終点駅テツ、テツ散歩♪ & 旅々たび...テツ風

「終点駅テツ」私の概念では、起点と終点のどちらも「終点駅」としています。路線の起点から終点に向かう人もいれば、路線の終点から起点へ向かう人もいるからです。その起点、終点を合わせて「終点駅」として、自分の足でひと駅ずつ確認していくのです。ローカル、個性的な駅を追求したいので、新幹線、地下鉄、空港駅、貨物駅は原則として取り扱いしない予定です。

「旅々たび...テツ風」は、珍しいもの 初めてのもの 食べ物 飲み物 温泉 名所 世界遺産。ちょっと鉄ちゃん風に味付けしています。「終点駅テツ」と「テツ散歩♪」もアップしています。「終点駅テツ」は、週に1回のアップを目標にしています。

島原鉄道 島原鉄道線の終点駅

(2010年12月・2020年12月)
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14時38分、普通列車 島原→島原港が到着しました。

かつては、島原鉄道では国鉄線への直通運転が行われており、国鉄の同形車と区別するための「三本ひげ塗装」や「赤パンツ塗装(島鉄標準色)」などを思い浮かべます。

現在はキハ2500形(13両)、キハ2550形(3両)が活躍しますが、基本的な車体構造や性能はJR九州のキハ125形気動車に準じており、外観は同じ黄色系を採用しています。
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この駅は駅名の通り、この駅から島原港までは300m程の距離です。

この駅から加津佐までの路線がありましたが、その区間は赤字が顕著だったため、2008(平成20)年に廃止となり、この駅が島原鉄道線の終点駅となりました。

当初、島原鉄道は赤字による廃止区間を南島原(現 島原船津)-加津佐としていましたが、島原市からの要望により南島原(現 島原船津)-島原港は存続しています。

駅は1960(昭和35)年の開業。島原鉄道線は諫早-島原港間43.2kmで、日中は毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅横を横断する道路に「島原港駅」の看板が設置されています。

/ 終点駅には特に必要と思われる「タクシーのりば」の看板。島原鉄道(島鉄)は系列のタクシー会社を持ちます。

≪島原鉄道線≫
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14時15分発、普通列車 島原行です。

右側にもホームの名残りが見えますが、レールが分断されており、現在は1面1線のホームです。
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隣駅は車両基地のある「島原船津」です。

/ 黄色の車体塗色には、島原半島の大地の実りと、安心・安全への願いが込められており、裾部分のブルーの帯をアクセントとしています。
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裾部分のブルーの帯が、なるほどアクセントになっていると思います。

/ 「おどみゃ島鉄」という子守娘がラッピングで描かれています。
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14時4分発、普通列車 諫早行です。

この列車は島原鉄道線を全線走破する列車で、全区間の所要時間は1時間15分です。

≪駅と駅周辺からの眺め≫
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ホームから区間廃止となった加津佐方向を眺めています。この駅は島原市内にあり、南島原市内の路線はすべて廃止となっています。
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1997(平成9)年に列車交換設備が撤去されており、ホームとレールに昔の名残りを留めます。

/ 駅横の踏切付近から、使用を終えたホーム跡を眺めます。
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駅ホームから諫早方向を眺めています。本線は踏切の先で左カーブとなり、隣駅の島原船津へ向かいます。

島原鉄道線は、口之津鉄道(現 島原船津-加津佐)=南目線と、島原鉄道(諫早-島原船津)=北目線が基になっていますが、口之津鉄道によって開業した区間は島原港-島原船津の1駅区間が残るだけです。


≪元 島鉄本社前駅≫
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2010年12月に訪れた時の「島鉄本社前駅」です。今もあると思いきや、2019(令和元)年に「霊丘公園体育館駅」へ改称されています。(2010)
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2020(令和2)年、島原鉄道は島原港駅と島原港に近い場所へ本社を移転しています。(2010)

/ 年季の入った感のある駅名標ですが、この駅は意外と新しく1984(昭和59)年に開業しています。(2010)

≪島原駅と島原城≫
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この駅は1913(大正2)年の開業で、駅前の正面に「島原城」が見上げられる位置にあり、1989(平成元)年、島原城の大手門をモチーフにした現在の駅舎が完成しています。(2010)
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13時47分、改札の外からホームの方を眺めてみると、「急行 南島原行」が停車中でした。南島原駅は、2019(令和元)年に島原船津駅へ改称しています。

/ 島原駅舎ですが、島原城の大手門と言われても疑わないような駅舎です。
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島原駅舎内には、クラウス社製蒸気機関車の製造銘板2両分と、二代目1号蒸気機関車(ウイルソン社製)の製造銘板などが展示されていました。(2010)

/ 駅前から300mも歩くと島原城があります。やや緩い登り坂の先にあるので、まさに城下から見上げる感じです。

≪島原港駅の廃止地点 & 島原船津 車両基地≫
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2008(平成20)年、島原港(当時は島原外港駅)-加津佐間が廃止された後、2010年12月にこの駅を訪れてみると、加津佐へ向かうレールが途切れていました。(2010)

/ 車両基地のある「島原船津駅」は、島原港駅の1駅隣りの駅です。1913(大正2)年に湊新地駅として開業し、その後、島原湊駅、南島原駅と改称され、2019(令和元)年に現在の駅名となっています。


≪島原鉄道線の歴史≫
1911(明治44)年 諫早-愛野村 島原鉄道 開業
1911(明治44)年 鉄道院から150号蒸気機関車(初代1号)譲受
1918(大正7)年 諫早-湊新地(現 島原船津) 島原鉄道 全通
1928(昭和3)年 港新地(現 島原船津)-加津佐 口之津鉄道 全通
1930(昭和5)年 初代1号蒸気機関車を鉄道院へ返還(保存)
1943(昭和18)年 島原鉄道が口之津鉄道を合併
1958(昭和33)年 国鉄線への直通運転を開始
1060(昭和35)年 島原外港駅(現 島原港) 開業
1980(昭和55)年 国鉄線への直通運転を廃止
1991(平成3)年 雲仙普賢岳の火砕流で一部区間が不通となる
2008(平成20)年 島原外港(現 島原港)-加津佐間 廃止
2019(令和元)年 島原外港駅を島原港駅へ改称

JR西日本 境線の終点駅

(2020年12月)
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9時24分、米子からの普通列車が到着しました。主役「鬼太郎列車」は境線で一番人気の妖怪車両だと思います。(車両の右側にはホーム車止め側にある柵が映り込んでいます)

1993(平成5)年、この駅の近くにある「水木しげるロード」が完成したことに合わせて、「ゲゲゲの鬼太郎」ラッピング車両の運行が開始されています。


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灯台の形をした駅舎の後ろには、「みなとさかい交流館」の斬新で大きい建物があります。

交流館には、フェリー(隠岐航路)乗り場、観光案内所、飲食店、売店、入浴施設などがあり、周辺地域の交通・観光拠点となっています。(鳥取県空港港湾課のサイトより)

/ ICカード専用の簡易改札機が、何だか怪しい雰囲気の中に設置されています。

駅は1902(明治35)年の開業。境線は米子-境港間17.9kmで、毎時1本の運行。(引用:wikipedia)
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隣駅は「馬場崎町」です。

/ 名所案内には、しっかり「水木しげるロード」が表示されています。ねこ娘も揉み手しながら、「いらっしゃ~い」と招き猫モードです。

≪境港線≫
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8時57分発、普通列車 米子行の発車を線路脇で見送ります。

今回、この駅で最初にウォッチしたキハ47形気動車4連はすべて一般色でしたが、この後にやって来る車両は「ゲゲゲ色が強いんだろうなー」と予感していました。

この列車は、鳥取からの直通列車(鳥取5時26分発→境港8時40分着)でこの駅に到着し、(境港8時57分発→米子9時42分着として)米子へ折り返していきますが、現在は鳥取からの直通運転の設定はなくなりました。

ねこ娘列車(初代)キハ40-2095
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9時33分発、普通列車 米子行は、ピンクの「ねこ娘列車」とブルーの「鬼太郎列車」で運行します。

鬼太郎列車(5代目)キハ40-2115
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鬼太郎列車の正面と、駅に設置されていた自動販売機のイラストがお揃いでした。ここまでやってくれると拍手したくなります。
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「ねこ娘」+「鬼太郎」の編成は、一般色の普通列車とは全く異なる印象です。

/ 鬼太郎が列車のトイレのところで「ちょっと待てぇ!」と言っています。誰かトイレに入っているようです。

こなき爺列車(二代目)キハ47ー2004
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10時25分、米子からの普通列車が到着しました。こちらの編成は「こなき爺」と「砂かけ婆」の編成です。
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「こなき爺」の綺麗な肌色と効果的なバック色が見事です。

/ アニメだらけの駅構内ですが、駅名標は素のままで新鮮な感じです。

砂かけ婆列車(二代目)キハ47-2019
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砂かけ婆列車の車体側面には、ねこ娘やねずみ男も遊びに来ていました。

/ キハ40・キハ47が見事に妖怪列車に変身し、全く退屈しない境線と境港駅でした。

≪駅からの眺め≫
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駅のすぐ先の踏切から眺めます。1番ホーム側のレールが、真っ直ぐに伸びていて綺麗です。

「みなとさかい交流館」の後ろにある山は、境水道の奥側の山で島根県側になります。
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1番ホーム側の車止めが物々しい。

/ 1番ホームの車止めの後ろに灯台の形をした駅舎があります。
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1902(明治35)年に「境」駅で開業していますが、1919(大正8)年に「境港」駅に改称されています。駅名の重複を防ぐために、同時に羽後境、武蔵境も改称されています。
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駅のすぐ先の踏切付近から米子方向を眺めています。

8時57分に発車した列車は、朝もやの中、隣駅の馬場崎町に停車中のようです。

≪駅周辺の様子≫
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駅前ロータリーが見通せる所に、水木氏の執筆活動をイメージしたモニュメントがありました。

/ 現在、「ゲゲゲ」車両は6両が配置されていますが、この日はそのうちの4両と出会うことができました。今回会えなかった「ねずみ男列車 三代目」と「目玉おやじ列車 三代目」は次回のお楽しみです。
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「みなとさかい交流館」は、隠岐汽船の乗船口と結ばれています。
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「みなとさかい交流館」の入口。

/ 駅前ロータリーにあった「はまるーぷバス」のバス停。
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最初に予感した通り、「境港駅」というより「ゲゲゲ線」の「鬼太郎駅」といった印象で、鬼太郎駅に相応しい演出でした。水木氏のお人柄もさることながら、「アニメは日本人の心を豊かにしてくれるのだな」と実感しました。


≪2013年3月 境港駅≫
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境港駅2番ホームに停車中のねずみ男列車(二代目)です。この頃のイラストは、まだ枠にはめ込まれたようなシンプルなデザインに見えます。現在、このキハ40-2115は鬼太郎列車(五代目)を担当中です。

作者の水木しげる氏は、2015(平成27)年にお亡くなりになりましたが、生前、鳥取県の名誉県民に選ばれており、「ゲゲゲの鬼太郎」は、今も境港の街になくてはならない集客モチーフです。

富山地方鉄道 富山軌道線(呉羽線)の終点駅

(2020年7月)
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富山大学前(停)に停車中の2系統(富山大学前-富山駅-南富山駅前)の電車です。デ7000形7019号車は、真っ赤な「エステティック ジュビラン」のラッピングがインパクト大です。

富山地方鉄道デ7000形は、日本車輛製造で1957(昭和32)年から22両が製造されています。
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呉羽線は、県道44号(富山高岡線)上を併用軌道として走行し、「富山大学前」停留所が設置されています。

駅は1954(昭和29)年開業。富山軌道線(呉羽線)は安野屋-富山大学前1.4kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)
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休日と平日の日中は、一日を通じて毎時6本(南富山駅前行5本、岩瀬浜行1本)の運転です。平日の朝夕ラッシュ時は運転本数が多くなります。

/ 2014(平成24)年に、停留所ホームが改良され、上屋が設置されています。
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この地点が富山軌道線(呉羽線)のレールの終わりです。

1916(大正5)年、呉羽線はこの道路の先の呉羽公園まで開通しましたが、1944(昭和19)年に休止となり、現在はここまでです。

≪富山軌道線(呉羽線)≫
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13時48分発、2系統の南富山駅前(停)行は、デ8000形8001号車(スギ薬局仕様)です。

デ8000形は、富山軌道線80周年を機に、1993(平成5)年に既存車両の置き換えのために、日本車輛製造で冷房装置付で5両が製造されています。
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14時8分発、2系統の南富山駅前(停)行です。到着したばかりなので、「大学前」の表示のままです。「エステティック ジュビラン」のラッピングは、手前側は真っ赤ですが、反対側の前面は白ベースで落ち着いた感じです。
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13時46分、南富山駅前から2系統の電車が到着、13時48分に南富山駅前へ折り返します。

デ7000形7023号車は、22両が製造された最終ナンバー(7004は忌み番号として欠番)です。

≪停留所周辺の眺め≫
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13時28分発、5系統の岩瀬浜行が発車していきました。富山港線(富山駅停留所-岩瀬浜駅)へ向かう5系統は、連接低床形の車両のみが運行されます。
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2012(平成24)年、神通川に架かる富山大橋の架け替えに伴い、呉羽線(安野屋-富山大学前1.4km)が全線複線化されています。

/ 終点である「富山大学前」停留所は、実際には富山大学正門の300mほど手前にあり、「五福公園 県営富山野球場」の前に設置されています。

≪車内からの眺め≫
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私は、岩瀬浜からこの電車に乗って富山大学前に到着しました。富山駅周辺での乗り換えがなくなり、早く安く便利になりました。

現在、停留所が富山大学の正門よりも300mほど手前にあるため、大学から路線延伸の要望があり、加えて、五福公園の奥側にある同大工学部への延伸(約1km)構想もあるようです。


≪富山大学前(停) 時刻表(日中)≫
毎時 9分 2系統 南富山駅前行
  19分 2系統 南富山駅前行
  30分 5系統 岩瀬浜行
  39分 2系統 南富山駅前行
  49分 2系統 南富山駅前行
  59分 2系統 南富山駅前行

※訪問時ではなく、現在の発車時刻です

土佐くろしお鉄道 宿毛線の終点駅

(2021年12月)
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7時49分、窪川からの普通列車が到着しました。土佐くろしお鉄道の中村線と宿毛線を合わせて「四万十くろしおライン」の愛称があり、この列車はそのラインを全線走破する列車です。

窪川を5時59分に発車する中村線下り一番列車として、この駅までの所要時間は1時間50分です。(宿毛線下りとしては2番列車です)
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改札内に「四万十くろしおライン」の幟がありました。2015(平成27)年、投票による公募でこの愛称が選ばれました。

/ 列車の発着は高架部分ですが、駅務室や改札口は1階にあります。

駅は1997(平成9)年開業。宿毛線は中村-宿毛間23.6kmで、1日15本の運行。(引用:Wikipedia)
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「あなたの、新休日。」と銘打って「高知の山曜日」「高知の川曜日」「高知の海曜日」のポスターには高知県内で撮影された綺麗な風景が掲出されています。

/ 「はたっぴー」は、高知県西南(幡多)地域が大好きで物静かな女の子なのだそうです。「現在は幡多地区の広報活動のお手伝いをしていて、幡多地域の話になると熱くなって、つい興奮して涙してしまうことがあります」ということで、きめ細やかなキャラ設定です。(日本ご当地キャラクター協会より)

※幡多地域=高知県西南地域にある宿毛市を含む3市2町1村で構成される地域。

≪宿毛線≫
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8時28分、窪川からの普通列車が到着しました。TKT-8000形8002号車は、沿線自治体である「大月町」のラッピングを施した「椿号」です。

窪川を6時52分に発車する中村線下り2番列車で、この駅までの所要時間は1時間36分です。
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到着する列車は高架の直線区間を走行しながら、宿毛の市街地を颯爽と進入してきます。

当初、宿毛線は最高速度100km/hで建設が計画されていましたが、高速バスとの競争を想定し、JR四国が振り子式の特急用車両の導入を見込んだことから、高速化事業による120km/h対応として建設されています。
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7時49分に到着したTKT-8000形8011号車は、「四万十町」のラッピングを施した「さくら号」です。
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隣駅は「東宿毛」です。

/ 7時49分到着の列車は、7時55分発の中村行として折り返していきます。

≪特急 あしずり6号≫
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8時41分、中村から回送列車(JR四国2000系気動車)が到着しました。この車両は、9時5分発の特急「あしずり6号」高知行として運転されます。

特急列車は朝夕の2本だけの設定ということで、回送列車として駅に進入してくるシーンを見たかったのですが、回送で到着する時刻が不明だったので、朝8時前から駅に滞在していました。
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特急列車は、5両編成まで対応可能な1番ホームに停車しており、各駅停車は私が確認した限りでは2番ホームに停車しています。

/ 2005年の列車事故は、その日のニュースで見て衝撃を受けました。唯々、再発防止を願います。
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1番ホームの本線側は屋根がなく、2000系気動車の車体に優しい朝の光が注ぎます。

/ 基本的には到着した列車が折り返していくので、2つの列車の並びは貴重なタイミングです。
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手作りのような時刻表には、1日2本だけの特急列車の発車時刻が記されています。
9時5分発 特急「あしずり6号」高知行
19時16分発 特急「しまんと10号」高松行


※2022年3月のダイヤ改正で、19時16分「しまんと10号」→19時26分発「あしずり18号」高知行に変更され、この駅始発の特急は2本とも高知止まりになりました。

/ 9時5分発、特急「あしずり6号」高知行が1番ホームから発車しました。

≪駅からの眺め≫
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7時47分、車止めの後ろから中村方向を眺めています。

駅には列車がなく、人けのないホームには爽やかな朝の雰囲気と静寂さが漂っていました。conv0002 conv0003
里山側の駅周辺は、住宅街が広がっています。

/ 四国最南端で、高知県最西端にある駅として、こじんまりとした中にも「端」であることが感じられる終点駅でした。
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1番ホームから中村方向を眺めています。中村から続くレールは、宇和島まで延伸する計画がありましたが、現在ではその計画は立ち切れとなっています。

≪四国循環線 構想≫
四国の南部地域では、鉄道の敷設が永年の住民の悲願であり、昭和32年以降、国鉄は四国循環線の建設を決定しています。

構想ルートは、宇和島-江川崎-窪川と、宇和島-宿毛-中村-窪川の2ルートがありましたが、宇和島鉄道が国有化され、のちに延伸して予土線が全通し、江川崎ルートで四国縦貫線が完成しています。

宿毛ルートは、中村線、宿毛線として完成していますが、宇和島-宿毛は未成線となっています。(愛媛県生涯学習センターより)


≪宿毛周辺の鉄道年表≫
1914(大正3)年 宇和島鉄道(宇和島-近永) 開業(軽便鉄道)
1923(大正12)年 宇和島鉄道(近永-吉野) 開業(吉野=現 吉野生)
1933(昭和8)年 宇和島鉄道の国有化
1970(昭和45)年 中村線(窪川-中村) 全通
1974(昭和49)年 予土線(若井-北宇和島) 全通
1974(昭和49)年 宿毛線(中村-宿毛) 工事着工
1980(昭和55)年 国鉄再建法 施行
1981(昭和56)年 宿毛線(国鉄) 工事凍結
1988(昭和63)年 中村線 JR四国から土佐くろしお鉄道に移管

1997(平成9)年 宿毛線(中村-宿毛:土佐くろしお鉄道) 全通
2005(平成17)年 「南風17号」が宿毛駅の駅舎に衝突する事故発生(8ヶ月間不通)


Yes I am 宿毛 FAN
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「幸運のだるま夕日」冬の夕暮れ時、宿毛湾で見られる現象で、太平洋に沈む間際の夕日が蜃気楼のように揺らぎ、二つの円が重なるように溶けるシルエットが「だるま」そっくりです。(JTB 感動の瞬間100選より)

/ ホームにある広告看板は「Yes I am 宿毛 FAN」で占められており、宿毛周辺の見どころ、美味いもの、産物などがいろいろ紹介されていました。
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「篠山」(ささやま)アケボノツツジが咲き誇る修験の霊山。

「すくもの鰤」宿毛湾の養殖鰤、鰤は宿毛の海の観光大使。

「鵜来島」(うぐるしま)宿毛湾の沖合い23kmに浮かぶ島で、車道がなく車が1台もない。
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「宝石珊瑚」宿毛湾の水深200~300mの深海に生息。

「土佐文旦」肉厚なのにさっぱりとした味わいが特徴で、宿毛の生産量は県内第2位。

「マッスルチヌ」宿毛マッスルチヌ釣り大会が毎年開催される。

JR西日本 越美北線の終点駅

(2020年7月)
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9時13分発、普通列車 福井→九頭竜湖が到着しました。終点の九頭竜湖までの所要時間は1時間41分です。

2024年春に開業予定の北陸新幹線・敦賀延伸工事が進められており、この駅の訪問時は新幹線高架工事の真っ最中でした。


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この駅は越美北線の駅として、1960(昭和35)年に開業し、1968(昭和43)年に北陸本線の駅が増設されています。

福井と美濃太田(岐阜県)を結ぶ国鉄 越美線が計画され、福井県側は越美北線を建設、岐阜県側は越美南線(美濃太田-北濃)として開業しました。結果として越美線は全線開通には至らず、現在はJR西日本 越美北線、長良川鉄道 越美南線として別々の鉄道会社で運営されています。

駅は1960(昭和35)年の開業。越美北線は越前花堂-九頭竜湖間52.5kmで、毎時1~2本の運行。(引用:wikipedia)

≪越美北線 8:08発 大野→福井≫
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8時8分発、普通列車 大野→福井が到着しました。

2004(平成16)年の福井豪雨で、越美北線は沿線を流れる足羽川に架かる5つの橋梁が流失し、この駅と越前大野の間は、復旧工事が終わるまでの3年間が不通となっています。
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越美北線の沿線となる大野市は、越美北線の利用促進を積極的に呼びかけており、また、北陸新幹線の福井駅開業が間近に控え、利用者増への期待が膨らみます。

/ 2010(平成22)年、越美北線開業50周年を記念し、キハ120形の車体にはラッピング施工が行われています。

≪越美北線 9:13発 福井→九頭竜湖≫
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9時13分発、九頭竜湖行は、キハ120形の2両編成で到着しました。

≪越美北線ホームの様子≫
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この駅の改札は、北陸本線下り(福井方面)の1番ホームに面しています。

改札から離れた所にある越美北線のホームへは、跨線橋を渡って北陸本線上り(敦賀方面)の2番ホームへ移動し、福井側の端にある連絡通路を通ります。
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北陸本線上り(敦賀方面)のホームに、「越美北線のりば」の案内表示があります。

/ 越美北線の隣駅は「六条」です。今回訪問のこの駅は「はなんどう」と読ませる難しい駅名です。新幹線高架の奥に北陸本線のホームが見えます。
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越美北線ホームの福井方向を眺めています。北陸新幹線の工事が進められており、その中を切れ込んでいくようにレールが伸びています。

/ 北陸本線と越美北線を結ぶ連絡通路の途中から、新幹線の高架線が見上げるような位置に造られています。

≪駅からの眺め(越美北線)≫
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越美北線ホームから九頭竜湖方向を眺めています。

2004年の福井豪雨による越美北線の災害復旧工事では、数十億円の復旧費が投じられており、永続的に越美北線を維持・運行していく判断がなされているのですから、新幹線延伸開業をきっかけに沿線、路線の活性化を期待したいと思います。

≪北陸本線≫
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9時43分発、普通列車 近江今津→福井です。

基本的に敦賀駅を境に運転系統が分かれているようですが、この列車は近江今津から福井まで運転されており、全区間の所要時間は1時間33分です。
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8時16分発、普通列車 芦原温泉→敦賀が到着しました。

/ 9時15分発、普通列車 福井→敦賀を跨線橋の上から眺めます。

北陸新幹線の敦賀延伸開業により、並行在来線に該当する福井県内の北陸本線(敦賀-大聖寺)は、ハピラインふくい(第三セクター)に移管される予定です。
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9時34分、特急「サンダーバード5号」大阪→金沢が通過します。

/ 8時40分、特急「しらさぎ4号」金沢→名古屋が通過します。北陸新幹線の敦賀延伸後は、名古屋、大阪からの特急列車の直通運転はなくなってしまいます。

≪JR貨物≫
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9時25分、日本海縦貫線(北陸本線)を北上する貨物列車(EF510-502)が通過します。

≪駅からの眺め(北陸本線)≫
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1番ホームから敦賀方向を眺めています。これからは北陸新幹線の高架線が並走するようになります。

隣駅の駅名標(画像)はありませんが、北陸本線の隣駅は福井(金沢側)と大土呂(敦賀側)です。
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2番ホームから福井方向を眺めています。真っ直ぐに伸びる北陸本線のレールに、右から越美北線のレールが合流し、この位置からはわかりにくいですが、その先の左側にはJR貨物の南福井駅(貨物駅)の広いヤードが広がっています。

≪駅前の眺め≫
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駅前からほぼ直角に伸びる道路の先に福井鉄道福武線の踏切があり、F1000形電車が通り抜けます。F1000形は「フェニックス田原町ライン」(えちぜん鉄道との相互直通運転)のために導入された車両です。


≪福井県の第三セクターによる鉄道会社≫
2007(平成19)年、福井鉄道は鉄軌道部門の赤字続きで自主再建を諦め、県、沿線3市に支援を要請。現在は第三セクター方式へ転換されています。

一方、2003(平成15)年のえちぜん鉄道による越前本線、三国芦原線の経営移管(第三セクター方式)が行われ、また、2024年の北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、並行在来線である北陸本線(大聖寺-敦賀)は、ハピラインふくいへの経営移管(第三セクター方式)が決定しています。

新幹線延伸開業にあたり、福井県では第三セクター方式による鉄道会社が3社となることから、福井県議会では経営統合を含めた今後の在り方について検討中のようです。


2022年8月4日
北陸地区、並びに北陸本線(敦賀-武生)の豪雨災害のこと、心よりお見舞い申し上げます。

能勢電鉄 日生線の終点駅

(2019年12月)

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14時8分、山下から区間運転の普通電車が到着しました。この後、14時16分発の山下行として折り返していきます。

区間運転用の5100系(5142F=5142+5141)は2両編成で、2016(平成28)年から能勢電鉄で運行を開始しています。以前に使用していた1500系が入線当初に「マルーン+ベージュ」だったことから、復刻塗装として同じカラーリングを再現しています。
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駅前には「日生中央 人の広場」があり、阪急オアシスを核テナントとする「日生中央サピエ」と、猪名川町の住民センターのある「日生中央センタービル」の2つの複合商業施設が隣接しています。

/ 駅は猪名川町にあり「猪名川町のみどころ」を記した案内板があります。

駅は1978(昭和53)年の開業。日生線は山下-日生中央間2.6kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)

≪駅の様子≫

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駅構内には1番のりば(1号線)、2番のりば(2号線)の案内表示があります。

/ この駅は島式1面2線と単式1面ですが、基本的には島式1面2線ホームで乗降扱いが行われます。電車が発車する前に次の電車が到着し、どちらかのホームに常に電車が停車している状態が繰り返されます。

左側の単式ホームは、平日の夕方の「日生エクスプレス」の到着時に降車専用ホームとして使われるようです。
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隣駅は「山下」です。JR赤穂線には日生(ひなせ)駅がありますが、こちらは「にっせい」です。

/ 阪急 宝塚線との接続駅である川西能勢口までの所要時間は約20分です。

≪阪急日生ニュータウン≫
日本生命が国の住宅政策に協力するとともに、将来の不動産投資の方向性をも考慮し、資産運用の一環として、兵庫県川西市、河辺郡猪名川町にまたがるエリアを、日本生命保険と新星和不動産が「阪急日生ニュータウン」として造成・開発しています。

1966年にニュータウン用地の買収が開始され、日生線は1978年に開通しています。(Wikipediaより)

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駅の構内に掲示されていたポスターの中で「2020年 初詣」「のせでん沿線に住もう」が目に留まりました。どちらも鉄道の利用者増に必須のテーマです。

「初詣」ポスターには、「多田神社」(多田駅)、「多太神社」(平野駅)、「吉川八幡神社」(妙見口駅)、「能勢妙見山」(妙見の森リフト 妙見山駅)の4つの詣で先が記されていました。

≪日生線 5100系≫
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13時49分発、普通電車 川西能勢口行(5136F)は、行先表示がLED化されています。
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5100系(5142F)の2両編成は、日生線内であるこの駅と山下までの1駅区間だけを行き来します。終点の山下では、妙見線 妙見口から川西能勢口へ向かう電車に乗り換える設定があります。
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車内に設置されている路線案内には、電車の位置情報が表示されます。

