終点駅テツ、テツ散歩♪ & 旅々たび...テツ風

「終点駅テツ」私の概念では、起点と終点のどちらも「終点駅」としています。路線の起点から終点に向かう人もいれば、路線の終点から起点へ向かう人もいるからです。その起点、終点を合わせて「終点駅」として、自分の足でひと駅ずつ確認していくのです。ローカル、個性的な駅を追求したいので、新幹線、地下鉄、空港駅、貨物駅は原則として取り扱いしない予定です。

カテゴリ:◆終点駅テツ > 東海

長良川鉄道 越美南線の終点駅

(2020年7月・追加分)
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12時4分、美濃太田から普通列車が到着しました。この列車は観光列車「ゆら~り流れて清流列車」を兼ねており、沿線の絶景ポイントではスピードを落として走行するようです。終点駅の手前には樹木が生い茂っており、列車がミニチュアになったような感じがします。
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駅舎の左側には食堂が入っており、ラーメンや定食などの食事が出来ます。 / この先、越美北線・九頭竜湖までの約24kmは未完成のまま、その後 第三セクターへ移管されての「終着駅」です。

駅は1934(昭和9)年の開業で、長良川鉄道の駅は1986(昭和61)年に開業。越美南線は美濃太田-北濃間72.1kmで、1日8~9本の運行。(引用:wikipedia)
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島式ホーム1面2線の駅ですが、駅舎側の1線(左の画像)は使用していません。

≪越美南線≫
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1両で2度楽しめるナガラ3形・305号車。あじさいの花とマッチしている美濃太田側は標準色で、北濃側がヤマト運輸ラッピングとなっています。これは2018(平成30)年に、ヤマト運輸が貨客混載列車を関-美並苅安間で開始したことによります。まるで「ヤマト運輸所有のトラック」のようです。
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2006年に来た時もちょうどお昼時で、到着した列車の運転手さんが車内で弁当箱を広げているのが見えて、ほのぼのした雰囲気だったのを思い出しました。 / 枝打ちしないことで、終点駅の自然な演出が感じられます。

≪転車台≫
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この転車台は、1902年にアメリカン・ブリッジ社で製造されたもので、当初は岐阜駅に設置されていましたが、越美南線がこの駅まで延伸開業した1934年にここに移設されています。

≪駅からの眺め≫
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「貨客混載」は、まだまだ聞き慣れない言葉ですが、第三セクターの事業分野として素晴らしいものと思います。 / 草が生い茂っていて、田舎の小さな終点駅に見えますが、構内を散策してみると、転車台を有する見事な駅でした。
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どちらかと言うと木曽川に近い美濃太田から、列車に乗って長良川の上流の方まで来れば、景色もこんな感じになる筈です。

定期旅客列車を観光も兼ねた仕様にしたアイデアは流石ですが、水戸岡鋭治氏がデザインした観光列車「ながら・もり号」と「ながら・あゆ号」を準備して、観光鉄道を目指して盤石な体制を整えています。


ゆら~り流れて清流列車
長良川鉄道の魅力は車窓に流れる清流長良川の絶景です。「ゆら~り流れて清流列車」はその絶景ポイントをスピードを落としてゆっくり走ります。清流に身も心も引き込まれるような体験をぜひ。(長良川鉄道 公式ホームページ)



※2021年2月10日に内容を追加しました。



(2006年10月・既存分)
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JR・越美北線の次はこの終点駅しかないと思い、アップしました。悲劇の「越美線」の反対側、元国鉄・越美南線(現長良川鉄道)の路線です。この日はすっきりとした秋晴れで、そんなことも忘れるくらいのどかなお昼どきでした。島式ホームですが、発着は片側だけになっています。
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隣の駅は「白山長滝」です。 / 島式1面2線のホームの先でレールがまとまっており、機回しが可能で、右へ折れるレールの先には転車台があります。
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レールが終点になる地点を探していましたが、そこには2両のナガラ1形が廃車になった状態で置かれていました。
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とうとう、このレールが北線と繋がることはなかった...


※2015年2月6日に最初に登録しました。

JR東海 武豊線の終点駅

(2015年9月・追加分)
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11時1分、名古屋からの区間快速が定刻に到着しました。

折り返し、11時8分発の区間快速として名古屋へ向かいます。(快速区間は東海道本線内のみ)
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2015年3月に電化したばかりで、313系0番台(Y9)の4両編成の電車が到着しました。車体上部のシングルアーム・パンタグラフが目を引きます。

/ 車内は青系の転換クロスシートでゆったり乗車できそうです。

駅は1886(明治19)年の開業。武豊線は大府-武豊間19.3kmで、毎時2~4本の運行(引用:wikipedia)
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駅前はこじんまりとしています。ホームは、駅舎側の1番線のみで、左の2本は留置線です。
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武豊線の運賃は、大府までが320円、名古屋までは760円です。2年ほど前に無人駅となり、ひっそりしている待合室です。


