ホームに運転停車、10時3分に発車します。

≪駅からの眺め≫
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4番ホームから仙台方向を眺めます。常磐線の全列車は、ここから東北本線に乗り入れて仙台まで運転されます。(2019)
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こちらは1番ホームからの仙台方向です。 / 5番ホームの横には側線が数本あります。
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1番ホームの隣に中線、2番ホームと続きます。 / 2番ホームから東京方向を眺めます。(2019)
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1番ホームから東京方向を眺めています。入換え作業をしていた貨物列車は発車した後で、先に伸びる長い直線区間が眺められます。


≪列車からの眺め≫
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東北本線の普通列車(岩沼10時41分→白石11時8分)に乗車して、駅から約2km先の常磐線(左)と東北本線(右)の分岐点に差し掛かります。

岩沼駅は1887(明治20)年に日本鉄道の駅(のちの東北本線)として開業しており、日本鉄道磐城線(のちの常磐線)は10年後に開業しています。

東北本線が真っ直ぐに伸び、常磐線が左にカーブしているのは、鉄道の開通順が関係していると思います。




≪(昔)485系 特急ひたち
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1975(昭和50)年  上野駅で撮影した特急「ひたち」485系です。

1972(昭和47)年 特急「ひたち」が季節運行から定期運行に格上げされた時に、485系交直流電車が導入されました。

1985(昭和60)年にボンネット形車両の愛称板がイラストマーク入りに変更され、シンプルな愛称板は見られなくなってしまいました。

1998(平成10)年 485系の特急「ひたち」は、651系・E653系へ置き換えられました。

智頭急行 智頭線の終点駅

(2022年7月)
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15時49分着 普通列車 上郡→智頭(739D)です。折り返し、16時35分発上郡行(742D)となります。

普通列車に使用されている「HOT3500形」は、智頭線開業の1994(平成6)年に一般車3501~3509とイベント用3521の計10両が製造されています。

「HOT」は智頭線沿線の兵庫県、岡山県、鳥取県のローマ字表記の頭文字です。
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智頭急行の白い駅舎は大きくて個性的な形をしており、壁に掲げられた大きな文字が大胆な感じです。

駅は1923(大正12)年開業で、智頭急行の駅は1994(平成6)年の開業。智頭線は上郡-智頭間56.1kmで、平日は1日23本の運行。(引用:Wikipedia)
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JR1番ホームには、智頭線(智頭急行1番、2番)との乗換え通路があります。

/ 駅舎入口にある駅標や壁面に使用されている木材は、町の主要産業である「智頭杉」を使っていると思われます。

≪智頭線≫
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15時32分発 普通列車 智頭→上郡(740D)は、智頭線全線を1時間27分(56.1km)で走破します。(HOT3502号)
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15時49分着 普通列車 上郡→智頭(739D)が直線区間を下ってきます。(HOT3508号)

/ 隣駅は「恋山形」です。
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「HOT3502号」が2番ホーム(道路側)に停車中です。

/ 智頭線1番ホームから車止め方向を眺めます。柵の左側がJRの駅で、車止めの後方が智頭急行の駅舎です。
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16時19分着 普通列車 鳥取→智頭(637D)は、JR因美線の列車として鳥取から到着しました。(HOT3504号、他1両)

≪特急 スーパーはくと7号 京都→倉吉≫
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15時22分着、特急「スーパーはくと7号」倉吉行が到着。この列車は、京都から倉吉まで3時間28分(293.3km)で走破します。
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因美線に乗り入れる「スーパーはくと」は、智頭急行からJR因美線のレールに移動してきました。

/ 同列車はこの駅で2分停車し、特急「スーパーはくと10号」京都行(60D)と行き違いします。

≪JR因美線 津山→智頭≫
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16時23分着 普通列車 津山→智頭(680D)が到着しました。岡山支社のキハ120形が因美線を走行して鳥取県にやって来る貴重な瞬間です。

因美線は、この駅から鳥取までは山陰支社鳥取鉄道部の管轄で、隣駅の土師までの間に支社境界があり、そこから東津山までは岡山支社の管轄です。

早朝に那岐6:48→鳥取7:55の列車がありますが、この列車だけキハ47形(山陰支社所属)が使用され、この駅から回送送り込みをしているそうです。
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遠くに見えていたキハ120形が智頭急行との分岐器まで近づいてきました。

/ キハ120形(2番ホーム)とHOT3500形(3番ホーム)の並びです。両形式とも作用駅にも乗り入れますが、両形式が同一のホームに並ぶのはこの駅だけです。
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折り返し、16時30分発 普通列車 智頭→津山(679D)として発車しました。

私はこの駅に3時間ほど滞在していましたが、最初の頃は青空が見えていました。雷神さまが猶予をくださったのか、最後に見送った津山行の発車前になって強い雨が降り出しました。

≪JR因美線 智頭駅≫
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JR因美線のこの駅が1923(大正12)年に開業し、1994年に智頭急行の駅が開業しています。

/ 青色の「JR」の文字がJR西日本を表しています。
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改札口に掛けられた発車案内。特急の列車名ではなく、特急の行先が表示されています。

/ 駅舎の入口には藍染めの暖簾が掛けられています。2005年に町内に藍染工房ちずぶるーが立ち上がり、「澄んだ藍色」づくりが始まっています。

≪特急 スーパーいなば号 鳥取→岡山≫
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14時26分着 特急「スーパーいなば6号」鳥取→岡山(76D)は、この駅で1分停車します。

≪特急 スーパーいなば7号 岡山→鳥取≫
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14時59分着 特急「スーパーいなば7号」岡山→鳥取(77D)は、この駅で2分停車です。

/ 特急「スーパーいなば」は、キハ187系500番台8両が使用され、この日の7号は第1編成(501+1501)が担当していました。

≪JR因美線 鳥取→智頭≫
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14時55分着 普通列車 鳥取→智頭(657D)です。因美線のこの駅から鳥取へ向かう普通列車はキハ47形が使用され、智頭線からの直通運転に関連する仕業では智頭急行HOT3500形も使用されます。

また、早朝の智頭6:15→米子9:22を含む1往復は、キハ121・126形が使用されるそうです。
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折り返し、15時54分発 普通列車 智頭→鳥取(658D)となります。

/ JR因美線の隣駅は、鳥取側「因幡社」と津山側「土師」です。

≪駅からの眺め≫
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1番ホームから鳥取方向を眺めます。ここから先、鳥取まで特急列車で最速27分という鳥取県南部にある山間の乗換え駅です。
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智頭急行の1番と2番ホームで、この駅始発で上郡方面のみの発着となります。

/ JR1番ホームから智頭急行の上郡方向(左側のレール)と因美線津山方向(右側のレール)を眺めています。

因美線は、鳥取-東津山(70.8km)ですが、この先(智頭-東津山間38.9km)は裏街道的な路線となり、1日7本だけの運行となります。
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2番ホームから上郡、津山方向を眺めています。陰陽連絡ルートの一部としての智頭線(左)と、1日7本の因美線・津山方面(右)が並びます。

先の方で因美線のレール(右)の方だけ雑草に覆われており、旧街道的な路線であることを再認識します。


≪智頭急行≫
「智頭線」は国鉄によって路線が計画されましたが、その後の経営悪化で国鉄での建設は凍結。「地域輸送だけでなく、国鉄との特急列車の直通運転を行えば、経営の黒字化が可能」という調査結果から、第三セクター方式の「智頭急行」が設立されています。



≪観光協会≫
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駅前には「智頭町観光協会 暮らし屋」があり、観光案内所・カフェやレンタサイクル、移住相談の窓口などがあります。

中庭には、町内にある諏訪神社(1278年創建の信州・諏訪大社の分霊)の柱祭りでご神木を運ぶための台木(レプリカ)が飾られていました。

≪JR智頭駅前≫
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JR駅舎の前にある郵便ポストは「麒麟獅子ラッピング」になっていました。

/ JR駅前の植物の葉が、日差しで緑色に光ります。

≪観光の街 ”ちづ”≫
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智頭急行の駅前には日の丸バスと「智頭町民 すぎっ子バス」の乗り場があります。「すぎっ子バス」は町が運行するコミュニティバス(日の丸バスへ委託)で、どこまで乗っても同じ運賃です。

/ 町内には鳥取藩の宿場町であった「智頭宿」の古い町並みが残っています。江戸時代に鳥取藩が参勤交代で江戸に向かう時の最初の止宿だったそうです。

山陽電鉄 網干線の終点駅

(2021年1月)
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14時14分発、山陽網干から網干線の電車が到着しました。

網干線の電車は、一日を通してこの駅と山陽網干間の折り返し運転を行っており、3両編成・ワンマン運転です。私が訪れた2021年1月1日は、網干線の電車はすべて6000系でした。
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この駅は、神戸姫路電気鉄道が開業した時に、「飾磨町」として設置されています。その後「電鉄飾磨」へ駅名が改称され、1991(平成3)年に現在の「飾磨」に改められています。

網干線は、1940年代、播磨臨海工業地帯、及び工業地帯内にある日本製鐵広畑製鉄所などへの工員輸送を目的に開業しています。全線の所要時間は17分です。

駅は1923(大正12)年開業。網干線は飾磨-山陽網干間8.5kmで、毎時4~5本の運行。(引用:Wikipedia)
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1980(昭和55)年に駅舎(南側)が改築されているようです。駅構内の敷地に大きな駅舎ビルが建てられ、ビル1階にある通路が改札口へ続きます。

現在の駅の状況をネットで確認すると、駅全体の整備・リニューアルが実施中で、線路の反対側に北口改札が完成、南口にある現駅舎ビルの解体工事が始まり、工事終了後は駅の様子が一変しそうです。

/ 櫛形2面3線の地上駅で、改札口を入ると全方面とも跨線橋を渡ります。

≪網干線≫
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14時14分発、山陽網干行の電車(6002編成)です。

この駅は櫛形ホームのため、2番ホームの神戸側に車止めがあり、その後方に1番ホームと3番ホームが繋がっており、ホーム間は跨線橋を使用しなくても移動できます。
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13時59分発、山陽網干行(6000編成)です。

/ 2番は両側にホームがあり、本線1番(姫路方面)と3番(神戸方面)の両方向との乗換えのための便宜を図っています。

かつて網干線の電車は山陽姫路まで直通運転しており、この駅は櫛形2面4線のホーム配置で、1番(姫路方面)の反対側が2番ホーム(網干線からの姫路行)、4番(神戸方面)の反対側が3番ホーム(姫路からの網干線)として発着していました。

網干線がこの駅で折り返し運転となったことから、1996年頃に旧2番と旧3番の線路を1本(現2番)に減らし、両側を埋め立てて1番と現3番のホームを広くしたそうです。
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隣駅は「西飾磨」です。

/ 13時59分発、山陽網干行は「6000編成」ですが、関東では「0」から車両番号を割り振る習慣がないので少し違和感があり、また「試作的な要素のある車両」と誤解してしまいそうです。
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14時22分、網干線の電車が到着しました。本線下り(姫路方面)と平面交差しますが、配線の関係で一時的に下り本線を走行して駅に進入します。

≪6000系≫
6000系は、2016(平成28)年に営業運転を開始しており、3両編成と4両編成が導入されています。3両編成は網干線のワンマン運転で使用されるほか、3両編成×2本の6両編成で阪神大阪梅田への直通特急運用にも充当されます。

≪本線≫
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13時57分発、直通特急 阪神大阪梅田行です。

駅に滞在中にこの5000系「5702号車」を見つけました。他の5000系よりも赤い帯が太いことに気づき、画像に収めて「終点駅テツ」編集中に謎を調査しました。

2018年から5000系のリニューアル化工事を開始。5004号車はリニューアルと同時に電装解除され、画像の「5702」に車両番号を変更、その際に赤帯が太くなったようです。
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「直特」表示のある「特急 阪神大阪梅田→山陽姫路」です。全区間の所要時間は1時間40分です。

/ 14時26分発、直通特急 山陽姫路行(5022編成)が終点に向けて発車していきました。
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14時19分、回送電車で阪神電鉄の8000系(8523号車)が到着し、そのまま姫路側にある飾磨車庫に入庫します。

/ この編成の姫路側の先頭車(8502号車)は8523号車とは違い、前面ガラスが小さかったので、慌てて画像に収めて「終点駅テツ」編集中に謎を調査しました。

≪阪神電鉄 8000系 8201F≫
「8502号車」は1984年に最初に製造された8201F(タイプⅠ、一次車)の構成車両で、この分類はこの編成のみです。二次車以降は、前面ガラスの大型化や窓周りの縁取り化が採用されたことから、8201Fだけが従来の阪神車両と同じ外観です。

1995年に発生した阪神・淡路大震災で8000系の半数以上が被災し、8201F編成は片側の先頭車を含む3両が廃車、復旧した3両のうちの1両である「8201」は、方向転換の上「8502」に改番されています。なお、「8523」は震災後の代替新造車ということです。

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14時57分発、直通特急(5000系)が阪神大阪梅田に向けて発車しました。
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14時20分発、電鉄姫路→神戸三宮(阪急)です。先頭の3070号車(3200系5次車)は、1982年に製造されたアルミ車体の車両です。
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14時50分発、普通電車(本線)阪急神戸三宮行です。6000系(6012編成)は4両編成で本線の普通電車に使用されています。

/ 本線の隣駅は、神戸側「妻鹿」と姫路側「亀山」です。
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2番ホームの車止め後方にある乗場案内。

/ 14時26分発、直通特急 山陽姫路行(右=1番ホーム)と、14時29分発、普通電車 山陽網干行(左=2番ホーム)が並びます。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから山陽網干方向を眺めています。真っ直ぐに伸びる網干線と右へカーブする本線、間に挟まれた所にある飾磨車庫が見えます。

飾磨車庫には、クリーム地に赤と黒の帯に塗られた3000系が収容されていました。駅に滞在中に画像に収められなかったので残念です。
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2番ホームの車止め後方は、こちら側の3番ホームから右側の1番ホームに繋がっています。

/ 車止めの後ろの通路から、電鉄網干側を眺めています。左側のレールが網干線で、右側が姫路方向です。
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1番ホームから神戸方向を眺めています。

この駅は山陽姫路から直通特急で1駅4分、本線と網干線の乗換え駅で、車庫設備のある姫路側の鉄道の要衝です。本線の直通特急は毎時4本のペースで大阪へ向けて発車していきます。

≪電車からの眺め≫
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13時52分、山陽網干から乗車してきた電車が飾磨駅に進入していきます。
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12時14分発の山陽網干行が発車し、最初の踏切に差し掛かります。

正月元旦の網干線を訪れてみると、最新の6000系が活躍していたので、何だか嬉しい気持ちで初めての(網干)支線を乗りテツします。




≪(昔)山陽電鉄 200形・300形≫
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1975(昭和50)年 夏訪れた時の東二見車両基地と山陽電鉄 本線です

この頃、引退した200形206号車が整備され、
東二見車両基地に保存されたことを鉄道雑誌で知りました。夏休みを利用して「206号車」を見学するために車両基地を訪れ、許可を受けて206号車と対面しました。その後、本線を走る300系を東二見周辺で撮影しています。