/ 山下からの電車が日生隧道を出て終点駅に到着しました。日生線は途中駅のない路線長2.6kmの短い路線ですが、3つのトンネルと高架線で建設されており、踏切は1つもありません。

≪日生線 7200系≫
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14時9分発、川西能勢口行(7200系)は1号線に停車しています。

この駅では、山下までの区間運転と川西能勢口行が交互に発車するダイヤが組まれていますが、基本としては山下行(2両編成)は2号線、川西能勢口行(4両編成)は1号線に発着します。
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7200系(7201F)は、元 阪急6000系(6671,6681)と7000系(7025,7125)が種車です。

/ 「昭和62年 アルナ工機」(新製)と「2017年改造 阪神車両メンテナンス」の銘板の取り合わせが面白いです。

≪車両譲渡時のハプニング≫
2017年、車両譲渡に際し能勢電鉄向け改造のため、自力回送で阪急正雀工場から新開地を経由し、阪神尼崎工場(阪神車両メンテナンス)まで運ばれています。

その際、阪急車両(阪急マルーン)が阪神の線路上を走行するという、珍しい光景が話題になっていますが、正式には「能勢電鉄へ車両譲渡後の回送」なのだそうです。

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阪急日生ニュータウンの始発駅ですが、年末の日中の駅は閑散として静かです。

/ 先頭車両の側面には「N7200」の洒落た文字があり、親会社と同様に「阪急マルーン」は深みのある光沢が綺麗です。

≪駅からの眺め≫
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14時9分に発車した7200系は、川西能勢口に向け隧道の中へ消えていきました。あとに残った轟音が徐々にフェードアウトしていきます。
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ホームの先、車止めまでは4両編成×2本が留置できる長さのレールが続き、2号線側には「初詣」のヘッドマークを掲げた5100系(5109F)、他1編成が留置されていました。

/ かつて、この駅から先の区間として「猪名川パークタウン」までの延伸計画があったようですが、環境問題などから計画は頓挫しています。

≪電車の中からの眺め≫
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13時34分、山下から1区間だけ乗車して、日生線の終点駅・日生中央に到着しました。

1997(平成9)年、阪急梅田へ直行する特急「日生エクスプレス」が設定され、平日の朝夕に限り、この駅と梅田の間(所要時間39分)の直通運転が行われます。

この日は大晦日ということで直通特急「日生エクスプレス」の運行はなく、どちらかというと、年末年始の終夜運転の方が気になる日でした。

JR九州 日田彦山線の終点駅

(2020年1月)
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15時34分、特急「ソニック36号」大分→博多が通過していきます。

使用車両は「白いソニック」885系で、2000(平成12)年に登場しています。アルミ車体の振り子式車両で、大分から博多までの所要時間は2時間17分です。
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2014(平成26)年に新しい駅舎が完成しています。駅周辺の区画整理事業に合わせて、お洒落で近代的な駅舎にデザインされています。

駅は1895(明治28)年開業。日田彦山線は城野-夜明間68.7kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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2015(平成27)年、南口駅前広場が完成しています。

私は城野にはモノレールで到着しましたが、モノレールとJRの駅が離れていたので12~13分歩いて南口に着きました。

≪日田彦山線≫
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15時3分発、普通列車 田川後藤寺→小倉は、この駅で8分停車します。

日田彦山線の全列車は、この駅から日豊本線に乗り入れて小倉まで運転されます。
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15時37分発、普通列車 小倉→添田が発車していきます。

/ 15時36分着、普通列車 田川後藤寺→小倉が到着します。右の添田行は小倉行の到着を待っての発車で、この駅に5分停車しています。
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隣駅は、南小倉(日豊本線 上り)、安部山公園(日豊本線 下り)と石田(日田彦山線)です。

/ 15時37分発の添田行は、この駅で5分停車します。全区間の所要時間は1時間16分です。

≪日豊本線≫
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15時47分、特急「ソニック33号」博多→大分が通過します。

883系は、1995(平成7)年に交流電車初の振り子式車両として登場しています。
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15時37分発、普通列車 小倉→添田(左=2番ホーム)と、15時36分発、普通列車 小倉→行橋(右=1番ホーム)が並びます。
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15時48分発、普通列車 小倉→中津(813系 R1105編成)です。

1100番台は、先頭車前面と車体側面の行先表示器とも、大型LED化が採用されています。

≪駅からの眺め≫
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2番のりばから小倉方向を眺めています。

5つの番線から複線の本線に束ねられて小倉へ向かいますが、途中5.3km先の西小倉から鹿児島本線と合流していきます。
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4番ホームから南北自由通路(手前)と駅構内の跨線橋が並びます。

/ 4番ホーム(日豊本線 上り)の反対側のホームは、5番ホーム(日田彦山線 上り)ですが、日田彦山線は非電化路線のため、5番ホームには架線設備がありません。
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3番のりばから中津方向を眺めています。

真っ直ぐの日豊本線と右に折れる日田彦山線が見えます。上り列車は右端の5番ホームに進入しますが、下り列車は2番ホーム(左から2番目)を発車し、右のレールへ転線していきます。


≪城野駅 自由通路≫
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南北自由通路のところから、日豊本線 中津方向が眺められます。

/ 2016(平成28)年、北口駅前広場とお洒落な自由通路が完成しています。

自由通路の先には「陸上自衛隊 城野駐屯地」がありましたが、現在は土地区画整理事業が行われ、北九州市によるゼロ・カーボンを目指した先進的で持続可能な街づくりが完成したようです。

JR西日本 岩徳線の終点駅

(2020年1月・2023年2月)
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9時26分、徳山から岩徳線経由の列車(キハ40-2081)が到着しました。全区間の所要時間は1時間34分です。

この列車が徳山を発車後、山陽本線の列車が後発して先に岩国に到着するという、ミステリアスな現象があります。

2230D 岩徳線  徳山7:52→岩国9:26 所要時間1:34(43.7km)
3312M 山陽本線 徳山7:57→岩国9:09 所要時間1:12(68.8km)
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2017年に東西自由通路の新設、橋上駅舎化工事が完成。2020年、私が訪れた時には西口の駅前広場が整備中でした。

駅は1897(明治30)年開業。岩徳線は岩国-櫛ヶ浜間43.7kmで、1日22本の運行(岩徳線12本、錦川鉄道10本)。(引用:Wikipedia)
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表示されている以外には、山陽本線上り方面「3番と4番のりば」があります。

/ 撮影した画像の時刻表では、岩徳線の列車は1日13本ですが、現在は20時49分発の徳山行がなくなり、1日12本に減便されています。
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岩徳線のラインカラーは「緑」で、隣駅は「西岩国」です。

/ 山陽本線 上り(広島方向)のラインカラーは「赤」で、隣駅は「和木」です。

/ 山陽本線 下り(柳井方向)のラインカラーは「青」で、隣駅は「南岩国」です。


≪岩徳線≫
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9時53分発、錦川鉄道 錦町行(緑色の列車)が0番のりばから発車していきます。錦川清流線は川西-錦町ですが、全列車がここから川西までJR岩徳線に乗り入れます。

手前の1番のりばと3番のりばの間にある中線には、岩徳線用のキハ47-190とキハ47ー2503の2連が留置されていました。
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岩徳線の列車は1番線に発着します。9時26分に到着した後は、11時21分発 徳山行で折り返します。

/ 0番線(錦川鉄道のりば)は、1番線の下関側を切り欠いたホームです。
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15時51分発、岩徳線 岩国→徳山はキハ47形×2連(手前側はキハ47-3019)です。(2023)

≪岩徳線(錦川鉄道乗入れ)≫
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10時59分、錦川鉄道の列車が岩徳線経由で到着しました。

錦川鉄道は全線が岩国市内を走ることから、岩国市内の重要な公共交通機関であり、ターミナル駅である岩国駅までの運行が重要になります。
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錦川鉄道はほぼ全線が錦川に沿って進み、ラッピングのように、自然いっぱいの沿線が広がります。
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錦川清流線のNT3000形は4両が製造され、それぞれ愛称や外装色が異なります。
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0番ホームに停車中の錦川鉄道からの乗入れ車(NT3000形)の横にキハ40形×2両が留置されていました。

/ 2023年にこの駅を再訪した際に「きらめき号」と遭遇。あと残るはピンクの「ひだまり号」だけです。(2023)

NT3001号「せせらぎ」青
NT3002号「ひだまり」ピング
NT3003号「こもれび」緑
NT3004号「きらめき」黄


≪山陽本線≫
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9時41分発、山陽本線 白市行です。6番線に停車中の227系(A21)編成は、この駅で折り返し、山陽本線を上っていきます。
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「JRシティネットワーク広島」のロゴと、「Red Wing」の愛称が板についてきました。

/ 行先表示は、フルカラーLED化されています。
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227系(A48)が「試運転」表示で到着しました。A48編成は現在、「広島カープ ラッピングトレイン」として使用されているようです。

/ 10時21分発、徳山行は227系が担当しています。
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9時56分発、普通列車 下関行は115系が担当、下関までの所要時間は3時間18分です。

この駅は「広島シティネットワーク」の西端の駅で、227系(Red Wing)が多数行き交いますが、下関側から黄色の115系が上がってくると、見慣れた存在なのでホッとします。
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15時37分発、普通列車 岩国→下関が7番ホームに停車中です。次回、この駅に立ち寄った時には、115系は引退しているかもしれません。いつまでも目に焼き付けておきたい光景です。(2023)

≪JR貨物≫
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10時32分、山陽本線 下り貨物列車が到着です。EF210-309の次位にHD300-21(岡)が連結されています。
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山陽本線 下関方向へDE10-1514がゆっくり通り過ぎていきます。JR西日本 下関総合車両所・運用検修センター(下関)に所属しているDE10形3両のうちの1両です。

/ 「駅西側には貨物列車の入換作業や線路保守用車両の留置等に使用されている側線施設がある」(Wikipediaより)という場所に、HD300-22(岡)が留め置かれていました。

≪駅からの眺め≫
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6番のりばから広島方向を眺めています。山陽本線 上り貨物列車が、4番と6番の間にある中線に停車中です。山陽本線は、JR貨物の運転本数が多い日本の大動脈の1つです。

/ 左のホームが1番ホーム(岩徳線)、右が3番ホーム(山陽本線 上り)、両ホームの間が中線です。広島側の1番ホーム横(左奥)には入換作業や保線用のエリアがあります。
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6番ホームから下関方向を眺めています。左へカーブする山陽本線と、陸橋の先で右に折れる岩徳線のレールが柱の間からちょこっと眺められます。また、陸橋の下に朱色のキハ40形が1両留置されていました。

≪開業時の岩徳線≫
1897(明治30)年、山陽本線(広島-岩国-徳山)が延伸開業した時は柳井ルートでしたが、1934(昭和9)年、現在の岩徳線が全通した時に山陽本線に編入(柳井ルートは柳井線へ分離)されています。(路線延長が短かいことから)

その後、山陽本線の複線化が計画された時、岩徳線ルートには長大な欽明路トンネルがあり、複線部分のトンネル掘削を断念。1944(昭和19)年に再び柳井ルートが山陽本線に編入され、岩国-櫛ケ浜が岩徳線として分離されています。

そのような経緯から、岩徳線でその際に使用されていた駅は幹線級のホーム有効長が確保されており、今でもその名残があるそうです。



※2023年6月28日に内容を1本に編集しました。

(投稿日2022年7月16日、2023年6月28日)

近畿日本鉄道 道明寺線の終点駅

(2019年2月・2020年1月)
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15時55分、道明寺線の普通電車(2両編成)が到着しました。

駅は藤井寺市内にあり、道明寺線は関西本線・柏原駅に至る路線長2.2kmの短い路線ですが、近鉄路線の中では初期に開業した歴史のあるルートだったようです。
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駅前の道は非常に狭く、駅前ロータリーなどという設備はなく、住宅街の中にある駅です。駅から5~6分のところには、梅の名所「道明寺天満宮」や菅原道真公に所縁のある「道明寺」があります。

私的には「道明寺粉」を用いた関西風桜餅を思い浮かべます。

/ 1988(昭和63)年に駅舎が改築され、正面とスロープの2ヶ所の出口があります。

駅は1898(明治31)年開業で、道明寺線は道明寺-柏原間2.2kmで、毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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改札口に接している3番のりばは、南大阪線 大阪阿部野橋方面のホームです。1番(道明寺線)と2番(南大阪線 橿原神宮前方面)ホームは地下をくぐります。

/ 駅前には「道明寺合戦記念碑」があり、大坂夏の陣(真田幸村と伊達政宗が激突した)の史実を後世に伝えるために建立されています。(藤井寺市 観光サイトより)

≪道明寺線≫
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道明寺線は、途中駅が1つだけの路線長2、2kmの短い支線ですが、近鉄路線の中で最も古い路線の1つです。この駅は1898(明治31)年の開業で、開業当初は阿部野橋への路線(現 南大阪線)はなく、柏原から古市へ向かうルートでした。

1923(大正12)年に現在の南大阪線が開業し、阿部野橋へ直通運転が開始されるようになり、道明寺-柏原間は道明寺線(支線)として切り離されています。
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1番ホームの横には、南大阪線への渡り線と、保線用のレールがあります。

/ 道明寺線の隣駅は「柏原南口」です。
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4分で反対側の終点駅に到達する短い支線です。全線が単線で1日を通して2両編成×1本が行ったり来たりしています。

/ 1番ホーム(道明寺線)は島式ホームですが、後方の古市側が行き止まりになっており、ホーム長は2両分です。
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この日の道明寺線は、ク6527−モ6427(6432系)が運用に就いていました。

/ 2番ホーム(右)に準急 河内長野行、1番ホーム(左)に各駅停車 柏原行が並んでいます。隣り合うホームなので、乗り換えが便利です。
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道明寺線が発着する1番ホーム(左)は、駅舎から一番遠い側にあるホームで、大和川の支流である石川が駅のすぐ近くを流れます。

2番ホーム(中)は橿原神宮前(南大阪線)方向で、3番ホーム(右=駅舎側)は大阪阿部野橋(南大阪線)方向です。

≪南大阪線≫
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14時24分、16200系 観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」が吉野へ向けて通過していきます。
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14時37分、吉野からの特急(16010系)が通過。大阪阿部野橋に向けてラストスパートです。

/ 南大阪線の隣駅は、土師ノ里(大阪阿部野橋側)と古市(橿原神宮前側)です。
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13時59分、準急 大阪阿部野橋行(6215F)です。

/ 14時26分、ラビットカー復刻塗装(6051F)が使用された区間急行(橿原神宮前→大阪阿倍野橋)が通過していきます。
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南大阪線の大阪阿部野橋方向を眺めています。

この駅の開業当初は、柏原へ向かうルートが先に開通しており、大阪阿倍野橋へ向かうこのルートは後の開通です。そのため、左へ大きくカーブしています。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから橿原神宮前方向を眺めています。

道明寺線の車両は終日にわたり1編成で運用されますが、踏切の先の渡り線を通して車両が送り込まれます。
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1番ホームから保線区エリアと南大阪線への渡り線を眺めます。

保線エリアの方に、ホーム跡のようなようなものが眺められ、近鉄最古の路線の名残りが僅かに残っているように思いました。
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1番ホームから柏原方向を眺めています。道明寺線(右)と南大阪線(左)が、駅の先で相反するように外側にカーブしていきます。


≪道明寺線の歴史≫
1898(明治31)年、河陽鉄道時代に「柏原-道明寺-古市」が開業し、1889(明治22)年に大阪鉄道(初代=現 JR関西本線)が開業した湊町-柏原区間を乗り継ぐルートが確立されています。

1944(昭和19)年、南大阪線と道明寺線が近鉄の路線となり、「道明寺」は「柏原」「古市」と並んで、近鉄で最古の歴史をもつ駅なのだそうです。

JR西日本 七尾線の終点駅

(2020年7月・2023年11月)
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8時23分発、普通列車 七尾→金沢です。七尾から上ってきた列車は、この駅からIRいしかわ鉄道に乗り入れて金沢へ向かいます。(2020)

昨年の2021年3月、七尾線には521系100番台が導入されています。それにより旧型車は運用を終了し、国鉄時代の車両との出会いは、過去のものとなりました。
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2015年、北陸新幹線が長野-金沢間が延伸開業した際に、並行在来線である北陸本線(金沢県内)は、IRいしかわ鉄道に経営分離されています。(2020)

/ 現在、JR西日本 七尾線はJRのほかの路線と接続しない飛び地路線となっています。(2020)

駅は1898(明治31)年開業。七尾線は津幡-和倉温泉間59.5kmで、毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)

≪七尾線≫
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8時39分発、七尾線の普通列車(七尾→金沢)は、この駅からIRいしかわ鉄道に乗り入れて金沢へ向かいます。この列車の全区間の所要時間は1時間21分です。(2020)

車両前面の画像を見ると、形式や編成番号の表示や塗装が確認できないので、一般形交直流電車(415系800番台、もしくは413系)の識別です。
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8時26分発、JR七尾線まで直通運転する普通列車(七尾行)が金沢から到着しました。(2020)

/ 私が訪れた後、七尾線では国鉄時代からの見慣れた横顔が引退し、新しい顔に変わっています。(2020)
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8時51分発、普通列車(金沢→七尾)の赤い車体が綺麗です。(2020)

七尾線で活躍した「415系800番台」「413系」は全廃となりましたが、そのうちの4両がえちごトキめき鉄道に譲渡され、「観光急行」などで活躍しています。

/ 隣駅は「中津幡」(七尾線)と「倶利伽羅」(IRいしかわ鉄道 富山側)、「森本」(IRいしかわ鉄道 金沢側)です。(2020)
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14時45分発、普通 金沢→七尾が到着しました。

2023年11月の再訪時、七尾線の普通列車は521系100番台に置き換えられていました。正面に配されているストライプが緩い曲線を描いており、柔らかい外観の感じがあります。

≪七尾線(特急)≫
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9時5分、特急「能登かがり火1号」(683系)金沢→和倉温泉が通過します。この列車の全区間の所要時間は58分です。(2020)
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北陸新幹線 金沢延伸開業までは、七尾線に「サンダーバード」「はくたか」「しらさぎ」が乗り入れていました。(2020)

現在は「サンダーバード」1往復、「能登かがり火」4往復、ほかに臨時観光特急「花嫁のれん」が運転されています。

/ 通過列車の制限速度表示と思われますが、「485・489系」の表示を見て嬉しい思いです。(2020)
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15時8分頃、特急「能登かがり火5号」金沢→和倉温泉がこの駅を通過していきます。

2024年3月、現在、七尾線に乗り入れている「特急 サンダーバード」1往復は、北陸新幹線 金沢→敦賀 延伸開業に伴い「能登かがり火」に編入される予定です。

≪IRいしかわ鉄道線≫
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9時1分発、普通列車 金沢→富山は、521系0番台(3次車=IR05編成)が使用されています。(2020)

IRいしかわ鉄道の521系は、0番台(2次車3編成、3次車2編成)が配置されていましたが、2020年に100番台3編成を増備しています。(2020)

≪IRいしかわ鉄道線(あいの風とやま鉄道の車両 乗入れ)≫
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8時10分発、普通列車 金沢→富山です。あいの風とやま鉄道の413系が富山へ向かいます。(2020)

あいの風とやま鉄道で使用されている413系は3両編成×5本で、「一万三千尺物語」「とやま絵巻」に計2本が改造され、残りの3編成がJR時代からの北陸地域色で使用されています。
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IRいしかわ鉄道とJR七尾線の時刻表です。(2020)

特急列車は金沢方向の7時56分発の能登かがり火2号 金沢行と、11時4分発のサンダーバード20号 大阪行はこの駅に停車します。

/ 8時10分発、普通列車(金沢→富山)はあいの風とやま鉄道の車両、同時刻発、普通列車(富山→金沢)はIRいしかわ鉄道の車両が並びます。(2020)
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8時29分発、普通列車(泊→金沢)は521系1000番台(AK17編成)の使用です。(2020)

/ 8時59分発 普通列車(糸魚川→金沢)は 521系0番台(AK02編成)の使用です。(2020)
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15時2分発、普通 富山→金沢は、あいの風とやま鉄道の521系による運行です。

/ 倶利伽羅峠の麓にあるこの周辺は、冬の積雪量は重要です。

≪JR貨物≫

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8時18分、JR貨物の高速貨物(EF510-8)が通過していきます。(2020)

IRいしかわ鉄道も「日本海縦貫線」の一部であり、近畿地方から東北地方、あるいは北海道までの日本海沿岸のルートを形成しています。

≪駅からの眺め≫
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3番のりばから金沢方向を眺めています。1991(平成3)年に、七尾線の直流電化が完成していますが、ⅠRいしかわ鉄道は交流電化のため、一般、特急とも交直流電車、または気動車が使用されます。(2020)
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3番のりばから七尾方向(左)、富山方向(右)を眺めています。(2020)

2021年3月、JR西日本 七尾線は521系100番台に統一され、「415系800番台」「413系」が全廃されています。

100番台はJR西日本が2両編成×15本、IRいしかわ鉄道は2両編成×3本配置となり、JRの片乗り入れから両社の相互乗り入れに切り替わったようです。




※2023年11月29日に内容を1本に編集しました。

(投稿日2022年7月9日、2023年11月29日)

東武鉄道 佐野線の終点駅

(2020年8月)
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8時6分、特急「りょうもう12号」浅草行が発車しました。

佐野線の優等列車は、1日1往復だけの運行なので、朝の発車シーンは1日の中で最も華やかな時です。この時は200系が使用されていましたが、今年3月から「リバティりょうもう」500系に変わっています。
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現在の駅舎は、2014(平成26)年に建て替えられています。

元々、この駅は葛生で産出される石灰石を運ぶために、1890(明治22)年に開業した安蘇馬車鉄道が前身で、その後、佐野鉄道へ社名変更し、1984年に蒸気機関車による鉄道へ変更しています。1912(明治45)年に東武鉄道が佐野鉄道を合併し、佐野線となりました。

駅は1894(明治27)年の開業。佐野線は館林-葛生間22.1kmで、毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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券売機の待受け画面は「SL大樹」が真ん中に映っています。

/ 隣駅は「多田」です。
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駅舎は新しく立て替えられましたが、ホームと屋根の様子は昔からの雰囲気が漂いましたが、綺麗に整備されています。

/ 東武の中で「最も山の中の終点駅」の印象がある駅だと思います。

≪佐野線≫
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8時31分発、普通列車 館林行が発車します。館林までの所要時間はおよそ35分です。
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「ワンマン 館林」の車両側面の表示。

/ 7時50分、館林から普通列車が到着しました。
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7時過ぎに到着した列車には、10000系10000型(11202F)2連が使用されていました。伊勢崎線→東上線→2020年に伊勢崎線のワンマン区間で運用を開始しています。

/ 単式ホームには「1番のりば」の表示があります。

≪特急 りょうもう≫
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この駅には午前7時過ぎに到着しました。前の晩に到着した特急列車は午前8時6分に発車します。1日1往復の特急列車と館林発の最終2本の普通列車は、翌朝まで夜間滞泊扱いとなります。

私が到着した時には普通列車は出発済でしたが、お目当ての200系「りょうもう」だけが留置線で運行前の点検を行い、出庫準備中でした。
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前日の夜に到着した時の「葛生」表示のままでした。

/ ジャスト8時、留置線から200系車両が出庫してきました。館林側の1つ目の踏切の先で停車し、運転士がこちら側の車両に移動してきます。
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8時3分、「りょうもう12号」は発車時刻の3分前に1番のりばに入線してきました。

運転士は、発車までの3分間で反対側の運転席へ移動するので忙しそうです。私の方も急いで1つ目の踏切付近に移動します。
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1日1回しか眺められない葛生駅での「りょうもう」発車シーンです。現在は「リバティりょうもう」に変わっていますので、良い記念になりました。

≪2022/3ダイヤ改正前 特急りょうもう 200系使用≫
47号 浅草20時40分→葛生22時28分 / 12号 葛生8時6分→浅草9時43分


≪2022/3ダイヤ改正後 特急リバティりょうもう 500系使用≫
43号 浅草20時39分→葛生22時22分 / 12号 葛生8時1分→浅草9時47分


≪駅と駅周辺からの眺め≫
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東武会沢線が繋がっていた、佐野線とは反対側の方向をホームから眺めています。

/ 佐野線側の1つ目の踏切付近から駅構内を眺めています。1番のりば(左)と2本の留置線(中)、保線レール(右=非電化)が並びます。
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かつて、この駅からは東武会沢線、東武大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道の3つの貨物線が伸びていました。貨物輸送の全盛期には、駅員が80名在籍し構内には旅客用も含め20本の線路があり、東武鉄道で最大のターミナル駅でした。

1986(昭和61)年に貨物輸送が廃止され、設備のほとんどが撤去されていますが、広い構内が昔の名残をとどめています。(Wikipediaより)



(2013年1月)
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2014(平成26)年に新駅舎に建て替えられましたが、この画像の時は旧駅舎でした。

/ 広い貨物ヤード跡が更地となり、そのまま残されていました。

2020年に再訪した時は、駅舎の反対側(左側)のヤード跡が仕切られ、その場所にメガソーラー(葛生太陽光発電所)が設置されていました。
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レール&敷石、架線等が撤去された東武会沢線の跡地です。ここから800メートル先に「上白石駅」(貨物駅)があり、その先は会沢線と東武大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道の3線が分かれていました。




≪(昔)葛生駅の貨物ヤード  ≫
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1974(昭和49)年11月の葛生駅です。ED5016(左)、ED5062(中)、ED5072(右)が先頭に立つ3本の貨物列車。 / ED5062はED5063との重連仕業でした。

当時、この駅では何本もの貨
物列車が発着線に並び、東武鉄道の別の顔「貨物輸送の拠点」を見ることが出来ました。




≪(昔)
日鉄鉱業 羽鶴専用道 1080号機 ≫
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1974(昭和49)年11月、晴天のSL走行会です。

1080号機が
予備機となっていた時期ですが、久々に庫から出されて休日の専用鉄道を疾走していきました。何時に発車するか確認できなかったので、最初に事業所を訪れてSLの整備状況を観察していました。

当時、キネマ旬報「蒸気機関車」No.11(1971年1月号)に、「羽鶴の1080」という記事が掲載されており、この専門誌の記事で1080号機の事業所主催のSL走行会を知り、葛生に出掛けたと記憶しています。


この蒸気は、元々は6270形6289号機(イギリスのダブス社製)で、官設鉄道が使用し、テンダー式からタンク式へ改造され、1070形1080号機へ形式変更されています。民間へ払い下げ後、最後はここ日鉄羽鶴専用鉄道で活躍。予備機となった後も走行可能な状態が保たれ、1979(昭和51)年に現役を引退しています。

専用線の廃止後も羽鶴で保管されていたそうで、2009(平成21)年、元々は官設鉄道の車両であることから、日鉄鉱業がJR西日本へ譲渡申し入れを行い、梅小路蒸気機関車館での保管が実現しています。

阪急電鉄 箕面線の終点駅

(2018年9月・2019年12月)

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16時6分、箕面線の電車が到着しました。阪急マルーンの6024F(6000系)の4連が、冬の夕陽に明るく照らされています。

箕面線は、1910(明治43)年に阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道によって宝塚本線と同時に開業した創業路線であり、この駅は阪急最古の分類に入ります。
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宝塚本線と箕面線の分岐の又にある「東改札口」側は、とても小さな駅前広場で阪急タクシーの乗り場があるだけです。(2018)

/ 2019(令和元)年10月、この駅は「石橋」から「石橋阪大前」に駅名が改称されています。運賃表の画像は2018年なので古い駅名表示です。(2018)

駅は1910(明治43)年の開業。箕面線は阪大石橋-箕面間4.0kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)

≪5号線ホーム≫
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5号線は4両編成まで対応する頭端式で、箕面線の折返し列車の専用ホームとなっています。一般的にはホームの呼び方は「〇番線」ですが、阪急電鉄では「〇号線」という呼び方をしています。(2018)

5号線は、左側が降車用ホームで、右側が乗車用ホームです。(2018)
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5号線の車止めの所に、「季節彩る箕面散策マップ」が設置されています。(2018)

/ 電車の横から5号線の車止めを眺めます。(2018)

《箕面の散策マップ》
もみじの足湯、西行寺、箕面公園昆虫館、望海展望台、瀧安寺、箕面大滝


≪箕面線≫
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15時56分、6014F(6000系)の4連が到着しました。この時間帯は、6014Fと6024Fの2本の編成が折り返し運転を行っていました。
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同時刻、6014Fは4号線(梅田方向)に進入せず、折り返し用の5号線へ進入してきました。