※2016年1月10日に内容を追加しました。


(2014年5月・既存分)
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この駅の開業は明治19年と早く、近畿、中京からの貨物を鉄道で運び込み、関東へ船積みする拠点の役目があったようです。

≪武豊停車場跡地≫
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最初の武豊駅は、新しい駅ができた後の1930年に武豊港駅(貨物)になり、1965年に廃止されています。現在、跡地には記念碑と古い転車台が保存されています。


※2015年2月7日に最初に登録しました。

岳南電車 岳南鉄道線の終点駅

(2013年3月)
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後ろの方に、東海道新幹線の高架が 見える終点駅です。現在、元・京王電鉄3000系5両と電気機関車1両(休車)が在籍しています。
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岳南電車の公式ホームページには、この駅が『岳南鉄道線の終着駅を感じさせる哀愁のある駅です。』とあります。

駅は1953(昭和28)年の開業。岳南鉄道線は吉原-岳南江尾間9.2kmで、毎時1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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向こう側に8000系(8001-8101)片運転台×2両固定編成、こちら側7000系(7003)両運転台×1両の並び。岳南電車に移籍した元京王電鉄3000系は、全5両とも中間電動車に運転台を新設したものです。


≪車庫のある岳南富士岡駅≫
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7000系(7002)両運転台×1両が岳南江尾へ向けて出発していきました。
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車庫では、7000系(7001)両運転台×1両、ED402、ED501、ED403、ED29-1。岳南電車(休車中含)のすべての車両と対面することができました。

JR東海 参宮線の終点駅

(2015年5月・2022年3月)
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14時59分発、快速「みえ」名古屋行です。名古屋までは近鉄と競合しており、速さか安さか、名古屋から先の乗り継ぎがあるかで比較できそうです。

参宮線、紀勢本線、伊勢鉄道、関西本線を経由する、14時59分発の快速「みえ」は名古屋まで2時間8分(2,500円)。一方、15時3分に発車する近鉄特急(3,090円:特急料金含)は、名古屋まで1時間35分で走破します。
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駅舎の階段付近には、鳥羽市街図をイラスト化したタイルが埋め込まれています。

/ JR側の駅舎は1975(昭和50)年に建替えられています。

2015年に訪れた際はJRと近鉄の駅間に中間改札がありませんでしたが、2020年にJR駅の無人化により、改札口が分離されています。

駅は1911(明治44)年の開業。参宮線は多気-鳥羽間29.1kmで、1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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1番線(右)と2番線(左)のホーム先まで屋根が装備されています。(2015)

/ 待合室内にあるJR東海の運賃表には、参宮線の駅名が並びます。(2015)

≪参宮線 快速みえ 名古屋行≫
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14時5分発、快速「みえ」が1番線に停車中の様子を近鉄ホームから眺めます。
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14時20分、名古屋からの快速「みえ」が到着しました。

使用されているキハ75形気動車は、1993(平成5)年に登場しており、現在までに40両が製造され、快速「みえ」や参宮線、高山本線、太多線で使用されています。
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13時40分、近鉄側のホームから、快速「みえ」を眺めます。
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13時7分発、快速「みえ」名古屋行が発車していきました。この時間帯は、近鉄側の終点駅(鳥羽線・志摩線)の撮影中だったため、近鉄ホームから見送ります。

≪参宮線 普通列車 伊勢市行≫
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14時29分発、普通列車 伊勢市行です。

使用されているキハ25形気動車は、2011(平成23)年から使用が開始され、国鉄時代に製造された気動車の置き換えを目的として製造されています。
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1番線側は1時7分発 快速「みえ」名古屋行、2番線側は1時23分発 普通列車 伊勢市行が並びます。

/ 14時29分発、普通列車 伊勢市行はワンマン運転で、キハ25-1609が使用されています。
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普通列車 伊勢市行(左)と快速「みえ」(右)の並び。

/ 隣駅は「松下」です。

≪駅の様子≫
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0番線ホームの先にある車止め。このレールが参宮線の終点、鳥羽駅で一番先まで伸びていたレールです。(2015)

/ 頭端式1面3線のホームは、1番線が0番線の切り欠き部にあります。0番線は1993(平成5)年にホームが増設されましたが、2021年3月のダイヤ改正時に閉鎖されています。(2015)
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ホームの配置は、近鉄寄りが0番、1番、2番の順で割り振られ、近鉄の乗り場は、JR寄りから6番、5番、4番、3番、という順で割り振られています。画像では左が0番線、手前が1番線です。(2015)

/ 道路寄りの側線(右)と列車が停車中の2番線です。(2015)
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駅に接する道路から眺めた2番線(奥)と側線。(2015)