300系は、神戸高速鉄道の開業までに
狭幅車体の旧型車200形を淘汰する目的で、新造の広幅車体に200形の部品を乗せ換えるという、コストを極力抑えた形で製造されています。画像の先頭車「316号車」は1967年に誕生し、主に本線 普通電車に使用されています。

1986年、5000系一次車の増備により、300形はこの車両を含む全車が廃車となり、形式消滅しています。

一畑電車 大社線の終点駅

(2020年12月)
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14時7分、電鉄出雲市→出雲大社前の(2100系)電車が2番線に到着しました。

2100系は元京王電鉄5000系で、1994(平成6)年に2両編成×1本、翌年に2両編成×3本の計8両を譲り受けています。
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一畑電車は、一畑薬師への参詣客の輸送を目的として建設された路線で、北松江線(電鉄出雲市-松江しんじ湖温泉)は1928(昭和3)年に全通しています。 この駅は1930年に、大社線(川跡-出雲大社前)が全通した時に開業しています。

1995年に駅舎が改築されており、駅舎・トイレや駐輪場など、配置がまとまっている感じです。

駅は1930(昭和5)年の開業。大社線は川跡-出雲大社前間8.3kmで、毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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プラットホームから駅舎を眺めています。地元ボランティアの方々が駅構内の美化に協力されているようで、駅の通路はお花が綺麗で心が安らぎます。

/ 駅舎横のホームに冬の低い陽ざしが当たり、レール部分に明るく照り返します。4番線が割り振られているようですが、通常は使用されていないようです。
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2番線と3番線側の島式ホームには、北松江線の「電鉄出雲市」「松江しんじ湖温泉」ののりば表示があります。

/ 改札口から構内踏切を渡ってこのホームに辿り着きます。
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駅にあった「川跡駅周辺 広域案内図」。駅の近くには「島根県立大学 出雲キャンパス(看護)」があるようです。

/ 隣駅は大社線「高浜」で、北松江線の出雲市側「武志」、松江側「大寺」です。

≪5000系≫
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14時7分、出雲大社前から松江しんじ湖温泉行が到着しました。

この駅では、松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市、電鉄出雲市→出雲大社前の電車も同時停車し、相互乗り換えの便宜を図っています。

5000系は、1998(平成10)年に元 京王電鉄5000系4両を譲受し、2両編成×2本が誕生しています。
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13時18分、松江しんじ湖温泉→出雲大社前です。この駅で北松江線から大社線へ乗り入れます。

画像の5010号車は、元 京王電鉄5000系「5717+5767」で、1967(昭和42)年の新製から55年が経過しており、廃車される話があるようです。

/ 駅構内に大社線「0キロポスト」がありました。

≪2100系≫
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電鉄出雲市から来た出雲大社前行の電車は、2番線に到着した後、スイッチバック運転で進行方向が変わります。
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13時17分、一畑電車で一番の交通の要衝である様子。この後、電車が去ってしまうと静かな田舎の駅です。

1番線(左)出雲大社前 行 (5000系)
2番線(中)松江しんじ湖温泉 行 (7000系)
3番線(右)電鉄出雲市 行 (2100系)


≪7000系≫
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13時15分、普通列車 電鉄出雲市→松江しんじ湖温泉(7000系)が到着しました。

この駅で出会って気づきましたが、一畑電車で86年ぶりとなる自社発注による新造車7000系が登場していました。

7000系は、2016(平成28)年2両、翌年2両の計4両が誕生しています。元々は東急1000系(中古車)を導入する計画でしたが、他社からの引き合いが多いため、不足する両数分は車両の新造を決断したようです。
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14時12分発、松江しんじ湖温泉→電鉄出雲市(3番線)です。

窓下のストライプが7001号車=グレー、7002号車=青、7003号車=緑、7004号車=赤に色分けされています。
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1970年代のモータリゼーションの波を受け、一畑電車の経営状況は悪化状態が続き、線路、電路、車両の近代化が急務な中で、現在では国や島根県、沿線自治体の支援・補助を受ける状況です。

現在、導入された新製車両7000系は、製造費用の全額を国と島根県、沿線自治体が負担しているようです。

≪駅と駅周辺からの眺め≫
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2番線から松江しんじ湖温泉方向を眺めています。

1914(大正3)年、最初に開業した区間である「電鉄出雲市-雲州平田」が開業して108年が経過しました。

ライバルとなる移動手段(自動車、路線バス、JRなど)との競合に勝ち残るべく、鉄道(観光)事業に特化した「一畑電車」の集客増のアイデア探求など、経営の改善を切に願います。
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島式ホーム2面4線の駅です。

/ 駅舎から一番離れている3番線から先の方を眺めると、冬景色の田んぼの向こうに高い土手が見えます。調べて見ると「斐伊川」でした。

≪斐伊川≫
島根県東部および、鳥取県西部を流れる流れる一級水系斐伊川本流。島根県奥出雲町の船通山を源流とし、出雲平野から宍道湖へと流れ、宍道湖全体も斐伊川流域の一部であり、鳥取県境港市と島根県松江市の境界から日本海に注ぎます。

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構内踏切から、出雲平野に広がる師走の青い空を見上げます。

/ 出雲大社側にある踏切に歩いてきました。駅舎側には保線用車両を留置するレールがあります。
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最近「日本の原風景」という言葉を耳にしますが、鉄道になぞらえると「日本 鉄道の原風景」とでも言いたくなるような一畑電車の「川跡駅」です。こんな駅の様子をいつまでも見ていたいです。




≪(昔)京王電鉄5717号車≫
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1974(昭和49)年・夏の京王帝都電鉄時代の5717号車です。

特急 新宿行の運用で高幡不動駅に停車中の5717F(両端がクハ5717、クハ5767)です。5000系の中でこの編成だけが試験的にスカートが取付けられており、写真は新宿側の5717号車です。

一畑電車5000系5010号車が、この京王電鉄5717号車であることは、ブログ編集中に知りました。

この5717Fの両先頭車は、当時の特急仕業に充当される京王5000系で唯一のスカート取付車でしたが、一畑電車に譲渡された後も花形街道を突き進んでいることを
(5000系の引退間近になって再認識しました。

富山地方鉄道 立山線の終点駅

(2017年12月・2020年7月)
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8時23分、本線 電鉄富山行です。元京阪電鉄3000系は、1990(平成2)年から先頭車16両+ダブルデッカー1両が富山地方鉄道へ譲渡され、10030系に分類されています。

この編成(10033+10034)とダブルデッカー(サハ31)は京阪時代のカラーリングに復元され、先頭車には「鳩マーク」が復活しています。
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駅舎は1931年の開業時から使用されており、老朽化により2016年に改修工事が行われましたが、その後も駅舎に掲げられた駅名表示が「驛田寺」のままです。

駅は1931(昭和6)年の開業。立山線は寺田-立山間24.2kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎内の出札窓口は、ガラス張りで駅務室が良く見えます。

/ 本線と立山線の間にある「待合室」の地味な観光看板。
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1番ホームと3番ホームの屋根と待合室が一体なので面白い形に見えます。

/ 改札口から立山線の構内踏切を渡った所に駅構内図があります。
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この駅を最初に訪れたのは12月で、2番ホーム(本線 宇奈月方面)にはこんこんと雪が降り続いていました。(2017)

/ 駅舎側の4番ホーム(立山線 立山方面)に雪が積もってきました。(2017)

≪本線≫
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8時38分発、普通列車 宇奈月温泉→電鉄富山です。

画像の17480形は元東急電鉄の8590系で、1988(昭和63)年から2年間で40両が製造され、富山地方鉄道は2013(平成25)年に8両を購入しています。
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10時24分発、普通列車 上市→電鉄富山(左)と10時29分発 普通列車 電鉄富山→上市です。

/ 9時22分、電鉄富山行が到着しました。

10030形は元京阪電鉄3000系(初代)系で、1971(昭和46)年から58両が製造されています。富山地方鉄道は1990(平成2)年から17両が譲渡されています。
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9時43分、回送列車が宇奈月方向へ走り抜けていきます。

14760形は自社発注車両で、1979(昭和54)年から15両が製造されており、地鉄初の冷房車となっています。この車両は、富山の県鳥である「雷鳥」をイメージして白色とグレーの塗装にあずき色ラインのカラーリングです。
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本線の富山側にある構内踏切から宇奈月泉方向を眺めると、2番ホーム(宇奈月方向)と1番ホーム(富山方向)が緩い左カーブの途中に設置されています。
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1番ホーム(本線 富山方面)には、木製の壁材やベンチ、昔風の駅名標など、駅の開業時を彷彿させるような雰囲気が漂います。

/ 1番ホームの後ろには見事な樹木が見られ、その後ろには立山線のホームがあります。
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1番ホーム(本線 電鉄富山方向)には、備え付けの木製の長い椅子がありました。

/ 2番ホーム(本線 宇奈月温泉方向)から駅外を眺めると、田んぼの緑が先の方まで広がっていました。
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1番ホームから宇奈月方向を眺めています。

富山地方鉄道 本線は、電鉄富山から宇奈月温泉まで53.3kmの路線長があり、「黒部峡谷 アルペンルート」の主要な観光路線です。

≪立山線≫
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9時8分発、普通列車 立山(立山線)→電鉄富山(本線)です。

16010形は元西武鉄道の5000系で、1969(昭和44)年から36両が製造されています。富山地方鉄道は1995(平成7)年から6両を購入しています。
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8時39分発、普通列車 電鉄富山→立山です。不二越・上滝線経由との誤乗防止のために「寺田経由」の表示があります。

14760形(14767+14768)は、上半分が黄色で下半分が緑という新塗装です。
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10時42分、普通列車 立山→電鉄富山(14760形)です。14767Fは「立山あーとれいん2020」で、ヘッドマークを掲出しています。
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4番ホームにある駅名標。立山線の隣駅は「稚子塚」です。

/ 立山線の電車は、この駅は右側通行です。9時26分、4番ホーム(左)は立山行で、3番ホーム(右)は電鉄富山行です。(2017)
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3番ホームから立山方向を眺めています。立山からの列車は毎時1本で、他に岩峅寺で折り返しの設定があります。

≪特急列車≫
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出札窓口には特急券についての説明が掲示されていました。10時に到着するはずの特急「アルプスエキスプレス2号」(土日祝運転)を待っていましたが、残念ながら運休中のためこの駅でのスイッチバック運転を見ることが出来ませんでした。

/ 「アルプスエクスプレス2号」は地鉄 本線の宇奈月温泉(画像の右手前)を発車し、奥の方の踏切付近に停車、スイッチバックして立山線(左手前)に進路を変えるように、地鉄富山を経由しない異色の観光列車でした。

≪デルタ線の建設計画≫
1960年頃、「アルペン特急」の運行のために宇奈月(本線)と立山(立山線)を結ぶ短絡線(デルタ線)を敷設する計画があったようですが、路盤工事まででレールの設置は実施されなかったため、現状のように本線上をスイッチバックする形になりました。


今年4月のダイヤ改正で、季節列車も含めたすべての定期特急列車の運行が取りやめになっています。将来的に観光客が戻るようなら「特急」復活の可能性はあるようです。

≪駅からの眺め≫
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宇奈月温泉、立山黒部アルペンルートといった沿線観光地を結びますが、昨今の蔓延防止対応などから客足が減り、観光特急の設定がすべてなくなっています。

早いうちに「アルペン特急」の運転が再開されて、この駅でのスイッチバック運転が見られることを切望します。

岩見沢市 万字線鉄道公園
「B20-1」


(2021年8月)
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このB20形1号機は、現役最後は小樽築港機関区に所属していました。1972年に梅小路蒸気機関車館が開設された際、各型式とも保存対象は「1」トップナンバーだろうと思っていましたが、B20形は鹿児島区のB20-10が選出されていました。

予想外の結果ですが、1号機は最終配属地の道内に保存、その後も岩見沢市の管理の下で綺麗な状態が保たれており、結果として良好な保存場所に収められているようです。

≪旧 朝日駅≫
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「万字線鉄道公園」は、1985(昭和60)年に廃止された万字線の旧朝日駅とその周辺がそのまま公園になっており、廃止された当時の駅舎も残されています。
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公園の案内図を見ると細長い公園のようです。

/ 公園が完成した際に設置された「朝日駅跡」の石碑。

/ 旧朝日駅の駅構内側です。万字線は室蘭本線志文駅から分岐しており、志文から12.2kmの地点にこの駅がありました。

≪万字線の歴史≫

1914(大正3)年 万字軽便線 開業(志文-万字炭山間23.8km)
1919(大正8)年 朝日駅 開業
1922(大正11)年 万字線に改称
1985(昭和60)年 廃止

≪B20形1号機≫
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定期的に修復が行われているようで、赤いナンバープレートや煙突の金帯など装飾も綺麗に映り込みます。屋根の設置に感謝です。

/ 実際に使われていた朝日駅のホームが、現役の機関車のように演出しています。

≪B20形1号機 経歴≫
1944(昭和19)年 郡山工場 製造
同年 黒沢尻支区 新製配置
1949(昭和24)年 小樽築港区 配属
1967(昭和42)年 廃車
1971(昭和46)年 東山総合公園(岩見沢市) 保存
1999(平成11)年 万字線鉄道公園(岩見沢市) 移設

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廃車後、小樽築港区にて保存されていましたが、その後、岩見沢市東山総合公園に保存され、1999(平成11)年に現在の万字線鉄道公園に移設されています。

小型の機関車と言っても、近くで見るとやっぱり大きな「鉄の塊」です。

≪万字線鉄道公園≫
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万字線は現役の時には一度も訪れたことのない路線です。

/ 隣駅は志文側「上志文」と万字炭山側「美流渡」です。

/ 実際に使われていた万字線のレール上に機関車が保存されているので、価値のある保管場所だと思います。
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ホームから運転室内に入っての見学が出来ますが、狭いのでやめました。

/ ホームから万字炭山側を眺めます。公園内はレール周辺の雑草が刈られていましたが、先の方は樹木が生い茂っています。
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広場側のレールには、9600形の動輪がモニュメントとして置かれています。

/ 駅前にあった踏切がそのまま残されているようです。

JR九州 長崎本線の終点駅

(2020年12月)
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8時35分、博多から特急
「かもめ3号」が到着しました。白いかもめ885系を使用しており、明るく清潔感のある印象です。

今年9月23日のダイヤ改正により西九州新幹線が開業し、「特急かもめ」の愛称は新幹線に引き継がれています。

長崎発着の在来線特急「かもめ」は、1976(昭和51)年に運転を開始しましたが、誕生から46年で運転終了となりました。
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2020年に訪れた時の4代目駅舎。 / 駅前の歩道橋から長崎電気軌道の路面電車を眺めます。

5代目駅舎は、4代目駅舎から西側に150m程離れた所(画像の奥側)に高架駅として建設されています。新旧駅舎間にあった地上ホームが更地化され、この後は東口駅前広場や多目的広場、JR九州新駅ビル(仮称)などが建設される予定です。

駅は1905(明治38)年開業。長崎本線は鳥栖-長崎間125.3kmで、毎時2~5本の運行。(引用:Wikipedia)
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長崎駅前高架広場は、赤やピンクの鮮やかな花が植えられていました。

/ この時はまだ4代目駅舎は残っていましたが、地上のホーム&レールは撤去されていました。(現在は4代目駅舎は解体されています)
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5代目の新しい駅舎です。高架駅となりホームはこの上の階で、在来線の改札口はここ1ヶ所です。

