近畿日本鉄道 長野線の終点駅
(2015年8月)
近鉄の狭軌線(南大阪線系統)で活躍する6400系電車。南海電鉄の車両と並ぶ、マニアの人達が興味津々でやって来る駅です。
近鉄のホームは1つしかなく、到着した電車が折り返していくパターンです。
共用の橋上駅舎で、改札は別々です。
近鉄のホームが近い東口は「近鉄」が上に表示され、南海のホームが近い西口は「南海」が先に表示されています。
駅は1898(明治31)年に南海電鉄)開業で、近鉄の駅は1902(明治35)年に開業。長野線は古市-河内長野間12.5kmで、毎時4本の運行。(引用:Wikipedia)
≪長野線≫
6000系電車は、1963(昭和38)年に新ラビットカーとして登場し、当時は全車がオレンジバーミリオンに白帯のラビットカー塗装で活躍していましたが、塗装合理化のため、1868年からマルーン塗装へ変更されています。
貫通幌が引き出され、行先表示板がステーで取り付けられている理由が良くわかります。 / 長野線の隣駅は「汐ノ宮」です。
主に長野線には、大阪阿部野橋との間で運行される準急が発着しており、途中の古市から南大阪線に乗入れます。
ホームから古市方向を眺めると、保線用車両等で使用されているレールと合流し、その先には複線分の用地が見られます。
≪ホームからの眺め≫
もともは島式1面2線のホームでしたが、現在は南海電鉄側だけが使用され、反対側はフェンスで覆われ、レールは短めに終わっています。
現在使用されているのは、2線当時の2番線でしたが、現在は番線表示がありません。
昭和19年、前身の関西急行鉄道と南海が合併して近畿日本鉄道となった際に、この駅のレールも繋がっていたようです。
昭和22年に近畿日本鉄道が旧 南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡した経緯があり、現在はレールが分かれており、難波、阿部野橋からの競合関係となっています。
(2015年8月)
近鉄の狭軌線(南大阪線系統)で活躍する6400系電車。南海電鉄の車両と並ぶ、マニアの人達が興味津々でやって来る駅です。
近鉄のホームは1つしかなく、到着した電車が折り返していくパターンです。
共用の橋上駅舎で、改札は別々です。
近鉄のホームが近い東口は「近鉄」が上に表示され、南海のホームが近い西口は「南海」が先に表示されています。
駅は1898(明治31)年に南海電鉄)開業で、近鉄の駅は1902(明治35)年に開業。長野線は古市-河内長野間12.5kmで、毎時4本の運行。(引用:Wikipedia)
≪長野線≫
6000系電車は、1963(昭和38)年に新ラビットカーとして登場し、当時は全車がオレンジバーミリオンに白帯のラビットカー塗装で活躍していましたが、塗装合理化のため、1868年からマルーン塗装へ変更されています。
貫通幌が引き出され、行先表示板がステーで取り付けられている理由が良くわかります。 / 長野線の隣駅は「汐ノ宮」です。
主に長野線には、大阪阿部野橋との間で運行される準急が発着しており、途中の古市から南大阪線に乗入れます。
ホームから古市方向を眺めると、保線用車両等で使用されているレールと合流し、その先には複線分の用地が見られます。
≪ホームからの眺め≫
もともは島式1面2線のホームでしたが、現在は南海電鉄側だけが使用され、反対側はフェンスで覆われ、レールは短めに終わっています。
現在使用されているのは、2線当時の2番線でしたが、現在は番線表示がありません。
昭和19年、前身の関西急行鉄道と南海が合併して近畿日本鉄道となった際に、この駅のレールも繋がっていたようです。
昭和22年に近畿日本鉄道が旧 南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡した経緯があり、現在はレールが分かれており、難波、阿部野橋からの競合関係となっています。
コメント
コメント一覧 (2)
おはようございます
朝から春雨模様の神戸です
「焼きとんちゃん・世界の旅」ご苦労様でした
近鉄長野線、河内長野駅
大阪狭山市に10年間住んでいましたので、ココは鉄クマさん🐻の
縄張りです(笑)
近くにはプロ野球選手でお馴染みPL学園、PL教団の花火大会で
有名な富田林市が長野沿線にあります
関西サイクル・センター、茶花の里などがあります。
失礼します。
あの辺り、縄張りだったんですね。
近鉄と南海が交わる辺りから、PL学園の周辺。先日、近鉄電車に3日間乗り潰して来ましたが、長野線は両方の終点駅に立ち寄っただけで、走破していません。
近鉄は、意外と支線が多いので、終点駅活動もなかなかはかどりません(笑)