/ 同じく、2番線から側線への機回し線を眺めます。(2015)


≪志摩電気鉄道と鳥羽駅≫
1929(昭和4)年、志摩電気鉄道(鳥羽ー賢島ー真珠港)が開業しましたが、現在は鳥羽ー賢島間は近鉄志摩線となり、近鉄鳥羽線と直通運転を行っています。

志摩電気鉄道の開業は近鉄鳥羽線よリも41年早く、国鉄参宮線の貨車の直通輸送を行うために狭軌(1067mm)を採用、鳥羽駅は「国鉄駅の東片端から発着していた」(Wikipediaより)とあります。

現在閉鎖されている0番線のレールが1番先まで残っており、志摩電気鉄道の開業当時は貨物の受け渡しのために、このレールを接続したのではないかと私は想像します。





※2022年6月18日に内容を1本に編集しました。

(投稿日2015年7月30日、2022年6月18日)

大井川鐵道 大井川本線、井川線の終点駅

(2015年12月)  ≪大井川本線≫
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13時9分、新金谷駅からのSL列車が到着しました。C10形を先頭に、旧型客車5両と電気機関車(後補機)を従えての堂々たる編成です。
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SLは3番線に入線すると乗客を降ろしながら、給水など復路の準備をして、SLファンや家族連れの注目を浴びながらターンテーブルで方向転換をします。
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編成の端の通路幌部分は転落防止のため、鉄板が溶接されています。旧国鉄時代の雰囲気そのままで懐かしさいっぱいです。ほぼ毎日、SL列車は運行されていますので、今でも沿線では見慣れた景色なんでしょう。
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左側に停車している元東急電鉄7200系ですが、東急電鉄から十和田観光電鉄に移り、路線廃止になった際に大井川鐵道にやってきた経緯があります。大井川本線は他社からの譲渡車ばかりですが、その中でステンレス車体は外装の保守面でメリットがあると思います。大井川本線の終点(2番線・3番線)を眺めると、機回し線があり、SLと電気機関車の機回しが行われます。
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金谷方面からの本線がまっすぐ2番線ホームへ伸びており、本線からいく筋ものレールが分かれています。

≪千頭駅≫

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大井川本線・井川線の駅舎です。平成27年、大井川鐵道の創業90周年を迎えましたが、今後の経営には課題が山積しているようです。SLやアプト式鉄道の安定した運行を期待したいと思います。

大井川鐵道・大井川本線の金谷-千頭間39.5km、一日9本(うち1本はSL列車)の運行。井川線・千頭-井川間駅は25.5km、一日5本の運行。駅は1931(昭和6)年の開業。(引用:Wikipedia)


≪井川線≫
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この路線は所有者・運営委託者が中部電力で、運営受託者が大井川鐵道となっています。
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平成11年に愛称を「南アルプスあぷとライン」に決まりました。駅標には「井川線」の隣り駅のみ表示されています。平成26年に路線敷地内に崩土があり、接岨峡温泉 - 井川間が運休です。(平成27年12月現在)
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千頭駅構内でも井川線の部分は中部電力の保有で、線路幅は大井川本線と同じの1067mmですが、車両限界(車両の幅と高さ)はとても小さなものとなっています。

JR東海 飯田線の終点駅

(2015年9月・2016年4月)
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午後4時2分、当駅始発の米原行新快速が待機線から入線してきました。

京阪神地区で好評だった新快速が名古屋地区でも定着しています。名鉄との並走区間で激走しながら、朝夕の時間帯は快速系列の米原行の設定があります。
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東海道新幹線の改札口に近い西口は、東口と比較するとこじんまりとしており、在来線改札口を入り、左下への階段を下りると1~4番ホームです。

発車案内の右は3番ホームは名鉄で、左は1、2、4番ホームの飯田線と東海道本線(一部)の案内表示です。
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名鉄は3番ホームだけで発着のやり繰りをするので肩身が狭い感じです。

名鉄を利用する乗客は3番ホームで待っていれば、順番に電車が到着して到着順に発車するのでわかりやすいかも知れません。
JR東海・飯田線の豊橋-辰野間195.7km、94駅あり。JR東海の駅は1888(明治21)年の開業。飯田線は1時間に3~5本の運行で、別に一日2本の特急「ワイドビュー伊那路」の運行あり。(引用:Wikipedia)
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1~2番ホームは飯田線。車止めでレールが終わっています。

1~2番線ホームは出発信号機(飯田線)を過ぎると、3番ホーム(名鉄)と共用の複線区間を走るため、同じ本線上を進むことになります。
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午前7時45分、豊川からの普通電車(213系)が2番ホームに到着しました。

かつて旧型電車の宝庫だった飯田線で、今では213系の存在が楽しみの一つのような気がします。
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15時16分、本長篠からの普通電車が1番ホームに到着。