/ 1階のコンコースは、レンガの柱が印象的です。

≪特急 かもめ≫
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8時28分発、特急「かもめ8号」長崎→博多は「白いかもめ」です。全区間の所要時間は1時間53分です。
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885系の側面には「SINCE 2000」と記されている通り、2000年から製造が開始されています。(3番ホーム)

/ 新しい在来線ホームに純白な「かもめ」が到着していますが、現在は見ることができなくなりました。
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新しい高架ホームの車止め側から、3番ホームに停車中の「かもめ」を眺めます。
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8時1分着、特急「かもめ1号」博多→長崎が5番ホームに到着しました。この「かもめ」は787系(1992年から製造開始)が使用されています。
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車体側面には特急用車両であることを表示しています。

/ 定期特急列車の設定がなくなり、この駅には顔を出さなくなりました。

≪快速シーサイドライナー&普通列車≫
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8時56分発、快速「シーサイドライナー」佐世保行(2番ホーム)です。

キハ66-110+キハ67-110の2連は、1975(昭和50)年に製造された後、2011年に台車交換が行われたことから10→110に改番されています。この改造の際に国鉄色へ塗装変更が行われ、懐かしい姿になっています。
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8時10分着、普通列車 諫早→長崎(旧線 長与経由)です。キハ66、キハ67系の第2編成2両を含んだ4連で到着しています。

/ 駅構内の留置線には、キハ200-12(2連)とキハ66-2(2連)が留置されているのが見えます。
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8時18分着、快速「シーサイドライナー」竹松→長崎(1番ホーム)です。キハ220-209(青)と赤いキハ220形の混色編成でした。
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8時11分発、普通列車 長崎→早岐(旧線 長与経由)は4番ホームに停車中です。

私が訪れた時は、新型のYC1系が登場して間もない時で、キハ66・キハ67形、キハ200系と混用されていましたが、昨年7月以降はこの形式で統一されています。
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「やさしくて力持ちの鉄道車両」であることから「YC1系」を名乗るハイブリッド車両です。

2018(平成30)年から38両が製造されています。
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隣駅は「浦上」です。

/ 8時30分着、普通列車 小長井→長崎です。電化区間の運転で415系交流電車(1500番台)が使用されています。(先頭車は、クハ411-1509)

長崎本線は鳥栖-肥前大浦(駅)がJR九州本社 鉄道事業本部と、土井崎(信)、小長井(駅)-長崎は同社 長崎支社の境界であり、佐賀県と長崎県の県境でもあります。この列車は長崎県(長崎支社)内の運転です。
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9時25分発、普通列車 長崎→諫早は817系交流電車が担当します。長与経由(旧線)は非電化路線のため、電車運転のこの列車は市布経由(新線)となります。

旧線(23.5km) 長崎-浦上-長与-喜々津
新線(16.8km) 長崎-浦上-市布-喜々津
※新線は旧線より路線長が6.7㎞短縮されています。

≪駅構内の様子≫
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西九州新幹線が開業するまでは、優等列車を中心に使用されていた3番ホーム(有効長6両)と5番ホーム(同8両程度)です。4番ホームは有効長が2両です。
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4番ホームは、3番ホームの浦上側を切り欠いており、有効長は2両までです。

/ 4番ホームの車止め部分です。
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2番ホーム(右)と3番ホーム(左)です。車止めの先まで通路が延びていて、列車を撮影したり、長崎の市内を撮影したり出来ます。

定期特急列車の運行が終了し、この場所で撮影を楽しみたい列車としては、不定期運行の「ななつ星 in 九州」ではないでしょうか。

≪駅からの眺め≫
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5番ホームから駅周辺を眺めると、長崎市内の特徴である傾斜のある地形が眺められます。
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4番ホーム辺りから、本線方向を眺めています。

高架された駅構内で、5つの乗降ホームからレールが集まる地点にちょうど列車が走ります。左カーブの先に留置線があるのが眺められます。

≪地上ホームの名残り≫
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レールは撤去されていましたが、前の改札口に通じる通路や車止めの所にあった「長崎駅」の表示などが、地上ホーム時代の施設が残っていました。
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駅舎の新旧交代や駅の高架化に伴い、駅前の通りから新しい高架駅まで、撤去工事前の地上ホームを利用した通路を歩いていきます。

/ 更地になった地上ホーム時代の駅構内に、新しい駅に繋がる高架線が建設されています。

≪キハ66形・キハ67形気動車≫
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8時56分発、快速「シーサイドライナー」佐世保行を2番ホームの本線側で見送ります。

1974(昭和49)年から30両(2両編成×15本)が製造され、2001(平成13)年に筑豊・北九州地区から転入しています。この駅で新製当時の国鉄色を纏った「第10編成」を見送りましたが、全廃が近い頃で私的には永遠の別れのように感じました。

2021(令和3)年6月、YC1系の導入により全車が運用から外れ、47年の活躍に終止符が打たれています。

岩見沢市 みなみ公園 
「C57-144」・「D51-47」


(2022年8月)
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1975(昭和50)年、当時国鉄において日本全国で活躍していた蒸気機関車が全廃された年であり、その最後の活躍の地となったのが「室蘭本線」です。

「SLさよなら運転」は室蘭を発車し、ここ岩見沢が終点駅となっており、まさに「岩見沢」は「SL終焉の地」と言えます。

 C57形144号機
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144号機は、室蘭本線で最後まで使用されたC57形のうちの1両で、岩見沢市内の「みなみ公園」に保存されたことは大変喜ばしいことです。 

/ C57形は、前形式のC55形のスポーク動輪からボックス動輪へ変更されており、足回りの優雅さに更に磨きがかかっています。

古くから鉄道要衝地であったこの町には多くの鉄道OBの方々が住んでおられ、定期的に保存機の手入れが行われているかのように、保存後46年経った今でも綺麗な状態が保たれています。
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1975年の「SLさよなら運転」では、当時、道内の鉄道管理局では使用する蒸気機関車を「D51形」で予定していましたが、国鉄本社から「C57形」の指示があったようで、最終的には「C57-135」号機が選抜されています。

昔、「花形」という言葉を良く耳にしましたが、やはり花道(記念行事や節目)で使用される機関車には、旅客用でC形動輪配置の「花形」と呼ばれる機関車が選ばれることが多いようです。

≪貴婦人 C57形≫
「C57形は、C51形以来の標準である1,750mmの動輪を装備していますが、C53形、C55形よりも細いボイラーを搭載しているため、C57形はそれらよりも脚の長い整った容姿に見えることから、そのことを女性に例えてつけられた愛称を持ちます」 C57形でも主に原設計の1次形と、2次形と3次形で原形を保った号機のことを貴婦人と呼びます。(Wikipediaより)

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「みなみ公園」は、駅から2km離れた国道12号沿いにあり、伸び伸びと自然溢れる中で保存されています。いつまでも大切に保存して欲しいと思います。

≪C57-144 経歴≫
1940(昭和15)年 新製(三菱重工 神戸造船所)
同年 高崎区 新製配置
1952年 金沢区 配属
同年 富山区 配属
1962年 室蘭区 配属
1968年 岩見沢一区 配属
1976年 廃車
同年 岩見沢市「みなみ公園」に保存



D51形47号機
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「Ⅾ51-47」は新製された2年後に岩見沢機関区へ転属してから廃車になるまで、生涯の大半である37年の間を岩見沢で活躍しており、岩見沢市内で保存されることが最適だと思います。

D51形の初期形の特徴である独特な半流線形「ナメクジ」の外観です。初期に製造された1号機~85、91~100号機の95両は、ボイラー上の砂箱と給水温め器を長い覆いで覆われており、後に製造された標準形とは印象が異なります。
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足回り部分では、初期形と標準形とも違いはないようです。

/ 正面からの眺めでは給水温め器は煙突後部に縦置きされており、標準形のように煙突前に横置きではないので、D51らしさ?が少し足りない気がします。
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岩見沢での担当線区は、函館本線、室蘭本線、根室本線、幌内線、万字線、歌志内線でした。

/ 岩見沢駅には「室蘭線 鉄道遺産を巡る」というポスターが掲示されており、ポスター上部に「みなみ公園」の2両が掲載されています。

≪D51-47 経歴≫
1937(昭和12)年 新製(日立製作所 笠戸工場)
同年 高崎区 新製配置
1938年 追分区 配属
1939年 岩見沢区 配属
1973年 岩見沢一区 廃車
1976年 岩
見沢市「みなみ公園」に保存
※旧岩見沢区は1968年に岩見沢第一機関区へ改称され、新設された第二機関区には電気機関車が新たに配置されています。


 

≪(昔)岩見沢第一機関区 D51-286≫
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1974(昭和49)年・夏、岩見沢第一機関区でのD51-286です。

「みなみ公園」に保存されている初期形「ナメクジ」の47号機とは異なり、煙突前に横置きされている給水温め器が標準形であることを示しています。

この時、286号機は追分区の配置ですが、1939(昭和14)年に新製されてから北海道から出たことがない「道産子」です。

新製後は、函館、五稜郭、小樽築港と配置が移り、1972年に追分へ異動、この画像の1年後に廃車となり、現在は「北海道ワイン小樽醸造所」に保存されています。

JR北海道 室蘭本線 本線の終点駅

(2021年8月)
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8時26分発、特急「フラノラベンダーエクスプレス」札幌→富良野が到着しました。

この列車には、2020(令和2)年製のキハ261系5000番台「ラベンダー編成」が使用され、富良野・美瑛地区に向かう観光列車のイメージアップに貢献しています。
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駅東市民広場は、奥行き感のある樹木の配置で、駅前が広く大きい空間に感じます。

/ 森の中に駅舎が建っているような感じ。

駅は1884(明治17)年の開業。室蘭本線は長万部-苫小牧間211.0kmで、1日7本の運行。(引用:Wikipedia)
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改札口を眺めます。岩見沢複合駅舎は、市の交流プラザ等との複合施設として設計されています。

/ この4代目駅舎は、全国初の公募型コンペでデザインが選定されており、2009年度グッドデザイン賞大賞を受賞、その他の表彰歴も多数あるようです。

≪岩見沢駅の歴史≫
/ 1882(明治15)年、道内で最古の鉄道である官営幌内鉄道(手宮-幌内)が全通。この駅は1884(明治17)年に開業しており、道内でも歴史のある駅です。

2000(平成12)年に漏電による火災で3代目駅舎が焼失。現在の駅舎は2007(平成19)年に4代目として複合駅舎が暫定開業、2年後に全面開業しています。


≪室蘭本線 7:41着 苫小牧→岩見沢≫
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7時41分、苫小牧からの普通列車が到着しました。(1番線)苫小牧からの所要時間は1時間41分です。室蘭本線(岩見沢-苫小牧)の運転本数は1日7本で、苫小牧へ向かうルートは千歳線経由が主流となっています。

/ 室蘭本線の隣駅は「志文」です。
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この列車はキハ150形気動車101号車が担当していました。100番台は1993(平成5)年に10両が製造され、現在は全車が苫小牧運転所に配置されています。

/ 室蘭本線の列車は、すべて1番線に発着します。

昔、この駅から幌内線(1987年廃止)が分岐し、また、隣駅の志文から万字線(1985年廃止)が分岐、両線ともこの駅の1番線から列車が発車していたそうです。

≪室蘭本線 9:03発 岩見沢→苫小牧≫
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9時3分発、普通列車 岩見沢→苫小牧です。

7時41分、苫小牧から到着したキハ150形「101号車」は岩見沢運転所(駅奥)に入庫し、この列車は運転所から出庫してきた「105号車」が使用されています。
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6番線から苫小牧行を眺めます。やはり、この駅で一番ローカル色の濃い路線です。

/ 1番線の発車案内に「苫小牧」の表示があります。次発は小樽行です。
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昔ならでは行先表示幕で、一段とローカル色が強い室蘭本線。

/ 9時3分、苫小牧に向けて室蘭本線の普通列車が発車していきます。

≪函館本線 優等列車≫
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8時18分発 特急「カムイ8号」旭川-札幌 789系1000番台。

札幌-旭川間には電車特急「カムイ」と「ライラック」が運転されていますが、運転速度、停車駅は同じですが、使用車両の違いにより、編成両数と車内設備が異なります。

「カムイ」 789系1000番台(シルバーメタリック)
「ライラック」 789系0番台(ライトグリーン)

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8時14分発 特急「ライラック3号」札幌-旭川 789系0番台。
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2002(平成14)年、0番台が新製された当初は津軽海峡線で使用されていましたが、2016(平成28)年に北海道新幹線(新青森-新函館北斗)が開業した時に、札幌地区へ転属しています。

/ 函館本線を走る特急列車「ライラック、カムイ、オホーツク、フラノラベンダーエクスプレス、宗谷」の乗車位置表示が並びます。
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7時24分発、特急「オホーツク1号」札幌→網走 キハ183系気動車。

今年3月、「オホーツク」で使用されているキハ183系は老朽化で引退し、「おおぞら」で使用されていたキハ283系が配置換えで「オホーツク」系の運用を引き継いでいます。
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7時56分発、特急「宗谷」札幌→稚内 キハ261系5000番台。

キハ261系0番台が来るものとして構えていましたが、多目的特急車両として増備された「5000番台」が担当していました。ピンクのカラーは「はまなす」編成です。
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(見出し画像と同じ)8時26分発、特急「フラノラベンダーエクスプレス」札幌→富良野

「北海道のへそ」である富良野へ向かう臨時特急です。引き続き、観光特急やツアー特急の設定など、話題性やわくわく感のある列車が道内を走ることを期待したいです。

≪函館本線 普通列車≫
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7時32分発、普通列車 小樽→滝川で、全区間の所要時間は2時間32分です。

使用されている721系は、1988(昭和63)年から全135両の製造が開始されています。現在は全車が札幌運転所に配置され、函館本線、室蘭本線、札沼線で使用されています。
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函館本線の隣駅は、旭川寄り「峰延」と札幌寄り「上幌向」です。

/ 普通列車 小樽→滝川は、この駅までは9両(3両×3ユニット)で運転。6両(3両×2ユニット)が切り離されて車庫に入庫します。
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9時14分発、普通列車 岩見沢始発→ほしみは、731系(G-116)が使用されています。731系交流電車は、1996(平成8)年から63両が製造されています。

≪駅周辺の様子≫
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駅舎のある側から一番遠い7番線から岩見沢運転所を眺めています。

昔、岩見沢第一機関区があった場所ですが、現在は旅客用車両、機関車等の配置はありません。
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7番線ホームから北口側にある「岩見沢レールセンター」を眺めます。

この建物は、旧北海道炭礦鉄道の岩見沢工場材修場として1899(明治32)年に建てられています。建物外部には旧北海道炭礦鉄道の社章である「五稜星」が残されています。

≪駅からの眺め≫
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特急「オホーツク」を待っていたら、ホームで古レールを発見。「UNION 1906.Ⅰ.R.J.」と刻まれていました。

/ 6番線から旭川方向を眺めています。函館本線はこの先も電化区間が続きますが、普通列車などはめっきり運転本数が少なくなります。
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4番ホームから苫小牧、札幌方向を眺めています。この駅は道内の主要幹線である函館本線と室蘭本線の乗入れ駅ですが、最近、函館本線「長万部-小樽」の廃止が確定したというニュースがありました。