/ 16時16分、20分後に6014Fが再び到着しました。
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3号線から箕面方向を眺めています。ホームのすぐ先に国道176号線の高架橋があり、面白い形の橋げたがあります。

/ 箕面線の隣駅は「桜井」です。箕面線はこの駅を出ると途中駅が2つあり、4km先の終点・箕面へは6分で到着します。
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箕面線の乗り場(5号線)です。

/ 5号線のホーム先端からの眺めで、5号線(右)の向かい側は3号線(梅田から箕面方面)、左側は4号線(箕面から梅田方向)です。
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宝塚本線側から箕面線ホームを眺めると、5号線(左奥)から箕面行が発車しています。

手前右に4号線があり、平日朝の2本(箕面→梅田)が客扱いを行います。手前左の3号線は梅田から箕面方面ですが、梅田→箕面へ直通する列車の設定はなく、主に回送列車の通行のみです。

/ 「石橋-箕面」の行先表示に阪急の歴史を感じます。(2018)

≪駅からの眺め(箕面線)≫
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3号線ホームから箕面方向を眺めています。右奥に保線区が見え、手前右から4号線、3号線、5号線に分かれます。(2018)

≪宝塚本線≫
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12時53分、梅田→雲雀丘花屋敷の普通列車です。9001℉(9000系)は、2006(平成18)年に登場しています。(2018)
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14時55分、6003Fの8連は宝塚本線で急行仕業に就いています。(2018)

/ 宝塚本線の隣駅は、「蛍池」(梅田側)と「池田」(宝塚側)です。

≪駅からの眺め(3号線・4号線)≫
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右から5号線、3号線、4号線と並びます。現在ではほとんど直通運転が行われていない箕面線と梅田方向を結ぶ3号線、4号線の設備が充実しています。
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4号線の発車案内です。平日の6時59分、7時16分に箕面から梅田へ直通する列車が設定されています。(2018)

/ 宝塚本線2号線ホームから梅田方向を眺めています。右は宝塚からのレール、左は箕面からのレールです。
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2号線ホームから宝塚方向を眺めています。左カーブの先で箕面川を渡り、国道171号線バイパスをクロスしていきます。

/ 1号線ホームから梅田方向を眺めます。16時34分、雲雀丘花屋敷行の普通列車が梅田から到着しました。

≪車内からの眺め(宝塚本線)≫
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12時52分、蛍池から乗車した電車で石橋阪大前に到着しました。駅の手前に箕面に向かう分岐があります。(2018)

阪急の創業当時(箕面有馬電気軌道)に、箕面と宝塚に向かう2つの路線が開業しましたが、2つの路線が交わるこの駅は、創業当初から交通の要衝であったに違いありません。

JR九州 日田彦山線の終点駅

(2021年6月)
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9時36分発、普通列車 日田→久留米が到着しました。

深い緑の中で深紅の車体が映えます。この日、この駅で最初に出会った列車は、キハ200-1001、キハ200-1のトップナンバー編成で、幸先の良い出足でした。
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2010(平成22)年に新しい駅舎が建てられています。

日田彦山線(添田-夜明)は、2017(平成29)年の九州北部豪雨により不通となっており、現在はバス代行輸送となっています。

駅は1932(昭和7)年開業。日田彦山線は城野-夜明間68.7kmで、1日8本の運行(バス代行輸送による)。(引用:Wikipedia)
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無人駅なので、駅舎待合室からホームへの通路はすっきりしています。

/ 久大本線の隣駅は「筑後大石」(久留米側)と「光岡」(日田側)です。

≪日田彦山線 9:36発 日田→久留米≫
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9時35分、谷に広がる緑の中を、まだまだ奥の方から、音もなくすぅーっと列車が近づいてきます。
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紫陽花が植えられた1番ホームに久留米行が到着です。 / 日中は乗降客が少ないようです。

≪10:08発 久留米→日田≫
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10時ちょうどに到着した列車は、この駅で8分間停車します。久留米から日田までの所要時間は1時間11分です。
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キハ200形気動車が停車していると、深紅のボディやエンジン音などで賑やかになります。

/ キハ220-1504とキハ220-1503の2連(豊肥久大車両センター所属)が発車を待ちます。

≪10:53発 由布院→久留米≫
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キハ220-204が単行で到着です。この駅では1分停車です。

キハ220形200番台は、2006(平成18)年に登場しており、全12両が製造されています。先頭車前面の表示器が大型化されて、屋根が突出するような独特の外観です。


≪特急 ゆふいんの森1号 博多→由布院≫
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10時34分、特急「ゆふいんの森1号」が通過していきます。博多→由布院の所要時間は2時間13分です。

観光特急らしく走るスピードはゆったり優雅という感じです。特急「ゆふいんの森」は、1989(平成元)年に運行を開始し、このキハ71系気動車も開始当初から使用されています。
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ハイデッカー構造で、お客さんが運転室の上から景色を楽しめます。

/ 無人駅なので、ホームと外の通路がスルーな造りです。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから久留米側を眺めています。左カーブの先には大肥川を渡る橋があり、その先にトンネルがあります。
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駅舎側にある1番ホームの久留米側には切り欠きホームの名残が見えます。

/ 1番ホームの中程には、駅前に保存されている「夜明の鐘」の大きな看板があります。
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この駅は大分県日田市の三隈川沿いにあり、福岡県との県境が近いです。

この駅で分岐する日田彦山線は、三隈川の支流である大肥川沿いに進んでいくように、更に山深い地域を進みます。

≪日田彦山線のレール≫
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「日田彦山線の列車が恋しい」と思いながら、日田彦山線のホームから久大本線の普通列車を撮ってみました。

/ 跨線橋の上から日田方向を眺めています。右側から久大本線の久留米方向と由布院方向、日田彦山線のレールの順です。
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日田彦山線の隣駅は「今山」です。来年からBRTでの運行が決まり、この表示は消されてしまうのでしょうか。

/ ちょっと見ただけで日田彦山線のレールだとわかります。
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3番ホームから添田方向を眺めています。のどかな山あいの駅です。
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この駅は、久大本線の久留米から39.1kmの地点にあり、日田彦山線の城野から68.7kmの終点駅です。

/ 久留米側のホームの端から駅の全景を眺めます。
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6月の晴天の日に、線路脇の野花が勢いよく咲きます。

/ 日田彦山線のレール越しに、里山や集落、耕作地などが眺められます。


≪夜明の鐘≫
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明治8年に開校した日田市立夜明小学校に、有志の方々がこの鐘を寄贈し、平成23年、小学校が廃校になるまでの90年にわたり、この町を見守り続けた「夜明の鐘」なのだそうです。

≪バス代行輸送≫
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9時26分発、筑前岩屋→日田(西鉄バス久留米)が駅前のバス停を発車しました。現在、1日8本のバス代行輸送が行われています。


≪日田彦山線復旧会議≫ 2020年7月 会議議事
出席者:福岡県知事、大分県知事、東峰村長、添田町長、日田市長、JR九州代表取締役社長、(アドバイザー 国土交通省九州運輸局長)

決定事項:日田彦山線(添田-夜明)は、BRTで復旧する。
(彦山-宝珠山は専用道区間とする)



≪日田彦山線 ひこぼしライン≫ 2022年5月、JR九州 発表
日田彦山線(添田-夜明、日田)については、BRT(バス高速輸送システム)での復旧を進めており、2023年夏の開業を目指しています。

日田彦山線沿線の想いを乗せ、未来に向け駆け抜けていく「日田"彦"山線の"星"」となるように願いを込めて「日田彦山線 ひこぼしライン」と命名されました。

万葉線 高岡軌道線の終点駅

(2017年12月・2019年8月)
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8時39分、越ノ潟から万葉線の電車が到着しました。雪国・高岡市街の併用軌道を赤い車体で走り抜けます。高岡軌道線は一部が専用軌道ですが、高岡駅側は併用軌道が続きます。
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2014(平成26)年、高岡駅ステーションビル(Curum TAKAOKA )が使用開始となり、駅ビル内に停留場が移転したことから路線長が0.1km延長されています。

/ 14時28分、高岡駅前にMLRV1000形が姿を現しました。(2017)

駅は1948(昭和23)年の開業。高岡軌道線は高岡駅(停)-六渡寺(停)間8.0kmで、日中は毎時4本の運行。(引用:Wikipedia)

≪高岡軌道線≫
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7時24分、越ノ潟から到着しました。全線の所要時間は47分です。

高岡軌道線(高岡駅-六渡寺)と新湊港線(六渡寺-越ノ潟)を合わせて「万葉線」の愛称がつけられています。
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MLRV1000形「アイトラム」は2004(平成16)年に登場した超低床連接車で、現在6編成が使用されています。(2枚とも2017)
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デ7070形(全長12.5m)と比べて、連接車のアイトラム(全長18.4m)は、よりホームを占有して停車します。

≪デ7073号車 加越能カラー≫
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14時19分、発車時刻となりデ7070形が発車です。このデ7073号車は映画の撮影のため、加越能鉄道時代のデザインに塗られていました。(2017)
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デ7070形は、加越能鉄道時代の1967(昭和42)年に6両が製造されています。(2017)

/ デ7073が建物内の右カーブを曲がっていきますが、屋根上の冷房装置が目を引きます。(2017)

≪デ7075号 コカ・コーラレトロ電車≫
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8時16分、越ノ潟から電車が到着しました。デ7075は、1994年~2021年の間、「コカ・コーラレトロ電車」としてデザインされています。

≪駅からの眺め≫
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万葉線の駅は、高岡駅ステーションビル(Curum TAKAOKA )の1階にあり、左側のガラスの外側に待合室があります。

/ 屋内の終点駅なので車止めも綺麗です。
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昭和初期に開業した万葉線は、富山地方鉄道(合併前の越中鉄道を含む)が路線の敷設に大きく関わっており、1959(昭和34)年に富山地方鉄道の連結子会社である加越能鉄道へ譲渡されています。

2002(平成14)年に万葉線として第三セクターに転換されており、主要株主である高岡市、射水市、富山県により鉄道運営が行われています。


≪万葉線の歴史≫   ※地鉄=富山地方鉄道
1930(昭和5)年~1933年 越ノ潟-現 六渡寺 越中鉄道 全通
1943(昭和18)年 越中鉄道が地鉄に合併、新富山-現 東新湊を射水線と命名
1948(昭和23)年 現 高岡-米島口-伏木港 地鉄 開業
1951(昭和26)年 米島口-現 六渡寺 地鉄 開業
1959(昭和34)年 現 高岡-伏木港、米島口-現 六渡寺 地鉄から加越能鉄道に譲渡
1966(昭和41)年 射水線(現 六渡寺-越ノ潟) 地鉄から加越能鉄道に譲渡、新湊港線と命名、射水線(堀岡-越ノ潟) 廃止
2002(平成14)年 高岡-越ノ潟 加越能鉄道から万葉に譲渡
2004(平成16)年 MLRV1000形「アイトラム」 登場





≪(昔)デ7000系 デ7052≫
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1975年・夏に訪れた時の高岡駅停留場で、デ7052号車が停車していました。

この停留場は、1948(昭和23)年に富山地方鉄道が「地鉄高岡」として開業し、加越能鉄道時代に「新高岡」「高岡駅前」と駅名が変わり、万葉線に変わった後に現在の「高岡駅」停留場になっています。

デ7052号車は、1961(昭和36)年に製造され、2009(平成21)年に廃車となりましたが、現在は千葉県にある「ポッポの丘」で保存されています。

JR西日本 氷見線、城端線の終点駅

(2017年12月・2019年8月)
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8時7分発の氷見行(キハ47-140)が7番ホームに停車中です。

橋上駅舎(駅ビル)の下で日差しが遮られ、ちょうど列車が停まっている位置は真っ暗な状態です。終点 氷見までの所要時間34分です。
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2011(平成23)年、橋上駅舎が完成。その3年後に高岡駅ステーションビル(Curun TAKAOKA)がオープンしており、こちら側は瑞龍寺口(南口)です。

/ 自由通路には「Curun TAKAOKA」の案内表示があります。

駅は1898(明治31)年の開業。城端線は高岡-城端間29.9kmで、1日21本の運行。氷見線は高岡-氷見間16.5kmで、1日18本の運行。(引用:Wikipedia)
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瑞龍寺口(南口)と古城公園口(北口)が自由通路「万葉ロード」で結ばれ、途中に改札口が設置されています。(2017)

/ 2015(平成27)年、北陸新幹線の金沢延伸により、並行在来線である北陸本線(直江津-金沢)の富山区間は、あいの風とやま鉄道に経営移管されています。(2017)

≪城端線≫
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ジャスト8時発、普通列車 城端行は、朱色の綺麗なキハ40系が2両編成で運転されます。終点 城端までの所要時間は55分です。
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7時54分、城端からの普通列車が到着です。この列車は富山まで直通運転されるため、この駅からあいの風とやま鉄道に乗り入れます。(土・休日を除く)

/ 城端線の隣駅は、北陸新幹線との乗換駅である「新高岡」です。
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15時台の城端行と氷見行がJRの発車案内板に表示されています。(2017)

/ 15時17分、普通列車・城端→高岡が到着しています。先頭側の「キハ47-27」は塗装が新しく綺麗な外観です。(2017)
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(右=1番ホーム)15時17分に城端から到着した列車と、(左=2番ホーム)15時41分発、城端行の列車が並びます。(2017)

/ 1番ホームの横には、キハ40系気動車数両が留置されていました。

≪ベル・モンターニュ・エ・メール≫
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「美しい山と海」をフランス語に訳した言葉が列車名(臨時快速の観光列車)なのだそうです。(2017)

2015(平成27)年から運行開始。この列車専用に改造された「キハ40-2027」が使用され、土曜日は城端線(高岡-城端2往復)、日曜日は(高岡-氷見1往復+新高岡-氷見1往復)の設定です。

テツ的な特徴としては、新高岡-氷見間を運転する列車は、この駅の両端にある氷見線と城端線のホームを入替えしながら移動する運転が珍しいそうです。

≪氷見線≫
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15時22分発、普通列車 氷見行です。2両編成の次位に忍者ハットリくんラッピングの「キハ40-2136」が連結されています。(2017)

今年4月、氷見市出身の藤子不二雄Ⓐ氏がお亡くなりになりました。心よりお悔やみ申し上げます。
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8時7分発、普通列車 氷見行です。7番ホームは氷見線の発着ホームで、架線がないので気動車のみ入線できます。
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8時7分、氷見に向けてキハ47形2連で発車しました。(キハ47-140、キハ47-1064)

≪北陸広域鉄道部 高岡運転派出≫
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城端線が発着する1番ホームの金沢側にJRの車両基地があります。この車両基地で城端線、氷見線の車両を管理しています。
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2番ホームと3番ホームの間に、構内線が4本見えます。(2017)

/ 高岡運転派出に留置中の「キハ40-2136」。(2017)

≪DE15-1504≫
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12月中旬ごろ、城端線側の側線には、DE15-1504が両頭式ラッセルヘッド連結済みで準備万端でした。(2枚とも2017)

≪あいの風とやま鉄道線≫
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8時30分発、普通列車 糸魚川→金沢です。

この列車は、えちごトキめき鉄道、あいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道の3社に乗入れする列車でしたが、今年3月から糸魚川-富山間の1日1往復に縮小され、糸魚川からの直通列車はこの駅に来なくなりました。
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あいの風とやま鉄道のホームに設置されたJR線への乗換え案内表示。(2017)

/ あいの風とやま鉄道線の隣駅は、「高岡やぶなみ」(金沢側)と「越中大門」(富山側)です。
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3、4番ホームにはJR時代の名残の長い屋根が設置されています。(2017)

3、4番ホームは上り金沢方向で、3番は富山方向へ折り返す列車の発着もあります。(2017)conv0001 conv0013
7時42分発、普通列車 富山→金沢は、IRいしかわ鉄道の車両で運行されています。

/ 7時35分発、普通列車 金沢→泊です。全区間の所要時間は1時間58分です。

≪駅からの眺め≫
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1、2番ホームから城端方向を眺めています。ホームのすぐ先に、あいの風とやま鉄道 金沢方面と城端線の分岐があります。
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4番ホームから金沢側を眺めています。北陸新幹線の開業で金沢と富山を結ぶ在来線の優等列車がなくなり、地域輸送で威力を発揮する時代に変わりました。

/ 4番ホームから富山側を眺めています。氷見へ向かうJRの列車が走り去っていきます。
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5番ホームの富山側を眺めています。真っ直ぐ伸びるあいの風とやま鉄道線と、左に折れていく氷見線が見えます。

幹線と支線が別会社になってしまいましたが、「富山県」が進める鉄道による地域の活性化で、この周辺も元気になって欲しいと思います。


≪高岡駅の歴史≫
1898(明治31)年 城端-高岡 開業(中越鉄道) / 北陸線(金沢-高岡)開業(官設鉄道)
1899(明治32)年 北陸線(高岡-富山)開業(官設鉄道)
1900(明治33)年 高岡-伏木 開業(中越鉄道)
1912(大正元)年 伏木-氷見 開業 (中越鉄道)
1920(大正9)年 中越鉄道が国有化 / 国有鉄道 中越線(伏木-城端)、氷見軽便線(氷見-伏木)へ改称
1942(昭和17)年 城端線()・氷見線に分割、改称

JR東日本 吾妻線の終点駅

(2020年8月)
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10時55分に渋川駅を発車した「SLぐんまみなかみ号」が、駅から1つ目の踏切を通過します。今年は鉄道開業150周年ということで、GW期間中に水上に向かうSL列車が運転されています。

C61-20は、1949(昭和24)年に、三菱重工業三原製作所でD51-1094のボイラーを流用して製造。新製配置は東北地方を中心に活躍していましたが、廃車2年前に宮崎区へ異動しています。
廃車後の1974年に伊勢崎市内に保存され、保存状態も良好だったことから復元候補に上がり、2011(平成23)年に動態復元が完了しています。

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渋川は古くから三国街道の宿場町として栄え、名湯 伊香保温泉の最寄り駅です。2016年に駅舎がリニューアルされており、駅舎内には「渋川市観光案内所」が併設されています。

駅は1921(大正10)年の開業。吾妻線は渋川駅-大前間55.3kmで、1日17本の運行。(引用:Wikipedia)

≪SLのモニュメント≫
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「SLぐんまみなかみ号」が運転されない日でも、駅構内にある「SLのモニュメント」が出迎えてくれます。

/ 2、3番線ホームの待合室は、「SLぐんまみなかみ号」の客車を模しています。

/ 超デカいSL写真のパネルです。
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隣駅は「八木原」(高崎側)と「金島」(吾妻線)、「敷島」(水上側)です。

/ 1番線は、上越線、吾妻線の下り列車が発着しますが、かつては右側に0番線が存在したようです。

≪吾妻線≫
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15時37分発、普通列車 新前橋→大前です。上越線と分岐するこの駅から吾妻線に乗り入れますが、吾妻線の終点・大前へ向かう列車は1日4本のみです。

≪特急 あかぎ≫
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14時55分発、特急「草津84号」長野原草津口→上野です。群馬県の名湯 草津温泉、伊香保温泉と上野を乗り換えなしで結びます。
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特急列車は2番線に停車、上野に向かいます。

/ 2番線は上越線、吾妻線の上り列車が発着します。

≪上越線≫
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15時3分発、普通列車 新前橋→水上です。

現在、水上方面は211系中心の普通列車のみの運行ですが、2010(平成22)年までは定期運行の「特急 水上」が運転されていました。現在は夏季または冬季などの季節運行に格下げされています。
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14時59分発、普通列車 水上→高崎です。

2017(平成29)年、上越線(水上以南)と吾妻線の一部の普通列車は、高崎-新前橋での運転が取りやめとなり、新前橋で両毛線の列車と乗り継ぎになります。

≪駅からの眺め≫
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1番線ホームから高崎方向を眺めています。右から1番線(下り)、2番線(上り)、3番線(上下共用)と並びます。
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キロポストは高崎線からの距離であり、高崎線(大宮-高崎)74.7km+上越線(高崎-渋川)21.1kmの合算で表示されています。

/ 3番線の左側には貨物側線、荷役線などがありましたが、現在はその名残が残っています。
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2番線ホームから水上方向を眺めています。左にカーブしていく吾妻線が分岐する地点が踏切の先に見えます。

≪踏切からの眺め≫
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渋川駅から1つ目の踏切から上越線(右)と吾妻線(左)の分岐地点を眺めます。
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踏切から駅を眺めると、3番線に「SLぐんまみなかみ号」が停車しています。3番線は上下共用の副本線ということで、一部の列車とSL列車が使用するようです。

私が駅に到着した時は、すでにSL列車が到着済でしたので、駅から1つ目の踏切で待つことにしました。(踏切内では停滞のないように撮影しました)

直江津 D51レールパーク

(2022年5月)
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2021年4月に開園した「直江津D51レールパーク」には、D51ー827と413系交直流電車が展示されています。

休日には子供さんや鉄道愛好家、SL全盛期時代を知る高齢者の方など、全世代の方々の来場で賑わっています。ただ、女性の方の来場は少なめの感じです(笑)
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直江津駅の南口から歩いて3分。えちごトキめき鉄道(トキテツ)の車両基地の一角にあります。現行施設である扇形庫や転車台を活用したテーマパークです。

/ 赤い「レールパーク」の暖簾が衝撃的です。

≪扇形庫≫

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扇形庫には、雰囲気を盛り上げるためのポスターが並びます。

/ レールパークの園内マップも掲示されています。
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D51ー827(右)は、このレールパークの主役となる車両で、現役最期の活躍の場は中央西線。廃車後は鉄道愛好家の方に引き取られて、長年大切に保管されていました。

2017年、鉄道車両などの重量物陸送で有名なアチハが買い取り、有田川鉄道公園(和歌山県)で展示・保管されていましたが、トキテツとリース契約を締結して、ここ直江津でお披露目することになりました。
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「ワフ29603」は、建築家の方が都内で保存していましたが、その後 アチハに譲渡されて、有田川鉄道公園で保存されていました。

/ 有田川鉄道公園から「DL14」も搬入されています。D51は、圧縮空気による自力走行が可能ですが、万一の時はDLのサポートが必要になるのでしょう。「アチハ」ステッカーつきで展示中です。

≪クハ412-6≫
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今回、えちごトキめき鉄道は、JR西日本から413系・455系の4両を購入しています。営業運転用として「クハ455-701、モハ412-6、クモハ413-6」で3両編成が組まれており、クハ412-6はレールパークで展示されています。
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車内にある表示物(銘板等)は、複製品に取り替えられており、ネジ穴のないスッキリしたものになっています。生きた鉄道教材として、製造年や製造メーカー、更新改造年などは車内の見学中にわかります。

クハ412-6は、1965(昭和40)年に日立製作所で新製された「クハ451-40」が種車で、1987(昭和62)年、車体の老朽化により、新造した車体に電装品、冷房装置、台車等を載せ替える更新改造を行い、「クハ412形」に形式変更されています。

≪オールキャスト≫
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レールパークのある扇形庫は、車両基地の中で遊休施設と言われる場所です。今回のレールパーク開園に際しては、既存施設の有効活用により、来場者が一定以上であれば、収益増に繋がる事業であると思います。

≪転車台≫
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転車台近くのレールは密集していて、普通の場所では見られない配線。むかしは転車台の周りに蒸気機関車が多数並べられていたことから、今でもわくわくしてしまいます。

/ 360度見渡すと、立派な転車台と4レーンだけの可愛い扇形庫が対比的に映ります。
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直江津は、国(官設鉄道)によって開業した、新潟県で最も古い駅なのだそうです。信越本線の建設は、高崎-横川(1885年=明治18年)、直江津-関山(1886年)の順で完成しており、高崎-新潟(初代)が全通したのは1904(明治37)年です。

/ ここの扇形庫は、周りの壁が明かりを取る構造になっており、デジカメ撮影では車両が明るく映ります。

≪出庫≫
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15時30分、「これからD51が動き出します」という館内放送があり、それから少し経っておもむろに動き出しました。やっぱりデカイ!!
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普段は、職員の人しか入構できない車両基地ですが、レールパークとして有料開放して頂いたことで、普段見られない場所から鉄道車両や構内設備を見学できます。

/ 自動販売機にも「D51」ラッピングが施され、「お見事」の一言!!
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圧縮空気でゆっくりながらも圧巻の走りです。汽笛の方はもっと圧が高くないと美しい吹鳴にはならないようです。

/ 青いナンバープレートは、現役時代に中津川機関区で活躍していた名残で、中津川区では青色に塗られた機関車が多かったようです。
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転車台から駅方向へ伸びるレールに、緩急車「ヨ6316」「ヨ6314」が留まっています。

/ この2両は、茨城県にあるテーマパークから転入しています。
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自走できるD51なので、見どころの多いSL乗車体験と構内走行です。転車台の色とナンバープレートの色が似ています。


≪SL乗車体験≫
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「SL体験乗車」の発着点近くからD51を眺めています。駅のホームが見えるくらい、先の方まで構内線を走っていきます。D51の煙突からは白い煙の演出があり、走っている様子が頼もしいです。
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保存状態が非常に良く、各部注油もバッチリです。

/ 体験乗車が終わったD51が休んでいると、幼いマニアたちが興奮気味に近づいてきます。(僕も...)