同じホームから15時27分発の豊川行普通電車が発車します。
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15時18分、名鉄岐阜からの急行電車が3番ホームに到着。飯田線ホームから眺めています。先頭の2両は3150系です。
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15時51分発、大垣行新快速。稲沢駅付近の上り線でトラブルがあったことを放送していましたが、下り電車は定刻で運転されていました。
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5~8番ホームの東海道本線ホームの駅標には、飯田線の隣り駅の表示はありません。

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JR東海の在来線改札口を入ると、1~4番ホーム(名鉄とJR飯田線)、5~8番ホーム(東海道本線)の乗客の動線が分かれています。

駅に隣接して豊橋運輸区があり、多数の車両が留置されています。

伊豆箱根鉄道 駿豆線の終点駅

(2016年1月)
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「ライオンズ・ブルー」色の塗装も綺麗に整備されている3000系が並んで停車しています。昨年、「韮山反射炉」が世界文化遺産に登録されたのを記念してヘッドマークが掲げられています。
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平成26年に新駅舎が完成し、湯の街・修善寺の玄関駅が和風な感じになっています。
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改札口を出ると、北口、西口、南口の三方向に出口があります。観光案内所、土産屋、駅そばなども駅舎内にあります。

伊豆箱根鉄道・駿豆線の三島-修善寺間19.8km。駅は1924(大正13)年の開業。1時間に3~5本の運行で、通常期「踊り子号」2本の運行あり。(引用:Wikipedia)
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ホームは1~5番線まであり、バスなどの発着する南口側から1番線となっています。通常、普通列車は2、3番線に停車しますが、踊り子号が3、4番線に停車するため、3番線が特急停車中は5番線を使用します。1番線は早朝と折り返し回送運転になる時に使用されるようです。
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車止めの先に改札口があり、バリアフリー&どのホームへも歩く距離を均等に近づけるようなレイアウトです。
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左から1番線で、3番線に三島行電車が停車中。右側の5番線は3両編成までが停車できる長さです。伊豆、箱根、湯河原エリアがタイアップしての集客キャンペーン、共通キーワードは「温泉」と「花」です。
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西武グループの一員の証し?で、西武鉄道・新101系3両編成×2本が1300系として駿豆線で活躍しています。5番線に進入する途中に側線(留置線)へのポイントがあります。

≪JR東日本・特急「踊り子号」乗り入れ路線≫
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10時55分、伊豆長岡駅に停車中の東京発修善寺行の185系電車特急「踊り子105号」。JR特急の乗り入れで、魅力いっぱいの観光路線の一面が伺えます。

静岡鉄道 静岡清水線の終点駅

(2015年12月)
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普通電車が新清水方面から到着しました。「静岡理工科大学」と星型マーク、バリバリのラッピング電車です。以前は静岡市と清水市を結んでいましたが、現在は静岡市に合併されて市内を結ぶ輸送手段です。
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新静岡駅は新静岡セノバ(複合商業施設)の中にあり、バスターミナルとも隣接しています。一見すると大手私鉄の主要駅のようなゆとりのある駅です。

静岡鉄道・静岡清水線の新清水-新静岡間11.0kmの終点駅で、駅は1908(明治41)年の開業。1時間に4~15本の運行。(引用:Wikipedia)

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ホームドアは設置されていないですが、柵の設置で安全を確保しています。年末の訪問でしたが、通常時の通勤・通学ラッシュは都会並みかもしれません。
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1000系電車が登場した頃は、オールステンレスのボディーはシルバー単色の見るからに真面目な出で立ちだったのですが、ストライプやラッピングで賑やかな外装になっています。
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ホームは3つあり、踏切を挟んでポイントが連続して設置されています。本線の両側が車道なので、見通しの良い左カーブになっています。
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新静岡駅は新静岡セノバ(複合商業施設)の中にあり、バスターミナルとも隣接しています。一見すると大手私鉄の主要駅のようなゆとりのある広々とした造りです。

≪ちびまる子ちゃん ラッピング電車≫

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「ちびまる子ちゃん」のラッピングは心安らぐでしょうか。やっぱり、子供たちはニコニコでした。こういうサービスもいいですね。
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ラッピング電車に「出会えるといいなー」と思って、先にホーム上のアトラクションとのぼりを撮り貯めていましたが、現車が到着して「なるほど・・・」と本物を出会えて納得です。

≪レインボー・トレイン≫
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40年ぶりの新車はA3000系で、静岡の名産品や観光名所の色、お茶=黄緑、みかん=オレンジ、いちご=ピンク、富士山=青、桜えび=赤、ワサビ=緑など...レインボーカラーになるようです。本年度は既に青が登場しています。