室蘭本線も例外ではなく、2016(平成28)年のJR北海道の発表では、自社単独で維持困難な路線の中に「沼ノ端-岩見沢」が含まれています。北海道の開拓やその後の発展のため貢献してきた両路線ですが、不採算区間として切り捨てられる時期に来たようです。




≪(昔)岩見沢第一機関区 C57-44≫
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1974(昭和49)年・夏の岩見沢第一機関区です。機関区は駅のすぐ横に隣接しており、見学許可を取ってのSL撮影です。

この頃は室蘭本線(岩見沢-苫小牧)の列車本数も多く、岩見沢のC57は道内で最後の活躍の場となった室蘭本線の普通列車を担当していました。

岩見沢第一機関区のC57形は、38号機、44号機、57号機、135号機、144号機の5両が最後まで残ったようですが、引退後は多数が静態保存されています。

C57-38 東北本線小金井駅に動輪を保存
C57-44 四国鉄道文化館に保存
C57-57 世田谷区 大蔵運動公園に保存
C57-135 鉄道博物館に保存
C57-144 岩見沢市 みなみ公園に保存

5-7.ミューレン > シルトホルン
 2007年9月13日(木)

ラウターブルンネン-ミューレン山岳鉄道 (独)Bergbahn Lauterbrunnen-Mürren(BLM=ミューレンバーン)
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宿泊しているホテルの前を山岳鉄道(BLM)の電車が通り過ぎます。

崖の上にあるミューレンの町は、下界と道路が繋がっていないので、電動の運搬車くらいしか自動車は見当たりません。電車も孤立路線のため、点検・整備を含めた全部をこの4km区間の中で済ませているそうです。

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≪宿泊 ミューレン
ホテル アルペンブリック ミューレン(
Hotel Alpenblick MURREN)
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この日は熟年ご夫婦が営むこの宿にお世話になります。ミューレン駅で電車を降りて、線路沿いの道を5分くらい歩いてきました。

/ 案内された部屋からは、オーバーラント三山」(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)が谷の下の方から稜線、ピークに至るまで別格の眺めです。

ミューレンのまち 散策)
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スイスの田舎まちといった雰囲気。 / 山の恵み水が惜しげなく流れます。
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こちらは薪小屋のようですが、ミューレンの町を歩いていると、どこのお家も牧歌的な雰囲気で心が安らぎます。

/ スイスではお花は日常的に大切なもので、そこに住んでいる人の気持ちを現わしているようです。
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ガラスの向こうに動物の剝製を見つけましたが、角が黒くてわかりにくいです。

/ 「アイベックス」の頭蓋骨と角が魔除けのように飾られていました。
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たくさんの薪がアートの一部のようで、真ん中の花を盛り立てていました。

/ 木造の民家を見上げてみると、赤、ピンク、黄の花が綺麗です。
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何処かしら神聖な雰囲気が漂う町です。

/ スイスのいろいろな町で必ず見かける「coop」です。ミューレンの町に似合う店構えでした。
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木で作られた工作物は、動物の形のようです。

/ 最初見た時は、蜂の巣かと思ってしまいましたが、編んだかごのようです。

山岳ホテルのディナー)
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メインディッシュは、ホウレンソウ、ポテトに、鶏肉が配置されたものです。食欲旺盛な私はペロリと食べてしまい、女将さんが見かねて、残っていたポテトをお皿に盛ってくれました。
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どの宿でも、価格、お味とも一番のお勧めワインを提供してくれます。

/ 手作りのスィーツもペロリと頂きます。

いちばん星)
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夜更けに、部屋のバルコニーから空を覗いてみると、一番星の明るさで山の稜線がくっきり浮かび上がっていました。

翌朝、女将さんと「Good Morning」と挨拶を交わした時に、女将さんも「いちばん星」を眺めていたようで、そこだけ意思疎通ができました。

 2007年9月14日(金)
山岳ホテルのブレックファースト)
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朝のミューレンを散歩してからブレックファーストの時間です。食材などはロープウェーや鉄道などで下界から運ばれていることを思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

朝の山岳鉄道)
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サイクリストが静かなミューレンを散策していました。

/ ミューレンバーン(BLM)が宿泊したホテルの前を通り抜けます。

シルトホルン Schilthorn 観光)
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ラウターブルンネンからミューレンへ向かうルートは、私が利用したミューレンバーンと、シルトホルンロープウェイを利用する2つのルートがあります。

/ ロープウェイのミューレン駅は鉄道駅から300mほど離れています。

ミューレンバーン ルート > ラウターブルンネン-(ロープウェイ区間)-グリュッチアルプ-(鉄道区間)-ミューレン

シルトホルンロープウェイ ルート > ラウターブルンネン-(ポストバス)-シュテッヘルベルク-(ロープウェイ)-ミューレン-(ロープウェイ)-シルトホルン

アイガー北壁 日本チーム)
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ロープウェイのミューレン駅には、1969年にアイガー北壁「日本直登ルート」を切り開いた時の歴史的な写真が掲げられ、その時に使われた装備品が保存・展示されていました。
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山の斜面はまだ陽の光が当たっていないので真っ暗ですが、シルトホルンの頂上は明るく輝いています。

/ トレッキングで登る時は迂回が必要な大きな壁です。
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ミューレンからシルトホルン頂上までは、ロープウェイを1度乗り継ぎます。
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8時40分、もうすぐ2970mのシルトホルン頂上です。頂上駅には、太陽光発電の力でゆっくり回転するレストラン「ピッツグロリア」があり、007シリーズ「女王陛下の007」のロケ地になったそうです。

/ 山頂では神々しい瞬間に遭遇しました。
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レストラン「ピッツグロリア」に朝の陽ざしが降りかかります。

/ シルトホルンの頂上ではアイベックスの剥製が飾られ、旅で見た中で一番大きくて見事な角を持っていました。
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山頂にはトレッキングのコースタイムがあり、ミューレンに下るルートは3時間30分と記されています。

/ 「自分の脚が長く見える」嬉しい瞬間。

/ 「こういう靴で歩かないで」というユーモアな標識がありました。

ラウターブルンネン-ミューレン山岳鉄道 Lauterbrunnen-Mürren Mountain Railway(BLM)
ミューレン駅(Mürren) 乗車
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シルトホルン観光から帰り、ミューレンでの滞在を終えます。再び、ミューレンバーンに乗ってラウターブルンネンへ向かいます。

/ ミューレンバーンの鉄道区間である約4kmを乗車して、グリュッチアルプに到着しました。ここからロープウェイ区間に乗り換え、一気に崖を下ってラウターブルンネンに向かいます。

ベルナーオーバーラント鉄道 Berner Oberland Bahn
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往きはインターラーケン・オストからグリンデルヴァルト経由でしたが、復路はラウターブルンネンからインターラーケン・オストへ戻ります。

/ ラウターブルンネンから乗車すると、途中駅でグリンデルヴァルトからの電車を連結します。

≪ユングフラウ鉄道 グループ≫
1.ユングフラウ鉄道 / クライデシャイデック - ユングフラウヨッホ 
2.ヴェンゲルンアルプ鉄道 / グリンデルウァルト - クライデシャイデック -ラウターブルンネン 
3.ベルナーオーバーラント鉄道 / インターラーケン・オスト-ツヴァイリュウッチーネン -ラウタ ー ブルンネン
  / ツヴァイリュウッチーネン - グリンデルヴァルト
  / ヴィルダースヴィル - シーニゲプラッテ
4.ラウターブルンネン-ミューレン山岳鉄道 / グリュッチアルプ-ミューレン
※今回の旅で全線走破できました。



BLS AG 
インターラーケン・オスト(東)駅(Interlaken ost) 乗り換え駅
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ベルナーオーバーラント鉄道から乗り換えて、BLSでシュピーツへ向かいます。

11時56分発、「ICE276」バーゼル SBB行(Bahnhof Basel SBB)に乗車します。列車はスイス国内にあるヨーロッパ最大の国境駅に向かいますが、私が乗車するのはほんの20分だけです。

/ この車両はドイツ国鉄(DB)のICE1で、1991年から運用が開始され、在来線では最高速度200km/hの運転が可能です。編成内に食堂車が組み込まれています。

シュピーツ駅(Spiez) 乗り換え駅
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12時17分にシュピーツ駅に到着。21分後に発車する「IC820」バーゼル→ミラノ中央に乗換えます。駅構内に電気機関車が留置されていました。

/ 隣のホーム越しに大きな駅舎が見え、ホーム上が綺麗に整理整頓されています。
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この駅では、大型の貨物自動車を貨車に載せて運ぶ貨物列車を目撃しました。昔、日本で運転されていた「カートレイン」のように、運転手さんを乗せるための客車も連結されています。

≪HUPAC社≫
HUPAC社は、アルプス越えの貨物輸送を運行するスイスの企業グループで、トラックの搬送、セミトレーラーやコンテナ輸送等を行う企業です。グループ会社は、スイス、ドイツ、イタリア、オラン ダ、ベルギー、ロシア等に広がります。


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5-6.クライネ・シャイデック > ユングフラウ・ヨッホ
 
2007年9月13日(木)

13.ユングフラウ鉄道 Jungfrau bahn(JB)
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駅の横に赤い車体の211号車が停まっていて、岩山バックにスナップ完了です。

このあとは、駅舎2階にある「マウンテン・ロッジ」に宿泊。翌朝、ユングフラウ鉄道に乗って、ヨーロッパで一番高い所にあるユングフラウ・ヨッホ駅を目指します。

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ユングフラウ鉄道 撮りテツ
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4両編成の電車の前に、荷揚げ用の無蓋貨車が連結されていました。
/ ユングフラウ鉄道203号車は、顔つきが優しくて愛嬌のある電車です。
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ユングフラウは、見るからに「カッコいい山」。午後4時過ぎの到着ですが、この日はくっきりと「オーバーラント三山」(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)が姿を現わしていました。左の鞍部に「スフィンクス展望台」が小さく見えます。

≪宿泊 クライネ・シャイデック≫
山岳ロッジ「マウンテン・ロッジ」(Mountain Lodge)
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駅舎の2階(左側)がロッジになっています。駅併設の宿に宿泊できたので、鉄道と山が見放題、歩いて宿へ戻る必要がない、加えてご飯の心配もなしです。
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/ 駅舎の名峰ビュー側に、ユングフラウ鉄道の乗場、反対側にヴェンゲルンアルプ鉄道の乗場があり、名峰が一望できる駅舎前にオープンテラス・カフェが広がっています。

/ マウンテンビューの部屋からは、素晴らしい景色が丸見えです。山から電車が戻ってきました。
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山岳ロッジ周辺では外食が難しいので、ハーフボード(2食付)で予約をしました。飾りっ気のないスイスのご飯が頂ける貴重な機会です。普段食べない甘めのデザートも美味しいです。

 2007年9月14日(金)
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ユングフラウ鉄道グループの4社目の電車が「ユングフラウ鉄道」になりました。
/ 朝ご飯を頂いて、チェックアウト時に荷物を預けて、天上へ向かう電車に乗る準備が整いました。

ユングフラウ鉄道 Jungfrau bahn
クライネ・シャイデック駅 乗車
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7時55分、標高2,061mのクライデシャイデックから標高3,454mのユングフラウヨッホに向けて電車が発車しました。乗車時間は50分くらいです。

前の日に切符売場の下見をしたら、早朝割引チケットを発見。往きは午前8時前電車、帰りはお昼前の電車で戻る場合は割引きとなるそうなので、そのチケットを購入しました。

アイガーグレッチャー駅(Eigergletscher) 途中駅
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クライネ・シャイデックを発車して10分程でアイガーグレッチャー駅に到着。鉄道はこの駅まではトンネル外を走行します。鉄道に沿ってトレッキングコースが整備されており、この駅まではウォーキングや散策を楽しめます。

アイガーバント(Eigerwant) 途中駅
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クライネ・シャイデックから約24分でアイガーバント駅(標高2,865m)に到着しました。アイガーの硬い岩盤を掘って出来た駅という印象です。
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三大北壁の1つである「アイガー北壁」に開けられた穴から、ストンと落ちる斜面を眺めます。ただただ一定の斜面が続いており、過去多くの登山家の命を奪ってきた「魔の壁」です。

/ 発車時間になると、車掌が迎えに来てくれます。2016年のダイヤ改正で、この駅での観光停車はなくなってしまったようです。

アイスメーア駅(Eismeer) 途中駅
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この駅でも山に開けられた展望穴から景色が楽しめます。(標高3,160m)

/ 現在もこの駅の観光停車は実施されているそうです。

ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch) 下車
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始発電車で到着、乗客はこの駅の各施設で働く人がほとんどでした。
/ 「外の景色が早く見たい」午前中の電車で戻ればいいので、じっくり観光できます。

ユングフラウヨッホ展望台
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ユングフラウヨッホ駅の標高は3,454mで、ヨーロッパで最も高い所にある展望台として「トップ・オブ・ザ・ヨーロッパ」の称号があります。

/ イラスト入りの案内図を見ると、山の中に掘られた駅だということを再認識します。

ユングフラウ鉄道の記念碑
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「ユングフラウ鉄道」の設計者であるA.G.ツェラーの立体像。観光客の高山病を防ぐために鉄道方式が採用されています。

1896年から鉄道の建設が始まり、1912年にユングフラウヨッホ駅が完成しています。設計者
A.G.ツェラーは、残念なことに鉄道の開通を待たずしてこの世を去っています。
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駅の構内にあった展望台の案内板。4段目に日本語の案内があったので嬉しくなりました。右方向はレストラン、お土産売り場。左方向はスフィンクス展望台、氷河、アドベンチャーなどです。

/ 展望台から山の斜面(雪上)に出られます。標高3,000mを超える場所ですが、アレッチ氷河がある側は山の斜面が緩やかです。
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尾根の傾斜している所を眺めると標高差がわかります。積雪や氷が不思議な模様を形づくっています。

アレッチ氷河)
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展望台から雪上に道が続いています。

/ 世界遺産に登録された「アレッチ氷河」を眺めます。氷河の長さは23.6kmあり、欧州で最大の氷河です。画像を大きくしてみると、ポツリポツリと氷上をトレッキングして下っていくパーティーが写っています。

スフィンクス展望台)
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エレベーターへ向かう通路は山の中です。標高3,591mの高さの稜線上にある「スフィンクス展望台」は、高速エレベーターで上がります。

/ 今朝は残念ながら濃いガスの中ですが、昨日は麓からこの展望台が見えていました。

標高3,454mのカフェ)
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9月の訪問でしたので展望台周辺の雪はだいぶ解けていますが、それでも3時間も滞在していると少し身震いする感じです。

/ 売店の「ホットチョコレート」で体内に温かさを蓄えます。

ユングフラウヨッホ駅 往復

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11時45分発、午前中に発車する最後の電車でクライネ・シャイデックに戻ります。

木造のレトロ車両
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クライネ・シャイデックに戻ってくると一風変わった車両が停車しており、急いで近づいてみると、開業当初に使用していた車両のようです。

あとで調べて見ると「He2/2形 11号機」と客車2両で、歴史的車両として観光シーズンに運転されるようです。民族衣装の乗務員さんがお洒落です。

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私が山上から戻った10分くらい後に、レトロ車両は発車していきました。

