JR九州 鹿児島本線、肥薩線の終点駅
(2005年10月・2018年5月)
10時30分、熊本から「臨時快速 SL人吉」(8241列車)が到着しました。熊本から八代まで鹿児島本線を経由し、そこから終点人吉まで球磨川沿いに肥薩線を走ります。
1911年(明治44年)に建てられた駅舎は、老朽化と熊本地震の影響で建物の一部が損傷したため、鉄骨平屋の和風駅舎に立て替え中とのことです。
/ 隣駅表示は、新八代(鹿児島本線)と段(肥薩線)になっています。
八代駅は、1896(明治29)年の開業。鹿児島本線は門司港-八代間232.3kmで、毎時2~5本の運行。肥薩線は隼人-八代間124.2kmで、1日13本の運行。(引用:Wikipedia)
1番ホームに大きな「肥薩線の0キロポスト」がありました。この駅の開業当初、八代-鹿児島は国防上の理由もあり、最短経路である人吉(肥薩線)経由が人吉本線、鹿児島本線を名乗りました。
その後、1927(昭和2)年に川内経由が全通した際に、こちらが鹿児島本線となっています。
≪SL人吉≫
JR九州の動態保存機(SL)が、大正11年生まれの8620(58654)であることから、「思い切った決断」という私の感想です。
人吉機関区が最終配置区であったり、矢岳駅で屋根付き「展示館」に静態保存されていたことなど、熊本エリアに所縁のある車両などの理由から実現したのでしょう。
10時36分、「SL人吉」が人吉に向けて発車しました。
終点 人吉には12時9分に到着します。古豪8620が元気だったので安心しました。
≪マヤ検≫
SL人吉が到着する1時間くらい前に、旅客の時刻表に載っていない列車が到着しました。「DE10-1756+マヤ34-2009」の編成でした。
マヤ34は国鉄時代に全10両が製造されていますが、今ではJRグループ全体で、この「マヤ34-2009」だけが車籍がある車両となってしまいました。
熊本方向から到着して、おそらく人吉方面へ向かったものと思われます。
≪肥薩線≫
1番ホームに停車する鹿児島本線、各駅停車鳥栖行(817系電車)と、中線を挟んだ2番ホームに停車中の肥薩線、各駅停車人吉行(キハ31形気動車)です。(2005)
肥薩線 人吉行はキハ31-14の1両での運転です。(2005)
/ 残念なことに、この車両は今年になって廃車されています。(2005)
10時33分、特急「かわせみ やませみ2号」が到着しました。人吉から熊本まで所要時間1時間34分で運行します。
≪鹿児島本線≫
9時25分、銀水から普通列車(815系交流電車)が1番ホームに到着しました。
この先、肥薩線と肥薩おれんじ鉄道との乗り換えになりますが、九州新幹線は1つ手前の新八代で乗り換えとなるため、優等列車利用客の流れが変わっているようです。
10時25分発、817系電車の普通列車・鳥栖行が発車します。
/ 10時6分発、区間快速の鳥栖行です。
≪駅からの眺め≫
熊本方面を眺めていますが、隣駅の新八代へは右へぐるっとカーブしています。
/ ホームの熊本寄りの端から人吉方面を眺めています。右側が駅舎で、左側が日本製紙八代工場です。
1番線ホームから人吉方面を眺めています。2本ある本線のうち、右側が肥薩線で、左側が肥薩おれんじ鉄道です。
少し先で肥薩おれんじ鉄道が肥薩線を左から右へオーバークロスします。踏切の先(左)に、肥薩おれんじ鉄道の車両が留置されているのが見えますが、JRと共用の留置線のようです。
≪九州横断特急≫
肥薩線 人吉発→熊本経由→別府の特急「九州横断特急」で、一番後ろの車両はキハ185-8(3両編成)です。キハ185系は1992(平成4)年にJR九州がJR四国から購入しています。
運転席のガラスにスモーク・ミラー加工が施され、鏡のような感じになり、文字が引き立ちます。
≪鹿児島本線 ラッピング電車≫
熊本行普通列車(817系交流電車、クモハ815-4他)が、「フレスタくまもとラッピングトレイン」となっていました。
「フレスタくまもと」は熊本駅の高架下商業施設でしたが、「えきマチ1丁目 熊本」に代わり、現在は「肥後よかモン市場」になったようです。
≪58654の経歴≫
1922(大正11)年 日立製作所笠戸工場で落成
同年 浦上機関庫 新製配置
1949年 西唐津機関区 異動
1964年 若松機関区 異動
1968年 人吉機関区 異動
1975(昭和50)年 廃車
1974年 人吉鉄道記念館(矢岳駅)に静態保存
1988(昭和63)年 車籍復帰
同年 熊本運転所 配属(SLあそBOY等の運行)
2005年 運行休止(車両故障)
2009年 SL人吉 運行開始
(2005年10月・2018年5月)
10時30分、熊本から「臨時快速 SL人吉」(8241列車)が到着しました。熊本から八代まで鹿児島本線を経由し、そこから終点人吉まで球磨川沿いに肥薩線を走ります。
1911年(明治44年)に建てられた駅舎は、老朽化と熊本地震の影響で建物の一部が損傷したため、鉄骨平屋の和風駅舎に立て替え中とのことです。