JR東海 東海道本線・美濃赤坂支線の終点駅

(2015年9月)
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清々しい9月の朝7時台の大垣行各駅停車です。日中は運転のない時間帯があるので朝方が勝負。右に見えるホームは、今は使用されていない貨物用のホームです。
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古い感じながらも手入れが行き届いています。たとえ支線だとしても東海道本線の駅ですから凄いの一言です。旅客窓口業務は昭和46年に廃止されており、駅舎は西濃鉄道の事務所などに使用されているようです。
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乗車券は車内での購入になります。濃尾平野の北側に位置し、山々が点在し始めるような位置からでしょうか。ニホンザルが出没したという掲示物がありました。待合室にサルがいたらビックリです。
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大垣からの電車が真っ直ぐに、1つしかないホームへ滑り込んできます。

JR東海・東海道本線美濃赤坂支線の大垣-美濃赤坂間5.0kmの終点駅で、駅は1919(大正8)年の開業。平日は一日19本の運行。(引用:Wikipedia)
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一日を通じてバラつきの大きい運転パターンです。平日の朝7時台は3本の運転がありますが、11時~12、14~15時台は列車の運転はありません。
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待合室からレールと平行に歩いていくとホームへのスロープがあります。場所的にも、駅のレイアウト的にも、何ともゆったり、のんびりした駅の印象です。
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旅客用のホームは1つしかありませんが、以前使用されていた貨物用ホームとその右側にある西濃鉄道へ貨車受け渡しヤードを含めると、かなり広い駅構内です。
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JR東海、JR貨物の東海道本線支線の終点駅で、付近の金生山で石灰石を産出しており、その輸送のために西濃鉄道・市橋線(貨物線)がこの駅から始まっています。
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駅の西濃鉄道・市橋線側には、EF64-1000番台が駐機していました。市橋線は全長約2kmで、西濃鉄道が所有するディーゼル機関車が牽引を担当します。

≪中山道・赤坂宿≫
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美濃赤坂駅から西濃鉄道・市橋線が伸びていますが、赤坂本町駅は昭和20年まで旅客営業をしていた時の駅で、かなり昔に貨物路線に専業したようです。沿線は中山道六十九次の56番目の宿場町「赤坂宿」の街中を通っています。本陣や古い町並みが残っており、風情のある「美濃赤坂」を見ることが出来ます。

≪西濃鉄道株式会社≫
岐阜県大垣市に本社を置く貨物専業の鉄道会社で、樽見鉄道(第三セクター)の筆頭株主ですが、同じ大垣市に本社を置く大手運輸会社であるセイノーホールディングス(持株会社)、西濃運輸とは全く関連がありません。

四日市あすなろう鉄道 内部線の終点駅

(2015年5月)
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9時3分、近鉄四日市へ向かう電車が発車していきました。

ナローゲージの電車のことを「マッチ箱のような電車」によく例えますが、まさにそんな感じの鉄道です。この鉄道の路線はすべて四日市市内にあり、市内の大切な足となっています。
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内部線は、全線5.7kmを16分で結びます。762mmの軌間や車両だけでなく、駅舎や駅前もコンパクトな感じです。

四日市あすなろう鉄道・内部線の四日市-内部間5.7kmの終点駅で、駅は1922(大正11)年の開業。1時間に2~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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大正時代に開通した鉄道は、2015(平成27)年に近鉄から公設民営方式の新会社「四日市あすなろう鉄道」へ移行し、線路や駅の設備や車両は四日市市の所有となっています。

≪内部線≫
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単式ホーム1面1線と留置線が2本、ホームの本線側に検車設備があります。

駅構内がコンパクトで、線路沿いの建物が大きく見えます。
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260系ク163は、1982年の内部線・八王子線の開業70周年に新製されています。車両の前面は平面ではなく、ちょっとお洒落な感じで傾斜がついています。

/ ク163(内部側の先頭車)の座席は、通路を挟んで1列ずつの固定式クロスシートです。
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「近畿車輛」の製造銘板が端の方に掲げられています。 / 小さい連結器が印象的です。

/ 隣駅は「小古曽」です。
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中間車のサ121(サ120形)は、戦後に製造された車両が種車で、2015年、四日市あすなろう鉄道へ移行した数ヶ月後に廃車されています。廃車になる前の画像で、サ121の車内はロングシートが装備されていました。 / 車体側面を見ると、昔のデザインが紫色の中に見られました。

≪駅の様子≫
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何となく新鮮な風景を眺めているようなナローゲージの駅です。
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こんな感じの頼りなさそうな線路を見る機会が少ないので、しげしげと眺めていました。

ホーム手前で左への分岐があり、検車庫に続いています。大掛かりな検査はここからトラックに積んで、近鉄・塩浜検修車庫へ運ばれます
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かつては延伸計画があったようですが、車止めの向こうには国道1号線が通っており、幹線道路に行く手を阻まれています。