/ 午前中の興奮も落ち着いてきて、オープンテラスで一休みします。「rivella(グリーンラベル)」のことを日本語で「お茶」と記載されていたので買ってみました。お味は炭酸飲料のお茶で、リヴェラは乳製品なのだそうです。

ヴェンゲルンアルプ鉄道 (WAB)
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これから「ヴェンゲルンアルプ鉄道」でラウターブルンネンへ向かいますが、少し時間があるので展示場のような車庫を眺めます。

左にはBDhe4/4形の初号機「101号車」が留置されています。1945(昭和20)年製でこの鉄道で現存する中で一番古い車両のようです。
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13時10分、クライネ・シャイデックを出発します。天気が回復して山の稜線が見えてきました。

/ 先ほどの車庫には古い車両が待機していましたが、列車交換では新型車両同士です。

ラウターブルンネン(Lauterbrunnen) 乗り換え
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ラウターブルンネン駅のすぐ近くに見える「シュタウプバッハの滝」です。「シュタウプ」はほこりや塵という意味で、落差があるので滝の流れが崖の麓に達する前に、霧としてほとんどがなくなってしまうそうです。

/ 14時10分、約1時間でラウターブルンネン駅に到着しました。この駅でヴェンゲルンアルプ鉄道を完乗しました。WABの往路はグリンデルヴァルト経由でしたが、復路はラウターブルンネン経由を選びました。

14.ラウターブルンネル-ミューレン山岳鉄道 Lauterbrunnen-Mürren Mountain Railway(BLM)
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ラウターブルンネン駅(WAB)を出て、駅前にある乗場からロープウェイに乗ります。

これから向かうミューレンの町はラウターブルンネンの谷の上にある町で、道路が町の外と繋がっておらず、生活必需品をこのロープウェイで荷揚げしています。そのため、ゴンドラが2段構造となり下段が荷台になっています。

/ ロープウェイに乗車すると、真下の斜面にケーブルカーが通っていた跡が見えました。2006年、私が訪れた前の年にロープウェイに付け替えたようです。


グリュッチアルプ(Grutschalp) 乗り換え
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14時10分、ロープウェイでラウターブルンネンの町を見下ろせるグリュッチアルプに到着しました。

乗車したロープウェイとこれから乗り換えする鉄道は、ミューレンに向かうための交通手段として、ラウターブルンネル-ミューレン山岳鉄道(BLM)が両方の運営をしています。
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乗り換えのグリュッチアルプ駅からは、「オーバーラント三山」が眺められます。

ミューレン駅(Mürren) 到着
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14時37分、約4kmの道のりを時速30kmで走行し、10分程で終点のミューレン駅に到着しました。
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終点駅のミューレンは、2つの乗客用ホームがありますが、本線側には貨物用のホームもあります。

この鉄道は、1891(明治24)年の開通で、私が訪れた時は1967年製の「Be4/4形」21号車~23号車の3両が活躍していました。この路線は他の路線と接続されていないため、路線内にある車庫で全てのメンテナンスを行っています。

5-5.ブリエンツ > クライネ・シャイデック
 2007年9月13日(木)

ブリエンツ駅(Brienz) 乗り換え
≪ブリエンツ湖遊覧船(BLSによる運航)≫
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登山列車でブリエンツ駅に戻ってきました。ブリエンツの船着場から10時50分に出航するこの船(インターラーケン号)に乗船して、インターラーケン・オスト駅に戻ります。

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≪ブリエンツ湖(Brienzersee)≫
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この船の乗船料は、スイスパスを所持していると無料です。鉄道だと30分、船は1時間20分かかりますが、晴天に恵まれてゆったり船旅も楽しみです。

「1839年に始まる歴史を誇る伝統の湖船は、ブリエンツ湖周辺の鉄道開業より早く、ブリエンツ湖の北岸のブリエンツ Brienz、オベルリート Oberried、南岸のギースバッハ Giessbach、イゼルトヴァルト Iseltwald などの湖岸の村や集落を結んでいます。」(スイス政府観光局)

≪ギース・バッハの船着場 Giessbach)≫
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ブリエンツの対岸にあるギース・バッハには、グランドホテル・ギースバッハがあり、この傾斜を登るとスイスで最も古いケーブルカー(Giessbach Bahn)があるようです。
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ブリエンツ湖を運行する船は何隻かあり、船着場に接岸しているのは「ブリエンツ丸」でした。
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湖は風や波がほとんどなく、身体に暖かい日差しが注ぎます。

/ 明るい装飾の「ユングフラウ丸」とすれ違います。船は程なく、インターラーケン・オストの船着場に接岸しました。鉄道の駅とは歩いていける距離です。

インターラーケン・オスト(東)駅(Interlaken ost) 乗り換え
10.ベルナーオーバーラント鉄道 Berner Oberland Bahn
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12時20分発、グリンデルワルト行と、ラウターブルンネン行が併結された列車に乗ります。

この沿線の最奥には、世界の名峰「オーバーラント三山」(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)が鎮座しているので、電車の正面には三山のロゴがあります。

ヴィルダースヴィル駅(Wilderswil) 乗り換え
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乗車して5分でヴィルダースヴィル駅に着きました。ホームに降りてみると、乗っていた列車は編成が長かったです。
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駅員さんの影が本物っぽくてリアルに見えます。
/ ここ、ヴィルダースヴィル駅(Wilderswil)で、シーニゲ・プラッテ鉄道に乗り換えます。

11.シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige Platte-Bahn
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この駅が起点のシーニゲ・プラッテ鉄道は1893年に開業しています。130年近い歴史のあるラック式鉄道で、ヴィルダースヴィルとシーニゲ・プラッテ間の標高差1,380mを結びます。

※1895年、この鉄道はベルナーオーバーラント鉄道に合併し同社の支線となっていますが、「シーニゲ・プラッテ鉄道」は通称として使われています。
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登山鉄道の鉄則である電動機関車が客車を押し上げる編成になっています。
/ 駅構内には、タンク車、除雪車、無蓋車などの事業用車両も留置されていました。
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朝方の麓駅(ヴィルダースヴィル)では、車庫から順番に出庫してきて山頂(シーニゲ・プラッテ)へ発車していきます。(右=61号、左=62号)

シーニゲ・プラッテ鉄道(Schynige Platte-Bahn=SPB)
1893(明治26)年に開業。ヴィルダースヴィル-シーニゲプラッテ間の路線延長7.3km。軌間800mm/ラック式で、毎年5月~10月の運行。1895年にベルナーオーバーラント鉄道に合併。(ユングフラウ鉄道グループ)

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2つの編成がホームに停車中です。左は20号機関車(1911年製、エーデルワイス号)で、右は61号機関車(1912年製、エンツィアム号)。12時50分発の右の編成に乗車して山頂(シーニゲ・プラッテ)へ向かいます。

/ 一足先に山頂へ向かった62号機関車(1912年製、アルペンローズ号)です。
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 ヴィルダースヴィル駅(Wilderswil)の街を抜け出し、段々と勾配がきつくなってきました。
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途中、列車交換で下っていく登山列車と行き違います。
/ 12号機関車(1914年製)と並びます。

シーニゲ・プラッテ駅(Schynige Platte) 往復
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13時42分、50分ほどの乗車でシーニゲ・プラッテ(山頂)駅に到着しました。この駅周辺はベルナーアルプスの眺めが良く、たくさんの種類の高山植物を栽培しているシーニゲ・プラッテ高山植物園があります。

/ 山頂駅に停車中の11号機関車(ヴィルダースヴィル号)。
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シーニゲ・プラッテ駅には2本の発着線があります。
/ 駅の傍らにあった「ラック式鉄道」のモニュメント。
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シーニゲ・プラッテからは、ベルナーアルプス(アイガ-、メンヒ、ユングフラウ)の眺望が広がっています。この日の午前中に乗車した「ブリエンツ・ロートホルン鉄道」より三山に近いので、山が大きく見えます。
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標高1967m。この日も快晴で、何とも言いようのない素晴らしい眺望が開けます。
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シーニゲ・プラッテ駅に到着した62号機関車。
/ 14時6分発の列車で帰路を出発します。下ってきた急傾斜のルートを列車の中から見上げます。

ヴィルダースヴィル駅(Wilderswil) 乗り換え
ベルナーオーバーラント鉄道 Berner Oberland Bahn(BOB)
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15時36分発、グリンデルワルト行とラウターブルンネン行が併結した電車に乗車します。
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次の目的地は、ベルナーアルプス(アイガ-、メンヒ、ユングフラウ)の登山基地にあるクライネ・シャイデック駅Kleine Scheidegg)です。

/ クロスシートの窓下にあるテーブルには、沿線の路線図が示されていて乗換駅の確認などに便利です。

グリンデルヴァルト駅(Grindelwald) 乗り換え
12.ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalp bahn(WAB)
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15時54分、ヴィルダースヴィルからBOB(右に停車中)でグリンデルヴァルト駅に到着しました。ここからは、この「ヴェンゲルンアルプ鉄道」に乗り換えて、クライネ・シャイデックへ向かいます。
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右の列車が先ほどまで乗車していた「ベルナーオーバーラント鉄道」(軌間1,000mm)です。同じホームの乗り換えで「ヴェンゲルンアルプ鉄道」(軌間800mm)に乗り込みます。乗り換え時間は8分ですぐの発車です。

/ 発車するとすぐに下り坂で、滑り込むように隣駅に到着します。

グリンデルヴァルト・グルント駅(Grindelwald Grund) 途中駅
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隣駅のグリンデルヴァルト・グルント駅には車両基地があり、その横を本線上の電車が横切ります。
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基地には、貨車と連結されている電動車(BDhe4/4)が2両あり、106号機(左)は1954(昭和29)年製で、118号機(右)は1963(昭和38)年製です。
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グリンデルヴァルト・グルント駅はスイッチバックの駅で、正面に見える坂を下りてきた列車は向きを変えて、グリンデルヴァルトの町から遠ざかっていきます。

クライネ・シャイデックKleine Scheidegg) 到着

16時36分、「オーバーラント三山」(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)に最も近い最前線基地的な駅に到着しました。標高が2061mの所にある駅です。
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途中、山から下りてきた列車と行き違いました。

/ 駅舎の2階には、この日の宿舎である「マウンテン ロッジ」があります。日本から予約申込書をFAXで送信したら、翌朝に予約確認書が届きました。
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峠の駅であり、登山基地的な位置にあり、どっしり感の駅舎が頼もしいです。

/ ベルナーオーバーラント鉄道の乗場には、グリンデルヴァルト行(左)とラウターブルンネン行(右)が並びます。

この駅は同方向に本線が延びており、両方向とも下り勾配のため、動力車の連結位置の関係から直通運転はなく、両方向に対してこの駅が始発です。

5-4.ブリエンツ > ブリエンツ・ロートホルン
 
2007年9月12日(水)
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この旅の中で最も楽しみしていた「ブリエンツ・ロートホルン鉄道」です。観光シーズンの5月から10月まで運行されています。いまもSLが牽引する登山鉄道に乗って、山の上のロートホルンクルム駅へ向かいます。

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ブリエンツ駅(Brienz) 乗り換え
9.ブリエンツ・ロートホルン鉄道(Brienz Rothorn Bahn)
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インターラーケン・イストからの電車を降りて、道路の反対側にある山岳鉄道の駅に向かいます。
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ホームにはすでにSL列車が停車しており、蒸気機関車とラック式レールということで心が躍ります。

/ 「ともにSL運行を実施している鉄道会社」という御縁で、1977年に大井川鐵道と姉妹鉄道の関係を結んでいます。
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この鉄道は1892年に開業しており、開業100年の年に輸送力増強として14号機を新製しています。
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蒸気機関車ですが、燃料は石炭ではなく重油を焚いています。
 / 急勾配が続くので、発車前の準備に余念がありません。
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14時20分、定刻にブリエンツ駅を発車しました。駅から少し進み、ブリエンツ湖が見えてました。本線の横には車庫があり、構内が広くなっています。

≪ブリエンツ・ロートホルン鉄道(BRB)≫
1892(明治25)年に開業。ブリエンツ(標高566m)-ロートホルンクルム(標高2,244m)間の路線延長7.5km。軌間800mm/アプト式で、毎年5月~10月の運行。

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町から高台に上がった所には牧場が広がります。
/ 岩が競り出た所の側近を通過します。
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上りと下りの列車交換、対向はディーゼル機関車の編成です。
/ 観光鉄道ということで、対向列車の乗客どうしが手を振り合う場面がありました。
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蒸気機関車同士の列車交換は迫力があります。
/ ラック式レールで確実に進んでいきます。
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急激に高度を上げて、段々と山の上部の方がはっきり見えてきました。
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車掌さんは、列車交換所での給水作業も行います。
/ かなり上部まで登ってきました。見上げると、大きな山の斜面にレールが敷かれています。
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山の稜線に近い所に人工物が見えます。ここから山の上のロートホルンクルム駅まで、時刻表を確認すると40分くらいかかる計算です。

ロートホルンクルム駅(Rothorn Kulm) 下車駅
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15時40分、1時間ほどで山の上のロートホルンクルム駅に着きました。
/ この日、宿泊する山岳ホテル「ブリエンツ・ロートホルン」です。左奥の山頂駅から山道を登ります。

山岳ホテル「ブリエンツ・ロートホルン」から)
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トカゲの背中のギザギザのように尖った尾根の横を登ってきました。
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快晴に恵まれ、世界の名峰「オーバーラント三山」(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)の白い頂が眺められました。
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テラスにいる人達は笑顔いっぱいで、素晴らしい景色をいつまでも眺めていました。
/ ホテルの宿舎とテラスが登山道の両側にあるので、登山道がテラスを抜けています。

ロートホルン山頂)
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ホテルに荷物を置いて付近を散策します。右上に山頂駅。乗ってきた列車がゆっくりと麓の方へ降りていきます。
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ホテルを出てブリエンツ・ロートホルンの頂上に向かいます。この日は天気に恵まれて、高い所からの眺めは格別です。
/ ブリエンツ湖越しに、オーバーラント三山が眺められます。

≪宿泊 ブリエンツ ロートホルン≫
山岳ホテル「ロートホルン クルム」(Hotel Rothorn Kulm)

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ホテル食堂の窓からも絶景の眺めです。
/ 捜索犬のような賢そうなワンちゃんが静かに待機していました。
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山岳ホテルの夕食は1人でした。この日は何でも貸切状態のようでした。夕食はメニューで選べるタイプでパスタをチョイス。

/ ハーフボトルの白ワインをオーダーしました。
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ひと気のなくかったテラスがもの悲しい感じでした。
/ オーバーラント三山の眺め。
/ ブリエンツ湖が闇の中に沈んでいきます。
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登山列車の最終便は行ってしまったので、宿泊客だけの独り占め風景です。

 2007年9月13日(木)
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朝食前の散歩で、ロートホルンの山頂まで登ってきました。この日も晴天でいい一日になりそうです。

/ 麓の方に見えるブリエンツ湖は、まだ山の影になっていて薄暗いです。
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新鮮なパンとジャムに、ハム、チーズ、ヨーグルト、果汁ドリンクと温かいコーヒー。「今日も観光するぞー」という元気が出てきます。