≪帰庫風景≫
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この日最後となる4回目の「SL体験乗車」が無事に終わり、D51は最後に転車台に乗って、記念撮影タイムとなります。

/ 良く晴れたGW期間中で、明日も主役のD51は忙しい1日になりそうです。

≪レールパークからの眺め≫
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ET122系「昔の新潟色」は、この日の午後は車両基地に留まっていました。

/ ET122形気動車とET127系電車の運行路線は別々ですが、車両基地内では仲良く並びます。

≪駅からの眺め≫
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直江津駅6番ホームから眺めてみた「SL乗車体験」列車。ホームから眺めるD51は、迫力感と均整美の両方の魅力を感じます。

レールパークの開園、「観光急行」の運行開始など...トキテツ鳥塚社長に感謝しつつ、今月訪問したばかりの直江津に関連する「終点駅テツ」「テツ散歩」を真っ先にアップしました。




≪(昔)中津川機関区 D51≫
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1973(昭和18)年4月に訪れた時の中津川機関区です。私が小学生の頃で、中津川区のD51達が廃車・解体される前に何とか訪問出来ました。

D51-549(右)、D51-245(中)、D51-827(左)の中津川区の主役級です。訪問の少し前に、中央西線はEF64に置き換えられていますが、この後、1973年7月の「中央西線SLさよなら運転」で、D51-549とD51-827が重連で運転されています。

この時、D51-549は蔵の中から出てきて給炭所の脇で停まり、次位のD51の炭水車から石炭を抜く作業を開始し、まさにSLの最期を目撃してしまいました。そういう中で写真の3両が現在も保存中ということが奇跡のようです。

D51-549 1940(昭和15)年 長野工場製:長野市内の小学校に保存
D51-245 1939(昭和14)年 浜松工場製:坂城町文化センター わんぱく広場に保存
D51-827 1943(昭和18)年 浜松工場製:鉄道愛好家による保存→有田川鉄道公園→直江津D51レールパーク

えちごトキめき鉄道
日本海ひすいライン・妙高はねうまラインの終点駅

(2018年7月・2022年5月)
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15時56分、直江津駅6番ホームです。牽引する貨車にお客さんを乗せて、D51-827が姿を現しました。ホームの横を走る様子は、現役時代さながらです。

昨年4月、えちごトキめき鉄道が「直江津D51レールパーク」を車両基地内に開園し、「SL体験乗車」としてD51-827の運転が行われています。
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隣駅は隣駅は、「春日山」(妙高はねうまライン)、「谷浜」(日本海ひすいライン)と「黒井」(信越本線)です。

/ 北陸新幹線の延伸開業の際、妙高高原-直江津と市振-直江津が、えちごトキめき鉄道に移管されています。駅はえちごトキめき鉄道の管轄駅となり、駅舎内に本社事務所が同居しています。
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休日の直江津駅の15時前後は、看板列車3本が6分おきに発車します。
14時51分発 JR「特急しらゆき6号」(妙高L)
14時57分発 「雪月花」(妙高L)
15時03分発 「観光急行3号」(日本海L)


≪日本海ひすいライン≫
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14時25分発、泊行が1番ホームに停車中です。1番ホームはホーム先に車止めがあり、主に日本海ひすいラインの普通列車の発着に使用しています。
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日本海ひすいラインで使用されるET122形気動車は、一般形・イベント兼用車を合わせた8両が配置されています。

/ 1番、2番ホームには、日本海からの強風や豪雪に耐えうる頑丈な屋根が備えられています。
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15時2分、泊からの普通列車が到着しました。ET122形(ET122-7)は「NIHONKAI STREAM」ラッピング仕様で、ベニズワイガニやアンコウのイラストがデザインされています。
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8時8分発の泊行として、ET122形(8号+3号)の増結作業を行っています。(2018)

/ 1番ホームは車止め部分でレールが終わっており、日本海ひすいラインの普通列車の発着を中心に使用されます。(2018)

≪妙高はねうまライン≫
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8時12分、妙高はねうまライン 妙高高原行(ET127系電車)です。車体下部の妙高山のデザイン(フレッシュグリーン)が、スカート部分まで施されている特徴があります。(2018)

ET127系はJR東日本・新潟地区で使用されていましたが、えちごトキめき鉄道の経営移管に伴い、2両編成×10本が譲渡されています。
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トキてつカラーに変わっていますが、側方から見るとJR時代の帯の跡が薄く残っています。(2018)

/ JR時代の帯が外され、ステンレスの地だけの状態でしたが、右上に「トキてつ」のロゴはしっかりあります。(2018)
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この駅は見事な屋根が特徴で、1番側から6番までを眺めます。

/ 1番ホームを見上げます。片側だけの隣駅表示が、始発駅の雰囲気を引き立たせます。

≪妙高はねうまライン 昔の新潟色≫
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えちごトキめき鉄道の鳥塚社長と、車両ラッピングの技術を有する田島ルーフィングの役員の方が知り合いということから、昔の新潟色のラッピングが再現されています。
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4番ホームに停車中の「昔の新潟色」は、15時41分発 妙高高原行です。
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基本的に2両編成はワンマン運転です。 / 15時41分発の妙高高原行は、全区間の所要時間が53分です。

≪主力の一般形車両≫
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6番ホーム側の側線には、妙高はねうまラインET127系、日本海ひすいラインET122形の一般形標準色の車両が並びます。

≪快速とがくし&急行アルペン≫
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14時31分、日本海ひすいライン 市振からの「観光急行2号」が到着しました。

日本ひすいラインを走る「観光急行」は、455系(クハ455-701)+413系(モハ412-6+クモハ413-6)の3両編成です。
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これらの車両は、JR西日本の北陸本線・七尾線で活躍していましたが、2020年に521系100番台が投入されたことにより、運用が終了していました。

2019(令和元)年、えちごトキめき鉄道社長に就任した鳥塚氏は、前いすみ鉄道社長であり、在任中、観光目的の旅客増のための手法を多数講じています。今回のJR車両購入と「観光急行」の運行は、えちごトキめき鉄道における観光収入増のための手段として展開されています。
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14時31分、市振からの「観光急行2号」が1番ホームに到着しました。引き続き、15時3分発の糸魚川行「観光急行3号」となります。

/ 旧国鉄時代を彷彿とさせるピンク色の交直流電車。懐かしい思いで眺めていました。

≪クハ455-701 ~JR時代~≫
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「旧国鉄の交直流カラー」に復元した後(2022/5)
/ 七尾駅で撮影した時の車体側面(2016/6)
/ 七尾駅でのクハ455-701(左)、クハ415-803(右)の並び(2016/6)

1971(昭和46)年に新製された「サハ455-1」は、主に金沢運転所に配置されていましたが、1986年に先頭車化改造が施工され「クハ455-701」へ改番されています。

≪えちごトキめき リゾート雪月花≫
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14時49分、「えちごトキめきリゾート 雪月花」午後便が糸魚川から到着しました。

ET122系1000番台は、エンジンをはじめとする主要機器は一般型と同じですが、車両限界ぎりぎりまで天井高が確保されており、側面窓の大きさや配置などの外観や内装などは、豪華列車に相応しい仕様に仕上げられています。
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1番(右)の15時3分発「観光急行3号」と、2番(左)の14時57分発「雪月花 午後便」がすれ違うシーンです。

/ やや側方からの到着シーンです。スイスのパノラマ観光列車のような特徴のある窓配置です。

えちごトキめき鉄道の開業時に計画され、開業翌年から走り始めた高級リゾート列車と、現社長の鳥塚氏が昨年から運行を開始させた旧車マニア向けの観光列車という面白い取り合わせで、本社所在地である牙城の駅で顔を合わせます。

午前便 フレンチコース 》 上越妙高10時19分発→妙高高原11時29分発→直江津12時24分発→糸魚川13時16分着

午後便 和食コース 》 糸魚川13時59分発→直江津14時57分発→妙高高原16時15分発→上越妙高16時45分着

≪駅からの眺め≫
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南北自由通路から、えちごトキめき鉄道(トキテツ)の「直江津車両基地」が見えます。ET127系の隣には、平日ということで413系・455系が留置されていました。
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6番ホーム(右)の横には車両基地からの側線が複数あり、時間調整で一旦引上げた車両が留置されています。

/ 5番ホームから妙高はねうまラインと日本海ひすいライン側を眺めています。

開業時はET127系の使用が前提で、ライン別で直流電車と新製気動車が導入されています。今回「観光急行」が実証したように、輸送密度や車両の効率化を鑑みて、いつかは「両運転台の交直流電車」が単行で海や山をのんびり走っているんだろうと思います。

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2番ホームから妙高高原、市振方向を眺めています。

「トキテツ」開業と同時に計画された高級リゾート列車、鳥塚氏立案のアイデア事業「観光急行」や「直江津 D51レールパーク」などは、有機的に結びついて威力を発揮しているようです。

JR東日本 信越本線(直江津-新潟)の終点駅

(2018年7月・2022年5月)
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14時51分発、特急しらゆき6号(新潟→上越妙高)が上越妙高に向けて発車します。この駅からは妙高はねうまラインに乗り入れて、北陸新幹線との接続機能を果たします。

2015(平成27)年、北陸新幹線(長野-金沢)が延伸開業した際に誕生した列車で、上越妙高駅での新幹線との接続列車として新潟県内(柏崎、長岡、新潟)を運行しています。
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元々あった北口です。2000(平成12)年、現駅舎(4代目)の使用が開始され、南北の自由通路が完成しています。

/ 北陸新幹線の延伸開業の際、信越本線(妙高高原-直江津)と北陸本線(市振-直江津)が並行在来線として、えちごトキめき鉄道に移管されています。

現在はJR東日本とえちごトキめき鉄道との共同使用駅で、えちごトキめき鉄道の管轄駅となっています。

駅は1886(明治19)年の開業。信越本線は直江津-新潟間136.3kmで、日中は毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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自由通路が完成した際に供用が開始された南口です。

/ 発着番線は1番~6番まであります。頭端式の1番は日本海ひすいラインで使用されますが、それ以外は時間帯や列車によって発着番線が変わります。
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2番(右)と3番(左)のホームを眺めると、雪国仕様の国鉄時代の駅に感じます。

≪特急 しらゆき≫
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7時41分発、しらゆき1号新井→新潟です。JR東日本の車両による運行ですが、新井からこの駅まではえちごトキめき鉄道に乗り入れます。(2018)
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特急しらゆきは、新潟車両センターに配置されているE653系1100番台(4両編成×4本)が使用されています。(2018)

/ 14時53分、JR東日本「特急しらゆき」E653系(3番)と、えちごトキめき鉄道「えちごトキめきリゾート雪月花」ET122形1000番台(2番)が並びます。

≪信越本線 直江津-新潟≫
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7時46分発、普通列車 長岡行(E129系)です。(2018)

使用されているE129系は、新潟支社の一般形車両として2014(平成14)年に営業運転を開始。今年になり2両編成×2本が増備されたことから、新潟地区から115系とE127系が引退し、一般形車両がすべて129系に統一されています。
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15時9分発、普通列車 長岡行が妙高高原側から回送で3番に入線します。
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15時9分発の普通列車 長岡行(3番)と、15時2分に泊から到着した普通列車(2番)が並びます。

≪信越本線(ほくほく線乗り入れ)≫
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14時27分発、北越急行・ほくほく線直通の普通列車 越後湯沢行です。

使用されているHK100形は、1997(平成7)年のほくほく線開業の際に営業運転を開始し、全12両が使用されています。
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14時27分発の越後湯沢行は、HK100-2とHK100-8(ゆめぞらⅡ)の2両編成での運転です。

≪駅からの眺め≫
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北越急行HK100形(4番)、JR東日本129系(5番)、えちごトキめき鉄道ET127系(6番)の3社の車両が顔を揃えた瞬間です。

/ 5番ホームからJR東日本・長岡(信越本線)方向を眺めます。
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2番ホームから長岡方向を眺めます。北陸新幹線の開業により、新潟県内の信越本線は直江津-新潟間136.3kmに短縮されています。

第三セクター方式の鉄道会社である北越急行、えちごトキめき鉄道とJR東日本の車両が乗り入れる直江津駅では、状況に応じて鉄道会社間の乗り入れ運転が実施されており、利用者の利便性の向上に努めています。

≪信越本線 0キロポスト≫
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2番ホームの長岡側には、JR東日本 信越本線の「0キロポスト」が設置されています。ここにある説明書きでは、もともとの信越本線(高崎-新潟)が327.1kmであることがわかります。

更に、この駅は明治19年に初めて新潟県に官設鉄道が開業した際に設置された「停車場」であることから、北陸新幹線開業でこの駅が信越本線の新潟区間の起点となった際に、「新たな旅立ちの起点」として整備したことが記されています。

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隣駅は、「春日山」(妙高はねうまライン)、「谷浜」(日本海ひすいライン)と「黒井」(信越本線)です。

/ 実際の0キロポストは、3番ホームの下にひっそりと設置されていました。

富山地方鉄道 富山港線の終点駅

(2010年8月・2020年7月)
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12時24分、「6系統」環状線→岩瀬浜の路面電車が到着しました。

TLR0600形(ポートラム)電車は、富山ライトレール時代に富山港線に登場していますが、富山港線が富山地方鉄道に移管されたことにより、T100形(サントラム)と9000形(セントラム)も入線するようになっています。
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電車ホームの反対側には「フィーダーバス」のバス停があります。フィーダーバスは富山港線に合わせて運行されており、支線の役割を果たします。

手前にあるバス停(紫色)は、射水市コミュニティバスのバス停(土日祝運行)でしたが、2021年に廃止されています。

駅は1924(大正13)年の開業。富山港線は富山駅-岩瀬浜間7.7kmで、日中は毎時4~5本の運行。(引用:Wikipedia)
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富山ライトレール時代の画像なので、路線の左端は「富山駅北」です。(2010) / こちらの路線図は現在のもので、富山軌道線の全路線が表示されています。

2006年、富山ライトレールがJRから「富山港線」を引き継いだ際に、富山駅北停留所-岩瀬浜間の運行となり、富山駅北(停)から1.2kmの区間は併用軌道、その先から岩瀬浜までは専用軌道となっています。

≪富山港線≫
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富山ライトレールが開業して4年後、2010年8月の画像なので、行先表示が「富山駅北」になっています。(2010)

2020年、富山ライトレールが富山地方鉄道へ吸収合併し、77年ぶりに「富山港線」は富山地方鉄道の路線に戻ります。同年、富山駅北停留所を富山駅停留所に統合し、富山軌道線と相互直通運転を開始しています。
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隣駅は「競輪場前」です。

/ 富山ライトレールのロゴの頃です。富山ライトレールの開業当初から稼働している7編成のうちのTLR0604編成で、アクセントカラーは虹にちなんだ七色の「緑」です。(2010)

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現在の富山港線は、JRの頃と同じ軌間1067mmですが、架線電圧は600Vに降圧されています。
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12時46分発、富山大学前行です。車体のアクセントカラーが「銀」の編成は、2019年に増備された「TLR0608編成」で、「都会的、未来的」を表現しているそうです。

/ 車内とホームのフラットさが際立っています。

≪花壇のある駅≫
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7月の駅前は、鮮やかな色彩の花々で綺麗でした。富山軌道線の停留所ごとに、個性的な風景が広がっていて楽しい気持ちになります。

立山の「新雪」をイメージした車体の基調色「白」や、車両のアクセントカラーと合わさって、駅の緑化などで、沿線のフレッシュではつらつとした雰囲気が伝わります。

≪大きなパネル≫
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停留所のベンチの背面には「岩瀬曳山祭」「北前船」などの大きなパネルがあり、ビジュアル的な綺麗さを感じます。
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鉄道用分岐器メーカーの広告があり、自社製品の宣伝で「富山港線」の設備が紹介されています。

/ 終点駅の少し手前に、架線のない保線用の側線が見られます。

≪電車からの眺め≫
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12時13分、ポートラムに乗車してこの駅に到着しました。富山駅前を発車した頃は車内は混雑していましたが、終点駅に着く頃はかなり空いています。

富山駅のスルー運行が開始され、富山地方鉄道の「地鉄観光列車フリーきっぷ(1日)」で利用できるので便利になりました。
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12時48分発の富山大学前行に乗車して、この電車の終点に向かいます。

JR西日本が北陸新幹線開業時に平行在来線に「富山港線」を含める方針を示した後、富山ライトレールによる公設民営化を実施、14年後に富山地方鉄道へ無償譲渡されています。

富山県や富山市自治体による第三セクター方式の新たな利用方法(民営化移行前提)には、多数の優れたアイデアが含まれていると思います。


≪富山港線の歴史≫
1924(大正13)年 富山口-岩瀬港(現・岩瀬浜) 富岩鉄道が開業
1927(昭和2)年 富山-富山口 貨物支線が開業
1928(昭和3)年 富山-富山口 旅客営業を開始
1941(昭和16)年 富山-岩瀬浜 富岩鉄道が富山電気鉄道へ譲渡
1943(昭和18)年 富山電気鉄道が富山地方鉄道へ社名変更
同年 富山-岩瀬浜 国有化
2006(平成18)年 富山-岩瀬浜 JR西日本 廃止
同年 富山-岩瀬浜 富山ライトレール 運営開始
2020(令和2)年 富山ライトレールが富山地方鉄道へ吸収合併
同年 富山駅北停留所を富山駅停留所に統合し、富山軌道線と相互直通運転を開始

いま昔 ≫≫ 日高本線 静内駅 

〔むかし〕 2010年6月
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14時32分、静内駅で日高本線の列車をキャッチ。長い路線なのに急ぐ様子がないです...

2010年の旅は日髙地方の「スズランの原生地を見に行きたい」と思い、6月にこだわって道内に入りました。加えて、一度も行ったことのない様似駅にも立ち寄ってみたいと思い、レンタカーを運転して向かいます。

様似駅に到着すると、タイミングが悪く列車は停車しておらず、スマホで列車の時刻を確認。列車とドッキング出来そうだった静内駅へ向かい、日高本線の列車を捉えました。(様似駅の様子は、終点駅テツに載せています)
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JR北海道のロゴが誇らしげな駅舎です。1926(大正15)年、日髙拓殖鉄道の駅として開業しましたが、2021年4月1日に日髙本線(鵡川-様似)が廃止され、静内駅の歴史に幕を下ろしました。

〔いま〕 2021年8月
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静内の駅は太平洋が後方に迫っており、浦河街道(国道235号線)は、駅から少し離れたところを回っていきます。
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鉄道が廃止されて数ヶ月が経っていましたが、駅舎には「JR」の文字が掲げられ、今なお綺麗な状態です。

駅舎は2001年に建て替えられ、厩舎をイメージしたデザインになっています。 / 駅前ロータリーには、アイヌ民族の英雄「シャクシャインの像」があります。
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2001年、駅舎が建て替えられた時に、新ひだか町観光情報センター「ぽっぽ」と、道南バス静内案内所が入居しましたが、2013年に道南バスの案内所が撤退しています。
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ホームの屋根が撤去され、レールは錆びだらけです。

/ 駅跡には「日髙線の記憶」という書籍を紹介するポスターが掲示されていて、部分廃止ではありますが「日高本線が過去のものになってしまった」ことを実感させられます。

いま昔 》
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この駅を訪れたのは、2010年6月と2021年8月の2回です。2015年の災害発生による運行の休止から、2021年の日高本線部分廃止(鵡川-様似)まで、あまりにも急な運行休止だったので、葬式テツも行えない状況でした。

 ホームへ上がるスロープには鉄パイプで柵が張られ、ホームにある屋根は外されていますが、全体的にはそのままの状態だったのでほっとしています。

駅そば にしや 》
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2010年、駅に立ち寄った時に「駅そば」を食べていました。食べログで確認してみると「西谷辯當店 駅 食堂部」です。鉄道駅は廃止されてしまいましたが、おそば屋さんは今も営業を続けています。


二十間道路 ~新日高町(静内)~ 》
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新日高町(静内)にある二十間道路は、直線距離7kmの道路両側に約3,000本の桜が植えられており、5月上旬の桜の開花期に一斉に咲き誇る桜並木の景観は圧巻とのことです。(Wikipediaより)
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道路沿いに「日本の道百選 二十間道路 桜並木」の石碑があります。桜は、大正時代に近隣の山野にあったエゾヤマザクラを移植したそうです。

/ 沿道には牧場が続いており、雄大な自然の中に馬たちが駆け回っていました。そそくさとやって来て「よそ者だな!?」と思われたようで、あっちの方へ離れていきました。
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「一緒に遊ぼーよ!?」と言われているようで、茶目っ気たっぷりでした。


芽生スズラン群生地 ~平取町~ 》
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北海道を代表する初夏の花、すずらん。ここ平取町幌尻岳のふもとの芽生(めむ)の野生すずらん群生地は、約15haと日本一の広さを誇っています。

多くの人々が足を踏み入れることによって絶滅の危機に瀕したすずらんを保護管理し、10年の歳月をかけて自然の状態に回復させました。(平取町公式サイトより)
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この年は狂牛病(BSE)が蔓延した年で、5月下旬~6月中旬の間は一般公開をしていましたが、見頃の時期に開かれる「すずらん鑑賞会」は中止になっています。

一般公開自体は行われていましたので、粛々とすずらんの原生地を見学します。すずらんの花が咲いている近くに立つと、微かに懐かしいような甘い香りが漂ってきました。

《 アイヌの伝統が残る平取町 》
平取町の町内には、アイヌの伝統が色濃く残る地域として広く知られる二風谷地区があります。二風谷をアイヌ語に訳すと「大森林」「野の林」です。四季折々の表情を豊かにする河川や森林で自然を尊び、学び、共に生きる沙流川流域のアイヌ文化が現在まで脈々と引き継がれています。(平取町公式サイトより)

JR北海道 日高本線の終点駅

(2017年7月・2021年8月)
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15時3分、苫小牧からの普通列車が到着しました。

2021(令和3)年4月1日、鵡川-様似間(116.0km)が部分廃止され、苫小牧-様似(30.5km)が残るのみとなりました。苫小牧駅14時33分発の列車は、この駅にジャスト30分で到着します。

2015年の災害により日高本線が不通となり「列車代行バス」が運行されていましたが、日高本線の部分廃止によって「列車代行」の役目が終わり、鵡川-様似間がバス転換されています。
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1909(明治42)年、三井物産が苫小牧-鵡川間に木材輸送用の専用馬車鉄道を敷設したのが、日高地方で初めての鉄道です。その後1913(大正2)年に、その路線を国有化 及び、改軌(1067mm)して日高本線の一部を形成しています。

/ 1987(昭和62)年に現駅舎に建て替えられています。

駅は1913(大正2)年開業。日高本線は苫小牧-鵡川間30.5kmで、1日8本の運行。(引用:Wikipedia)
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2017年の訪問の際は、両方の隣駅が表示されており、「浜田浦」(苫小牧側)と「汐見」(様似側)でした。

/ 駅前には「柳葉魚の伝説」が掲げられているように、鵡川町は「シシャモ」が獲れる町です。アイヌの人たちにとって冬を迎える前の大切な食糧の1つで、数多くの「シシャモ伝説」が残されているようです。(参照:鵡川漁業協同組合公式サイト)

≪日高本線 2021年8月≫
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10時49分、苫小牧からの列車が到着します。JR北海道ではH100形(ディーゼル・エレクトリック方式)電気式気動車が導入されていますが、今のところ、日高本線はキハ40形の運行のままのようです。
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日高本線の部分廃止後、隣駅は苫小牧側の「浜田浦」だけになりました。/ 1986(昭和61)年まで富内線との分岐駅だったこともあり、そこそこ広い駅構内です。
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10時57分発、苫小牧行の発車時刻です。運転士2名が左右に座り、何となく重厚な発車シーンです。

/ 10時49分、この列車の到着時シーンです。
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駅構内を横断する歩道橋の上から、駅構内の全景です。

最盛期は2面3線の駅で、1番(駅舎側)は日高本線の部分廃止を機に使用停止となっています。2番(列車停車中)は、1番へ変更され現在も使用中です。3番(左)は富内線用でしたが、路線廃止後にレールが撤去されています。
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駅構内を横断する歩道橋の上は、北の大地の奥行きを感じることが出来るベスト・ポジションです。

≪日高本線 2017年7月≫
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12時52分、苫小牧から列車が到着しました。到着したキハ40-354は、日高本線を中心に使用されていましたが、2015年の災害による一部区間の不通に伴い、室蘭本線や廃止前の夕張支線でも使用されています。
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白地に青とピンクを配し、「優駿浪漫」や「HIDAKA LINE」のロゴのある「日高本線カラー」で使用されていましたが、H100形気動車の登場により、350番台は昨年3月までに全車10両が廃車されています。

≪駅からの眺め≫
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保線関連の施設周辺には、現在も建物や車両格納庫が残されており、全盛期の頃の様子が思い浮かぶようです。
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現在は、構内踏切を渡った向かい側の1番ホームにすべての列車が発着しており、駅舎からの通路が綺麗に整備されています。

/ 構内踏切の駅舎側から苫小牧側を眺めています。日高管内でははく、胆振管内であるこの駅が、日高本線の終点駅となってしまったことを大変残念に思います。
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日高本線は、今回の部分廃止となった災害以外にも、過去にも起こりうる様々な災害が繰り返されてきました。現在の区間が残っただけでも良しとするべきでしょうか。

≪2021年 廃止区間≫
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様似側にあった踏切付近には柵が張られ、警報機の主要パーツが外され、もう二度と復帰がないことを確信した瞬間です。
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踏切の手前に車止めがあり、この地点が新しい日高本線の終点になりました。

/ 災害で運休が続き、そのまま廃止のパターンは衝撃的過ぎます。日付入りで「踏切廃止」の表示がありました。

≪JR列車代行 2017年≫
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JR北海道が鉄道の代行手段として手配する「列車代行」では、樽前交通、むかわ観光、酒井観光の貸切バス系で運行されていました。

≪代替バス 2021年
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「日高本線の列車代行」が終了し、苫小牧-静内間の道南バス(路線)が鉄道の後を引き継ぎ、苫小牧を出発したバスがこの駅に立ち寄り日高地方へ向かいます。

上毛電気鉄道 上毛線の終点駅

(2015年7月・2020年8月)
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11時38分、2両編成の電車が到着しました。現在、主力の700系電車は、元京王電鉄3000系です。昔、都会でよく見ていた電車なので、とっても親近感があります。
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駅前の辺りには広瀬川が流れていますが、暗渠にして川の上に駅前広場の一部を築いています。

/ 2000(平成12)年に建て替えが完了した駅舎は、天井を高くして現代風の駅舎に変わっています。
駅は1928(昭和3)年の開業。上毛線は西桐生-中央前橋間25.4kmで、毎時2~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎内にある「ぐんまちゃん」の自動販売機。以前にJR高崎駅で拝見しましたが、群馬県のイメージキャラクターということで、私鉄の駅にも出没します。特技は「みんなを癒す不思議な力」だそうです。

/ 上毛電気鉄道のスタンスは、電車も駅のベンチもレインボーカラーを追求することのようです。

≪上毛線≫
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現在も車両毎で前面上半分の塗色が色違いになっており、京王時代は7色レインボーでしたが、現在では8編成のすべてが色違いになっており、駅で電車を待つ「色当て」の楽しみは引き継がれています。
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隣駅は「城東」です。

/ 駅には重厚な屋根が備えられていますが、上州の夏の暑さと日差しには必須なアイテムです。
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700系は、1962(昭和37)年から製造が開始された元・京王電鉄3000系で、当時流行した「湘南型」のデザインが採用されています。

上毛電気鉄道では、老朽化した700系の置換え計画があるようで、90年ぶりとなる自社発注車両の導入を進めています。(2015)
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側面のランプは古さを隠せず。

/ 窓枠も古い構造ですが、それでも車内は広く明るい印象です。(2015)
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714-724編成は、明るくフレッシュな「サンライトイエロー」色ですが、海なし県ならではの「水族館電車」ラッピングで、電車自体が水族館に変身です。

≪駅からの眺め≫
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真ん中のホーム車止め側から駅構内を眺めます。群馬県の県庁所在地の最寄駅として、通勤・通学用としての地方都市の雰囲気が漂います。
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薄青緑色(フィヨルドグリーン)と薄緑色(ミントグリーン)の同系色の編成が並びます。(2015)

/ 3つあるホームのうち広瀬川側は使用しておらず、レールが錆だらけです。(2015)
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ホームから西桐生方向を眺めています。8月の前橋は異常な暑さになりますが、カラフルなレインボー電車と駅の横を流れる広瀬川が涼しげな夏に変えてくれそうです。

≪終点駅を眺めて≫
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駅のすぐ横を用水路のような広瀬川が流れ、独特な終点駅の眺めです。そんな終点駅ですが、元京王電鉄3000系が駅に停車していると、都会の駅のように見える感じがします。

駅の右側には「上電本社ビル」があり、電鉄の本社機能が隣接しています。
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この車両には愛着があり、いつまでも眺めていたい光景です。 / 到着した電車を踏切脇で眺めます。駅前部分は暗渠だった広瀬川が、ここでは流れが現れています。
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駅から1つ目の踏切から西桐生方向を眺めています。広瀬川に沿って鉄道が続き、優しい田舎の雰囲気を感じます。

/ 駅前の広瀬川対岸には、「謎のSL列車」が停まっていました。この駅では他路線との乗換えがないことから、「集客増を願う」鉄道神社のような存在に感じました。

JR西日本 山陽本線の終点駅

(2020年1月)
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9時53分発、小倉から下関へ向かう普通列車です。JR九州の交直流電車はこの415系だけなので、関門界隈では白青カラーのこの電車をよく見かけます。

鹿児島本線(交流)を走行してきた下関行は、この駅を発車すると山陽本線(直流)に進入することから、停車中に「交直切替試験」を行います。
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2004(平成16)年に橋上駅舎が完成しています。1、2階には商業施設「えきマチ1丁目 門司」が入っており、3階に改札口があります。

駅は1891(明治24)年の開業。山陽本線は神戸-門司間534.4kmで、毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎側から南口の駅前ロータリーを眺めます。門司港と小倉の間にある駅ですが、どちらかと言うと、本州とを結ぶ鉄道線の九州側の交通の要衝といった感じです。

/ 北口(赤里赤煉瓦タウン口)の階段上から関門海峡が見えます。大きなコンテナ船がビルの間を通り過ぎていきます。(ガラス越し)

≪山陽本線≫
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10時48分発、普通列車(小倉→下関)が5番ホームに到着しました。

旧国鉄時代に設計・製造された415系が、今でも元気に活躍する姿が見られて感無量。古さは否めませんが、機能的で電車らしいデザインはいつの時代でも通用しそうです。
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415系のアナログ的な行先表示幕が車体色とマッチ、行先表示の文字がシャープに映えます。

/ 10時34分発、小倉から下関へ向かう普通列車です。2駅だけ停車の普通列車ですが、鹿児島本線と山陽本線に跨いで運転されます。
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10時34分発の下関行が関門トンネルに進入していきます。関門トンネルは延長約3.6kmで、ここを通過して本州側の下関まで7分で到着します。

≪地上デッドセクション≫
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5番ホームに停車中の下関行です。これから交直デッドセクションを通過する前に、停車中に「交直切替試験」を行っています。
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「出発反応標識」が3つ並び、門司港と下関の分岐であることがわかります。

/ 6番ホームから関門トンネル方向を眺めます。ホーム先に「直転換」の表示があり、この先にデッドセクションがあることを示します。
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10時55分、下関から普通列車が到着しました。デッドセクションはちょうど列車が通過している辺りで、上り全列車と下り旅客列車が直流-交流を切り替えます。

下り貨物列車は編成が長いため、トンネル出口の登坂部分でセクション惰行するのは不適で、駅の小倉側(下り傾斜)に設置されています。

≪JR貨物≫
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午前11時ちょうど、本州側から貨物列車(EH500-45)が通過します。貨物列車の右側(4番ホーム)はデッドセクションで交流区間に切り替わりますが、その手前で分岐する中線の貨物列車は、まだ「直流」区間を走行しています。
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9時59分、4番ホームと5番ホームの間にある(上下)貨物線に貨物列車が行き違います。本州-九州を直通する貨物列車は非常に多く、関門界隈を賑やかにしています。