/ 8時53分、定刻に近鉄四日市からの電車が到着しました。
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ホームの車止め側から本線方向を眺めています。電車は新しいものに代わっても、軽便鉄道時代のナローゲージ規格が継承されることがとても印象深いです。

/ 駅舎の脇から検車設備を眺めています。全般検査の際は、車体はここで検査し、床下機器・台車などは近鉄の塩浜検修車庫へ輸送して実施されているそうです。


≪内部線の歴史≫
大正11年 三重軌道(のちに三重鉄道)により開業
昭和19年 三重交通の運行(合併)
昭和39年 三重電気鉄道の運行(分離譲渡)
昭和40年 近畿日本鉄道の運行(合併)
平成27年 四日市あすなろう鉄道の運行(公有民営方式)
※公有民営方式での運営で、四日市市が施設・車両を保有し、電車の運行は近鉄が担当


≪あすなろう≫
未来への希望+内部(と八王子線)が軌間762mmという特殊狭軌(ナローゲージ)であることから「あすなろう」と命名されたそうです。

≪サ120系≫
1949(昭和24)年、北勢鉄道(現・三岐鉄道北勢線)がモハニ50形電車として新製(日本車輌)した車両が種車で、北勢線と三重線(内部線、八王子線、湯の山線の改軌前)で活躍し、近鉄時代にモハニ50形→モニ220形へ変更。
1982年の内部線・八王子線の開業70周年の際に、モハ220形からハ120形(中間付随車)へ大幅改造が実施され、全3両のうちサ121は、2015年あすなろう発足時の車両リニューアルで廃車されています。



≪(昔)内部駅≫
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1976(昭和51)年 冬に訪れた時の内部駅です。

画像の先頭車モニ212(モニ210形)は、1928(昭和3)年、四日市鉄道(近鉄湯の山線を開業した会社)デ50形として田中車輌(現・近鉄車輌)で製造されています。

三重鉄道時代にデハニ50形 → 三重交通時代にモニ211形 → 近鉄時代にモニ210形へ形式変更になり、1982年の260系導入による近代化で廃車となっています。

明知鉄道 明知線の終点駅

(2016年4月、2016年12月)
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終点駅・明智のホームの先には車庫があります。この鉄道の車両はアケチ10形が5両、アケチ6形が1両が所属しており、アケチ6形は急行「大正ロマン号」に連結される食堂車として使用中です。
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駅舎の面に掲げられている駅名札には、「日本大正村」という表示があります駅から徒歩5分の所にあるテーマパークで、町全体が大正時代の雰囲気を保存、再現しています。

明知鉄道・明知線の恵那-明智間25.1kmの終点駅で、駅は1934(昭和9)年の開業。1時間~1時間半に1本の運行。(引用:Wikipedia)

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この鉄道はヘッドマークとラッピングが売りのようで、駅のホームには沢山のヘッドマークが飾られています。「てつじぃ」がこの鉄道の広報キャラのようです...
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車庫の一番奥に格納されているC12形蒸気機関車は、駅構内の走行までは復元されていますが、将来は本線運転が可能な状態に修繕するために、「てつじぃ」はC12形がモデルの基となって、SL復活をアピールしています。
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明知鉄道の開業時に導入されたアケチ1形5両の引退に伴い、平成10年から新造されたアケチ10形ディーゼルカー5両が主力として運行されています。
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明智駅構内が一望できる駅付近の踏切です。この明智駅とJR乗換駅の恵那駅の区間は、一部区間以外は恵那市内に路線が伸びており、市内の大切な足として末永く運行して欲しいと思います。

≪急行・大正ロマン号≫
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恵那駅12時40分発の急行「大正ロマン号」は、一般の車両に食堂車を連結した急行列車です。食堂車の営業は恵那発のみで、ここ明智発の急行列車は食堂車は準備作業です。
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食堂車は、4月~9月が寒天列車、9月~11月はきのこ列車、12月~3月はじねんじょ列車、と季節でメニュー&料金が変わります。往復の運賃に食事代が含まれている、といったところでしょうか...第三セクターの攻めの経営が感じられます。
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明智駅を発車した列車はまっすぐに伸びる上り坂を一気に登っていきます。後ろに連結しているアケチ10形(赤いラッピング)は一般の乗客用の車両です。

大井川鐵道 大井川本線の終点駅

(2015年12月)
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元・東急電鉄7200系ですが、十和田観光電鉄で第二の活躍の場を経て、同社線が廃止になった後に譲り受け、平成26年に第三の活躍の場で営業運転を開始しています。
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JR東海の駅舎が駅前ロータリーの正面にあり、大井川鐵道の駅舎は、静岡寄りにこじんまりと建っています。創立90周年を迎え、次なる目標は100周年というところですが、苦しい経営が続き、平成27年に名鉄グループを外れ、エプリクス日高(北海道に本社を置く、ホテル経営会社)の支援下に入りました。