朝のロートホルン山頂)
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麓へ降りるために山の上の駅へ向かいます。
/ 駅へ向かう登山道は舗装されていて歩きやすいです。後ろを振り返ってホテルを眺めます。

ブリエンツ・ロートホルン鉄道(Brienz Rothorn Bahn)
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朝一番の列車で麓の町ブリエンツに戻ります。登山道から少し身を乗り出すと、登ってくる一番列車が見えます。どうやら帰りはSLではなくて、ディーゼル機関車のようです。
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すでに列車は到着しており、昨日購入した往復切符の復路区間として乗車します。

/ 昨日、往路の途中ですれ違った「11号機」です。小さいながらも精悍な赤と黒のボディは、登山鉄道らしく車体が前傾しています。
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客車の車内からも白い頂の山々が見えます。
/ 一番列車は9時33分の発車です。機関車のすぐ後ろの座席に陣取りました。
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線路脇の基礎工事を行っており、ヘリコプターでセメントを運んできて、型に流し込んでいるようです。

/ 基礎工事では保線用列車もあり、列車交換所では私の乗車している列車と同じ下り線の坂下側に停車していました。この時、交換所には登りのSL列車を含めて3本の列車が停車し、登りのSL列車が発車した後に保線用列車は登り線に移り、工事現場に近い列車交換所でホバリングしていました。

ブリエンツ駅(Brienz) 到着
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徐々に標高が下がってきて、森林帯に入ると麓の駅がもうすぐです。

/ 10時43分、麓のブリエンツ駅に到着、下りは1時間10分の乗車でした。小型で可愛らしい、それでいて本格的な山岳鉄道のSLに乗車出来て最高な気分です。

5-3.マルティニ > インターラーケン・オスト
 2007年9月12日(水)
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午前8時54分、朝の通勤時間帯のマルティニ駅で撮りテツ中です。この日はモントルーに戻って、ゴールデンパスラインの観光列車に乗車します。

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マルティニ駅(Gare de Martigny) 撮りテツ
6.リージョン・アルプス(Region Alps)
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マルティニ駅には「モンブラン・エクスプレス」以外にもう一つの鉄道会社が乗り入れていました。この鉄道は、スイス連邦鉄道(SBB)とマルティニ地域交通 / TMRの合弁会社です。

≪セントバーナード・エクスプレス≫
沿線のグラン・サン・ベール峠にセントバーバード犬の故郷ともいえる聖ベルナルド・ホスピツ修道院があり、「峠越えの巡礼の道と、救助犬としてのセントバーナード犬の神話」が人々の間に語り継がれており、車体側面にセントバーナードが描かれ、「セントバーナード・エクスプレス」の愛称を持ちます。


マルティニ駅(Gare de Martigny) 乗車
スイス連邦鉄道 Schweizerische Bundesbahnen(SBB)
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Re460形電気機関車は、スイス国鉄が推進する「バーン2000計画」の要となる200km/h列車の牽引が可能な電気機関車として、1990年から製造が開始されています。
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朝早い時間帯のマルティニ駅です。
/ コンテナ列車が到着。欧州の貨物列車を真近に見れて興奮気味です。

モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 Montreux–Berner Oberland-Bahn(MOB)
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モントルーからはこの列車(MOB)に乗車します。スイスのロマンスカーのようなゴールデン・パスラインの「パノラミック列車」です。(モントルーでは発車時間が迫っていたため、終点駅 ツヴァイジンメンでの撮影画像です)

≪ゴールデンパスライン 3116パノラミック列車≫
MOB モントルー9:50発→ツヴァイジンメン11:36着
BLS ツヴァイジンメン11:39発→インターラーケン・オスト12:35着

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モントルー駅を発車した後、どんどん山の斜面をを登ってきて、かなり高い所からレマン湖を眺めます。
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パノラミック列車は、側窓が大きいので眺望に優れています。通路を隔てた向かい側の車窓を撮らさせていただきました。

/ 走行中、駅の横に客車が置かれていて、車体側面には「JPF」とあります。詳細は不明です。
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車内はパノラマ構造になっているので、差し込んでくる光が車内も明るく照らしています。
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エメラルドグリーンの湖の横を走り抜けます。
/ シャトー・デー駅( Château d'Oex)の駅舎を撮ります。
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見通しの良いカーブでは、列車の先頭側が車窓に映ります。
/ グリーンが綺麗な車窓を眺めます。
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「パノラミック列車」同士の列車交換です。向こうの列車の先頭展望シートにはお客さんが乗っていないので、その瞬間に「何とももったいない」という思いが走りました。

/ 私が購入したエコノミーシートの座席指定券と、パノラミック列車のパンフレットです。

ツヴァイジンメン駅 (Zweisimmen) 乗り換え
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列車が徐々に速度を落とし出すと、本線脇に車庫が見えてきました。「パノラミック列車」のMOB区間の終点駅「ツヴァイジンメン」が近づいてきました。

「パノラミック列車」の指定乗車券は、モントルーからインターラーケン・オストまで購入しており、この駅でMOBからBLSの「パノラミック列車」に乗り換えます。1枚の座席指定券で両鉄道の座席が確保されます。

7.BLS AG
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ツヴァイジンメンでは、別々の鉄道会社の「パノラミック列車」が同じホームの両側に停車して、乗り換えの便宜を図ってくれています。

(ツヴァイジンメンでは、乗り換え時間が3分だったので、終点のインターラーケン・オストでこの列車を撮影しました)
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観光列車での移動に慣れてきて、ついビールを仕入れてマッタリ中です。
/ 見通しの良いカーブで、この列車を後方からプッシュしている茶色い機関車を捉えました。
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エーレンバッハ・イム・シンメンタール駅(Erlenbach im Simmental)で、「ゴールデン・パスライン」同士の列車交換です。

/ 遠くに見えていた対向列車とすれ違います。
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「ゴールデン・パスライン」同士が並びます。

/ 「パノラミック列車」に乗車した感想は「観光列車の水準の高さ」を感じました。

シュピーツ駅(Spiez) 途中駅
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シュピーツ駅に到着しました。この駅はベルン-ブリーグ(Brig)を結ぶ路線との乗り換え駅です。

インターラーケン・ヴェスト(西)駅(Interlaken West) 途中駅
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シュピーツを発車すると、進行方向左側にトゥ-ン湖が見えてきました。

/ 終点駅「インターラーケン・オスト」の1つ手前のこの駅には車庫があり、車庫の入口にパンタグラフのついた車両が留置されていました。
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インターラーケン・ヴェスト駅では対向列車とすれ違います。先頭部分は赤く塗られていますが、制御(運転室)付客車です。

/ SBBの見慣れた客車と再会です。
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インターラーケン・ヴェスト駅を発車した直後、走る車内から駅前を撮影していたら、画像には軽快に疾走するヤングレディが映っていました。

インターラーケン・オスト(東)駅(Interlaken ost) 乗り換え駅
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12時35分、ゴールデンパスライン「パノラミック」定刻通りにインターラーケン・オスト(東)駅に到着です。
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この駅は、背後に山が迫っていて緑が綺麗です。
/ 駅舎の前に溜まった水で、駅舎が水鏡のように映っています。

インターラーケン・オスト駅前の散策
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次の列車に乗り換えるまでの2時間弱の間、駅前周辺でのショッピングやつまみ喰いを楽しみます。

8.ツェントラル鉄道 Zentral bahn(ZB)
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駅前を散策した後、ブリューニック線に乗車します。この電車は通称「SPATZ」と呼ばれる低床車両です。
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ブリューニック線は、インターラーケン・オストとルツェルンを結ぶ軌間1000mmの路線です。
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運転席が中央にあって、すべての表示パネルが中央に向いています。運転手の髭が密かに気になっていました。

/ 同じ型の電車と行き違います。赤白の鮮やかな車体色が目を引きます。
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ルツェルン方面へ向かうツェントラル鉄道の列車を待っていたら、その鉄道の「ゴールデン・パス・ライン」列車が到着しました。

/ マイリンゲン行に乗って、湖岸のブリエンツ駅に到着しました。

  5-2.モントルー > マルティニ
 2007年9月11日(火)

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この日は最初に、列車でモントルーからマルティニへ移動し、マルティニからは「モンブラン・エクスプレス」に乗車します。

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モントルー駅(Gare de Montreux) 乗車
スイス連邦鉄道 Schweizerische Bundesbahnen(SBB)
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スイスに入国した2日目の朝早く、モントルー6時6分→マルティニ6時39分の列車に乗車します。駅で購入した乗車券は、15.2CHF(スイスフラン)で、日本円でおおよそ1,800円でした。
/ 6時39分、マルティニ駅に到着しました。

マルティニ駅(Gare de Martigny) 乗り換え
3.マルティニ・シャトラール鉄道 / マルティニ地域交通(TMR)
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この鉄道は「モンブラン・エクスプレス」の愛称があり、この駅が始発駅です。
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この日はシャモニー・モンブランで観光した後、再びこの町まで戻ってきます。ネットで予約出来る宿が見つからなかったので、この駅に到着して市内を歩いて宿を探しました。

/ 駅の中にあるパン屋さん。列車に乗る前に朝ごはんを仕入れました。
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8時21分に列車が到着しました。この車両が折り返しの始発列車になりますが、増結のためにやってきた回送車両を増結しています。

/ 観光目的の乗客がホームでその様子を見守っていました。8時43分に発車する列車に私も乗車します。
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座席のモケットは、カラフルなデザインで車内の雰囲気がお洒落です。
/ 駅の窓口で往復分の乗車券(49スイスフラン=約5,900円)を購入します。
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発車30分後、車窓の風景を見てびっくり。V字谷の中腹斜面のような所を抜けているようで、平らなところが少なそうな場所に家々があります。
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発車40分後、架線集電から第三軌条へ変わっています。
/ 発車1時間15分後、白い雪で覆われたモンブランの山域が見えてきました。
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シャモニー・モンブランに到着する15分前、車内からモンブランの勇姿と山頂方面へ延びるロープウェイが見えます。「モンブラン・エクスプレス」ということで、どれだけ速いか楽しみにしていましたが、「山岳地帯の国境超え路線」という違う意味で楽しめました。

シャモニー・モンブラン駅(Gare de Chamonix-Mont-Blanc) 下車
4.フランス国鉄 コル・デ・モンテ線(SNCF) 直通運転
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往路の「モンブラン・エクスプレス」は乗り換えなしで、1時間17分でシャモニー・モンブランに到着しました。乗車中にスイスからフランスへ国境を通過しています。

スイス側のマルティニ・シャトラール鉄道(約19km)は架線方式の給電ですが、フランス側のフランス国鉄 コル・デ・モンテ線(乗車区間は約18km)は第三軌条による給電なので、両方の設備が備わった車両のみが直通運転が可能です。両鉄道を合わせて「モンブラン・エクスプレス」の愛称があります。

ロープウェイ Chamonix 乗車)
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シャモニー・モンブラン駅に到着。エギーユ・デュ・ミディのロープウェイ乗り場まで700mくらい歩きます。

エギーユ・デュ・ミディ Aiguille du Midi 到着)
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ロープウェイは標高2317mの駅で1回乗り継ぎをします。画像のように支柱が全くなく、グングン高度を稼いでいきます。麓から終点の山頂駅まで約20分で到着します。

/ ロープウェイで終点の山頂駅に到着すると、上の方に山頂部の展望台が見えます。ここからは岩の中にあるエレベーターで山頂部の展望台に向かいます。
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こちらがロープウェイ山頂駅の展望台で標高3777mの高さの所にあります。

/ 展望台の案内図には、周辺の山々が記されています。
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山頂部の展望台です。向こうに見えるのが、標高4810.9mのモンブランです。ヨーロッパ・アルプスの最高峰で、山の稜線に沿ってフランスとイタリアの国境になります。
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エギーユ・デュ・ミディの山頂部の展望台(標高3842m)からの眺めで、ロープウェイ山頂駅にある展望台越しに、標高1035mのシャモニーの街が遙か下の方に見えます。

シャモニー・モンブランのまち
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ロープウェイで名峰を往復して麓の町に戻ってきました。

/ 晴天の天上散歩で大満足した後はお腹が空きました。観光客で賑わっていたランチバイキングの店に入ります。
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レストランで食事をしていると、地元シャモニーでペンションを経営しているという日本人女性の方に声を掛けていただきました。手作りの土産品をお店に届けに来たのだそうです。

「モンタンヴェール(氷河)も良い所よ」とアドバイスを頂き、食事の後に向かうことに決めました。

更にこの方は、知り合いの観光協会の女性の方に、私が購入した「エギーユ・デュ・ミディ」だけの観光パスを「モンタンヴェール」も観光できるパスに、差額を支払えば交換出来ることを確認してくれました。とても親切にして頂き、次回この地を訪問することがあれば、是非、ペンションを利用したいと思います。
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シャモニー・モンブラン駅に戻ってきました。名峰の最上部からの眺めを楽しんで、お昼ご飯も済んで、少し気持ちが落ち着きました。のんびりと町を散策しながら、モンタンヴェール行の観光列車の乗り場へ向かいます。

シャモニー・モンブラン駅 乗車
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シャモニー・モンブラン駅です。面白いデザインの駅で、駅舎の背後には奇岩の山々が見えます。

5.モンタンヴェール鉄道(Chemin de fer du Montenvers)
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フランス国鉄のシャモニー・モンブラン駅に隣接して、モンタンヴェール鉄道の駅があります。終点のオテル・ド・モンタンヴェール駅まで約20分で結びます。
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氷河へ向かう電車には、山と氷河と電車が上手く描かれています。
/ ラック式鉄道の列車は急激に高度を稼いできました。

モンタンヴェール駅(Montenvers) 下車
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モンタンヴェールから眺める「メール・ド・グラース氷河」です。

この氷河は、モンブラン北壁にある長さ7kmのフランス最大の氷河です。ガイドブックを参照すると「氷河の後退が進み、昔の景観とは変わってきている」ようです。

モンタンヴェール 観光)
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氷河の上部は白く見えますが、端の方は土砂が被っています。
/ オテル・ド・モンタンヴェール駅は、標高1913mの高さにあります。
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ここから、ゴンドラで下って氷河の所まで行けるようです。(時間の関係でここまでで戻ります)
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メール・ド・グラース氷河とともに、見事な景色だったのが「エギーユ・デュ・ドル-」(標高3,754m)です。尖塔の鋭さに心が釘付けです。

モンタンヴェール駅(Montenvers) 往復
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同じ鉄道でシャモニー・モンブランへ戻ります。この鉄道は、軌間1,000mm、路線延長5.1km、途中に信号場があり、列車の行き違いをします。

シャモニー・モンブラン駅 乗り換え
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モンタンヴェール鉄道で活躍していたSLが登山鉄道風に保存されていました。1909年に開業したモンタンヴェール鉄道は、1953年に電化されており、それまではSLが活躍していたようです。

/ 氷河の観光を終えて、大きなパンタグラフの登山電車とお別れです。

フランス国鉄 コル・デ・モンテ線(SNCF)
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16時42分発「モンブラン・エクスプレス」に乗車してマルティニに戻ります。
17時36分、フランスからスイスに入った最初の駅「ル・シャトラール・フロンティエー」には、事業用の車両が留置されていました。駅には架線と第三軌条の両方の設備があります。
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こちらもル・シャトラール・フロンティエー駅の画像です。駅舎の中央にスイス国旗が見えます。
/ 18時13分、急勾配のラック区間を走行します。