/ 鹿児島本線・下り貨物列車を5番ホームの小倉寄りから眺めています。この辺りに下り貨物線のデッドセクションがあり、EH500形電機は直流区間→交流区間へ移行します。

≪鹿児島本線≫
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9時42分、普通列車(小倉→門司港)に乗車してこの駅に到着しました。この列車は鹿児島本線の終点駅である門司港へ向かいます。
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9時59分発、普通列車(大牟田→門司港)です。使用車両は811系交流電車で、1989(平成元)年から製造が始まっています。

/ 10時45分発、普通列車(門司港→折尾)が到着しました。
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10時36分発、特急「きらめき80号」(博多→門司港)で、全区間の所要時間は1時間5分です。使用車両の787系は、1992(平成4)年から製造が始まっています。

≪駅からの眺め≫
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橋上駅舎の通路から小倉側を眺めています。右から上り6番、同5番ホーム。上り貨物線(右の中線)と下り貨物線(中央の中線)、下り4番、3番、2番、1番と並びます。
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隣駅は、下関(山陽本線)と小森江(鹿児島本線・上り)、小倉(鹿児島本線・下り)です。

5番ホームから下関方向を眺めています。右の4番ホームとの間に2本の中線がありますが、関門トンネルから北九州貨物ターミナルへ向かう貨物線(上下)です。
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4番ホームから下関方向を眺めています。関門トンネルの両脇に門司港方面との上下線が配置されています。

1942(昭和17)年、関門トンネルの下り線が開通、その2年後には上り線も開通し、複線での運転が開始されています。トンネルという性格上、蒸気機関車の使用が困難なため、開通当初から電化されていました。

山陽新幹線の開業により、関門トンネルを通過する旅客数は減少しましたが、本州-九州間の貨物輸送は堅調なようです。




≪(昔)415系交直流電車≫
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1987(昭和62)年8月に訪れた時の鹿児島本線を上る普通列車・下関行(415系)で、門司機関区近くで撮影しています。電車の後方に門司機関区があり、この頃、廃車となったEF30形交直流電気機関車が留置されているのが見えます。

415系は、1971(昭和46)年に登場した交直流電車(直流/交流50Hz・60Hz両用)で、電化区間ならどこでも走行可能な三電源方式の優れた一般車両ですが、製造コストが高いため、交直デッドセクション周辺の運用が多くなっています。

JR東日本 米坂線の終点駅

(2019年9月)
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14時24分発、山形新幹線「つばさ186号」東京行です。

1992(平成4)年、山形新幹線(福島-山形)が開業したことから、新幹線で東京から直行可能になりました。この列車は山形始発で、東京までの全区間を2時間56分で結びます。
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1899(明治32)年、国有鉄道 奥羽南線(福島-米沢)が開業した際にこの駅が開業しています。翌年に奥羽南線(米沢-赤湯)が延伸開業し、1926年に米坂線(米沢-今泉)間が開業、この駅に乗り入れる路線が形成されています。現在の駅舎は1993(平成5)年の完成。

/ 米沢は「米沢牛」が有名で、この駅でも「牛肉弁当」を中心とした駅弁が販売されています。

駅は1899(明治32)年の開業。米坂線は米沢-坂町間90.7kmで、1日10本の運行。(引用:Wikipedia)

≪米坂線≫
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14時49分発の今泉行は、キハ110系(217+224)の2両編成です。
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米坂線のゲージは1067mm(狭軌)で、4番ホームの先でレールが終わります。奥羽本線(山形新幹線)は1435mm(標準軌)に改軌されているため、米坂線との車両の行き来は不可です。
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この頃はキハE120系が運用に就いていましたが、2020年、会津若松地区に全車8両が移されています。

山形新幹線は1番ホーム(駅舎側1面1線)、奥羽本線は2~3番ホーム(島式1面2線)が割り振られています。一方 米坂線は4~5番ホーム(1番ホームの反対側の駅舎脇に4番、4番ホームの本線側を切り欠いた5番ホーム)が変則的に配置されています。
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4番ホームには今泉行が停車中で、その横を抜けて5番ホームへ向かう案内がペイントされています。

/ キハE120系が留置中の5番ホームから、駅舎側に見える4番ホームを眺めます。
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キハE120系の車体側面には、SLばんえつ物語の「おこじょ」のイラストが描かれています。
/ 米坂線の隣駅は「南米沢」です。
/ 14時49分発「今泉行」の行先表示(キハ110系)。

≪GV-E400形 試運転≫
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JR東日本の非電化路線の新型車両として、電気式気動車「GV-E400形」が導入されていますが、ちょうど米坂線に導入準備をしている時期に訪問することになり、5番ホームに行くと見慣れない車両が停車中です。

行先表示の「試運転」を見て、何十年に一度の新型車両の導入時期と重なり、気持ちが高揚気味でした。
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アイドリング運転をしながら停車していたGV-E 400形(GV-E400-3)は、運転手が乗り込んだ後、14時10分「回送」表示に変更、発車しました。

≪山形新幹線≫
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奥羽本線の隣駅は「関根」(福島側)と「置賜」(山形側)です。

/ 14時38分発、「つばさ144号」新庄→東京が1番ホームに進入します。全区間の所要時間は3時間30分、新庄-米沢は1時間19分です。
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13時40分発、「つばさ142号」が6分程遅れて1番ホームに到着。2番ホームには、14時38分発の普通列車・山形行が早々とスタンバイしています。

≪奥羽本線≫
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14時38分発、普通列車(米沢→山形)を隣のホームからウォッチします。長いホームの階段寄りにちょこんと停まっています。

/ 1991(平成3)年に製造された標準軌用の719系5000番台が使用されています。

≪駅からの眺め≫
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1番のりばから山形側を眺めています。山形新幹線用1番ホームは一線スルーになっており、本線に向けて真っ直ぐのレールです。
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5番ホームに停車中の米坂線用の車両。その右側が山形新幹線、奥羽本線1~3番ホーム(標準軌)です。5番ホームの左側は4番ホームからのレールと側線が並びます。

/ 3番線の隣に側線が1本あり、奥の方に保線用の枝線が数本見えます。
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5番ホームから坂町方向を眺めています。JR東日本の駅でありながら、軌間が異なる交わりのないレールが並行に伸びて、米坂線は先の方でカーブして離れていきます。

日本全国、県内に新幹線を誘致する運動が起こり、新幹線が開業した後は、並行在来線の第三セクター化やミニ新幹線導入による改軌により、地域輸送の非効率化や切り捨てが心配です。

JR西日本 芸備線の終点駅

(2020年11月)
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12時21分発、東城から新見に向かう普通列車が到着しました。

芸備線は路線距離159.1kmで、備中国と安芸国の山間部を結ぶ路線です。途中、木次線が合流する備後落合にJR西日本の岡山支社と広島支社の境界があり、備後落合で運転系統が分かれています。
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駅舎ではなく、駅ホームへの入口に屋根がついている門構えがあります。無人駅なので駅舎は不要と思われますが、ワンマン運転対応や防犯対策もありそうです。

/ 入口の屋根下には時刻表があり、芸備線の列車は、この時は1日7本(平日)が記載されています。別途、朝5時台に快速・新見→備後落合の列車があり、この駅は通過する設定になっています。

駅は1928(昭和3)年の開業。芸備線は広島-備中神代間159.1kmで、平日は1日5本の運行。(引用:Wikipedia)
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2番、3番ホームに設置された待合室。左2番ホームは伯備線 米子方面、右3番ホームは芸備線 両方向の案内板があり、待合室に絶妙な感じで掲示されていました。

≪芸備線≫
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11時22分発、新見から東城へ向かう普通列車が到着しました。

トンネルから出て来るとすぐに分岐器に差し掛かり、芸備線の列車は3番ホームに進入します。この時は11時台の東城行と12時台の新見行が設定されていましたが、現在は設定がなくなり、日中の撮影可能な時間帯の列車が減少しています。
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隣駅は「坂根」です。反対側は「布原」ですが、「布原」は伯備線の駅でありながら芸備線の列車のみ停車します。/ 駅の手前にある西川に架かる鉄橋を渡り、芸備線の列車が到着します。
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11時22分発の東城行が駅を出て鉄橋を渡ります。

/ 13時12分発、新見から備後落合へ向かう普通列車です。この列車には乗りテツ客が多く乗車しており、3方向からの列車が「落ち合う」時間帯を楽しみに備後落合に向かっていました。

≪伯備線 普通列車≫
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12時53分発、普通列車 米子→新見で、115系2両編成のワンマン運転です。この列車は、平日については出雲市始発となります。
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伯備線の隣駅は、「足立」(伯耆大山側)と「新見」(倉敷側)です。

/ 13時12分発の新見行を振り返って見送ります。

≪伯備線 普通列車・ワンマン車≫
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11時30分発、普通列車 新見→米子は、キハ120形が使用されており、日中のこの1本(827D)と帰り便(826D)は気動車による単行運転が行われていました。
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米子行は、11時26分から4分停車で、対向の特急「やくも12号」に道を譲ります。

/ 2番ホームから伯耆大山側を眺めています。伯備線の1番ホーム(右=岡山方面)と2番ホーム(左=伯耆大山方面)で、2番ホームは一線スルー化されており、基本的に特急列車は2番ホームを通過します。

≪特急 やくも≫
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11時20分頃、特急「やくも7号」出雲市行が、一線スルーの2番ホームを通過していきます。

1982(昭和57)年、381系特急形車両が「特急やくも」を担当してからちょうど40年になりますが、2026年をメドに新型車両(273系)の導入が予定されています。
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11時35分、特急「やくも12号」が出雲市から岡山へ向かいます。この駅で米子行の普通列車(キハ120)と行き違いをします。

/ 12時20分頃、出雲市へ向かう特急「やくも9号」が遅れ気味で通過します。


≪駅と駅周辺の眺め≫
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1番ホームから岡山側を眺めています。右奥が3番ホームで、左2本が保線用のレールです。

晩秋の11月に訪れましたが、駅周辺の山の斜面の色が変わり、人里の広葉樹が赤や黄色に色づいています。駅の右側にある竹林の緑の濃淡が彩りを添えており、一年で一番綺麗な時期に訪れたようです。
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トンネル手前の踏切から駅方向を眺めています。芸備線(左)のレールはここで分岐した後、広島県との県境に向けて左へカーブしていきます。

/ 山間部にありながら、伯備線と芸備線が分岐する駅構内は平坦で広い敷地です。幹線の伯備線とローカルな芸備線は一見して判別できます。
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「踏切あり」の道路標識が「電車」ではなくて「蒸気機関車」だったのが、ベストチョイスだと思いました。

/ 駅からトンネル手前の踏切に向かう道路です。この辺りで最も赤い色づきが鮮やかだった場所です。
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2番ホームには伯備線の「72kmポスト」がありますが、1983(昭和58)年に井倉-石蟹間が経路変更で1.2km短縮となり、現在は倉敷から70.8kmの地点になります。

/ 保線レールの脇には、黄色が鮮やかな広葉樹が枝を伸ばします。
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1番ホームの裏側には保線用のレールがあり、奥の方に保線用車両が格納されています。

/ トンネル付近を散策していた時に、特急「やくも14号」が岡山に向けて通り過ぎます。

近年、芸備線の存続問題が報じられていますが、この自然豊かな終点駅が、いつまでも終点駅であり続けることを願っています。

京阪電気鉄道 中之島線の終点駅

(2019年1月)

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9時38分、中之島線へ直通運転する普通電車が到着しました。

中之島線は一般車のみの運転で、3000系(2代)や8000系は乗り入れないことから、テツ活動中にも「地味な路線」の印象がありました。

2031年を目処に終点駅の中之島になにわ筋線の開業が予定されており、また、中之島の先へ延伸計画があり、九条・西九条やその先への延伸案、阪神との相互直通運転の話も出ているようです。
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天満橋駅ビルの地下部分に駅があり、ビル内には京阪シティモールが同居しています。

天満橋筋の通りを挟んだ反対側に、大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)があり、京阪電気鉄道の本社事務所の所在地となっています。

駅は1910(明治43)年に開業。中之島線は中之島-天満橋間3.0kmで、日中は毎時4~5本運行。(引用:Wikipedia)
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この駅は、1910(明治43)年に京阪本線の大阪側の終点駅として開業しており、1962(昭和37)年に京阪新本社ビルが完成しています。

その翌年、京阪本線がこの駅から淀屋橋まで延伸開業が開始し、2008(平成20)年に中之島線(天満橋-中之島)が開通し、両線が分岐する駅に変わっています。

≪中之島線≫
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9時34分、中之島発の普通・三条行です。

中之島線ホームの向かい側は上り(1番ホーム)で、この駅から京阪本線に乗り入れていきます。手前側は下り(2番線)で、京阪本線から直通運転で中之島へ向かいます。
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中之島線の隣駅は「なにわ橋」(左)です。/ 2番ホームは中之島方面ののりばです。
/ 同ホームに中之島行が到着しました。
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2番ホームの出町柳側を眺めています。発車案内板に「普通」の表示が多く、何となく残念な運行状況です。

/ 一般車両のカラーリングは、レスト・グリーン(上)とアーバン・ホワイト(下)にフレッシュ・グリーンの帯が巻かれています。2013年に塗色変更され、見慣れてきた感があります。

≪京阪本線≫
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見慣れた優等列車が到着すると、つい顔がほころんでしまいます。やはり京阪本線には「京阪特急」という華があり、通勤路線と観光路線のバランスが絶妙の感じがします。

≪京阪特急の導入経緯≫
京阪本線は曲線が多く、大阪-京都間の移動において競合路線より所要時間が長いですが、転換クロスシート採用の料金不要の特急運行を開始し、JR新快速や阪急と差別化を図っています。
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2番ホームには、「淀屋橋ゆきは、4番のりばから発車いたします。」の誤乗防止の表示があります。
/ 淀屋橋方面の発着ホームは、優等列車用8000系が運行されるなど活気が感じられます。
/ 京阪本線の隣駅は「北浜」(淀屋橋側)と「京橋」(出町柳側)です。

≪地下駅の様子≫
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2008(平成20)年に中之島線が開通し、1、2番線は中之島線方面、3、4番線は淀屋橋方面の乗降ホームが並びます。

京橋-天満橋の地上区間で中之島方向と淀屋橋方向の方面別複線となるため、ホームの側近では中之島と淀屋橋の方向がセパレート化されています。


≪ここから、ここへ≫
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「京阪開業90周年」を記念するとともに「中之島新線の早期事業化」を願い、ここに制作したとあります。中之島新線が都市部活性化に大いに寄与することを期待するものとして、大阪府出身の造形作家・今井祝雄氏が制作しています。

先覚志茲成
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駅構内には「先覚志茲成」(先覚の志 ここに成る)の石碑があります。「当社始めての地下鉄線の開通に当って、当時の京阪社長が創業以来の先輩の宿願である大阪都心部との直結を果す」という文意を定めて自筆で描いたもので、地下線入口の工区を受持った銭高組が寄贈したと記されています。

≪天満橋≫
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天満橋は、大阪市を流れる大川に架かる天満橋筋の橋で、難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称されます。上下階式構造の橋で、上層は「天満重ね橋」とも呼ばれ、土佐堀通をまたぐ跨道橋になっています。天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋と言っています。(Wikipediaより)

能勢電鉄 妙見線の終点駅

(2019年12月)

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12時23分発、1番ホームに停車中の普通・山下行(2両編成)です。

阪急電鉄・宝塚線との乗換え駅である川西能勢口では、この駅に向かう妙見口行の電車と、山下駅で分岐する日生中央(日生線)へ向かう電車が交互に発車しています。

この駅からは、川西能勢口へ直行する電車と、区間運転で山下までの電車が交互に発車します。区間運転の山下行に乗車して、終点の山下で日生中央から来た電車に乗り継ぐ形で、川西能勢口へ向かうことが出来ます。
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妙見山への玄関口で、能勢妙見堂への参拝客が多く利用する駅です。ここから徒歩20分ほど先にケーブル駅があり、ケーブルとリフトを利用して頂上に向かうことが出来ます。

駅は1923(大正12)年の開業。妙見線は川西能勢口-妙見口間12.2kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)
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山寺の玄関口というと、参拝のための終点駅の気配があります。/ 大阪府内で最北端に位置する駅で、標高はおおよそ192mあります。能勢電に乗ってここまで来ましたが、12月の終点駅はこんこんと冷えていました。
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隣駅は「ときわ台」です。 / ほとんどの電車が停車する1番ホーム。車止めの横奥に改札口があります。

≪妙見線≫
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12時21分、山下から区間運転の5100系電車が到着しました。

5124F(2両編成)は、むかし在籍した50系電車の白と青のツートンカラーの出で立ちです。この電車が、途中の山下までの区間運転を担当します。
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12時11分、川西能勢口から普通電車が到着しました。

使用されている3100系は、1978(昭和53)年に親会社の阪急電鉄で新製され、1997(平成9年)に能勢電鉄で運用を開始していますが、昨年4月、老朽化のために廃車されてしまいました。
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12時14分発、1番ホームに停車中の普通・川西能勢口行(4両編成)です。 / 12時11分に到着した電車は、3分停車の後、川西能勢口に向けて折り返していきました。

≪駅の様子≫
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2番ホームの脇には、留置線が1本あり、保線用車両が留置されています。
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川西能勢口側からの駅全景です。留置されている保線車両は、両端に動力車が連結されてプッシュプル状態です。

/ 1番のりばから付近の住宅に目を移すと、風情のある山里のお宅が眺められました。

≪駅からの眺め≫
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1923(大正12)年、能勢電気軌道(能勢電鉄の前身)によってこの駅が開業しています。開業当初は能勢妙見の参詣客輸送に加えて、沿線で産出される三白(酒、米、寒天)と三黒(黒牛、栗、炭)などの特産物の輸送を目的としていました。

現在は、阪急阪神東宝グループの一員として沿線のニュータウン化に対応しつつ、阪急梅田へ直行する特急「日生エクスプレス」が通勤路線を印象づける最大の特徴です。

近畿日本鉄道 生駒線の終点駅

(2019年2月)
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8時55分、けいはんな線の電車が到着しました。この電車は、学研奈良富美ヶ丘→長田(近鉄・けいはんな線)と長田→コスモスクエア(大阪市高速電気軌道・中央線)を直通運転し、全線を42分で走破します。

画像は、大阪市高速電気軌道20系で、1984(昭和59)年から製造が開始され、現在も活躍中です。
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2014年に生駒駅前の再開発が一段落し、複合商業施設「ベルテラスいこま」が誕生しています。

生駒駅は生駒山地の麓に位置しており、新生駒トンネル(全長3,494m)の奈良県側の坑口からすぐの所にあります。駅周辺は起伏や傾斜のある地形ですが、ペデストリアンデッキによって駅と各施設が上手くリンクされています。

駅は1914(大正3)年開業。生駒線は王寺-生駒間12.4kmで、毎時3~7本の運行。(引用:Wikipedia)
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奈良線・生駒線は赤色帯表示の改札口で、けいはんな線は緑色帯表示の改札口です。

奈良線・生駒線は、主要な近鉄線線区で採用されている「1500V・架線方式」ですが、けいはんな線では中央線(大阪メトロ)と相互直通運転を実施することから「750V・第三軌条方式」を採用しています。

≪生駒線≫
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9時48分発、6番ホームに停車中の普通・王寺行です。

生駒線は一部が複線区間になっており、終日とも普通列車のみの運転です。現在はワンマン対応車の1021系・1031系4両編成が使用されています。
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9時48分、5番ホームの王寺行と、4番ホーム(奥)の奈良線車両が並びます。 / 9時47分、5、6番ホームに生駒線の2つの編成が停車中です。
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生駒線の隣駅は「菜畑」です。
/ 6番ホームの先は車止めで終わります。
/ 4番ホームから停車中の「普通・尼崎行」と、5番ホーム(右)の「ワンマン王寺行」が並びます。
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5番ホーム(生駒線)から王寺側を眺めています。生駒線のレールがカーブしながら構内に進入し、隣の奈良線4番ホームと並行になるように配置されています。

/ 王寺から到着した生駒線の電車を6番ホームから眺めます。到着電車は5番ホームに進入します。
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1927(昭和2)年、信貴生駒電鉄が王寺-生駒間を全通した際、生駒線はこの駅に乗り入れを開始しました。1964(昭和39)年に信貴生駒電鉄は近鉄に吸収合併され、近鉄としての生駒線が始まりました。

≪奈良線≫
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8時51分発、3番ホームに停車中の普通・東生駒行です。この列車は尼崎(阪神)始発で、全行程を1時間4分で走破します。
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奈良線の隣駅は「東生駒」(近鉄奈良側)と「石切」(布施側)です。 / 4番ホームの快速急行・神戸三宮行(手前)と5番線ホームの生駒線の電車(奥)です。
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8時46分発、4番ホーム後方からの快速急行・近鉄奈良行です。

/ 8時51分発、快速急行・神戸三宮行は、デポ形復刻塗装の茶色い5800系(5802F)での到着です。
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9時38分発、阪神1200系が尼崎に向けて発車します。手前は生駒線5番ホームで、ホームの先までレールが続いており、先の方に4番ホーム(奈良線)への渡り線が見えます。

≪けいはんな線≫
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9時31分発、コスモスクエアへ向けてトンネルに進入していきます。使用車両は近鉄7000系で、1984(昭和59)年から製造されています。(画像は7005F)
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9時5分、この駅止まりの電車(7004F)です。
/ パールホワイトの地色に、ソーラーオレンジとアクアブルーの帯が明るい印象の近鉄車両です。
/ けいはんな線の隣駅は、「新石切」(長田側)と「白庭台」(学研奈良富美ヶ丘側)です。
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8時46分、2番ホームに停車中の大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)の24系電車です。

/ 大阪メトロ20系は、2025年の大阪万博開催に向け、来年導入予定の新型車両400系と置き換えが予定されています。

≪駅からの眺め≫
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左側の「新生駒トンネル」(全長3,494m、奈良線)は、1964(昭和39)年、奈良線に大型車両を導入するにあたり、より断面の大きいトンネルを目的として完成しています。

右側のけいはんな線 「生駒トンネル」(全長4,737m)は、生駒駅と奈良県側のトンネル坑口が近いため、奈良線で使われていた旧「生駒トンネル」の生駒駅側395mの部分が再利用されたそうです。

/ (新)生駒トンネルを出る地点はホームからすぐの場所で、振り返るとホームです。
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けいはんな線2番ホームから学研奈良富美ヶ丘方向を眺めています。気持ちよく先まで延びるレールは「東生駒」まで、奈良線とけいはんな線が並走します。

この駅は、島式ホーム3面6線(生駒線1面2線、けいはんな線1面2線、奈良線1面2線)の構成です。近鉄3路線のすべての定期旅客列車が停車するこの駅は、奈良県にある近鉄電車の交通の要衝と言えます。

≪ベルテラスいこま≫
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駅北側の市街地再開発事業により、2014年に複合商業施設「ベルテラスいこま」が完成しています。ここには近鉄百貨店も出店しており、周辺と一体感のあるお洒落な店舗を構えています。

平成筑豊鉄道 田川線・伊田線の終点駅

(2006年12月、2018年12月・2020年1月)
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11時24分発、直方から行橋へ向かう列車です。この列車は、伊田線(直方→田川伊田)と田川線(田川伊田→行橋)の全線を1時間33分で走破します。

400形気動車は2007(平成19)年から2010年にかけて12両が製造されています。403号車は、黄色の地に青色、緑色、空色の斜めストライプが施されており、「なのはな号」の愛称で呼ばれています。
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現在の駅ビルは、1990(平成2)年に完成した鉄骨3階建ての洋風建築です。2016(平成28)年、田川市がJR九州から駅舎を購入し、2019(令和元)年に再整備が完了しています。

/ 2018年の訪問の時は、再整備の真っ最中でした。

駅は1895(明治28)年の開業で、1989(平成元)年に田川線と伊田線はJR九州から平成筑豊鉄道へ移管。

田川線は行橋-田川伊田間26
.3kmで、毎時1~2本の運行。伊田線は直方-田川伊田間16.1kmで、日中は毎時1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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2020年に訪問したときは綺麗に駅に仕上がっていました。 / 改札は1ヶ所ですが、JR日田彦山線は改札の右側、平成筑豊鉄道(田川線、伊田線)は改札の左側を通行します。

1895(明治28)年、この駅は豊州鉄道(初代)の「伊田駅」として開業しています。

≪路線の開通年≫ 
※伊田=現 田川伊田、後藤寺=現 田川後藤寺
1895(明治28)年 行橋-伊田(現 田川線) 開業
1896(明治29)年 伊田-後藤寺(現 日田彦山線 夜明側) 開業
1899(明治32)年 直方-伊田(現 伊田線) 開業
1957(昭和32)年 香春-伊田(現 日田彦山線 小倉側)開業

≪田川線・伊田線≫
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13時31分発、直方から行橋へ向かう列車です。407号車は、沿線に工場があるマクセルのラッピング仕様でしたが、昨年契約が終了しています。
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11時1分発、行橋から金田へ向かう列車です。412号車は開業時の外装カラーで、当時使用されていた旧型車の面影を感じます。

行橋からの列車(手前)と、行橋へ向かう列車(奥)の交換シーンです。手前の410号車は、沿線自治体等のマスコットが描かれた「つながる号」仕様です。
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11時24分発、行橋からの列車が到着しました。500形気動車は2008年に501号車の1両が製造され、内外装をレトロ調に仕上げ、転換クロスシートが装備されています。「へいちく浪漫号」の愛称があります。
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平成筑豊鉄道のホームは1番(行橋方面)と2番(直方方面)です。現在は単行運転ばかりですが、昔の名残で長いホームのままです。

/ ホームには「炭坑節発祥の地」の看板がありました。「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ」の有名な一節で知られ、現在の田川市が発祥と言われています。もともとは盆踊りでなく、炭鉱労働者によって唄われた民謡でした。(ウィキペディアより)
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平成筑豊鉄道(へいちく)の隣駅は、「上伊田」(田川線)と「下伊田」(伊田線)です。

/ 行橋(田川線)発、及び、直方・金田(伊田線)発の列車は、大半が相互の路線に乗り入れていますが、始発・最終や朝夕ラッシュの時間帯で、伊田線側から到着して折り返し運転となる設定があります。

≪JR 日田彦山線≫
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14時24分、小倉行が到着しました。国鉄時代に登場したキハ40形は、のどかな筑豊地区にピッタリだと思いますが、車齢が古いのでいつまで活躍できるか心配です。
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もともと、伊田線、田川線はJR九州から平成筑豊鉄道へ転換された路線です。平成筑豊鉄道とJR日田彦山線のホームがかなり離れていますが、石炭輸送が盛んだった頃は、この間に貨物列車用の側線が多数敷設されていたようです。
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JR・日田彦山線の隣駅は、「田川後藤寺」(添田側)と「一本松」(小倉側)です。

/ 日田彦山線のホームは、3番(小倉方面)と4番(添田方面)です。4番ホームの横に側線が1本あります。

≪筑豊・北九州ラウンドトレイン≫
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13時58分、DE10形ディーゼル機関車のプッシュプル列車が、田川後藤寺方向に向けて通過していきました。後で確認してみると、直方-門司港-採銅所-田川後藤寺-直方のルートです。

「SL人吉」で使用されている50系客車は、1970年代後半に筑豊本線で初めて運転を開始し、2001年に廃止された時の最後の活躍の場が同線だったことから、それに因んで観光列車が運転されたようです。

≪駅からの眺め≫
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3番ホームから田川後藤寺方向を眺めています。日田彦山線が通る左側は、三井田川鉱業所伊田竪坑だった場所で、現在は「田川市石炭・歴史博物館」になっています。
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2番ホームから行橋方向を眺めています。平成筑豊鉄道の隣駅である上伊田の手前までは、JR日田彦山線との共用区間となっています。

≪車内からの眺め≫
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2006年12月、日田彦山線で小倉から田川後藤寺へ向かった時の車窓風景です。田川市がJR九州から駅舎を購入する前で、駅舎の壁が白色だった頃です。

≪上伊田-田川伊田≫
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田川線の列車が上伊田駅に停車中の画像で、すぐ横を日田彦山線(左)が並行しています。上伊田駅は田川線だけの駅で、ホームがあるのはこちらだけです。(列車後方)
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田川線の列車が上伊田から田川伊田へ向かっている途中の眺めです。上伊田駅を発車すると、左から日田彦山線が合流し線路の共用区間に入ります。(列車後方)