大井川鐵道・大井川本線の金谷-千頭間39.5kmの終点駅で、駅は1927(昭和2)年の開業。1~2時間に1~2本の運行。(引用:Wikipedia)
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大井川鐵道は1番線のみの1面1線で、JR・東海道本線は2番線(上り)、3番線(下り)が割り振られています。
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昭和51年に日本で最初に蒸気機関車の動態保存を始めた先駆的な鉄道会社で、SL列車は、現在もほぼ毎日運転されています。運転区間は、新金谷(車庫がある)-千頭間のため、この駅への運転はありません。
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モハ7204(元・東急電鉄デハ7211)とモハ7305(元・東急電鉄デハ7259)で、十和田観光電鉄時代に、両運転台化とワンマン化改造され、今の車両形式が割り振られています。
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昔は貨物営業を行っており、電気機関車の機回し線がありましたが、今は撤去されています。
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東海道本線・静岡方面を眺めています。JR(右側)から左側の大井川鐵道へ渡り線が延びています。残ながら、貨物列車の貨車の受け渡し、静岡・浜松からの大井川鐵道への直通電車の運行がなくなったため、右カーブの先でレールは切れているようです。(未確認ですが、大井川鐵道の駅職員の方に確認しました)
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「おでこが広くて、目と口が下の方にある」ような面構えに見えます。右のレールが渡り線の名残で、すでに架線ははずされています。

≪JR・東海道本線≫
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JRの駅舎は、大井川鐵道の駅舎と比べると立派な駅舎です。静岡の名産「日本茶」は、この辺りでは「金谷茶」ブランドです。
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3番線に停車中の各駅停車の浜松行。右側の2番線は上り線ホームで、その間に「中線」があります。

天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線の終点駅

(2015年12月)
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東海道本線が太平洋岸を走行しているため、昔、戦時中の攻撃で不通になることを心配。東海道本線の迂回路として、旧国鉄・二俣線として、1940(昭和15)年に全線が開通しました。その後、1987(昭和62)年に、天竜浜名湖鉄道へ引き継がれています。
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天竜浜名湖線を略して「天浜線」。ロケットのような形の駅舎に路線の略称「天浜線」が掲げられています。1面2線のホームで、列車が到着する番線を「矢印」で表示しています。

天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線の掛川-新所原間67.7kmの終点駅で、駅は1935(昭和10)年の開業。1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)
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2番線の終点と1番線の終点。午後1時30分、1番線に新所原からの列車が到着しました。約68kmの距離を、所要時間2時間8分で走り切ります。
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隣りの駅は「掛川市役所前」。 / 天竜二俣にある車庫で「転車台見学ツアー」が鉄道会社主催で開催されており、その宣伝用ポスターが目を引きます。
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ゴツゴツした感じの木製ベンチ。TH2100形ディーゼルカーは全14両、他に団体運用に使用されるTH9200形(宝くじ号)が1両所属しています。
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東海道本線・浜松方面(左)と並行する天竜浜名湖鉄道は、この駅の少し先にJR線との渡り線があり、列車の行き来が出来るようになっています。この鉄道の軌道検測は、JRの検測車両で実施されており、渡り線を利用して行き来しています。

≪JR・東海道本線≫
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JR東海の東海道新幹線、東海道本線の停車駅で、駅舎内には両線の発車表示があります。ホームの花壇の中に。さりげなく「お茶」の看板があります。
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東海道新幹線とルートが並行していても、これからも東海道本線は、旅客・貨物を通じて、日本の大動脈を担っていきます。

遠州鉄道 鉄道線の終点駅

(2015年12月)
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手前(右)に駅舎~1番線があり、向かいが2番線。2番線の左側は留置線(1000系1003編成が停車中)となっています。天竜浜名湖鉄道の乗り換え駅であり、昭和33年~41年の国鉄二俣線時代に、遠州鉄道の気動車が乗り入れ運転をしていました。
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昭和46年に国鉄駅部分の駅舎・敷地が遠鉄に譲渡され、駅業務(現・天竜浜名湖鉄道)は委託されています。その後、昭和54年に駅舎が改築されています。

遠州鉄道・鉄道線の新浜松-西鹿島間17.8kmの終点駅で、駅は1909(明治42)年の開業。朝と日中は1時間に5本の運行。(引用:Wikipedia)
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西鹿島から新浜松まで全部で18駅、おおよそ33分で到着します。1番線と2番線の発着番線があり、2番線(右側)の反対側はフェンスが設けられ、留置線になっています。
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西鹿島駅の全景ですが、左の留置車両の奥に天竜浜名湖鉄道の3番線があります。1番線の新浜松方向を眺めていますが、新浜松行電車(左)が発車していった右側には、屋根付きの車庫があります。
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1番線と2番線のレールは、検修庫の横まで延びていて、終点駅に相応しい配置になっています。