マルティニ・シャトラール鉄道 / マルティニ地域交通(TMR)
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険しい峡谷と急勾配の区間を抜けて、マルティニの街に戻ってきました。
終点・マルティニ駅には18時25分に到着。帰路は途中で1回乗換えて所要時間1時間43分の行程でした。

≪宿泊 マルティニ≫
ホテル ド ラ ポステ(Hotel De La Poste)

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シャモニー・モンブランからマルティニに戻ってきて、部屋でワインを飲んじゃいます。グラスにワインを注ぐと、向こう側の風景をグラスの中に閉じ込めてしまいました。
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この日の朝、町を歩いて見つけた宿屋「Hotel de la Poste」に泊ります。
/ ホテルの裏側には広場のような空間がありました。恐らく、後方の谷がシャモニー・モンブラン方向だと思います。
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とっても清潔で快適、朝ごはんも美味しかったです。
/ 市内の交差点にあった奇抜な像。Hans ELNI(ハンス エルニ)氏はスイスの芸術家です。

 5-1.成田 > モントルー
 2007年9月10日(月
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初めてのスイスへの旅立ちです。「スターアライアンス」メンバー、全日空コードシェア便として、スイス直行便の設定があるスイスの航空会社に搭乗します。

> > > 始まり > > 

成田国際空港 搭乗
(Narita Airport→チューリッヒ / LX169
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コックピットの窓を開けてガラスを掃除していました。 /上から4番目、10時25分発チューリッヒ行に搭乗します。
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尾翼のスイス国旗で、ターミナルからも搭乗する機体がすぐに見つけられました。
/ 座席に着いて一安心。
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1回目の機内食は離陸して2時間ほど経ってからでした。
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離陸して8時間が過ぎ、おにぎりとお茶を戴きました。
/ 離陸後10時間が過ぎた頃、パン食プレートです。

チューリッヒ空港 乗り継ぎ
Zürich Airport→ジュネーブ / LX2808
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成田から12時間30分。無事にチューリッヒに到着しました。

/ この地はスイス インターナショナル エアラインズの本拠地で、同社の機体が数多く駐機していました。到着した55分後に国内線のジュネーブ行に搭乗します。
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ユーロ・デザインらしく、シンプルで先進のデザインが感じられる空港ターミナル。
/ 広い空港ですが、乗継ぎ便に乗り込みました。
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チューリッヒからジュネーブまでは、山岳地帯を遠くに眺めながら、比較的平坦な地形を通過していきます。着陸する少し前から低空で飛行し、レマン湖周辺が眺められます。(通常飛行中)

ジュネーブ空港 乗り換え
1.スイス連邦鉄道 Schweizerische Bundesbahnen(SBB)
Gare de Genève Airport→ブリーク行 / IR1741
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ジュネーブ空港にはヨーロッパで主流のように、空港内に鉄道が乗り入れています。電気機関車と客車の編成ですが、機関車は中間に連結されて動力源に徹し、先頭は制御(運転室)付客車が連結されて、終点駅でも機関車の位置を移動しないようです。
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ジュネーブ空港には定刻に到着。次は列車で、47分後のブリーク行(IR1741=上から3番目)に乗車します。インターレギオ(IR)は、準急・急行扱いで主に中距離の列車で設定があります。

ジュネーブ駅(Gare de Genève-Cornavin) 途中駅
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複々線で同じ方向に列車が走っていきます。
/ ジュネーブ空港を16時50分に発車した列車は、数分でジュネーブ・コルナヴァン駅に到着。

ローザンヌ駅(Gare de Lausanne) 途中駅
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ヴォー州の州都で、国際オリンピック委員会(IOC)の本部が置かれています。この駅に到着した頃には車内はかなり空いてきました。
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順不同ですが、レマン湖沿いに進む列車の車窓からの眺めも、少しずつスイスの田舎景色に、変わっているように感じます。

ヴヴェイ駅(Gare de Vevey) 途中駅
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中世の頃からのワインの産地で、この町には世界的な食品メーカーのネスレ本社があります。また、チャールズ・チャップリンが晩年を郊外の村で過ごしたことで有名なのだそうです。
/ レマン湖畔の夕日。

モントルー駅(Gare de Montreux) 下車
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19時40分、辺りがまだ明るいうちに、モントルーで下車。重厚な駅舎が迎えてくれました。
/ 駅前通りには古い建物の並びが見えます。

≪モントルー≫
温暖な気候から「スイスのリヴィエラ」と呼ばれ、レマン湖の東端に位置する湖畔のリゾート地です。古くからの「ラヴォー地区のブドウ畑」が有名で、スイスの絶景ルートの1つ、ゴールデンパスラインの西の発着点となっています。(Wikipediaより)

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1本の列車でレマン湖の西端のジュネーブから、東端のモントルーまで移動して来ました。歩いてレマン湖岸にやって来た頃、湖岸に夕暮れが広がりました。(シヨン城付近)

2.モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 Montreux–Berner Oberland-Bahn(MOB)
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モントルーに到着した後、ホームで撮りテツ開始です。

ホームに停車しているのは、2日後に乗車する予定の観光列車「ゴールデンパス・ライン」と同じMOBの普通列車です。ホームには、ツヴァイジンメン行(Zweisimmen)行が停車していました。
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モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道(MOB)は、スイス連邦鉄道(SBB)の駅と同じ場所にあり、地下通路を使って乗換えできます。
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こちらもMOBのようですが、フォンタニヴァン(Fontanivent)までの短距離区間の列車で、角張った車体をしています。

≪宿泊 モントルー≫
ホテル スプレンディド(HOTEL SPLENDID)
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MOBのレザヴァン行(Les Avants)です。

/ この日の宿泊はモントルー駅から徒歩3分くらいの駅近ホテル(HOTEL SPLENDID)です。

JR九州 長崎本線の終点駅

(2021年6月)
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15時18分、熊本側にある引き上げ線から回送扱いで入線してきます。引き上げ線からホームに入線する時に、SLが先頭の位置になるので見逃す訳にはいきません。


2020(令和2)年、肥薩線が豪雨による冠水や橋梁の流失など大きな被害を受け、現在も不通となっていることから、2021年5月から熊本-鳥栖間で「SL人吉」の運転を再開しました。
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駅舎は西側にあり、1903(明治22)年に完成した九州鉄道時代の2代目駅舎がベースになっていて、駅は戦時中に空襲に遭っていますが、駅舎の焼失は免れているそうです。

鳥栖は鹿児島本線と長崎本線の分岐駅で、佐賀県にありながら福岡県、長崎県、熊本県からの乗り換え駅ですから「SL人吉」に相応しい、人が集まる終点駅なのかもしれません。

駅は1889(明治22)年開業。長崎本線は鳥栖-長崎間125.3kmで、日中は毎時5~6本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎とホームを結ぶ地下通路には、「D51-250」の半端なく大きな写真が掛けられています。

/ 列車案内板は、福岡(左)、長崎(中)、熊本(右)方面別に分けて表示されています。

≪SL人吉≫
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15時27分、「SL人吉」が熊本に向けて発車していきます。熊本へ戻る列車は、SLが逆向き後補機(ぶら下がり状態)なので、走り去る列車を見送るように撮影しました。

大正生まれの古豪8620形は、今年100歳の誕生日を迎える車齢でありながら、元気に仕業に励む大先輩の姿を見て、尊敬の気持ちでいっぱいです。
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鳥栖駅の発車案内に「SL人吉 15:27 熊本」が表示されました。

JR九州が動態保存機に「58654」を選定したことから、車籍を有して営業運転するSLとしては、日本で最も古い車両(機関車)となっています。
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すっかり、JR九州の動態保存機として人気者になった「58654」です。大正時代に新製されてから、九州から出たことがなく、九州内で活躍してきた「九州っ子」です。

/ 熊本へ戻る「SL人吉」の若い機関助手が発車の前の小休止。これから煙と暑さや重い給炭作業との闘いが始まります。
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15時27分発「SL人吉」熊本行が6番ホームに停車中です。左には、キハ220形211号車(久大本線用)が留置されていました。

≪58654 経歴≫
1922(大正11)年 日立製作所笠戸工場 製造
同年 
浦上機関庫に新製配置
1949(昭和24)年 
西唐津機関区 転属
1964(昭和39)年 
若松機関区 転属
1968(昭和43)年 
人吉機関区 転属
1975(昭和50)年  廃車
同年 「人吉市SL展示館」(矢岳駅前)に静態保存
1988(昭和63)年 車籍復活、
熊本運転所に配属
2005(平成17)年 車軸焼けなどの故障により運用終了
2007(平成19)年 台枠新製、ボイラ修繕
2009(平成21)年 熊本-人吉間 運転再開
2020(令和2)年 豪雨の影響で八代-吉松間が不通、「SL人吉」の運休
2021(令和3)年 
「SL人吉」熊本-鳥栖間 運転開始


≪キハ66・キハ67 団体臨時列車≫
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「SL人吉」の出発を待っていたら、隣のホームにキハ66・キハ67が停車していました。この日の鳥栖駅は「人吉」とか「佐世保」の駅が出張してきた雰囲気です。

この列車は、JR九州が企画した「シーサイドライナー色キハ66・キハ67で行く! 筑肥線・唐津線たび」という団体列車(ツアー)で、ツアーサイトを確認すると、唐津-伊万里-山本-鳥栖のルートを通り、ここが終着駅の設定のようです。
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このツアーでは、シーサイドライナー色「第2編成」が事前に指定されており、キハ66-2、キハ67-2が仕業に就いていました。1975年に運用を開始した本形式は、昨年で全廃となっています。

/ 隣駅は、鹿児島本線 下り「肥前旭」と長崎本線「新鳥栖」、鹿児島本線 上り「田代」です。


≪長崎本線≫
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7時51分発、普通列車 肥前山口行(811系)。(4番ホーム)
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14時44分発、普通列車 肥前浜行(817系)。(3番ホーム)

/ 8時9分発、普通列車 佐賀行(817系)。(5番ホーム)


≪長崎本線 特急列車≫
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14時52分発、特急「かもめ22号」長崎→博多(885系)。(3番ホーム)
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15時52分発、特急「かもめ24号」長崎→博多。(3番ホーム)

8時16分発、特急「かもめ7号」博多→長崎です。
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14時58分発、特急「みどり15号」博多→佐世保と、特急「ハウステンボス15号」博多→ハウステンボスが併結運転(783系)しています。
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7時40分発、特急「かもめ5号」博多→長崎(787系)。(5番ホーム)
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7時57分発、特急「みどり1号」博多→佐世保。

/ 7時40分発、特急「かもめ5号」 博多→長崎。 

JR九州の特急車両は、水戸岡氏がデザインを担当していますが、車両の正面以外の角度からのシルエットにも特徴があり、白いかもめは「横」、787系は「斜め前」が個性的なラインを出していると感じます。


≪鹿児島本線≫
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15時55分発、区間快速 鳥栖→八代は、815系で運転されます。
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ホーム越しに「普通列車 羽犬塚行」を眺めます。

/ 14時55分発、区間快速 鳥栖→八代(817系)。(2番ホーム)
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14時52分発 快速 門司港→久留米(811系)。(6番ホーム)

/ 8時11分発、普通列車 博多→熊本(415系交直流電車)。(6番ホーム)
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15時8分発、区間快速 鳥栖→小倉は、真っ赤な813系が使用されます。


≪鹿児島本線 久大本線乗り入れ ≫
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15時発、特急「ゆふいんの森5号」博多→湯布院が到着しました。キハ71系気動車は、1989(平成元)年から使用されており、欧州の流線形デザインやハイデッカー構造の採用で人気のある観光特急です。
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8時14分発、特急「ゆふ1号」博多→別府で、185系気動車で運行されています。

この車両は、国鉄時代の1986(昭和61)年に四国地区で使用が開始されましたが、JR移行後の1992年にJR四国からJR九州に20両が売却されています。

/ 6番ホームの横にある側線に、久大本線から乗り入れてきたキハ220形211号車が留置されていました。


≪JR貨物≫
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8時8分、EF81ー502(門司区)の牽引する貨物列車が通過していきます。

502号機は1989(平成元)年に製造されていますが、昨年、EF510形300番台(九州専用機)が配置され、徐々に投入数が増やされ、EF81形は姿を消すようです。


≪駅からの眺め≫
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ホームの屋根を支える鉄の柱は、明治時代に製造されたレールが使われているそうで、屋根部分は手造り感を強く感じます。

/ 1番ホームの博多側には、柱として使われているレールの説明があり、KRUPP(1896年 ドイツ クルッパ社製)の刻印がわかります。
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2番と3番ホームの間に中線が1本あります。3番ホームには、15時10分着の佐世保からの特急が到着しています。

/ 5番ホームから博多方向を眺めています。4番と5番の間に中線が1本あります。
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自由通路から熊本方向を眺めます。6番ホームの横には貨物線と側線3本が並びます。

/ 陸橋の上からの眺めと、6番ホームからでは様子が違って見えます。
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1番ホームからだと思いますが、博多方向を眺めます。本線の右側にコンテナが見えますが、鳥栖貨物ターミナル駅が隣接しています。

/ 駅構内にむかしの鳥栖駅の写真が飾られていました。

鳥栖駅(右上の端)は九州で最初の駅の1つで、1889(明治22)年に開業、1907(明治40)年に国有化され、運輸事務所、保線事務所、機関事務所、車掌事務所に加えて、鳥栖操車場(右下)が設置されています。

機関車が50両近くが配置され、扇形機関庫は2ヶ所(中央下)に設置されていました。職員は約700人が勤務するという九州における鉄道貨物の主要拠点でしたが、昭和40年代の貨物の衰退により、現在では駅の規模や機能が大幅に縮小化されています。
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5番ホームから熊本、長崎方向を眺めています。高架区間になる長崎本線と、その両側に回り込む鹿児島本線が分かれていきます。


≪268号(230形)機関車≫
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蒸気機関車「268号」は、昭和10年代に鳥栖機関区に転入し、本線を走行するというよりは、主に構内の入換え作業に専念し、1954(昭和29)年に廃車となっています。
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「ふろやん」は、昭和の頃の「道のまち 鳥栖」を支えた「268号」機関車を記した絵本のタイトルなのだそうです。

≪230形蒸気機関車≫
イギリスから輸入された機関車を日本の条件に適合するように、輸入車をモデルに日本で最初に設計・量産化された蒸気機関車で、1902(明治35)年から1906年にかけて51両が製造されています。

内訳は、官設鉄道向け38両、北越鉄道1両、北海道鉄道2両、ほか5両ですが、鳥栖で活躍した「268号」は北越鉄道向けの機関車であり、1906年に官設鉄道に編入、のちに「268号」(230形)に改番され、最後に鳥栖区に転入しています。




≪編集後記 ~いまの想い~≫
今回が「400回=400駅」目で、2015年1月13日の(1)枕崎駅から6年9ヶ月。訪れる終点駅ではそれぞれの駅の個性が表現されるような瞬間を求めて、優等列車のみならず、SL列車、観光列車などの情報収集や訪問する日程調整なども忙しくなってきます。

終点駅テツであと何回駅へ出掛けていくのかを調べたことがなく、生きているうちに終わるかが心配です...(苦笑)