/ 上伊田-田川伊田間1.4kmの田川伊田のすぐ手前に、彦山川に架かる橋梁があります。共用区間なので単線の橋梁です。(列車前方)
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橋梁を渡り切ると、すぐに田川伊田駅です。ここで供用区間は終わり、真っ直ぐの日田彦山線と分かれて、平成筑豊鉄道は右へ進みます。(列車前方)

≪田川線 油須原駅≫
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行橋から田川伊田方面へ向かう列車で、油須原駅に停車しました。対向列車と行き違いをするために数分間の停車です。この駅は1895(明治28)年に開業していますが、現存する木造駅舎は開業時からのもので、九州内では最古級の駅舎です。

今年2月のへいちくネットに「この駅舎を開業当時の状態に近づけるべく復元工事を行った」という記事があります。腕木式信号機も残されており、次回はゆっくり訪問してみたいと思います。

広島電鉄 宮島線・本線の終点駅

(2020年1月)
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9時43分、広島港(3号線)から電車が到着しました。使用されている1902号(1900形)は元京都市電で、現在でも京都時代の面影が多く残っています。

1900系は、1957(昭和32)年に京都市電として新製され、京都市電が全廃後、1978(昭和53)年から広島へ15両が転入しています。
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2001(平成13)年、市内線の己斐電停を宮島線の広電西広島駅に統合しています。その際に、現代的な駅舎に改築されています。

駅は1912(大正元)年開業。宮島線は広電西広島-広電宮島口間16.1kmで、日中は6~7本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅前にある「KOI PLACE」。広場を中心とする憩い・くつろぎ・交流の新拠点「コイプレ」は、広場やコミュニティ施設に加えて、イベント開催もあるようです。市内線の昔の電停名「己斐=こい」に掛けています。

/ 駅構内は全体的に新しいイメージですが、商店の隙間を抜けるような駅からの通路も残っていて、新旧の面白い空間です。

≪宮島線≫
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9字42分、宮島口方向から広島駅行(2号線)が到着。5200形(5201編成)は、2019年に6編成が新製され、宮島線を中心に使用されています。
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9時37分、広島駅→宮島口(2号線)が3番ホームに停車中。5100形(5101編成)は、2012年に新製された国産初のフルフラット超低床電車です。この5101編成は宮島線で使用されますが、他の編成は宇品線(1号線)で使用されています。

/ 9時35分、宮島口→広島駅(2号線)が到着。3900形(3908編成)は、1990年~1996年に8編成が新製されています。
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10時14分、3955編成が市内線方向へ回送表示で動き出します。3950形(3955編成)は、1997年に6編成が新製されています。

10時15分、宮島口→広島駅(2号線)が到着。3800形(3905編成)は、1987年に9編成が新製されています。


広島電鉄 本線(市内線)の終点駅
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9時45分、広島港(3号線)から到着した1902号は、4番ホーム(左=乗車用)と5番ホーム(右=降車用)に入線して折り返していきます。
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10時ちょうど、広島港行の1914号が併用軌道に進入し、右へカーブしながら走り去っていきます。

/ 駅構内から広島駅方向を眺めています。駅が改築される前は、画像の電車の辺りに市内線の昔の「己斐電停」があったようです。当時は市内線と宮島線を直通運転する電車だけがこちら側の高床ホームに入線していました。

本線(市内線)は広島駅停留場-広電西広島間5.4kmで、日中は6~7本の運行。(引用:Wikipedia)
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大きな屋根が特徴の駅は、明るく開放感のある駅です。宮島線と市内線の直通運転とそれぞれの方向への折り返し運転の番線が機能的に配置されています。
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同時に6本の電車が収納でき、すべて低床対応になっています。

1番ホーム=宮島線折り返し(左端)
2番ホーム=宮島線から市内線へ直通
3番ホーム=市内線から宮島線へ直通
4番ホーム(乗車)&5番ホーム(下車)
6番ホーム=市内線&宮島線 朝夕折り返し
7番ホーム=(臨時)市内線折り返し


≪駅からの眺め≫
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駅を発車した市内線の電車は併用軌道に出て、太田川放水路を跨ぐ橋を渡っていきます。
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駅から宮島口方向を眺めています。この駅は軌道線と鉄道線が接続する特徴的な駅で、こちらの宮島線側は鉄道線として終点まで専用軌道が続きます。

超低床車両の導入によりバリアフリー対応のみならず、宮島線から市内線への直通運転や、宮島線車両の市内線での活用が容易になっているようです。

≪JR 西広島駅≫
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駅前広場「KOI PLACE」と向かい合わせで、JR西広島駅があります。こちらは1897(明治30)年の開業で、開業当初は「己斐」(こい)駅でした。

≪広電西広島駅の歴史≫
1912(大正元)年  市内線の己斐電停 開業
1922(大正11)年 宮島線の己斐町駅 開業
1931(昭和6)年  己斐町駅から西広島駅へ 改称
1962(昭和37)年 市内線と宮島線の直通運転 開始
1969(昭和44)年 西広島駅が広電西広島駅 改称 
2001(平成13)年 己斐電停を広電西広島駅へ統合





≪(昔)広電西広島駅≫
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1975(昭和50)年7月、広電西広島駅1番線の1078(1070形)です。停車中というより、パンタが降ろされているので留置中といったところです。

1938(昭和13)年、京阪神急行(阪急の前身)で新製された電車で、当初は宝塚線に導入されています。1967(昭和42)年に2両編成×4本が広島電鉄に転入し、1988(昭和63)年に老朽化と高床車両の全廃方針により全車が廃車されています。

当時、宮島線ではこれらの高床車を使用していたので、ホーム面が高くなっていました。現在は低床車を導入しており、2001年の駅舎改築の際には低床用ホームに改められています。

JR九州 長崎本線(長与支線)の終点駅

(2020年12月)
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11時35分、長崎から博多に向かう「かもめ18号」です。次の停車駅である諫早に向けて走り抜けます。先頭車の車体に「BM-1」の表示が見えることから、南福岡区所属の787系第1編成で、博多側が「クモハ786-1」のようです。
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1898(明治31)年、九州鉄道により諫早-長与間が開業した際にこの駅が開業しています。旧線(長与支線)は、トンネル径が小さいために電化が出来ず、長崎本線で唯一の非電化区間です。

1972(昭和47)年、旧線よりも6.7km短縮された全線電化の新線が開通。特急「かもめ」と快速「シーサイドライナー」は新線経由です。

駅は1898(明治31)年開業。長崎本線(長与支線)は喜々津-浦上間23.5kmで、1日17本の運行。(引用:Wikipedia)
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隣駅は「西諫早」(長崎本線・上り)、「市布」(長崎本線・下り)と「東園」(長与支線)。

/ この駅には、単式ホーム(右=駅舎側)と島式ホーム1面2線(左)の3線が配置されています。

≪長崎本線(長与支線)≫
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11時49分発、各駅停車 長崎→竹松(長与経由)です。車両の前面が真っ黒で、車両前面の輪郭部と前照灯の周りにLED球が配置された新型車両「YC1」と出会い、事前に新車情報がなかったのでビックリしました。

旧線(長与支線)に入線するためでしょうか。新製車両でありながら、車体側面の裾が絞られていないストレートなボディです。

≪長崎本線≫
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10時38分、長崎側から特急「かもめ16号」が接近してきました。885系は、2000(平成12)年に登場した振り子式特急車両で、デザインはお馴染みの水戸岡鋭治氏が担当しています。
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10時9分、普通列車の長崎行です。この列車は電車運転ですので本線(新線)を経由し、非電化の大村線方面への運転はありません。

/ 11時13分、特急「かもめ11号」がこの駅を通過。長崎へ向かいます。

≪長崎本線(大村線直通)≫
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10時21分発、快速「シーサイドライナー」長崎→佐世保が到着しました。

昨年、キハ66、キハ67形は全廃となり、「シーサイドライナー」塗装の同型を見ることは出来なくなりました。個人的な感想ですが、一般形と急行形を折衷した設計コンセプトだったことから、長い間、快速運転に使用されていたことは最適な任務だったように思います。

≪キハ66、キハ67形≫
1974(昭和49)年に登場した気動車で、2両編成✕15本が製造されています。新製当初は筑豊・北九州地区に配属されましたが、2001(平成13)年、筑豊・篠栗線の電化により長崎地区へ転属しています。2021(令和3)年、YC1系ハイブリッド気動車の導入により、全車廃車となっています。
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11時46分発、快速「シーサイドライナー」長崎行が到着しました。

≪キハ200系≫
キハ200系は、1991(平成3)年に登場したJR九州が製造した一般形気動車ですが、2021(令和3)年、YC1系ハイブリッド気動車の導入により、全車が他線区へ転属しています。先頭車は「赤」色です。
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長崎行の列車を見送ると、2両編成の後方の車両は「シーサイドライナー」の青色でした。男鹿線のEV-E801系電車のような演出の青&赤の2両編成です。

/ 11時27分発、快速「シーサイドライナー」佐世保行は、この駅で最後に出会ったキハ66、キハ67形です。静寂が広がる駅構内に、大出力エンジンの迫力あるサウンドが響いていました。
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10時42分発、快速「シーサイドライナー」長崎行です。

私が訪れた時は、キハ66・キハ67系、キハ200系の運行終了前で、YC1系の運行開始後でしたので、3系列の「シーサイドライナー」が確認できました。
 
≪YC1系 ~やさしくて力持ち~ ≫
YC1系は、2018(平成30)年に導入されたJR九州初のハイブリット式気動車です。形式名の「YC」は、「Yasashikute Chikaramochi」の頭文字なのだそうです。

今後、JR九州の非電化路線については、
燃料消費とメンテナンスの両コストの削減を目指して、ディーゼル・エレクトリック方式を標準とするようです。

≪駅からの眺め≫
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2番ホームから諫早側を眺めています。戦後に運行が始まった首都圏、関西圏からの夜行列車「さくら」「あかつき」などがこの駅を駆け抜けましたが、現在では九州内の昼行特急が走るのみです。
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1番ホームから諫早方向を眺めています。田舎の駅でありながら、幹線の面持ちのある立派な駅です。

/ 2番ホームから長崎方向を眺めています。青い「シーサイドライナー」から黒い「YC1」に変わり「地味でECOな車両が行き交う駅に変わるだろう」と訪問後の想像です。
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2、3番線ホームの長崎側を眺めています。右への分岐が旧線(長与支線)、左が本線です。今秋、武雄温泉(佐世保線)-長崎(長崎本線)間に西九州新幹線が開業する予定ですので、この界隈の今後の変化が気になるところです。




≪(昔)キハ66、キハ67系≫
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1981(昭和56)年3月、鹿児島本線(黒崎-折尾)で撮影したキハ66、キハ67形です。現在の愛称である「福北ゆたか線」の短絡線を北九州から直方方面へ向かう列車で、キハ
55系気動車などと組成された5~6両編成です。

1974(昭和49)年から翌年にかけて2両編成(キハ66+キハ67)✕15本が製造され、筑豊本線・篠栗線を中心に使用されました。2001(平成13)年、筑豊地区の電化に伴い長崎地区へ転属しましたが、YC1系の登場により、昨年 全廃となっています。

山陽電鉄 網干線の終点駅

(2021年1月)
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2番線に停車中の飾磨行です。網干線では最新の新造車両6000系が使用されており、その形式の「6000」が組み込まれた第1編成と対面できました。

関東エリアは「1」から採番する鉄道会社が多いので、「0」からの採番に少し戸惑いがあります。
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1面2線の頭端式ホームは右奥にあり、ホームからのスロープを通り、駅舎内の改札へ続きます。改札を出ると路線バスやタクシーが発着する駅前ロータリーになります。

開業時の駅は現在より100mほど西にあったようですが、1990(平成2)年に現在の位置へ移設したため、その分、網干線の営業距離が短くなっています。

駅は1941(昭和16)年開業。網干線は飾磨-山陽網干間8.5kmで、毎時4~5本の運行。(引用:Wikipedia)

≪網干線≫
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13時27分、飾磨行の発車シーンを飾磨寄りの線路脇(駐輪場)で撮影しました。島式ホーム1面だけなので、発車シーンを何回か撮っていると、同じ構図ばかりになってしまいます。新造車の車両側面の様子もわかり移動作戦は大成功です。
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車体側面には「朝日をイメージしたグラデーション」が描かれて、暖色系の4色帯が、新しい「山陽電鉄」のイメージを引き出すようです。

/ 日中は毎時4本の運転で、右側の2番線のみの使用です。
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網干線は支線内での折り返し運転のため、飾磨との間を行き来します。/ 隣駅は「平松」です。
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1番線(左)、2番線(右)とも、レールはホームの先で終わっており、その先に改札口が配置されています。
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6000系の車体はアルミニウム合金製で、コーポレートカラーの赤(イノセントレッド)がしっくり馴染んでいます。

/ 6000系は2016(平成28)年から営業運転を開始し、毎年2~3編成ずつ増備されているようです。
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改札からスロープが真っ直ぐ伸びており、ワンマン運転でも乗客の確認がしやすそうです。

/ 姫路から岡山に至る瀬戸内沿岸には、日本のエーゲ海と呼ばれる「牛窓」や「小豆島」などがあり、この駅でも西欧的なデザインが採用されています。
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この駅の周辺には姫路市の公共施設や警察署などがあり、網干区の中心市街地となっています。また、JR山陽本線には「網干駅」がありますが、網干区の北側にあって、ここから3km程離れています。

≪駅の掲示物≫
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網干線には途中駅が5駅あり、向こう側の終点駅「飾磨」で、本線を乗換えができます。

/ 2021(令和3)年元旦の訪問ですが、初詣に際して電鉄沿線の神社や天満宮を紹介するポスターが掲示されていました。

≪車内からの眺め≫
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初めて乗車した網干線の車内からの眺めです。冬晴れの快晴の日に、最新電車のガラス越しに見る終点駅は、シンプルかつ明るい雰囲気の駅です。
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日中は2番線を使用するので右側へ進入します。 / 正面に車止めが見えて、終点駅に着いたと実感しました。

≪駅からの眺め≫
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準大手の山陽電鉄は、兵庫県の中心「神戸」と、県内第二の都市「姫路」を結ぶ路線を持ちます。すでに大阪方面への相互直通運転が開始されていることから、伊勢志摩や名古屋方面からの観光列車の直通運転をいつか実現されることを期待するところです。

≪網干線の延伸計画≫
/ 宇治川電気が鉄道運営をしていた昭和初期には、網干線を岡山まで延伸する申請を行いましたが、同時期に鉄道省でも競合ルートの計画があったために申請却下となっています。路線延伸の動きは、その後もあったようですが、現在の終点駅はここになります。

JR西日本 岩徳線の終点駅

(2020年1月)
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12時39分、錦川鉄道との分岐駅である川西からこの列車に乗り、この駅に降り立ちました。列車は1分停車で徳山へ向かいます。

列車は岩国11時21分発で岩国-徳山を1時間24分で結びます。因みに、山陽本線経由で岩国11時10分発の下関行は、同区間を1時間26分で走破します。
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「岩徳線」は名前の通り、山口県内、岩国市「岩国」と徳山市内にあるこの「櫛ヶ浜」を結んでいますが、岩徳線のすべての列車は、隣の徳山まで山陽本線に乗り入れています。

元々は、山陽本線の短絡線として計画され、旧山陽道に沿うルートで計画された経緯がありますが、現在も全線が非電化・単線で、1日11本の運転に留まっています。

駅は1928(昭和3)年開業。岩徳線は岩国-櫛ヶ浜間43.7kmで、1日11本の運行。(引用:Wikipedia)
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駅舎のある1番ホームには、山陽本線と岩徳線の4方向「列車接近表示」がありました。この駅は業務委託にて駅員が配置されています。(土休日除く)

/ 改札から入ると山陽本線下り線(1番)ホームですが、山陽本線上り、岩徳線上下方面へは跨線橋を利用します。

≪岩徳線≫
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鉄道の幹線区間は山陽本線ですが、山陽新幹線、山陽自動車道、国道2号は岩徳線と並行したルートとなっています。旧山陽道沿いは山がちな地形ですが、ゆっくりしたスピードでローカル色が濃いルートです。
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山陽本線ホームにある岩徳線方面への乗換え案内。 / 乗ってきた列車は山陽本線に乗入れて、隣の徳山駅に向けてラストスパートです。
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13時30分発、岩国(岩徳線)行です。直前に乗車してきた区間で倒木等の障害物により運行が中断、この駅で発車時刻を過ぎても運転を見合わせていましたが、約30分の遅延で出発していきました。
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この駅は1928(昭和3)年、鉄道省山陽本線の駅として開業し、1932(昭和7)年に岩徳西線(現在の岩徳線)が開業。岩徳線3、4番のりばは、当時の面影が残る柱や屋根のようです。

/ 跨線橋上にあるのりば案内には、3番ホームは周防花岡・西岩国方面、4番のりばは徳山(岩徳線下り)の表示があります。
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1992(平成4)年よりワンマン運転を開始しています。

/ 右は島式ホームの岩徳線3、4番のりば。左側は島式ホームの山陽本線上り2番のりば、ホームの反対側(画像左)は保線用レールで番線にカウントされていません。

≪山陽本線≫
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12時47分、1番のりばに「岩国→下関」の列車が115系4連で到着しました。見慣れたデザインで何故か安心して迎え入れられます。

山陽本線の115系(下関総合車両所)は、広島県内が227系に置き換えられたことから、山口県内の今後の動向が気になるところです。
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1番ホームの下関側からの駅構内です。右から駅舎側の単式ホーム(山陽・下り)、島式ホーム(右=山陽上り、左=保線用)、左奥の島式ホーム(岩徳線・上下)です。

この115系「方向幕」による行先表示は、いつまで見られることでしょう。
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2番のりば(右)の反対側は保線用レールのため、ホームにフェンスが張られています。

14時42分発、「岩国→下関」の列車です。この列車は115系2連で、手前側はモハ114を種車に先頭車化改造(1999年)を受け、切妻形状の先頭部分が特徴です。
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12時58分発、2番ホームに到着する「新山口→岩国」です。ローカルな岩徳線に負けず劣らずの山陽本線で、115系が活躍している間は昔懐かしい光景が続きます。

≪JR貨物≫
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14時32分、EF210-17が牽引する山陽本線下り貨物列車です。まずは幡生(操)まで疾走し、九州からの機関車と交代します。

≪駅からの眺め≫
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3番ホームの岩国寄りから山陽本線(右)と岩徳線(左)の分岐地点を眺めます。ホームの先はそれぞれの方向へカーブしており、その間に保線車両が収納されています。
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4番ホームから岩徳線・岩国方向を眺めています。徳山から1駅目、これから山がちな地域に分け入っていきます。

/ 岩徳線の隣駅は「周防花岡」です。
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山陽本線の隣駅は「徳山」(下り)、「下松」(上り)です。

/ 1番ホームから駅全景です。岩徳線ではキハ40、キハ47が使用されていますが、当面は車両の置換えはないようなので、引き続き、昭和時代の雰囲気漂う路線です。
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1番ホームから徳山側を眺めると、右側から岩徳線のレールが合流している地点が見えます。

岩徳線は西の御殿場線のような裏街道的存在で、山口県の都市間を結ぶ地味な存在です。過去に豪雨災害で運転が出来ない時期がありましたが、この先も再発なく、安全な運行を期待しています。


≪山陽本線の一部としての岩徳線≫
1934(昭和9)年 櫛ヶ浜-岩国(高水ルート)全通 山陽本線へ編入
1934(昭和9)年 櫛ヶ浜-岩国(柳井ルート) 山陽本線から柳井線として分離
1944(昭和19)年 柳井ルート 複線化完成
1944(昭和19)年 柳井ルートは山陽本線に再編入、高水ルートは岩徳線として分離

※高水ルート(現在の岩徳線)は勾配やカーブが多く、複線化に際しては長大トンネル(欽明路トンネル3,149m)をもう1本掘る必要があり、現在も非電化・単線路線となっています。

(櫛ヶ浜-岩国の路線延長は、山陽本線が65.4km、岩徳線が43.7km)

富山地方鉄道 上滝線の終点駅

(2020年7月)
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15時48分発、電鉄富山行です。右側に立山線の電車が見えますが、こちらは上滝線、不二越線、本線を経由していきます。隣り合う車両形式に繋がりがなく、ホームが離れているので、見た目では同じ鉄道会社とは思えない感じです。

電鉄富山からこの駅まで2つの路線があり、密かに興味を抱く乗換え駅です。この駅の訪問は初めてでしたので、上滝線と立山線のレールが繋がっているかが気になります。
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1921(大正10)年、上滝線(当時は富山県営鉄道)が先に開業しています。立山線(当時は立山鉄道)は、1936(昭和11)年になってからこの駅に乗入れています。

駅は1921(大正10)年開業。上滝線は南富山-岩峅寺間12.4kmで、日中は毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)

≪上滝線≫
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上滝線は、島式ホーム(3、4番線)を使用しており、電車が停車している側の3番線は枕木を車止めとして設置し、行き止まりになっています。

14760形は地鉄初の冷房車で、1979(昭和54)年から製造が開始され、2両編成×7本が登場しています。
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隣駅は「大川寺」(上滝線)と「横江」(立山線・下り)です。

3番線の電車が発車時刻となり、前照灯、ドアと発車準備が整いました。
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15時48分、電鉄富山行が発車しました。


現在の時刻表で電鉄富山までの所要時間を比較すると、若干、上滝線の方が乗車時間が短いようです。
上滝線経由 岩峅寺16時15分→電鉄富山16時49分(所要時間34分)
立山線経由 岩峅寺16時21分→電鉄富山16時59分(所要時間38分)
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16時16分、上滝線経由の電車が到着しました。

使用されている10030形は、元京阪3000系で10041-10042の編成は1990(平成2)年に譲渡されています。
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16時23分、上滝線経由の電車が電鉄富山へ折り返して行きます。

/ 駅に掲示されていた地鉄のポスター。元西武16010形、元京阪10030形、軌道線「レトロ電車」が3大看板電車のようです。大手私鉄のお古を使用しているので、ポスターだけを見ていると一昔前の大手私鉄です。

≪駅からの眺め(上滝線)≫
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4番線ホームから電鉄富山方向を眺めています。こちらの路線の方が先に開業しましたが、現在では裏街道的な路線です。

左にカーブした後、常願寺川を渡り、神通川との間に挟まれた富山平野をほぼ真っ直ぐ富山市街へ向かっていきます。


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4番線ホームはレールが途切れることなく、ホームの先まで延びています。

/ 3番線ホームは前述の通り、ここで行き止まりです。
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4番線ホームの横に、「保線グループ富山 岩峅寺ルーム」の札が架かっている建物があります。

/ 3番線ホームの横には、保線関係の側線が1本あります。

≪立山線≫
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16時14分着、電鉄富山から立山線経由の電車が到着しました。

このあと2分後に、同じ電鉄富山から上滝線を経由する電車が到着しましたが、ローカル路線の手厚い旅客サービスに対して、少々疑問を感じた瞬間です。
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16時23分、1番線に到着した電車は、一旦 立山側の本線に引き上げ、電鉄富山行として2番線に入線しています。

≪駅構内の様子≫
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立山線上り、2番線ホームの様子です。1936(昭和11)年、立山線がこの駅に乗入れを開始した頃の状態がそのまま残っている感じです。

/ 2番線の先に見える上滝線。上滝線が先に開業したことを知り、この駅の奥深さを知りました。
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改札口からホームに入ると立山線の1、2番線があり、構内踏切を渡った少し先に上滝線3、4番線が並びます。

/ 屋根つき通路の上滝線側から、通路の先に立山線ホームと改札があります。
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改札口から立山線の構内踏切を渡ると上滝線のホームがあります。

3番線のレールは、通路部分だけコンクリートで覆っていますが、元々は立山方面へ繋がっていたようで、上滝線の駅は島式1面2線だった形跡があります。
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駅に掲げられていた駅案内図には、4番線(上滝線)のレールが1、2番線(立山線)と繋がっているように記されています。

/ 上滝線から立山方面への直通運転をしていた頃の「のりば」案内に有峰口・本宮の表示があります。また、立山線のりば案内に「寺田経由富山」の表示があります。

≪駅からの眺め(立山線)≫
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1番線ホームから電鉄富山方向を眺めています。開業当初は、富山県営鉄道(上滝線)と立山鉄道(立山線)の別々の鉄道会社でしたが、現在も両路線が存続されていることにエールを送ります。

≪立山線と上滝線≫
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4番線ホームの立山側を眺めています。現在は上滝線から立山方面へ直通する列車はありませんが、確かにレールは繋がっていました。(右)

3番線側のレールは、通路部分だけコンクリートに覆われていましたが、現在も立山線と続いているようで、立山側には除雪用車両が留め置かれています。(左)
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立山線上り・2番線ホームから立山方向を眺めています。右側から上滝線・4番線側からのレールが合流しており、同じ鉄道会社の2路線が乗り入れるこの駅の様子が確認できました。

上滝線には、地鉄自社製車両に加えて、元京阪10030形も入線し、2011年には20級車体の16010形も入線可能となり、私個人としては意外性のある裏路線として気になります。

富山市内の軌道線との直通運転の話があるようですが、上滝線を活用したイベント列車や立山まで直通する観光列車など、裏路線「上滝線」を活性化するアイデアを楽しみにしています。

≪上滝線 遠望≫
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1960年代に立山線の存続が危ぶまれるようになり、上滝線経由で運転されていた立山行の列車は、それ以降は立山線経由となっています。

現在、上滝線の生き残り策として、行政主導で富山市内の軌道線との直通運転が検討されていますが、軌道線700形電車で試した結果、勾配の関係で上滝線の運転は不可能という結果に終わっています。


≪岩峅寺駅 歴史≫
1921(大正10)年 南富山-岩峅寺(富山県営鉄道) 開業
1921年 五百川-立山(初代・現在の岩峅寺駅付近)(立山鉄道) 開業 
1931(昭和6)年 立山鉄道が富山電気鉄道へ合併
1936(昭和11)年 立山駅(初代)を廃止、富山県営鉄道岩峅寺駅に乗り入れ開始
1943(昭和18)年 交通大統合により、県営鉄道は富山電気鉄道へ譲渡
1943年 富山電気鉄道は富山地方鉄道に改称

JR九州 豊肥本線の終点駅

(2021年6月・2023年1月)
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10時44分、「SL人吉」が6番のりばに入線してきました。

「令和2年7月豪雨」(2020年)の災害により、現在、肥薩線(八代-人吉)は不通となっているため、昨年5月からは鹿児島本線(熊本-鳥栖)での運転が始まっています。そのため、SLの向きは博多方向です。
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2011(平成23)年に九州新幹線(博多-新八代)が開通し、この駅は新幹線停車駅となっています。

2018(平成30)年に高架化が完成、2019(平成31)年に白川口(東口)の新駅舎が完成し、熊本県を代表する駅として綺麗に整備されました。(安藤忠雄氏によるデザイン)

駅は1891(明治24)年開業。豊肥本線は大分-熊本間148.0kmで、毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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在来線の改札口を入ると、1~6番のりばの案内表示があります。

/ 2021(令和3)年、白川口(東口)駅前広場の拡張整備が完成して、市交通局の駅前停留所も一体的に整備されています。

≪豊肥本線≫
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11時発、豊肥本線 肥後大津行(1番のりば)です。

使用されている815系は、1999(平成11)年の豊肥本線(熊本-肥後大津)の電化開業に合わせて、2両編成×26本が製造されています。

/ 隣駅は「西熊本」(鹿児島本線・上り)と「平成」(豊肥本線)、「上熊本」(鹿児島本線・下り)です。
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11時33分発の肥後大津行が発車し、徐々に遠ざかって行きます。高架線の在来線、九州新幹線が並び、熊本の代表駅として整備されています。

≪豊肥本線 九州横断特急≫
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11時12分、別府からの特急「九州横断特急2号」が到着しました。全行程の所要時間は3時間21分です。熊本地震の影響で豊肥本線の一部が不通となっていましたが、2020年8月から運行を再開しています。

使用されているキハ185系は、1986(昭和61)年の国鉄時代に四国地区に投入された特急形気動車で、JR移行後の1992(平成4)年にJR四国からJR九州へ20両が譲渡されています。

≪鹿児島本線 三角線乗入れ≫
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11時20分、三角線 三角からの普通列車が鹿児島本線経由で到着しました。三角からの所要時間は1時間3分です。
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折り返し、11時35分発の三角行となります。使用されているキハ140-2040(キハ140系)は馬力アップのため、キハ40-2040をベースに機関を改装・改造し改番されています。