/ 隣駅表示は、新八代(鹿児島本線)と段(肥薩線)になっています。
八代駅は、1896(明治29)年の開業。鹿児島本線は門司港-八代間232.3kmで、毎時2~5本の運行。肥薩線は隼人-八代間124.2kmで、1日13本の運行。(引用:Wikipedia)
1番ホームに大きな「肥薩線の0キロポスト」がありました。この駅の開業当初、八代-鹿児島は国防上の理由もあり、最短経路である人吉(肥薩線)経由が人吉本線、鹿児島本線を名乗りました。
その後、1927(昭和2)年に川内経由が全通した際に、こちらが鹿児島本線となっています。
≪SL人吉≫
JR九州の動態保存機(SL)が、大正11年生まれの8620(58654)であることから、「思い切った決断」という私の感想です。
人吉機関区が最終配置区であったり、矢岳駅で屋根付き「展示館」に静態保存されていたことなど、熊本エリアに所縁のある車両などの理由から実現したのでしょう。
10時36分、「SL人吉」が人吉に向けて発車しました。
終点 人吉には12時9分に到着します。古豪8620が元気だったので安心しました。
≪マヤ検≫
SL人吉が到着する1時間くらい前に、旅客の時刻表に載っていない列車が到着しました。「DE10-1756+マヤ34-2009」の編成でした。
マヤ34は国鉄時代に全10両が製造されていますが、今ではJRグループ全体で、この「マヤ34-2009」だけが車籍がある車両となってしまいました。
熊本方向から到着して、おそらく人吉方面へ向かったものと思われます。
≪肥薩線≫
1番ホームに停車する鹿児島本線、各駅停車鳥栖行(817系電車)と、中線を挟んだ2番ホームに停車中の肥薩線、各駅停車人吉行(キハ31形気動車)です。(2005)
肥薩線 人吉行はキハ31-14の1両での運転です。(2005)
/ 残念なことに、この車両は今年になって廃車されています。(2005)
10時33分、特急「かわせみ やませみ2号」が到着しました。人吉から熊本まで所要時間1時間34分で運行します。
≪鹿児島本線≫
9時25分、銀水から普通列車(815系交流電車)が1番ホームに到着しました。
この先、肥薩線と肥薩おれんじ鉄道との乗り換えになりますが、九州新幹線は1つ手前の新八代で乗り換えとなるため、優等列車利用客の流れが変わっているようです。
10時25分発、817系電車の普通列車・鳥栖行が発車します。
/ 10時6分発、区間快速の鳥栖行です。
≪駅からの眺め≫
熊本方面を眺めていますが、隣駅の新八代へは右へぐるっとカーブしています。
/ ホームの熊本寄りの端から人吉方面を眺めています。右側が駅舎で、左側が日本製紙八代工場です。
1番線ホームから人吉方面を眺めています。2本ある本線のうち、右側が肥薩線で、左側が肥薩おれんじ鉄道です。
少し先で肥薩おれんじ鉄道が肥薩線を左から右へオーバークロスします。踏切の先(左)に、肥薩おれんじ鉄道の車両が留置されているのが見えますが、JRと共用の留置線のようです。
≪九州横断特急≫
肥薩線 人吉発→熊本経由→別府の特急「九州横断特急」で、一番後ろの車両はキハ185-8(3両編成)です。キハ185系は1992(平成4)年にJR九州がJR四国から購入しています。
運転席のガラスにスモーク・ミラー加工が施され、鏡のような感じになり、文字が引き立ちます。
≪鹿児島本線 ラッピング電車≫
熊本行普通列車(817系交流電車、クモハ815-4他)が、「フレスタくまもとラッピングトレイン」となっていました。
「フレスタくまもと」は熊本駅の高架下商業施設でしたが、「えきマチ1丁目 熊本」に代わり、現在は「肥後よかモン市場」になったようです。
≪58654の経歴≫
1922(大正11)年 日立製作所笠戸工場で落成
同年 浦上機関庫 新製配置
1949年 西唐津機関区 異動
1964年 若松機関区 異動
1968年 人吉機関区 異動
1975(昭和50)年 廃車
1974年 人吉鉄道記念館(矢岳駅)に静態保存
1988(昭和63)年 車籍復帰
同年 熊本運転所 配属(SLあそBOY等の運行)
2005年 運行休止(車両故障)
2009年 SL人吉 運行開始
コメント
コメント一覧 (2)
こんばんわ!
また、1時間前ブログ更新を発見しました(笑)
肥薩線、イイですね
「0km肥薩線起点」ズバリ終点駅テツですね
人吉・吉松、肥薩線は石炭のにおいが画面から香ります(笑)
九州ならではのSL風景です
品川・姫ライダーが九州・西日本の旅の途中に爆音と共に大型
バイクにまたがり我が家にやって来ました(笑)
2泊して本日無事に大田区に戻りました。
昨日の晩はアップしながら、変な文章を修正していましたので、ご迷惑をお掛けしました。
人吉、吉松は子供の頃にSL全廃間際に、父親に連れて行って貰った思い出の場所です。吉都線のSL列車に乗って、吉松機関区、人吉機関区に煙を見つけて、今も懐かしい思いで出掛けてきました。