近畿日本鉄道 信貴線の終点駅

(2019年2月・2020年1月)
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15時54分発、2両編成の信貴山口行が発車していきます。(2019)

信貴線は、途中駅1つで路線延長2.8km、所要時間5分の極端に短い路線です。信貴山 朝護孫子寺(信貴山真言宗の総本山の寺院)への西側のルートの一部で、終点の信貴山口で鋼索線との接続があります。
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この駅は1961(昭和36)年に建て替えられ、大阪線で一番最初の橋上駅となっています。改札は橋上部分にあり、陸橋の両側に北口(左)と南口(右)が設置されています。

駅は1925(大正14)年開業で、信貴線は河内山本-信貴山口間2.8kmで、毎時3~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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5番のりばには、信貴線方面の信貴山口(信貴線)と、高安山(鋼索線)の案内があります。

/ 隣駅は大阪線 大和八木側「高安」と信貴線「服部川」、大阪線 大阪上本町側「近鉄八尾」です。

≪信貴線≫
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9時37分発、信貴山口行が1番ホームから発車します。信貴山口までの全線が単線区間で、1編成の電車が片道5分の区間を行ったり来たりしています。
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信貴線を行き来するだけの運用なので、行先表示は固定です。

/ 9時15分発の信貴山口行は、5番ホームからの発車です。信貴線は2両編成ですが、ワンマン運転は行われず、車掌が乗務します。
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右側が5番ホーム、こちら側が1番ホームで、信貴線の電車はこの2線からの発車です。(2019)

/ 車止め部分でレールが終わる5番ホームから、大阪上本町方向を眺めています。隣が1番ホームで左側の南出口に向かって2番、3番、4番と並びます。
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9時50分、信貴線の電車が到着しました。この電車は1番ホームに入ります。

≪河内山本駅の歴史≫
1925(大正14)年 大阪電気軌道 八木線(現 大阪線)の駅として開業
1930(昭和4)年 大阪電気軌道 信貴線 開業
1944(昭和19)年 近畿日本鉄道の駅となる
※駅の開業時は「山本駅」→「大軌山本駅」→現在は「河内山本駅」


≪大阪線≫
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9時26分発、各駅停車 大阪上本町行が4番ホームから発車します。
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15時50分、区間準急 大阪上本町行は、大阪線に1編成だけ配置の9020系(9151F)です。(2019)

/ 16時5分、急行 青山町行が2番ホームを後にします。(2019)
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9時18分発、各駅停車 大阪上本町行は、5200系(5205F)が使用されています。5205Fは、近鉄エリアキャンペーン記念事業で「2250系復刻塗装」が施されていました。

≪大阪線 優等列車≫
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「貸切」表示の22600系(Ace)が、運転停車中(1番ホーム)です。
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16時ちょうど、大坂上本町行の22000系(ACE)が3番ホームを通過していきます。(2019)

/ 9時15分、特急「アーバンライナー」近鉄名古屋行が2番ホームを通過。使用される21000系(Plus)は、1988(昭和63)年から運転を開始しています。
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9時46分、近鉄特急 大阪難波行が通過。画像の12200系は、1969(昭和44)年から製造が開始されており、半世紀を超える期間を活躍していましたが、昨年11月に営業運転を終了しています。

≪駅からの眺め≫
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1番ホームの信貴山口側から陸橋上にある駅舎を眺めます。3面5線の地上駅は、昭和に造られた私鉄っぽい架線柱が印象的です。
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2番ホームから大阪上本町方向を眺めています。隣駅の八尾に向けて高架区間が始まります。(2019)

/ 5番ホームから大和八木側を眺めています。信貴線、大阪線とも右カーブがあり、大阪線の急行、特急は低速での通過です。
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この駅は、信貴山へ向かうための大阪側の乗り換え駅で、大阪線の開業の5年後には信貴線が開通しています。大阪上本町から20分程の距離にあり、信貴山が間近に迫っています。(2019)

≪電車からの眺め≫
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信貴山口から河内山本へ向かう電車の前面を眺めています。河内山本駅が近づくと高架部分が現れ、幹線道路や河川を跨いでいきます。(2019)

/ 最後の右カーブを過ぎると、大阪線と合流して河内山本駅に進入します。(2019)


≪信貴山≫
信貴山の名称は、聖徳太子が物部守屋を責めたときにこの山で羅生門天が現れ、太子が「信ずべし、貴ぶべし」といったことに由来するといわれています。信貴山の南側には信貴山真言宗 朝護孫子寺が建ち、山頂には山城である信貴山城がありました。(Wikipediaより)

JR西日本 片町線・東西線の終点駅

(2020年1月)
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11時59分発、この駅始発の関空快速 関西空港行と紀州路快速 和歌山行です。阪和線の快速電車が大阪環状線から直通運転を行い、利便性を向上しています。

大阪を中心とした大阪環状線、関西本線、阪和線などの幹線で、長い間活躍していた国鉄時代からの車両が最新形式に入れ替わり、やっと大阪の大動脈の態勢が整ったように思います。
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私の訪問時は駅の工事中でしたが、今年3月にリニューアル工事が完成。バリアフリー化が進み便利になっているようです。

/ JR西日本、京阪電鉄、大坂メトロなどが乗り入れる駅で乗降客(乗換客を含む)が多く、北口改札にはずらりと自動改札機が並びます。

駅は1895(明治28)年の開業。
片町線
(木津-京橋間44.8km)の駅は、1913(大正2)年の開業、日中は毎時8本運行。 / 東西線(京橋-尼崎間12.5km)の駅は、1997(平成9)年の開業、早朝と夜を除き毎時8本運行。(引用:wikipedia)
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大阪環状線のラインカラー「赤」が刺激的な駅名標です。隣駅は「大阪城公園」(大阪側)と「桜ノ宮」(天王寺側)です。

/ JR北口は京阪京橋駅の中央口と向かい合っており、京阪のガード下に乗り換え通路があります。

≪大阪環状線≫
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大阪環状線4番のりばに到着した「回送表示」の323系は、森ノ宮支所(車庫)に入ります。

2016(平成28)年、大阪環状線に導入された323系電車は、ステンレス車体に大阪環状線伝統の「オレンジバーミリオン」が配されています。
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フルカラーLEDの採用で、環状運行していてもいろいろな運行表示が可能です。

/ 国鉄時代からの電車を置き換える目途が立ち、大阪中心部では最新形電車の配置がほぼ完了です。
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内回り(3番ホーム)では、大勢の乗客が電車を待っていました。

/ 外回り(4番ホーム)には、関西本線 加茂から直通運転の普通列車 天王寺行が到着です。天王寺-大阪-京橋-天王寺と運転するので、1度立ち寄った天王寺に再び向かいます。
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大阪環状線 内回り(3番ホーム=高架)から片町線(=学園都市線 、2番ホーム)へ向かう連絡通路と、東西線(1番ホーム)へ向かうルートが表示されています。

1990年に制定されたラインカラー「片町線=黄緑」「東西線=桜桃色」を表示しています。
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3番ホームには、大阪環状線内回りとユニバーサルシティ(桜島線)、奈良(関西本線)、関西空港・和歌山(阪和線)方面の案内があります。

/ 東西線(1番のりば)と片町線(2番のりば)の乗り場案内は、ラインカラーが強調されています。
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3番ホーム(内回り)の片町線(学園都市線)への連絡口に、片町線の全駅名が表示されていました。

≪東西線≫
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12時22分発、快速 同志社前→塚口です。

使用されている321系電車は、2005(平成17)年から7両編成×39本が製造されています。
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12時52分、区間快速・塚口行が1番ホームを発車していきます。

/ 1番ホーム(東西線)は、営業しながら大規模な駅リニューアル工事が行われていました。
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12時52分発、区間快速 同支社前→塚口行です。

使用されている207系電車は、1991(平成3)年から484両が製造されています。
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12時22分発、快速・塚口行が地下区間に入るために下り勾配を進みます。


≪片町線≫
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13時15分発、普通列車 四条畷→西明石です。この駅までは片町線を走行し、この駅からは東西線に乗り入れていきます。使用車両は207系の7両編成で、全区間の所要時間は1時間47分です。
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12時23分発、区間快速 塚口→木津です。

東西線の全列車は片町線に乗り入れますが、片町線の列車の中にはこの駅止まりと、この駅始発があります。画像の真ん中のレールは、片町線の折り返しのための引き上げ線です。
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片町線の隣駅は「鴫野」です。

/ 2番ホーム(片町線)の発車案内です。木津行は塚口始発、四条畷行は西明石始発です。
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13時8分発、区間快速 塚口→同志社前です。

片町線は「学研都市線」の愛称を持ちますが、1980年代から沿線の文化、学術、研究の新たな展開の拠点として、「関西文化学術研究都市」の開発が進めらています。

≪京橋駅の路線別の開業年≫
1895(明治28)年、大阪鉄道によって天王寺-京橋-梅田(現 大阪環状線、梅田=のちに大阪駅へ統合)が開業した際にこの駅が開業しています。

同年、浪速鉄道により片町-四条畷(現 片町線)が開業しましたが、1912(明治45)年に片町駅の構内扱いで京橋口乗降場が設置され、1913(大正2)年に片町線の京橋駅が開設されています。

※片町駅は0.5km先にあった隣駅で片町線の終点駅でしたが、1997(平成9)年、東西線が開業した際に廃止されています。


≪京阪電鉄 京阪本線≫
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11時41分、闇の向こう側に、快速特急「洛楽」 淀屋橋→出町柳が現れました。この駅から終点 出町柳まで41分で結びます。(現ダイヤ10時47分発での所要時間)

トンネルのような部分は、京阪駅ビルの4階の高さの所を通り抜けており、京阪百貨店、京阪モール、ホテル京阪など、京阪電鉄の駅別乗降者数で第1位となるこの駅で、電鉄会社として商業ビジネスに抜かりはないようです。
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京阪電鉄の京橋駅で正面が中央口です。
/ 駅ビル4階に、島式ホーム2面4線を構えます。
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京阪本線は、天満橋-寝屋川(信)までの区間が複々線となり、多数の列車が京阪間を行き交います。

/ 11時42分、闇の向こう側に現れた「洛楽」が1番ホームに到着しました。大阪側の最後の停車駅であるこの駅から、ノンストップで京都 七条駅へ向かいます。

≪駅周辺の様子≫
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駅周辺の建築工事のフェンスがアートしてました。

/ 大阪の下町のような街並みと、市街地開発による新しい街づくりが融合したような、魅力的な駅周辺に思います。

神戸電鉄 粟生線の終点駅

(2020年1月)
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14時24分発、普通電車の新開地→西鈴蘭台行が発車していきました。

編成2本分の留置線の後ろ側に回り込むように粟生線が左へカーブし、神戸電鉄の特徴である勾配区間を登っていきます。
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2018(平成30)年、北区役所と商業施設が入居する駅ビル「ベルスト鈴蘭台」と橋上駅舎が完成し、駅ビル3階と中央改札口が連絡通路で繋がっています。


/ 発車案内板は、新開地方面(左)、三田方面(中)、粟生方面(右)別で、先発と次発(上下)毎の表示です。

駅は1928(昭和3)年の開業。粟生線は鈴蘭台-粟生間29.2kmで、日中は毎時4本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅の南北で高低差があるので、南側は盛り土構造となっており、鈴蘭台環状線(道路)が高架下をくぐった反対側には南改札があります。

≪粟生線≫
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14時39分発、普通電車 新開地→小野です。

使用されている6000系(6003編成)は、2010(平成22)年に新製されており、2013年から粟生線活性化シンボルキャラクター列車として、「しんちゃん&てつくんミュージアムトレイン編成」に衣替えして運転されています。
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隣駅は有馬線 新開地側「鵯越」と有馬線 三田側「北鈴蘭台」、粟生線「鈴蘭台西口」です。

/ 14時34分発、準急 三木→新開地です。全区間の所要時間は49分。

使用されている1150系(1151編成)は、1977(昭和52)年に新製されており、神戸電鉄鉄道開業90周年記念事業の一環で「メモリアルトレイン」となっています。
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14時54分発 普通電車 西鈴蘭台行です。1100系(1103編成)は、短い区間を往復しているので、この日は良く出会います。

≪有馬線≫
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14時37分、三田方向から普通電車 新開地行が到着しました。

6000系(6001編成)が使用されており、この日は6000系の全2編成と出会えました。
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13時25分発、普通電車 新開地→三田は、2000系(2009編成)で運転されています。

/ 14時52分発、普通電車 三田→新開地です。5000系(5015編成)と、留置線の3000系(3009編成)が並びます。

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14時40分発、普通電車 新開地→三田です。デ1076形(デ1076号車)は両運転台車で、現在は1153編成と組んで4両固定で使用されています。

/ 14時50分、準急 新開地行は1100系(1107編成)です。

≪鈴蘭台車庫からの入線≫
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15時20分、鈴蘭台車庫から5000系(5011編成)が現れ、新開地行の準急をやり過ごします。

/ 1分後に3番、4番ホームへ転線していきます。おそらく、15時24分発、普通電車 この駅始発→志染になるのではないかと思います。

≪駅からの眺め≫
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3、4番ホームから新開地方向を眺めています。右の2本のレールが有馬線(複線)で、左は鈴蘭台車庫へ向かうレール。その両脇に留置線が1本ずつあります。

この駅で有馬線と粟生線が分岐し、車庫や運転指令所が隣接しているので、鉄道線の列車運用上の中心的な駅と言えます。
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4番ホーム(粟生線)、3番ホーム(有馬線)です。夜間滞泊の関係で、有馬線の始発電車だけは4番ホームから発車するようです。

/ 1番ホームから新開地方向を眺めています。鈴蘭台車庫は新開地側の少し先にありますが、駅横に留置線が数本あるので、退屈しない駅周辺です。
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2番ホームから粟生方向を眺めています。駅の先に真っ直ぐの三田方向と、左へ曲がる粟生線の分岐が見えます。

粟生線は、利用者数の急激な減少や、神姫バスとの路線競合により路線の存続が危ぶまれています。2005(平成17)年までは準大手私鉄でしたが、中小私鉄へ降格となっており、粟生線の赤字常態化が神戸電鉄全体に大きく影響を与えているようです。




≪(昔) デ101形 鈴蘭台のヌシ  ≫
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1975(昭和50)年・夏に訪れた「鈴蘭台車両基地」です。

デ101形電車は、1929(昭和4)年に神戸有馬電気鉄道(現 神戸電鉄の前身)によって、日本車輛製造で10両が製造されています。

長年、主力車両として活躍しましたが、1971(昭和46)年に廃車となり形式消滅しています。その後、デ101号車については鈴蘭台車両基地の構内入換車(車籍のない機械扱い)となりました。

私が鈴蘭台の車両基地でデ
101号車に出会ったのは、構内入替車となった4年後ですが、灰色にオレンジの塗装がかすれた状態で、構内の奥からひょこっと出てきて、また隠れてしまうので、車両基地に潜んだ「ヌシ」のような存在でした。

2016(平成28)年にバッテリーカーが導入されて使用終了となりましたが、社内から保存を求める要望があり、その後も自走可能な状態で保管されました。昨年、静態保存のための補修が完了し、現在も鈴蘭台車庫で保管場所を探しているようです。

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