/ 停車中の三角行はキハ140形1両での運行で、熊本駅で最もローカルな列車に見えます。

/ 三角線の列車は、今も列車行先札を使用していました。
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1番のりばの八代側に切り欠き式の2番のりばがあり、主に豊肥本線の発着に使用されます。

/ 4番のりばの八代側に切り欠き式の5番のりばがあり、主に三角線へ直通運転される列車の発着ホームとして使用されます。

/ 島式(4番と6番)の6番のりば側から5番のりばへ向かう案内表示があります。
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2023年元旦、8時6分発 熊本→三角は、キハ220-207、キハ220-208の赤色同士の2両編成でおめでたい編成です。(2023)

≪鹿児島本線≫
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11時11分発 普通列車の八代→鳥栖(4番のりば)、11時5分発 普通列車の鳥栖→八代(3番のりば)の両列車とも817系が使用されます。
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11時46分発、区間快速 八代→鳥栖(6番のりば)は、815系が使用されています。車体前面部がシルバーメタリックと赤で塗り分けられ、明るい印象の交流電車です。
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8時1分発、普通列車 八代→長洲(左)、8時2分発、普通列車 大牟田→八代(右)が並びます。(2023)

≪鹿児島本線 特急A列車で行こう≫
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10時36分発、特急「A列車で行こう1号」三角行です。途中停車駅は宇土のみで全行程の所要時間は37分です。
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使用されているキハ185系は、熊本車両センター所属のキハ185形(キハ185-4、キハ185-1012)が使用され、水戸岡氏が車両デザインを担当しています。

終点の三角駅では、最寄りの三角港からの定期航路「天草宝島ライン」と接続しており、観光特急として天草観光の利便性を高めています。

≪鹿児島本線 SL人吉≫
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10時50分発、「SL人吉」が6番のりばに停車中です。肥薩線が災害による不通が続き、運行ルートが鳥栖へ変更されています。
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熊本駅の10時台は、鳥栖に向かう「SL人吉」と、三角線「A列車で行こう」の2大看板列車の出発が続きます。

豊肥本線の「あそぼーい!」別府行は9時9分発、「九州横断特急」別府行は15時5分発です。
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JR九州の動態保存機が「何故大正生まれの58654なのか」ということを考えたことがあります。

大正時代に新製されて以来、一貫して九州域内で活躍し、廃車後も屋根付で静態保存されており、保存状態が良好だったことから少ない経費で復元でき、運転線区に制限を受けない形式ということが復元機として選ばれた理由のようですが、2007年の修繕では約4億円が投じられたようです。

≪58654≫
1922(大正11)年 日立製作所笠戸工場 落成
同年 浦上機関庫 配属
1949(昭和24)年 西唐津機関区 異動
1964(昭和39)年 若松機関区 異動
1968(昭和43)年 人吉機関区 異動
1975(昭和50)年 廃車
同年 肥薩線矢岳駅前「人吉市SL展示館」 静態保存
1988(昭和63)年 車籍復活
2005(平成17)年 運用離脱(台枠歪み、車軸焼け)
2007(平成19)年 事実上の代替新製(台枠新製、ボイラー修繕)
(復帰に際しては、矢岳で保存ボランティアをしていた方への説得に時間がかかったそうです)

≪駅からの眺め≫
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ホームの博多側から同方向を眺めています。九州新幹線とは別々の高架線ですが、上熊本駅付近までは並行しています。
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2番のりばの切欠きホーム(右)と5番のりばの切欠きホーム(左)の両者とも八代側に設置されています。 / 鹿児島本線の主要駅「熊本」は、肥薩線、三角線、豊肥本線への直通列車が発着する熊本県を代表する駅です。(肥薩線は運休中)
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ホームの八代側から同方向を眺めています。豊肥本線(左)と鹿児島本線(右)が分岐する高架線です。

令和2年7月豪雨により、肥薩線(八代-吉松)が不通となっており、多くの橋梁が流失するなどして
復旧の見通しが立っていない状況です。多額の復旧費が必要であること、元々の赤字路線であることなどから、日田彦山線のような部分廃止の可能性もあり、また「SL人吉」の本務機である58654の活躍の場が災害を受け、この先は予断を許さない状況です。


≪2002年12月 地上ホームの頃≫
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2番のりばに停車中の普通列車 銀水行(815系)です。新幹線と在来線の高架工事は、2006(平成18)年から開始されており、その4年ほど前の画像です。

改札側に単式ホームの1番のりば(画像の左側)があり、画像の右に向かって島式ホーム2面(2番と3番、4番と5番)が並びます。また、1番のりばの八代側(画像の左奥)に切り込み式の0番Aのりば、0番Bのりばがありました。




※2023年7月15日に内容を1本に編集しました。

(投稿日2022年1月22日、2023年7月15日)

阿佐海岸鉄道 阿佐東線の終点駅

(2021年12月)
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12時33分、甲浦方面からDMV93形(デュアル・モ-ド・ビークル)が到着しました。

昨年末、阿佐海岸鉄道に世界初のDMV(デュアル・モード・ビークル)が導入されています。甲浦からの列車は、この駅から路線バスとして一般道路を走行します。
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阿波海南駅にある「海陽町海南駅前交流館」は、列車やバスの待合所として使用できます。昨年末に訪れましたが、DMVの運行開始直後ということで観光客で盛況でした。

最初の駅は1973(昭和48)年に旧国鉄が開業しており、阿佐海岸鉄道は2021(令和3)年の開業。阿佐東線は阿波海南信号場-甲浦間10.0kmで、1日に13本の運行。(引用:Wikipedia)

≪ 014便 道の駅安喰温泉 → 阿佐海南文化村 ≫
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12時33分、甲浦から(列車として)普通列車が到着しました。この後、みんなが注目する地点へ進入します。

製造されたDMV93形3両のうち、緑色はDMV932号「すだちの風」と命名されています。
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鉄道走行用の鉄車輪が格納されて、車両の前部が低くなりました。バス走行用のタイヤとモードインターチェンジのガイドウェイがピッタリ収まっています。

/ 高知県、徳島県の県境地帯の鉄道路線が導入した「世界初」に対して、県や地元自治体をはじめ、地元の期待を強く感じます。
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このモードインターチェンジで、鉄道事業法による鉄道運行区間から道路運送法によるバス運行区間に変わります。運転手は鉄道用の動力車操縦者免許と、バス用の大型自動車第2種免許の両方を持っています。
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上りのバス停で客扱いを済ませて路線バスとして国道を走行、阿波海南文化村へ向かいます。

≪ 115便 阿佐海南文化村 → 道の駅安喰温泉 ≫
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国道55号線から駅構内に進入してきたのは青色で、DMV931号「未来への波乗り」です。赤色は今回ウォッチできませんでしたが、DMV933号「阿佐海岸維新」と命名されています。
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甲浦方面へ向かう路線バスが国道を通ってバス停に着きました。DMVが導入されて一週間足らずということで、各便とも満席に近い状況です。

/ 後ろから眺めると、トヨタのマイクロバス「コースター」であることがわかります。トヨタのエンブレムが光ります。
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甲浦行の列車へ切り替えるためのモード切替作業です。タイヤ走行してきて停車し、ボンネット下部からガイド用の鉄車輪が下りてきてレールに接輪します。
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ここから鉄道運行区間に入り、列車としてレール上を走行していきます。

/ 利用者の少ない路線として開業以来赤字続きとなっており、今後の経営黒字化を目指して期待が大きく膨らみます。

≪モードインターチェンジ≫
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モードインターチェンジの鉄道側。基準通りの1067mmのレール幅だとクリアランスがなく、鉄車輪をレール上にセット出来ないので、この場所でのレール幅は多少広めに設定されているそうです。
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阿佐東線は、JR牟岐線とレールが繋がっていましたが、DMV導入時にレールの接続が絶たれ、新設の阿波海南信号場で車両のモードチェンジが行われます。

≪駅からの眺め≫
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DMV方式はこの地域の公共交通機関としてだけでなく、「世界初のDMV方式」を観光資源として活用することを県レベルで公表しており、今回、室戸岬までのバス路線として1日1往復(土日祝)の運行を開始しています。

JR四国 牟岐線の終点駅

(2021年12月)
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11時38分、徳島からの普通列車が到着しました。たまたまなのか、選抜されたか不明ですが、この列車には1500型気動車のトップナンバー「1501」が任用されていました。

昨年末、電撃的に阿佐海岸鉄道でDMV(デュアル・モード・ビークル)が導入されましたが、この列車からも多数のDMV観光の乗客が下車していましたので、JR四国の運賃収入にプラス効果が生じていると思います。
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駅の敷地内にある「阿波海南駅前交流館」です。DMV方式が動き出したことを聞きつけた(私を含めた)観光客で賑やかです。

阿佐海岸鉄道とJR牟岐線の路線境界が、海部駅(高架)から阿波海南駅(地表)に切り替わりましたので、DMV方式の施設設置だけでなく、観光拠点としても適していると思います。

駅は1973(昭和48)年の開業。牟岐線は徳島-阿波海南間77.8kmで、1日に8本の運行。(引用:Wikipedia)

≪11時38分着 徳島→阿波海南≫
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11時38分着、1日8往復の運転本数ですが、日中の撮影可能な時間帯では4~5本なので貴重な1本の到着です。この後はちょうど2時間後の到着です。

≪駅の様子≫
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左側には普通運賃表があり、徳島まで1660円であることが判ります。 / 「DMV」の幟には安佐海岸鉄道の鉄道車両が描かれています。
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今まで繋がっていた阿佐海岸鉄道とのレールがホームの先で途切れており、牟岐線の終点駅がこの駅になったことを認識しました。 / ホームの裏側にはペイントされた駅名表示があり、車椅子用のスロープを兼ねた通路があります。

≪12時8分発 阿波海南→阿波川島≫
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この列車は徳島駅を通り過ぎ、徳島線阿波川島まで運転されます。全区間の所要時間は2時間49分です。
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単式ホーム1面1線のシンプルな終点駅で、ホームの上からは周辺の林や遠くの山々が眺められます。
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DMV観光の人達の写真撮影も一段落して、ホームの人影が少なくなった頃、折り返しの時刻となりました。 / 次の列車が到着する1時間半の間は、のんびりこの景色を眺めるだけです。

≪駅からの眺め≫
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室戸岬を挟んだ高知県と徳島県を結ぶ鉄道計画は、土佐くろしお鉄道・奈半利と阿佐海岸鉄道・甲浦の間が建設中止となり、JR四国・牟岐線の運賃収入の低迷が続きますが、DMV観光を目玉とした運賃収入アップを期待したいと思います。

阿佐海岸鉄道に導入したDMV方式を、一目見ようと観光目的の旅人で賑わいを見せるようでしたら、土日祝限定でこちらの阿波海南まで、特急列車の乗入れも良いかと考えます。

JR西日本 おおさか東線の終点駅

(2020年1月)
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14時36分発、JR難波から奈良へ向かう普通列車が到着しました。関東では見られなくなった201系が活躍している様子が見られて懐かしく思います。

昔、この駅の上り線と下り線の間に竜華操車場が配置されていましたが、今ではその頃の面影は全くありません。
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橋上駅舎は南北自由通路で結ばれており、北出口(左)と南出口(右)の両側に繋がっています。

駅は1910(明治43)年開業。おおさか東線は新大阪-久宝寺間20.2kmで、毎時3~6本の運行。(引用:Wikipedia)
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南口には「久宝寺遺跡の碑」があり、八尾市竜華地区には縄文時代以降の集落跡があるようです。 / 駅前のバス停には、大阪バスのエアポート・リムジンが停車中です。
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1・2番線(関西本線上り・奈良方面)と3・4番線(関西本線下り・JR難波方面)で、おおさか東線は2番線に終着し、3番線から始発となります。

/ おおさか東線の運転本数は、日中はほぼ1時間に4本です。

≪おおさか東線≫
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14時41分発、新大阪行が3番線に停車しています。この電車は、おおさか東線の全区間を走破し、反対側の終点駅である新大阪までを所要時間32分で走ります。
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201系電車は、1981(昭和56)年から量産化され、リニューアルを行いながら現在も活躍中ですが、JR西日本では今年3月に全廃を予定しています。

/ 14時9分、発車の2分前に引き上げ線から入線してきました。
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14時41分発の新大阪行を2番線から見送ります。201系の活躍もあと僅かです。

≪関西本線≫
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14時6分発、大和路快速 奈良行が2番線に停車中です。2番線は、おおさか東線の到着ホームですが、関西本線の各駅停車と快速電車の乗換え接続の際には、快速電車は2番線に停車します。
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14時36分発、快速 奈良行が2番線に停車。2番線、3番線は、おおさか東線の終着・始発ホームですが、関西本線の各駅停車と快速の待ち合わせのためにも使用されています。

/ 隣駅は、「新加美」(おおさか東線)、「加美」(関西本線・天王寺側)と「八尾」(関西本線・奈良側)です。
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3番線 天王寺側から眺めています。関西本線の普通電車(201系)が停車中。 / 「回送・試運転」表示の201系が2番線から発車。
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14時38分発、高田からJR難波へ向かう快速電車(221系)が4番線から発車します。

≪駅からの眺め≫
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2番線ホームから奈良方向を眺めています。この駅でおおさか東線の電車が折り返していくので、内側に引き上げ線があります。
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1、2番線ホームからJR難波方向を眺めています。中央2本がおおさか東線で、関西本線上り線を跨いでいきます。

元々、貨物線として敷設された路線を、旅客路線として活用するケースは関東でも見受けられます。奈良県方面から新大阪、梅田への新ルートで、他社路線との競合は繰り広げられています。


≪竜華操車場≫
元々は湊町(現在のJR難波駅)構内にあった工場・機関区が手狭になったため、久宝寺駅の上り本線と下り本線との間に1938(昭和13)年に開設された操車場です。
吹田操車場との間は城東貨物線(片町線貨物支線)、阪和線とは阪和貨物線(関西本線貨物支線)で結ばれていました。操車場に隣接して竜華機関区、竜華客貨車区が設置されていました。

1938(昭和13)年 竜華操車場 開業
1939(昭和14)年 片町線貨物支線(城東貨物線) 放出-八尾 開業
1952(昭和27)年 関西本線貨物支線(阪和貨物線) 八尾-杉本町 開業
1986(昭和61)年 竜華操車場が廃止され、竜華信号場へ移行
1997(平成9)年 竜華信号場 廃止
2006(平成18)年 跡地の再開発(久宝寺駅・バスターミナル改良、八尾市立病院の移転入、マンション)竣工
2008(平成20)年 片町線貨物支線(城東貨物線) 放出-八尾 第一種鉄道事業を廃止 / 放出-久宝寺 第二種鉄道事業を取得(大阪外環道鉄道が第一種鉄道事業者)
2009(平成21)年 西本線貨物支線(阪和貨物線) 廃止
※「竜華」の名称は、開業当時の所在地名、中河内郡龍華町に因む。






≪(昔)阪和線 EF52-7≫
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1975(昭和50)年6月、阪和線で貨物列車を牽引するEF52-7です。

私が中学生の頃、EF52形電気機関車は唯一、首都圏で見ることのできなかったデッキ型電気だったので、思い切って一人阪和線を訪れました。

当時、阪和線の貨物列車は竜華操車場から貨物線を経由するので、杉本町から天王寺側には入線しないため、阪和線でも和歌山寄りが魅力満載でした。EF52が牽引する貨物列車は、途中の停車時間が長かったので、ホームで発車を見送った後に、後続電車に乗って追っかけが出来る程でした。

その日は、竜華区で最後まで生き残ったEF52-7、EF52-2の両機の姿を見ることが出来ましたが、同年8月に全廃となり、現在7号機の方は川崎重工業兵庫工場に保存されています。

叡山電鉄 叡山本線の終点駅

(2019年1月)
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11時30分発、鞍馬行は宝ヶ池から鞍馬線へ乗り入れます。車両正面の「EIDEN」の如く「叡電」の略称があります。

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京阪電鉄 鴨東線との乗換え駅で、叡山電車は1階、京阪電車は地下1階、地下2階に駅があります。

1925(大正14)年の開業。叡山本線は出町柳-八瀬比叡山口間5.6kmで、日中は毎時8本の運行。(引用:Wikipedia)
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一日を通じて毎時8本の運転(深夜・早朝を除く)で、八瀬比叡山口行と鞍馬行(鞍馬線直通)が交互に発車します。

/ 改札口辺りには、鞍馬寺の文字の入った幕が掛けられ、鞍馬観光の出発駅としての風情を感じます。
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鞍馬線に直通する2両編成が発着する3番のりば。

/ 右から1番のりば(1両編成対応)、2番のりば、3番のりばです。新駅舎が建設されて旧駅舎はその奥に隠れてしまいましたが、ホーム側からは現存していることがわかります。

≪叡山本線≫
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10時58分、八瀬比叡山口からの単行電車が到着しました。デオ730形(731)は1988(昭和63)年にデオ300形の改造名義で製造されています。
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「ノスタルジック 731」のヘッドマークが掲出されています。 / 単行で運転される八瀬比叡山口までは所要時間13分です。
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デオ720形(723)は、新緑をイメージした黄緑色の帯を巻いています。

/ 隣駅は「元田中」です。
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デオ730形(732)は、2018(平成30)年に「ひえい」としてリニューアルされています。

これはデオ732号の車齢が30年を経過し、また比叡山・琵琶湖観光の活性化の一環によるもので、車体正面に大きな楕円形のリングが設けられ、各所にも今までにないデザインが採用されています。
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側窓は楕円形の固定窓となり、車体中央には大型の窓が設置されています。

/ ホーム周辺には「ひえい」の装飾が掲げられています。

≪鞍馬線≫
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ジャスト11時、3番のりばから鞍馬行が発車しました。

900形(901)は「紅葉を観るために乗りに来ていただく車両」として、1997(平成9)年に新製され、「きらら」の愛称を持ちます。2編成ありますが、ここちらはメイプルレッド、もう一方がメイプルオレンジの外観塗装色です。
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ガラス張りの電車を強調するような運転台上部までのガラス張りや、車体側面の上部、扉下部にも窓が設置され、展望電車として鞍馬観光の目玉となっています。
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800形(左=813、右=801)は、京阪電鉄鴨東線の開業により急増した旅客に対応するために、1990(平成2)年から2両編成×5本が製造されています。

≪駅からの眺め≫
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ホームから宝ヶ池方向を眺めています。小さ目な電車が走る叡山電車ですが、レール幅1435mmは迫力が満点な観光路線です。

≪観光路線≫
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2019年は「鞍馬線開通90周年」。 / 叡電の四季のモデルは「くらら」一色です。

京阪電気鉄道 鴨東線の終点駅

(2019年1月)

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16時32分発、快速特急「洛楽1623号」 淀屋橋行のドアが閉まりました。この車両は、ドアが閉まった時に京阪特急のデザインが完成します。

京阪特急は、特急料金不要の特急専用車両として誕生しましたが、「追加料金を払っても座りたい」という要望があったことから。6号車は有料の座席指定車両「プレミアムカー」となっています。
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京阪本線は淀屋橋-三条までの路線でしたが、1989年に三条-出町柳間が開通し、鴨東線と名付けられています。鴨東線はこの駅から三条までの全線2.3kmが地下線で建設されています。

「出町柳」は鴨川左岸の(東側)の駅周辺の地名として定着していますが、元々は出町と柳の二つの地名を合わせているそうです。この駅では京阪グループの叡山電鉄に乗換えができます。

駅は1989(平成元)年に開業。鴨東線は三条-出町柳間2.3kmで、一日を通じて多数運行。(引用:Wikipedia)
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「プレミアムカー券うりば」「京阪電車」の案内表示。 / 1月12日でしたが「正月ダイヤ」での運転です。

≪京阪特急の導入の経緯≫
阪急京都本線は、もともと新京阪鉄道として建設された路線が、戦時中に「京阪神急行電鉄」に合併され、その後、戦後の会社分離により現・阪急京都本線となりましたが、阪急京都本線は、当時より国鉄との競合が大きい路線のために高速化や新車投入などを積極的に行う必要があります。

一方、京阪本線は曲線が多く、大阪-京都間の移動において競合路線より所要時間が長いですが、転換クロスシート採用の料金不要の特急運行を開始し、JR新快速や阪急と差別化を図っています。

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沿線には、京都周辺の多数の寺社や観光名所、グループ会社が運営する「ひらかたパーク」、京都競馬場などがあり、観光路線としての一面があります。 / 叡山電車の乗り換え案内板。

≪鴨東線≫
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16時55分、快速急行 淀屋橋行が発車します。

2600系(2803)は、1978(昭和53)年に2000系の車体・台車・一部の機器を流用して誕生しています。現在は老朽化による廃車が進み、0番台は7両編成×3本が残るのみです。
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1番線に停車中の普通 中之島行。 / 大阪方面への案内。 / 終点駅の証し。

この駅は地上に叡山電車の駅施設・ホームがあり、地下1階に京阪のコンコース、地下2階に京阪のホームがあります。京阪のホームは島式1面2線で、大阪寄りに引き上げ線が1線あります。

≪鴨東線 優等列車≫
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16時18分発、淀屋橋に向けて京阪特急(8000系)が発車します。

出町柳-淀屋橋間の所要時間(現土日ダイヤ)は、快速特急「洛楽」48分(16時23分発)、通常の京阪特急56分(16時27分発)で、「洛楽」は七条-京橋間をノンストップ運転です。
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「プレミアムカー」の乗車位置。 / 「プレミアムカー」の空席状況の表示。
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快速特急「洛楽」の表示が「特急」より、格が上であることを表します。

/ 「エレガント・サルーン 8000シリーズ ダブルデッカー」のロゴが、観光列車であることを再認識させられます。
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「京阪特急」の鳩のシンボルマークが浮かび上がります。
/ 3000系の鳩マークには「コンフォート サルーン 3000シリーズ」のロゴがあります。

/ 16時48分発、3000系による特急 淀屋橋行。
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1番線に停車中の京阪特急。駅構内のあちこちに「プレミアムカー」乗車に関係する表示があり、駅自体にプレミアム感が湧いてきます。

/ 車両の側面にきめの細かい列車表示が可能です。

とれいゆつばさ1号を訪ねて
(福島駅5番線)

(2021年11月)
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2021年11月21日、福島駅10時2分発「とれいゆつばさ1号」新庄行。この列車を撮影するために5番線ホームにやってきました。

新幹線車両を使用した臨時列車「とれいゆつばさ」は福島始発で、しかも在来線ホームからの発車という超レアな発車光景が見られる列車です。

2003(平成15年)に秋田新幹線用として新製されたE3系0番台(R18編成)が、後継のE6系に置き換えとなった際に観光列車として改造され、2014(平成26)年から「とれいゆつばさ」として運行しています。

≪とれいゆつばさ 入線≫
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9時30分、奥羽本線 庭坂からの普通列車が6番線に到着。その後9時35分に「とれいゆつばさ」が回送列車として5番線に入線してきました。発車までの記念写真タイムはたっぷりあります。

「とれいゆつばさ」は、原則として奥羽本線区間のみ運行のため、在来線特急列車扱いとなります。
とれいゆつばさ1号 福島10:02→新庄12:16(所要時間2時間14分)
とれいゆつばさ2号 新庄15:00→福島17:41(所要時間2時間41分)

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新幹線初のリゾート列車「とれいゆつばさ」は、「トレイン(列車)」と「ソレイユ(フランス語で太陽を意味)」を合わせた造語により命名されています。太陽をイメージするような車体ロゴです。
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土日祝を中心に年間120日程度の運行があり、全席座席指定の列車です。6両編成の新庄側の先頭車「16号車」は足湯(くつろぎの間)となっており、デッキの外から眺めると「足湯利用券」の案内がありました。

1号車 普通車指定席 / 2号車~5号車 お座敷指定席(語らいの間) / 5号車 湯上りラウンジ(モノや人との出会いの間) / 6号車 足湯(くつろぎの間)

≪記念写真タイム≫
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回送列車が入線するや否や、早速、家族連れの人達の楽しい撮影会が始まります。乗務員、駅員や支社の応援などもあるようで、写真撮影のサポートも熱心です。
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集合写真では、JR職員の制帽を被ったボクちゃん達がご満悦でした。いつかは「電車の運転手」になりたい気持ちかな。
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職員の方には承諾を頂いての撮影でしたが、マスク姿でプライバシー保護もほぼ問題なし。

私的には、常に「スピード」実用性重視の新幹線利用の中で、初めてと言っていいほど「夢と期待」を持たせてくれた新幹線車両「とれいゆつばさ」。やっと在来線ホームからの発車シーンを目に焼き付けることができました。

「とれいゆつばさ」は車両の老朽化により、2022年3月に運行が終了する予定です。


≪きまぐれ撮影隊≫
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「福島駅」終点駅テツの撮影は2019年9月に完了していますので、今回は気まぐれ散策できます。

福島駅の留置線には、朝のラッシュ時間帯を過ぎた辺りから、2編成の電車が留め置かれていました。帯の色がちょっとだけ違うことがとっても気になりました。(後で調べたらE721系1000番台は帯がサクラ色)

≪福島県の中心駅≫
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東口で見つけた立派な木製の駅名札。 / 13時38分発、新白河行。白石から列車で到着したら1番線に停車中でした。
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2年前は時間がなくて来られなかった新幹線側の西口です。新幹線の高架部分を利用しているので、城壁のような駅ビルです。

≪在来線 標準軌≫
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9時30分、奥羽本線 庭坂からの普通列車です。標準軌で使用されている719系の走りですが、軌間が新幹線と同じということで、どっしり安定感がある感じです。
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ミニ新幹線方式の発祥の地とも言える駅で、新幹線車両と在来線車両が行き交っている風景が当たり前となっていますが、むかし、特急つばさが電気機関車の補助を得て、板谷峠を越えていた時代には想像もつかない光景でした。

≪駅からの眺め 再来編≫
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JR東北本線1番線です。10時39分発、郡山行の最後部から仙台方向を眺めています。真っ直ぐのレールの先には、右側の阿武隈急行のレールが合流しています。阿武隈急行の列車は4.7km先の矢野目信号場までJRのレールを走行していきます。

13時34分、関東方面からEH500形が牽引する貨物列車が到着しました。東北新幹線が全通後の現在もJR貨物の高速列車が遠路、東北地方を走り抜けていきます。

≪郡山行列車からの眺め≫
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郡山へ向かう列車の最後部から福島駅を見送りながら眺めると、真っ直ぐの1番線(右)、2番線(左隣)が印象的な駅構内に見えます。

関東から近くて遠い南東北の「福島駅」。この駅に現れる次なる「とれいゆつばさ」のような魅力ある列車を待ちたいと思います。

神戸電鉄 公園都市線の終点駅

(2020年1月)

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10時33分、三田からの電車が到着しました。ワンマン仕様の1500系(3両編成)が使用されています。

隣駅「南ウッディタウン」まで真っ直ぐの直線区間です。現在、都市公園線は全線が単線ですが、将来を見据えて、トンネル区間を除き、複線化用地が確保されています。
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この駅は、1996(平成8)年の都市公園線の全通時に開業し、その後、近畿の駅百選に選出されています。

駅は1996(平成8)年の開業。公園都市線は横山-ウッディタウン中央間5.5kmで、1時間に4本の運行。(引用:Wikipedia)

≪駅舎≫
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この駅とこの駅から伸びる都市公園線は、兵庫県道720号(テクノパーク三田線)の上下線に挟まれた位置にあり、内陸にいるくじらのような橋上駅舎です。

/ 県道を跨ぐ歩道橋が駅舎と繋がっています。
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天井を支える鉄骨がそのまま抜き出しで、お洒落なデザインとして活かされています。

/ 無機質な建物の壁に、オフィシャルな「神戸電鉄」の駅名表示がありました。

≪都市公園線≫
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2番線に停車中の三田行は、横山から三田線に乗入れ、所要時間12分で三田に到着します。三田駅では福知山線に乗換えが出来ます。三田までの全区間が三田市内を走行し、主要な市内の交通手段となっています。
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新しいシルバーの車体ではなく、鋼製車体に塗り分けられた塗装の方が温かみを感じます。 / 同じような場所に駅名標が並びます。下の方は子供向けでしょうか。
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日中は毎時4本で、電車が発車すると3分後には次の電車が到着するパターンです。 / 長い橋上駅舎がそのまま番線の屋根を兼ねています。

≪駅からの眺め≫
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県道を跨ぐ歩道橋の上から、車止め方向を眺めています。標高200mの駅からは、ニュータウンの奥の方に山々が眺められます。