≪30系電車≫
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昭和33年~55年にかけて新製・増備された電車ですが、今ではモハ25-クハ85の1編成が残るのみで、すでに定期運用はなく、車庫の奥側に留置されています。

≪天竜浜名湖鉄道≫
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天竜浜名湖(天浜)線は、昭和62年に国鉄二俣線が天竜浜名湖鉄道(第三セクター方式)に転換された、掛川-新所原間67.7kmの路線です。
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天浜線は途中駅として列車の交換設備などはなく、、3番線ホームのみが使用されています。改札口と遠州鉄道への移動は、地下道を通って行き来が出来ます。

≪遠州西ヶ崎駅≫
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昭和52年に、ここにあった遠州鉄道の電車工場・車庫を西鹿島へ移設し、現在は留置線と保線基地としての機能が残されています。通常は、ED28-2電気機関車とホキ800形貨車が、工事列車として常備されています。

ED28-2は、大正14年イングリッシュ・エレクトリック社製で、豊川鉄道電気50形として誕生しました。その後デキ50形デキ51に改番され、豊川鉄道の戦時買収により国鉄に編入され、引き続き、飯田線で使用されています。その後、国鉄形式としてED28形ED28-2になり、昭和34年に遠州鉄道へ譲渡されています。



≪遠州西ヶ崎駅 むかし≫
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1976(昭和51)年の遠州西ヶ崎です。この車両(右)はモハ22形22で、後ろ側はクハ62形62だと思います。1957(昭和32)年に新製され、1978(昭和53)年頃に廃車になったようです。ホームに停車中の車両(左)は、30形モハ29+他1両。

養老鉄道 養老線の終点駅

(2015年9月)
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終点・揖斐駅を後にして大垣駅に向かいます。養老線は、岐阜県と三重県を直結する便利な路線です。平成19年、近畿日本鉄道の完全子会社として養老鉄道が養老線の運行部分を引き継いでおり、鉄道施設や車両は近鉄の所有ですが、沿線自治体などが出資する第三セクター等への移管が(公有民営方式として)計画されています。
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近畿日本鉄道時代には、最も北に位置した揖斐駅でした。沿線の国道整備や乗客減などから、沿線自治体と県に対して支援を求め、平成19年に養老鉄道に運行移管し、上下分離方式を取り入れています。

関係する沿線自治体と県=大垣市、桑名市、海津市、養老町、神戸町、揖斐川町、池田町と三重県、岐阜県。
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終日、駅員配置駅です。ここからの発車時刻は、朝夕の通勤通学の時間帯は1時間に3本、日中は1時間に1~2本とメリハリがあります。

養老鉄道・養老線の揖斐-桑名間57.5kmの終点駅で、駅は1919(大正8)年に開業。1時間に1~3本の運行。(引用:Wikipedia)

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駅員の方の善意で、駅の撮影の際に入場券を購入しないで、駅構内へ入れて頂きました。養老鉄道では入場券の設定がないようです。
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現在は、単式の1面1線の到着して、折り返し出発するだけの駅ですが、駅舎側には2本の留置線、駅舎の反対側には軌道跡、車止めの先も空き地があります。昔、貨物輸送のために、複数のレールが敷かれていたようです。
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最近の味気のない新製車両でなく、近鉄のお古ということで、テツ仲間にとっては魅力ある路線です。
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近畿日本鉄道・名古屋線1600系の旧塗色であるセンロク塗色が施された養老鉄道600系です。
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終点駅ホーム手前に、駅舎側へ分岐する留置線2本へのレールがあります。今は使用されている感じがありません。
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終点駅から本線へ延びる真っ直ぐなレールです。平成17年に名鉄揖斐線が廃止されており、三重-岐阜アクセス、揖斐エリアへの鉄道による交通手段として、末永く存続して欲しい路線です。
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駅前の看板は新しく「養老鉄道」のものを設置しているのですが、道路標識として「近鉄」時代のものが残っていました。近鉄の経営基盤が主要幹線に注がれる瞬間です。



≪(昔)大垣車庫≫
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1976(昭和51)年・冬に訪れた時の大垣車庫です。
車庫のある西大垣駅は、養老鉄道の本社所在地で現在も重要な拠点です。

左)ク5306(ク5301形)=1937年に関西急行電鉄が製造したモハ1型電車で、1972年に養老線へ転出し、1983年までには廃車。

右)モ6242(モ6241形)=1930年に伊勢電気鉄道が導入したデハニ231形電車で、1971年に養老線へ転属し、1983年までには廃車。

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