≪ウッディタウン≫
兵庫県三田市にあるニュータウンの1つで、北摂三田ニュータウンのうち、「フラワータウン」に続き、2番目に開発が進められ。「すずかけ台」「あかしあ台」「けやき台」「ゆりのき台」の4地区に分けられます。

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陽の当たらないホームの先にレールの終わりがあります。架線の支柱と架線の終わり、車止めは日当たりと陰の切れ目の近くに見えます。将来の延伸の可能性に対応出来る構造です。
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かなり無理をしてのZOOM画像ですが、1.0km先の「南ウッディタウン駅」が見えます。

≪電車の車内からの眺め≫
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横山から乗車してきた電車の車内からの画像です。終点駅では右側の2番線に到着します。

本線の両側を県道が並走しているので、鉄道用地がゆったり確保できており、眺めもワイドです。

JR西日本 可部線の終点駅

(2020年1月)
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10時12分、広島からの普通列車が到着します。一度廃止となった延伸区間を最新の227系が走ります。

可部線は1969(昭和44)年に横川-三段峡が全通しましたが、2003(平成15)年に可部-三段峡が部分廃止。2017(平成29)年に可部-あき亀山(1.6km)が再び延伸された時は驚きを隠せませんでしたが、この辺りのベッドタウン化の様子を見れば、延伸の理由がわかります。

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かつて非電化区間の頃には、ここから3.4km離れた所に「安芸亀山駅」があったことから、この新駅は「あき亀山」と平仮名が使用されたようです。

ホームに対して直角の位置にある改札口。この駅には乗務員宿泊所があり、車両も夜間滞泊されるようです。時刻表で確認すると、4本の電車が留め置きになることが確認でき、留置線2本と2面のホームが満杯になる計算です。

駅は2017(平成29)年開業。可部線は横川-あき亀山間15.6kmで、日中は毎時2~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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鉄骨フレームにはめ込まれた駅名板は、やや平凡な感じがします。

/ 駅前にある「金亀の里 かめやま」のモニュメント。この地域の昔話に「亀介さんと霊泉」「金の茶釜」などが含まれているようです。

≪可部線≫
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10時12分に到着の電車は2両+2両の4両編成で、1番線に進入しています。
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隣駅は「河戸帆待川」です。 / ホームの幅が狭い上に、駅名標の位置が高いので、見上げるような構図になってしまいます。
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シングルアーム型パンタグラフと車体側面の連結部側の赤い帯が象徴的でした。

/ 広島都市圏(広島シティネットワーク)構想により、広島地区に32年ぶりの新型車両227系が投入されました。この車両には「レッドウイング」の愛称があります。
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10時23分発の広島行。停車しているホームが1番線で、右側が2番線です。ホーム改札口寄りの車止め側から撮りました。
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2番線に停車中の227系電車。右側に2本の留置線と柵の外側には保線用のレールがあります。

/ 広島行が2番線から発車。駅の隣接地では、可部駅周辺にある広島市立安佐市民病院を移設するための建設工事が行われていました。

≪駅からの眺め≫
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ホームと2本の留置線、保線用レールが並ぶ終点駅です。背後の山の斜面に所狭しと住宅が立ち並びます。
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まだ新しい終点駅のシンボル。 / 一度は廃線の運命を辿った路線で、延伸開業した終点駅に感慨深いものを感じます。
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可部線の可部-横川の混雑率は132%(2020年度)で、前年より10%アップしているようです。単線区間での列車交換や全駅が4両対応ということで、増えつつある利用者への対応が急がれているようです。


≪可部線の歴史(抜粋)≫
1911(明治44)年、横川-可部 開通
1936(昭和11)年、安芸亀山駅 開業
(安芸亀山駅=現在のあき亀山駅より三段峡側へ3.4kmの地点)
1969(昭和44)年、横川-三段峡 全通
2003(平成15)年、可部-三段峡 廃止
(同年 安芸亀山駅 廃止)
2017(平成29)年、可部-あき亀山 延伸電化開業

弘南鉄道 大鰐線の終点駅

(2006年11月・2019年10月)
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12時30分発、中央弘前行が4番線ホームに停車しています。右に5番線がありますが、終日にわたり4番線が使用されています。温泉最寄り駅で、JRとの乗換駅。昭和の時代を色濃く残した東北の鄙びた佇まいです。
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JR側のホームに近い南口には、弘南鉄道専用の駅舎があります。弘南鉄道のホームに行くためには、JRホームと行き来が可能な跨線橋を利用します。

/ 南口から弘南鉄道を利用する人は跨線橋を渡り、有人の北口改札で乗車券を購入します。

隣接するJR・大鰐温泉駅は1895(明治28)年に開業、弘南鉄道・大鰐駅は1952(昭和27)年に開業。大鰐線は中央弘前-大鰐間13.9kmで、朝の8時台は1時間に2本、その他の時間帯は1時間に1本の運行。(引用:Wikipedia)

≪大鰐線≫
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12時30分、中央弘前へ向けて電車発車します。北国であるがゆえ、東急から移籍した後も非冷房のまま長年使用され、東急電鉄に在籍した期間より、弘南鉄道の方が在籍期間が長くなりました。
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隣駅は「宿川原」です。 / 沿線はりんご農家が多く、「林檎畑鉄道」の愛称がつけられています。

大鰐線は、1952(昭和27)年に弘南電気鉄道の「大鰐」として開業。1970(昭和45)年に大鰐線が弘南鉄道へ譲渡された際に「弘南大鰐」へ改称されましたが、1986(昭和61)年に再度「大鰐」へ改められています。
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車体正面に色帯がないので、東急時代の原形に近い外見です。/ 陽の光が当たって、ステンレスのコルゲートが明るく輝いて見えます。

≪駅からの眺め≫
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JR側とは跨線橋で繋がっており、北口駅舎からも大鰐線の利用が可能です。奥に見える「保守用車両の格納庫」はJR側の設備と思われます。
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弘南鉄道の乗降ホームは島式1面2線です。基本的には左側の4番線が使用されています。

/ 5番線側のレールは、ホームの先の北口改札の手前で終わっています。
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正面に南口からの跨線橋を見て、左側に北口改札と運転室があります。

/ 大鰐線の本線方向を眺めています。右側からは4番線と5番線からのレール。左側は駅構内の引上線や留置線が広がります。
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右側に見えるのがJR大鰐温泉駅です。左側に見える「保守用車両留置線」を介して、弘南側の引上線とレールが繋がっているようです。

/ 南口(JR側)と北口(弘南鉄道)を結ぶ跨線橋。古い建物のようですが、内部は綺麗に保守されています。
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大鰐線の駅構内には、ラッセル車「キ105」が留置されていました。(2006/11)
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JRのホーム側から、大鰐線の本線方向を眺めています。反対側の終点駅である中央弘前駅は、弘前市内の中心部に位置していますが、他の鉄道路線との接続はなく、奥羽本線との競合関係では不利な状況です。

2017年、大鰐線は大幅赤字により廃止予定でしたが、「存続戦略協議会」を立ち上げ、沿線5市町村(弘前市、黒石市、平川市、大鰐町、田舎館村)による支援計画が実現しています。今後、限られた期間での再建を目指しますが、いつまでもこの終点駅の景色が見られることを心から願っています。

≪6000系≫
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2006年11月に訪れた時の大鰐駅です。2006年10月で大鰐線の快速運転が廃止され、6000系が予備車となった直後の画像です。(2006/11)

≪奥羽本線 大鰐温泉駅≫
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12時4分発、大館から弘前へ向かう普通列車です。秋田からの移動で、大館からはこの列車を利用してきました。
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隣接するJR「大鰐温泉駅」は、1895(明治28)年に国有鉄道の「大鰐駅」として開業し、その後、1991(平成3)年に「大鰐温泉駅」へ改称されています。
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1番線ホームから弘前方向を眺めています。駅から先、踏切と平川に架かる虹の大橋の先で、本線が右へカーブしていきます。矢立峠を越えた奥羽本線は津軽平野に入りつつ、岩木山と林檎畑を眺めながら進みます。

/ JRの隣駅は「長峰」(大館側)と「石川」(弘前側)です。
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青森から秋田へ向かう485系特急「かもしか」(2006/11)

/ 1番線ホームから秋田方向を眺めています。矢立峠を間近に、ここから先は秋田との県境に挑んでいきます。

≪大鰐温泉郷 大日如来&あじゃりん≫
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大鰐温泉郷には大円寺という寺があり、寺伝によると、本尊の大日如来(左の画像)は奈良時代に大安国寺に安置されたとされ、のちに大安国寺は衰退し、本尊の大日如来は現在の大円寺に移されています。(Wikipediaより)

/ 駅前にある鰐のマスコット像は、2006年に訪れた時にもありましたが、つい最近の2020年に町の活性化のために「あじゃりん」という愛称に決まったそうです。随分とのんびりとした土地柄です。


≪大鰐温泉郷≫
平川の清流の傍らにある、800年の歴史を持つ大鰐温泉は、古びた銭湯から近代的な旅荘が隣接する町並みです。奥羽本線大鰐駅が開業したことから、温泉場は大勢の湯治客で賑わいました。(大鰐温泉旅館組合公式サイトより)

近畿日本鉄道 天理線の終点駅

(2019年2月)
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15時37分、平端方面から電車が到着しました。大きな屋根にすっぽり覆われて、淡い白い光の中から電車が現れたようで、到着時にはすでに「普通 京都」になっています。
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この駅は駅名の通り、天理教教会本部の最寄り駅で、毎月26日の月次祭などの祭礼時には臨時列車や団体専用列車(通称:天理臨)が運転され、多数の信者が乗降されるそうです。

天理線は平端-天理間4.5km。駅は1922(大正11)年開業で、1時間に3~6本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番乗り場は天理祭月次祭などの際に使用され、通常は2番乗り場と3番乗り場が使用されます。

≪天理線≫
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1026系(1032F)が到着しました。一目で近鉄のイメージが浮かび上がる「近鉄カラー&デザイン」です。個性的な特急のみならず、これらの車両も近鉄色を色濃く醸し出しています。
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大和西大寺方向から天理へ直通運転した後、天理-平端間の折り返し運転をする仕業があり、この日は複数回にわたり1032Fと対面しました。
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JR桜井線が高架駅である1階部分に、直角に駅が配置されています。ホームの先端付近まで屋根があり、団体客などの利用にも備えているようです。 / 隣駅は「前栽」です。
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普通電車 京都行として、8600系(8601F)編成が2番乗り場に停車します。

≪駅からの眺め≫
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15時7分、平端方面からの電車が到着、行先札は平端になっています。この後、再び平端間を往復した後、15時37分発の京都行になります。本線の右側には引き上げ線があります。
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2番乗り場の車止め部分です。3つある乗り場はすべて頭端式で、車止めの先は通路になっています。

≪電車の中からの眺め≫
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以前、桜井線で天理駅へ来たことがありますが。近鉄電車では初めての訪問です。3つの発着線に同じ形の屋根が並び、これが天理駅のシンボルのように感じます。

画像の右側にはSLが保存されている公園があります。

≪天理市 田井庄池公園≫
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天理駅のすぐ横にある公園には、D51-691&オハ61-930が保存されています。厳重に柵が張り巡らされており、保存状態も良好です。柵の穴にレンズを合わせるのが少し難儀でした。

/ 保存場所が駅の隣なので、ホームからも撮影できます。

「D51-691」は、1942(昭和17)年に鷹取工場で新製され、吹田区に配置。盛岡区、亀山区への転属はありますが、1955(昭和30)年から奈良区へ転属となり、その後、1971(昭和46)年に廃車となるまで、奈良を中心に活躍した機関車です。

≪山の辺の道≫
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2006年、山の辺の道を南側(天理から三輪まで)をハイキングした時に、出発点とした「石上神社」です。
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石上神社で北コース(奈良方面)と南コース(桜井方面)に分かれます。 / 古い書物にも記されている伝統の奈良の柿。
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山の辺の道を歩くと、古墳や竹林、無人販売所...「いにしえの時代にいざなう」古道です。

福井鉄道 福武線 本線の終点駅

(2017年6月・2020年7月)
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12時38分、越前武生駅から列車が到着。この電車は、福武線20.9kmを70分で走ります。

画像は、1980(昭和55)年に名鉄 が新製した美濃町線、田神線のモ880形(880-881)です。2005(平成17)年の同線の廃止に伴い、福井鉄道に譲渡され880形となりました。
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この駅は、えちぜん鉄道(元 京福電鉄)と福井鉄道(元 名鉄グループ)の第三セクター方式の鉄道会社2社が乗り入れる駅で、相互直通運転が行われています。

福武線は、この駅から2.8km先までは軌道法による軌道で、道路上を走る併用軌道区間です。また、その先から越前武生まで18.1kmは鉄道事業法に基づく一般の鉄道です。

最初の駅は、1937(昭和12)年に三国芦原電鉄(えちぜん鉄道の前身)が開業、福井鉄道の駅は1950(昭和25)年の開業。福武線は越前武生-田原町間20.9kmで、1時間に2~4本の運行。(引用:Wikipediaより)

≪福武線(本線)≫
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越前武生から電車が到着しました。この駅が終点の電車なので左側(1番線)に入りますが、えちぜん鉄道との直通運転は右側(2番線)に進入します。
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画像は1987(昭和62)年に名鉄が新製した岐阜市内線・揖斐線用のモ770形(770-771)です。2005(平成17)年の同線の廃止に伴い、福井鉄道に譲渡され770形へ改番されています。

名鉄時代、先に製造された880形と外見は似ていますが、急曲線のある岐阜市内線で使用されたことから、880系と比べて車体幅が130mm狭くなっています。

/ 冷房付連接車で連結器部分は、渡り板や鍵穴のような通路が洒落たデザインになっています。
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名鉄時代に新製時から装備されていたものとして、折りたたみ式ステップ、ワンマン装置があります。 / パンタグラフは福井に来てから、シングルアーム式に換装されています。
 
≪相互乗り入れ車両≫
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越前武生から急行 鷲塚針原行の到着です。この駅からえちぜん鉄道へ乗入れていきます。田原町までの所要時間は45分、終点の鷲塚針原までは57分です。
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福井鉄道保有のF1000形(3車体連接・3台車方式 超低床)は、「FUKURAM」(フクラム)の愛称があります。2013(平成25)年から4編成が製造され、編成毎にオレンジ、ブルー、グリーン、レッドと外観色が異なり、えちぜん鉄道との相互直通運転でも使用されます。


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1番線は福井鉄道ホームで、隣駅は「仁愛女子高校停留場」です。 / 2番線は乗入れ専用ホーム。 / 3番線はえちぜん鉄道ホーム。
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えちぜん鉄道のL形電車が鷲塚針原から到着しました。ここで乗務員が交代し、福井鉄道へ乗り入れます。

/ えちぜん鉄道のL形(2車体連接・2台車方式 超低床)は、「ki-bo」(キーボ)の愛称があります。2015(平成27)年に2編成が製造されています。

≪フェニックス田原町ライン≫
2004(平成16)年、田原町駅で両線のレールを繋ぎ、2つの路線に直通列車を運転する、という計画は、福井県主導で始まりました。2016年に直通運転が開始され、「フェニックス田原町ライン」の愛称があります。

≪えちぜん鉄道 三国芦原線≫
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12時18分、福井から三国港へ向かう電車が3番線から発車します。えちぜん鉄道の福井駅は、福井鉄道とは逆の東口にあり、福井口を経由してこの駅に至ります。
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えちぜん鉄道の隣駅は「福大前西福井」(三国港側)と「西別院」(福井側)です。

/ こちらはえちぜん鉄道側の駅窓口で、駅舎のリニューアル後に有人駅となりました。福井鉄道側は直通運転開始から有人駅です。

≪駅からの眺め≫
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駅から三国港方向を眺めています。左の行き止まりは福井鉄道、右はえちぜん鉄道。両社のレールが結ばれ、地方私鉄としては画期的な相互乗り入れが行われています。

将来、北陸新幹線の福井区間が開業した際、並行する北陸本線(福井区間)が第三セクターへ移行されることを含め、福井市内を中心に3社となる第三セクター方式の鉄道会社について、経営合理化に向けての検討が進められており、会社合併の可能性も考えられます。

≪えちぜん鉄道 車内からの眺め≫
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福井口から田原町までえちぜん鉄道に乗ってきました。田原町に到着する直前の運転室越しの景色です。2015年に駅舎が建て替えられ、加えて駅周辺も整備されており、とても綺麗な駅周辺です。

阪急電鉄 今津線の終点駅

(2018年9月・2020年1月)

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13時48分、西宮北口からの電車が到着しました。今津線は宝塚-今津間を結びますが、今津に到着する電車は、2つ先の西宮北口との間を行き来します。
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1926(大正5)年、阪急今津線・西宮北口-今津間の延伸開業に伴い、ほぼ同時期に阪神電鉄本線側にも阪神今津駅(2代目)が開業しています。(それまでの今津駅は久寿川駅に改称)

駅は1926(大正15)年の開業。今津線は宝塚-今津間9.3kmで、日中は毎時6本の運行。(引用:Wikipedia)
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阪急と阪神のどちらかの初乗り区間を乗車して、この駅に到着・乗り継ぎ後、もう一方でも初乗り区間の乗車の場合は「乗り継ぎ割引制度」から(一定の条件のもとで)割引になるようです。

/ 阪神と阪急の駅はL字形で接続され、ペデストリアンデッキで結ばれています。
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ホームは6両編成まで対応できる長さがありますが、1984(昭和59)年に西宮北口駅の高架化により今津線が分断され、今津駅は3両編成のみの発着になったことから、ホームの一部に柵が設けられています。
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今津線の計画当初は、今津港までの延伸を予定していたようですが、現在では延伸の予定はないようです。

また、戦時中の軍需物資輸送の目的で、阪神今津駅と並行になるように直角の急カーブで延伸され、阪神本線のレールと繋がっていた時期があるそうです。

≪今津線≫
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11時26分、西宮北口へ向けて発車します。この区間は6000系3両編成でワンマン対応車が使用され、甲陽線と共通運用で3両編成✕5本が配置されています。
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今津-阪神国道-西宮北口の1.6kmの短距離運転のため、所要時間3分で終点に到着です。この区間では指導運転手による乗務員訓練も行われていました。
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700メートル先にある「阪神国道駅」が直線の先に見えます。2本の電車が行ったり来たりで、折り返し運転をしています。
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隣駅は「阪神国道」です。」 / 西宮北口から電車が到着です。通常は2号線での発着ですが、最終の到着電車のみ1号線のようです。

≪駅からの眺め≫
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西宮北口からこの駅まで全線が高架区間です。各駅停車だけの設定ですが、阪急の支線で一般的な10分毎運行を行っており、阪神電車との乗り継ぎ需要も低くないようです。

≪阪神電気鉄道 本線 今津駅≫
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12時24分、特急 大阪梅田行が到着しました。神戸三宮を12時20分に発車して、この駅は通過します。8000系電車は1984(昭和59)年に登場した優等列車用「赤胴車」です。
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隣駅は「久寿川」(三宮側)、「西宮」(梅田側)です。 / 2001(平成13)年、踏切廃止が主たる目的で高架化が完成しています。阪神の駅は阪急よりも規模の大きな駅です。
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12時23分発、普通電車 高速神戸行。 / 12時34分、山陽電鉄直通特急 大阪梅田行が通過。 / 12時39分発、快速急行 近鉄奈良行。

≪西宮北口駅≫
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1926(大正15)年、今津線が西宮北口-今津間が延伸開業した際に、神戸線と今津線の平面軌道交差(ダイヤモンドクロス)が生じることになりましたが、1984(昭和59)年に今津南線(西宮北口-今津)のみ高架式の5号線(単式ホーム)へ改められ、今津線の運行系統が南北で分断されています。
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この駅で唯一高架ホームとなった5号線(今津南線)。 / 今津線は宝塚方向(今津北線)と今津方向(今津南線)が分断され、現在はスルー運転が出来なくなりました。
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今津南線への車両の送り込みは、5号線ホームの横を通る渡り線が使用されます。 / 神戸本線のホームから神戸側を眺めています。中央の1号線ホーム左側の渡り線が今津南線へ繋がっています。

伊予鉄道 郡中線の終点駅

(2019年7月)
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13時44分発の松山市行です。700系電車は元 京王電鉄5000系(初代)で、1987(昭和62)年から1994(平成6)年にかけて、28両が譲渡されています。

同車は、1963(昭和38)年から1969(昭和44)年にかけて155両が製造されました。すでに製造から50年以上が経過し、伊予鉄道に譲渡された車両の中で一部廃車が発生していますが、当分の間は全廃はなさそうです。
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この国道378号線の反対側にはJR予讃線の伊予市駅があります。

駅は1939(昭和14)年の開業。郡中線は郡中港-松山市間11.3kmで、日中は1時間に4本の運行。(引用:Wikipedia)
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日中の発車時刻は、毎時14分、29分、44分、59分で統一されています。

/ 駅は隣接する国道と並行しており、改札口からホームまで真っ直ぐの配置です。

≪700系≫
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1面1線の片側ホームの終点駅です。到着した電車は5分停車の後、折り返して行きます。
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10時44分発の松山市行は、全線を24分で走破します。郡中線は、高浜線や横河原線との直通運転は行われず、松山市との間の運転です。

≪3000系≫
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伊予鉄道3000系は、京王電鉄で活躍した29編成のうち、1983(昭和58)年~1991(平成3)年に製造された最終グループ(第20編成~第29編成)を譲り受けています。
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2015(平成27)年、「IYOTETSU チャレンジ プロジェクト」の一環として、「愛媛らしさ」を表現するために橙色一色化が実施されています。

≪駅の様子≫
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郡中線は全線が単線で、架線電圧が直流750Vです。現在、伊予鉄道で活躍する車両は、自社発注の610系4両と、元 京王電鉄の5000系(初代)、3000系の3形式が活躍しています。
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隣駅は「郡中」です。 / 電車が折り返していく終点駅のホームに、真っ白なベンチが並びます。
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開業当初は軌間762mmで敷設されましたが、1937(昭和12)年に1067mmへ改軌されています。高浜線と横河原線はその6年前に改軌が完了しており、郡中線の改軌により、再び3路線間の車両の行き来が可能になりました。
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車両の橙色と同色の駅名表示です。 / 駅ホームから松山市方向を眺めています。ホームの先が緩い左カーブになっています。

≪駅からの眺め≫
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元々、この郡中線は南予鉄道により、1896(明治29)年に開業しており、その4年後に伊予鉄道が南予鉄道を合併しています。駅を発車すると緩いカーブを過ぎ、真っ直ぐな区間を松山市へ向かいます。

≪JR 伊予市駅≫
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国道を隔てた反対側にJR伊予市駅があります。

/ 郡中港駅、JR伊予市駅は、伊予市の北部に位置し、付近に伊予市役所があります。伊予市は松山市隣にあり、市の西側には海が見える駅として有名な「下灘駅」があります。

≪元京王電鉄5000系(初代)≫
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京王電鉄5000系は、伊予鉄道をはじめ、富士急行、一畑電気鉄道、高松琴平電気鉄道、わたらせ渓谷鐵道(トロッコ車)、銚子電気鉄道(伊予鉄道から譲渡)、岳南鉄道(富士急行から移籍)で活躍しています。

JR東日本 両毛線の終点駅

(2020年8月)
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10時14分、「SLぐんまみなかみ号」が水上に向けて出発します。

高崎の庫を中心にSL列車が復活したのは1989(平成元)年で、それから32年が経過しています。幹線での運行にもかかわらず、無事に継続されていることに感謝の思いです。
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両毛線の開業に際し、1889(明治22)年に両毛鉄道(小山-前橋)が全通、同じ年に日本鉄道(高崎-前橋)も開通しています。新前橋駅の開業は1921(大正10)年、上越線が部分開業した際に、分岐駅として開業しており、かなり後になってからです。

Wikipediaによると、「両毛線の新前橋-前橋間が、高崎線とほぼ一体の運転系統を形成しているのは、開業当時は前橋に2つの路線が乗入れていた経緯からである」と記載があります。

駅は1921(大正10)年開業。両毛線は小山-新前橋間84.4kmで、毎時2~4本の運行。(引用:Wikipedia)
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この駅は両毛線方向と、上越線や吾妻線方向の分岐駅です。また、高崎車両センター(本所)が駅に隣接して設置されており、高崎駅(信越本線との分岐駅)とターミナル機能を2分しています。

/ 島式ホーム2面4線の地上駅、橋上駅舎という標準的なターミナル駅です。
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この駅には1~4番線があり、1・2番線は上越線(上り)方向、3番線は両毛線、4番線は上越線(下り)方向が発着します。

≪特急 あかぎ≫
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8時39分、特急「あかぎ8号」前橋→上野 。今年3月のダイヤ改正で特急「あかぎ」の高崎-前橋間が廃止されてしまい、全列車が上野-高崎間の運転で、平日は「スワローあかぎ」、土休日は「あかぎ」の設定に変わりました。そのため、新前橋での「あかぎ」系統は見られなくなっています。
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8時54分、3番線ホームの高崎側に「回送」扱いの651系電車が到着しました。「あかぎ10号」前橋発の送り込みのための回送のようです。
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「回送」列車は5分程停車した後、8時59分に両毛線方向へ発車していきました。
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隣駅は、「前橋」(両毛線)と「群馬総社」(上越線 水上側)、「井野」(上越線 高崎側)です。 / 9時11分着、特急「あかぎ10号」上野行が3分程遅れて到着しました。

≪651系 特急形交直流電車≫
1989(平成元)年から常磐線特急「ひたち」として営業運転を開始。長らく常磐線で活躍しましたが、2013(平成25)年にE657系が登場したことから、0番台の一部が「スワローあかぎ」「あかぎ」「草津」用に改造され、1000番台へ区分変更されています。現在は、大宮総合車両センターの1000番台(7両編成×7本)だけとなっています。


≪両毛線≫
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9時48分発、普通列車 高崎→小山 。全区間を1時間46分で走破します。
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9時40分発、普通列車 高崎→前橋。この列車は土日に限り、高崎始発で運転されます。(E231系)

/ 8時29分発、普通列車 熱海→前橋。グリーン車を組み込んだ長い編成で両毛線に乗入れます。全区間の所要時間は3時間58分です。(E233系)
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8時47分発、普通列車 高崎→小山。前橋から先の両毛線では211系のみが使用されます。

≪上越線≫
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8時36分発、普通列車 高崎→水上。朝のラッシュ時で6両編成です。

/ 8時26分発、普通列車 水上→高崎。全区間を1時間3分で結びます。

≪吾妻線(上越線経由)≫
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9時4分発、普通列車 大前行(吾妻線)。全区間の所要時間は1時間45分で、吾妻線の終点・大前までの列車は1日4本です。

≪快速 SLぐんまみなかみ号≫
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10時9分着、SLぐんまみなかみ号が2分程遅れて到着しました。横川へ向かうよりも、水上へ向かうSL列車は、幹線を走るダイナミックさを感じます。

/ 4番線の発車案内には「快速SL」の表示があります。この駅で5分の停車です。
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客車の列車表示が赤と青でわかりやいです。 / 青い車体に白い帯が懐かしい光景に見えます。
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新前橋での停車中は、元気な子供達の記念撮影で賑やかに、お父さんとお母さんが撮り鉄役で忙しそうです。

≪駅からの眺め≫
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2番線ホームから上野方向を眺めています。上越新幹線の開通後、新潟へ向かう優等列車の運行がなくなり、現在、定期運行は「特急 草津」のみとなってしまいました。それでも群馬名物「SLぐんまみなかみ」が走る日は、心わくわくの上越線沿線です。
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2番線ホームから水上方向を眺めています。左が上越線 水上方向で、電柱でわかりにくいですが、右は両毛線方向です。両毛線の隣駅は主要駅の「前橋」ですが、単線区間で途中に利根川を渡る橋梁があります。

≪高崎車両センター≫
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車両センター内、本線側の留置線にジョイフルトレイン「華」編成が見えます。1997(平成9)年に丸みを帯びた車体を新造し、客室内を和式に改造しています。

485系車両は、オリジナル車両はすでに全廃。「リゾートやまどり」「ジパング」と「華」の3編成が残るのみでしたが、2021年10月に「ジパング」が引退しています。
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2005(平成17)年、新前橋電車区と旧 高崎車両センターが「高崎車両センター」として統合されています。現在は新前橋が本所で、高崎が高崎支所となっています。
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本所には、ジョイフルトレインの2編成と211系が134両配置されています。

何処を撮影しても211系ばかりですが、新前橋・高崎地区はいつの時代でも旧形車両を大切にする伝統があり、旧形車両を活用したイベント等でファンに絶大な信頼があると思います。

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